第7話

 木漏れ日こぼれる森の中、唐突に真樹士が言い放った。


「宇宙人ってどうして人の形をしてると思う?」


 どこからつっこんだらいいのやら。向日葵はひと呼吸分の空白を置き、保留を選択。愛しの夫から視線を反らし、さらっと聞き流す。


 頭上を仰ぎ見れば、歩を進める度に万華鏡のように光の輪郭を変える木漏れ日がきれいだ。もう森に歩み入ってだいぶ経つが、さわやかに香る空気が美味しくて、おかげでさほど疲れを感じる事もなかった。


「スルーすんなよ」


 真樹士の不機嫌な声に純は仕方なくフォロー役に回ってやる。


「どうして人の形なんですか? そもそも宇宙人なんているんですか?」


 それはどうやら真樹士が最も応えて欲しかったリアクションだったらしく、嬉しそうに彼は少し大げさに両手のジェスチャーも交えて語り出した。


 麗らかな午後の山歩き。洛朱九崚は登山には易しく、ハイキングには厳しい山だ。太陽は遥か高く、雲は粉を吹いたようにちぎれちぎれに飛び、丸い天空は瑞々しさを感じる程に青く透き通っている。

 

「地球上の動物達の手足はなぜ四本なのか。そこが重要なんだ。前足、後ろ足、対になって四本だ。じゃあ、宇宙人の想像図や目撃談で、宇宙人の手足が四本でなくてはいけない理由はなんだ?」


 真樹士のイエローレンズのサングラスにきらりと陽の光が反射する。向日葵は宇宙人の姿を思い浮かべてみた。真樹士は妖怪やらUFOやらネッシーやら、そんな眉唾物のお話が大好きで彼のネットの検索履歴にはそっち系の単語がずらりと並ぶ。


「そう言われると、確かに宇宙人の想像図って大抵人間みたいな形をしてますね」


 純が真樹士が望む模範解答を返した。真樹士にとって純は優等生そのものだ。頭を撫でそうな勢いで人差し指をぴんと純に向ける。


「いいトコ突いてるぜ」


 向日葵の頭に浮かんだ宇宙人もやはり手が二本で足も二本のヒトガタばかりだった。灰色の全身タイツを着込んだ小人。目は吊り上がり、異常に大きくて真っ黒に澄んでいる。軍人に捕まった宇宙人とか言う眉唾物の白黒写真も、なんか猿みたいだったけど、やはり人の形をしていたような気がする。


「たとえば、だ」


 真樹士は話を進めながら再び歩き始めた。向日葵は純とちらりと視線を合わせて、困ったもんね、と目配せしたが、純は好奇心に満ちた目でうんうんと頷いていた。もう、この子、素直でかわいいのかバカ正直なのかわかんないわ。


「人類が本気で他の惑星の生命体を探すため探査機を打ち込むとする。さて、その探査機に人が乗ると思うか?」


「探査機そのものがロボットでしょ」


 向日葵が即答する。人の主様のご機嫌をとるために少しは付き合ってあげようかな。


「そう、まずはロボットを送るはずだ。人間を送るにはあまりに不確定要素がありすぎて危険だ。じゃあ、地球にやってきていると言われる宇宙人達は、あれは生身か? それともロボットか?」


「話の展開からするとロボットだと言いたいの?」


 山臥達が古い時代から使っている小径は、その長い歴史を経て地面は踏み固められ、背の低い草がわずかに茂る四輪駆動車が一台ギリギリ走れる程の山道となっていた。真樹士を先頭に三人はのんびりとした歩調で山を歩く。


「その通り。だけど、あのヒトガタがロボットだとして、あまりに非効率的すぎやしないか? 周囲の環境情報を収集するセンサーはどこにあるのか。検体を摂取するにしてもどこに収納する? あの細い腕で何ができる?」


「まあ、素手で戦ったら、私でもなんとなく勝てちゃいそうだね」


「うん、そこでこう仮定する。宇宙人は存在しない。仮に存在したとしても、まだ地球を訪れていない」


「それじゃあ今までの目撃証言はどうなるの?」


 純は真樹士と向日葵より少し遅れて歩きながら二人の背中を交互に眺めた。何とも息のあった二人だ。お互いが息を継ぐタイミングを知っているかのようにぽんぽんと会話が続く。


「そこでヒトガタが重要になってくる。宇宙人を目撃したと思い込んでいる人、あるいは捏造した人は、人類の想像を超える発想ができていないんだ」


「せんせー、言ってる事がよくわかりませーん」


 向日葵がわざとらしく舌足らずな口調で手を挙げる。真樹士はそんな妻の行動をさらりと無視して続けた。


「宇宙人である以上、人の形をしてないといけないって人類の生物学的常識に捕われ過ぎているんだ。人の形が地球上で最も効率的な生き物の形なんだって信じて疑わない。あるいは宗教的な問題かな。神は自らの形を人に託したもうた」


 純は山臥の小径を歩きながら、この道がどこに続く道か思い出した。主達の寄り合いの場である滝へと続く小径だ。向日葵を連れた散歩にしてはまだずいぶん距離がある。この宇宙人の話がいったい何を目的としているのか、黙って夫婦二人のやりとりに耳を傾ける。


「宇宙人って言っても、住んでいる惑星の環境次第でどんな形をしているかわからない。重力がちょっと違っただけでもとんでもなく形は変わるかもな。でも、目撃されてる宇宙人はほとんど人の形をしている。それが、宇宙人が人類の想像上でしか存在しえない何よりの証拠だ」


「なんか、言いくるめられてる気がするんだけどさ」


「じゃあ、たとえば、虫みたいに六本足で羽根がはえた宇宙人がいたら?」


「映画のエイリアンみたいな?」


「まさにそれだ。宇宙人ってイメージでなく、モンスターになる。これでなんとなく解っただろ、宇宙人がヒトのカタチをしていなければならない理由が。人がそれを望んでいるからだ。目撃したと思い込んでいる人、捏造している人、それぞれが人の形をしているべきだって思っているからなんだ」


 向日葵が足を止めて腕組みをする。どうにもうまく騙されている気がしてならない。純はそんな彼女を見て、そろそろ真樹士に本意を尋ねようと思った。


「でもマキシさん、なんで急にそんな話をするんですか?」


「さすがジュン。いい質問だ」


 向日葵が純を見つめて軽く笑う。バトンタッチ、よろしくね、と言いたげに肩をすくめた。


「そこでだ、蟲達を見てみな。あいつらは六本足だったり、外骨格だったり、触覚、複眼、羽根を持っていて空を飛べたり。クモとかムカデもこの際ひっくるめよう。まさにロボット的じゃないか?」


「あ! そうか」


 ぽんと手を打つ純。つくづく解りやすい子だなー、あらためて向日葵は思う。山臥と言っても、普通に想像されるいわゆる修験者と彼らは違う。人の主の手足となって最前線で戦う兵士でもある。向日葵が初めて純と会った時、山臥と言うイメージとはまったく異なる印象を受けた。さわやかなスポーツ系大学生のようで、とても山の中を駆け回るイメージはなかった。


 それに姿格好からして修験者とは違った。いわゆる山臥の装束姿の純なんて見た事ない。今でも気軽にハイキングへでかけるような明るい色のアノラックにジーンズ、市販のトレッキングシューズで山を踏みしめている。


「蟲達は、実は宇宙人が地球探査のために送り込んだロボットなんですね」


「それよ」


 山臥の小径を歩きながら、よくあるスポーツウェアメーカーのウインドブレーカーに袖を通した人の主、真樹士の独壇場はさらに続く。


「蟲達こそ、古代の地球に送り込まれた自律式探査型有機ロボットだったのさ。だが、その虫型ロボットが送り込まれた時代は恐竜が姿を現すよりも遥か昔。宇宙人にとって古代の地球はあまりに価値がなさすぎて放棄されたのだ。あるいは、窒素や酸素が宇宙人にとって有害な物質だったのかもな。そして、その有機ロボットの生き残りの子孫達が現在の虫達だ。地球上で最も歴史が長く繁栄している種族だ」


「へえ」と向日葵の生返事にもめげずに真樹士は喋り続ける。


「蟲達はすごいんだぞ。あいつらに距離の概念はない。どんなに離れていても双方向コミュニケーションが成立する。そしてどんな密閉空間でもいつの間にか入り込んでいやがる。蟲達はテレパシーとテレポートが出来るんだ」


 まるで自分の偉業であるかのように胸を張る真樹士。向日葵はそんな彼にさっきからずっと言おう言おうと思っていた台詞を叩き付けてやった。


「……だから?」


 真樹士はぴたっと足を止めて向日葵に向き直る。


「だから虫を嫌うんじゃない。わかったな、ヒマワリ」


「生理的にダメなの、私」


「それじゃダメだっての。これからムシのヌシと会うんだから、ヒトのヌシの奥さんが虫嫌いじゃかっこつかないだろ?」


「ムシのヌシ様と? 何かあったんですか?」


 純が二人の間に割り込んでくる。


「……何かあったって訳じゃないが、先代のヒトのヌシが殺されたんだ。殺人事件で目撃者の証言を聞くのは普通の事だろ? 今回の目撃者はたまたま家政婦ではなくてムシのヌシってだけだ」


 蟲の主。その言葉だけで鳥肌が立つのに十分過ぎる。向日葵は、くるり、回れ右する。


「私、帰る」


「一人で帰れるならいいよー。もうムシのヌシはそこらへんまで来ているはずだから気をつけてなー」


 笑顔で手を振る真樹士。耳を澄ませば、確かに森に染み入るような滝の音が聴こえている。向日葵はその場でもう一度回れ右して真樹士を睨み付けた。真樹士は笑顔を解き、真顔でそんな彼女の肩に手を置く。


「未知との遭遇だ。このチャンスを逃す手はないぞ」


「何のチャンスよ」


「地球外知的生命体との接近遭遇の」


「いや、私そう言うのいいから」


「じゃあX-ファイル的な」


 ダメだ。きりがない。向日葵は諦める事にした。


「私どっかに隠れてるからね」



 

 主達の寄り合いの場。純が言うには、そう度々ではないが、山の主達が集い話し合いをするらしい。今年の山桜の咲き具合はどうだ、とか、あまりに満月がきれいだから、とか。


 滝は轟音を立てるでもなく、陽の光の加減によって水しぶきが小さな虹を作る程度の水量で、滝つぼはささやかな湿地の池のように静寂のままに滝の作り出す波紋を飲み込んでいる。向日葵は滝つぼから溢れるような小川を覗き込んだ。この流れは山小屋の側を流れる小川の源流か。水はとても澄んでいて冷たそうで、山歩きに乾いた喉を潤したらきっとたまらなく美味しいだろう。


「ムシのヌシ様って、どんな?」


 滝の広場より少し離れた大木の影に隠れた向日葵は、その隣で彼女が作ったおにぎりを食べ始めた純に聞いた。もぐもぐとよく噛んで、ペットボトルのお茶で飲み込んでから答える純。


「普通ヌシ同士でしか会わないから僕も見た事ありません」


「カブト虫とかならまだいいけど、ガとかクモなら最悪」


「昆虫とは限りませんよ。カニとかエビの節足類、爬虫類のトカゲも山の中では蟲の種族です」


 そう言うと純は、ぱくり、おにぎりにかぶりつく。よく噛んで、飲み込む。


「ちなみにカエルとかの両生類は山ではウオのヌシ様の管轄下にあります」


 向日葵にとってどうでもいい豆知識を披露して、そして向日葵のおにぎりへの評価も忘れない純。


「これ、塩が効いてて美味しいです」


「ありがと。ジュンくんってほんっといい子だね」

 

「いえいえ。それより、来たみたいです。ムシのヌシ様」


 いつからその音が聞こえていたのか、向日葵には気付かなかった。ふと、気付いた時にはすでに耳に届いていた。


 純が人差し指をそっと口元に持って来て、いかにも「静かに」と言う表情を作る。乾いたソバ殻の枕をゆっくりと揺するような音。発泡スチロールを細かく砕いてビニール袋に詰め込むような音。向日葵は純がもう片方の手で指差す滝の方を恐る恐る覗き込んだ。


 滝の水際の大きな岩に腰掛ける真樹士。そして、もう一つ人影があった。いつの間に現れたのか、真樹士の隣に立ち、身ぶり手ぶりを交えて何やら語り合っているように見える。真樹士の表情は穏やかで、まるで昨日のサッカーの試合が話題にのぼっているかのように楽し気にも見える。


 目を凝らす。


 真樹士の姿ははっきりと捉えられるが、もう片方の人の形をした何かはどうにも輪郭が掴めない。そこだけ解像度が低い画像のような、モザイクがかかって輪郭が細かく震えているようにも見える。


 デジタル的なノイズが混じった転送画像のようなぼやけた人影は、キシキシと乾いた音を鳴らして大きく両手を広げた。真樹士はそれに応えるように姿勢を正して目をつぶる。


 輪郭がギザギザに砕けた人影の頭部が枯れ葉を掻き集めるような音を立ててぶわりと大きくなり、ぱくりと口を開くように、すぱっと横に亀裂が走った。


 向日葵がはっと息を飲むよりも早く、その人影は真樹士の頭にかぶりついた。真樹士は動かない。人の形をした影はぶるぶると震えて顎を前後に動かして真樹士の身体を飲み込んで覆い尽くす。


「マキシくん!」


 考えるよりも先に身体が動いてしまった。向日葵は叫んで大木の影から飛び出そうと踏み出す。しかし純が彼女の肩を掴んで止めた。


「ヒマワリさん、待って」


 モザイクの人影がびくんと動きを止めた。その人の形は真樹士の身体をくわえたままゆっくりと身体の正面をこちらに向ける。と、人の形の腹の辺りからにょきっと人間の腕が伸びて、やぶこきをするようにざくざくと人影の身体を掻き分けて真樹士がひょっこりと顔を出した。


「大丈夫大丈夫。単純な情報交換さ。こいつらは言葉を持たないからこうして情報を伝達するしかないんだ。もう終わったから大丈夫」


 ぞわり。人の形が震える。ギザギザの輪郭が一回り大きくなり、そして人の形は一気に爆発するかのように膨れ上がり崩れた。


 たくさんの蟲達が弾け飛んだ。空には羽根を持ったさまざまな虫達が、地には羽根を持たないさまざまな虫達が、ぬるぬるとした肌の両生類は水際に、すばしこい動きで身体をくねらせる爬虫類は草影に、そして真樹士の身体に絡み付くように大きな白い蛇だけが残った。


「ありがとう、ムシのヌシ」


 真樹士がそう言うと白蛇は彼の真正面に鎌首をもたげ、礼をするように少しだけ頭を下げた。そして向日葵にも向き直り、金色の目を細めて同じように頭を下げる。やがて音もなく真樹士の身体から離れる白い大蛇。何事もなかったかのように水際に入り、静かに崩れ落ちる滝の方へと泳いで行く。


「……マキシくん」


 向日葵が震える膝に両手を添えて呟いた。真樹士は笑顔を見せて軽く首を傾げた。さて、日射しが暖かな午後の山の散歩を続けようか? そんな笑顔で。しかし向日葵は冷たく言い放った。


「お風呂入るまで、私の半径1メートル以内に近付かないでね」

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