第36話 最終話

「すべての事の発端は、山の神の代替わりだったんだ」


 ミステリー小説に登場する探偵役の最後の最後での謎解きのように、真樹士は幼子の形をした山の神とリンドウの側に座って話を始めた。


「俺やサルがそうだったように、山の神様にも代替わりの時期があるって事が意外だったよ」

 トマトとハムとレタス、それと真樹士の希望のマヨネーズがたっぷりと挟まれたサンドウィッチにかぶりつく真樹士。


 ヒトの形をした向日葵、猫又、山の神、そしてリンドウが車座に座る。他の主達は思い思いの居心地のいい場所を陣取り、人の主の手土産を味わっていた。


「そして主の寄り合いが催された。新しい山の神様を迎えるにあたってのな。でも山の神様はまだまだ生まれたての赤ん坊だ。お守役として、ある一人の女の子が選ばれた」


 携帯ストーブで沸かした紅茶をすする真樹士は、静かに目を伏せているリンドウを視線で示した。


「白羽の矢が立てられたのが、ふもとの町に住む女子高生、澤村リンドウさんだ」


 向日葵はリンドウの横顔を眺めた。山小屋にいた時は一度も会えなかったが、こうして間近に見ても、普通の女子高生にしか見えない。黒髪は長く、顔も首も身体付きも細い。身長は向日葵の方が低いが、その細い身体付きからリンドウの方が華奢に見える。リンドウは向日葵の視線に気付き、少し照れくさそうな笑顔を見せてくれた。


「そして、悲劇は幕を上げた。山の神様の不在の時間。代替わりしたばかりの若く凶暴な新しいサルのヌシ。代替わりを目前として力を失いつつあった年老いたヒトのヌシ」


 真樹士は少し言い淀む。


「サルのヌシは、お守役として紹介されたリンドウを襲って食ってしまった。そしてヒトの力を得て、ヒトのヌシまでも手にかけたんだ」


 その言葉がすぐに理解できなかった向日葵は首を傾げてリンドウを見て、真樹士へ視線を戻し、またリンドウの少し困ったような笑顔を見てやった。


 美味しそうにパリパリとポテトチップを食べる山の神様を膝に抱き、本当の子供をあやすようにその艶やかな青みを帯びた黒髪を撫で付けているリンドウ。どこか、悲し気な笑顔にも感じられる。


「そうだよ。いまここにいるリンドウは、と言うよりも、山小屋にいた時からそうだったけど、リンドウは幽霊さんだよ」


 思わず向日葵のサンドウィッチを口に運ぶ手が止まってしまう。幽霊って言ったか?


「最初、死んだリンドウの魂をサル達が狙っていると、俺は勘違いしたんだ。だからリンドウを厳重にガードしていた。でも、サル達の狙いがヒマワリと、俺、ヌシそのものだと解って、こっちもやっと攻めに出る事ができたんだ」


 真樹士は紅茶をなめるようにすすりながら淡々と続ける。


「向日葵、山小屋では君だけがリンドウを見れなかったんだ。会っていないんじゃなくて、ずっと一緒にいたけど、目に入らなかっただけなんだよ」


「するってえと、何?」


 もう、大抵の事では驚かなくなって来た自分に少し驚く向日葵。


「ここにいるみんなの中、まともな人間は私だけ?」


 人の主、山の神、幽霊、妖怪がくすくすと笑う。


「ヒーちゃんだってもうまともなヒトじゃないよ。お腹の子、たぶん次のヒトのヌシ様になるよ。そんなちっちゃいうちから山の中で暮らすんだもん」


 猫又が不器用にサンドイッチを食べこぼしながら笑った。


「それについてはいつかまた話すよ」


 真樹士が新しいサンドイッチを摘まみ上げて言った。タマゴサラダがはさまれたもので、具を覗き込んで、やったと小さく呟く。


「ヒトのヌシとリンドウの遺体が発見されてからは、ヒマワリも知っての通りだ。山は変容した。ヒトを食った事によりその力を獲得したサルは三匹。七人の山臥と戦って、この山から強いヒトが四人と、強いサルが三匹いなくなってしまった。残念だ。でも、もう過ぎた事だ」


 タマゴサラダのサンドウィッチにかぶりつく。真樹士はゆっくりと味わって温くなった紅茶で流し込み、向日葵に紅茶のカップを向ける。


「何か質問は?」


 向日葵はリンドウの穏やかな笑顔と山の神の無邪気な食べっぷりを交互に眺め、食べ慣れていないサンドウィッチに苦戦している猫又を見て吹き出しそうになり、そして満足そうに紅茶をすする真樹士を真正面から見つめた。


 首を横に振る。切りそろえた柔らかい前髪がふるふると揺れ、自分でも少し誇り高くなれる、そんな笑顔を見せてあげた。


「山はこれからもこんな感じで在り続けるんでしょ?」


 こんな感じ。今まさに彼女を包んでいるこの居心地の良い空気。


「ああ」


 真樹士はゆっくりと頷いてくれた。向日葵にはそのたった一秒の返事で充分だった。


「なら問題なしよ」




「どーしたどーしたっ! おまえの底力はその程度なのかっ!」


 真樹士のどこか楽し気な声が山にこだまする。二つ、大きく手を打って、イエローレンズのサングラスをかけ直す。その視線の先には二人のトレーニングウェア姿。一つは純。人間の限界を越えた激しい運動での全身の肉離れ、身体のあちこちの腱がちぎれ、未だリハビリ中の身だ。それでも、すでに超人的な回復力を見せている。彼も腕組みをして涼しい顔でもう一人のトレーニングウェアを眺めていた。


 そのもう一人は、両手を膝について大きく肩で息をしていた。全身から汗が蒸気のように吹き出ていて、髪の毛もシャワーを浴びたように額にへばりついている。大きく息を吐き捨てて伸びをして、空に向かってあらん限りの大声で叫ぶ。


「まだまだーっ!」


 その声を聞き付けた向日葵は、しっかりと首に巻き付けたマフラー越しではあるが、疲れきった様子の新人山臥に声をかけてあげた。


「ヤマワキくーん! 買い出しに行くけど、何か食べたいのあるー?」


 真樹士が振り返ると、四輪駆動車の準備をする鉄兵と、身重の向日葵のためにもう一人雇った女性版山臥とでも言おうか、鉄兵と遜色ない立派な身体付きをしたお手伝いさんのキヨ子がいた。


 この山はもともと女人禁制の山だ。女性神である山の神様が嫉妬するから。それが神聖なる領域に女人が入山する事を禁じた最大の理由だ。しかしその山の神様自身から真樹士はきっちりと許可を取っている。ふもとの町の神主達の組合からちくちくと嫌味も聞こえて来たが、誰にも文句を言われる筋合いはない。


 当のキヨ子もなかなかの豪気な人物で、山臥と言うよりも山姥と呼んでくれと山小屋での家事を一手に引き受けている。さすがに元料理人の修治の方が料理の腕は上と、厨房は相変わらず修治の聖域となっていたが、確実にキヨ子は山臥達の大いなる母として関西出身の中年女性に見られるその巨大な存在感を見せ付けていた。


「マキシくんはー? ヤマンバさんとスーパー行って来るよー」


 本当の母と娘のようにすっかり打ち解けているキヨ子と向日葵。


「ヤマワキー、遠慮なしなー。おまえさんはまだまだ鍛えなくっちゃなんないんだ。しっかり食いたいの食えよ。俺はビールがあれば何でもいいよー」


 人の主である真樹士にスカウトされ、あっさりと警察官の道を捨てて山臥に転職した山脇大河は、額の汗を拭って少しだけ考えて、まだまだ元気がある事をアピールするかのようにまたまた大声を張り上げた。


「ハンバーグッ!」


 思わず笑い出してしまう山脇以外。


「……なんか変な事言いました?」


 きょとんとする山脇に、ひとしきり笑い終えてから真樹士が言った。


「オーケイ。じゃあ最後の一本な。ジュン、リハビリ中だからって手加減するなよ。ヤマワキ、ジュンのタイムから十分以内にゴールできたら、俺が編集した特製DVDプレゼントだ。オトコなら見とけってDVDだ。モエルぞ」


 ふと純がスマートフォンを取り出して、笑いながらそれに応えていた。その余裕っぷりを見て、それと真樹士のDVDプレゼントと言う言葉に反応して、山脇はぐいと胸を張った。


「お願いしまーっす!」


 笑いを堪える事のできない真樹士。ああ、なんていじりがいのある新人なんだ。


「ヒマワリさん、お願いしていいですか?」


 純がスマホをポケットに戻しながら真樹士と向日葵の元に歩いて来た。やはり笑いを堪えている様子で、にこにこしながら山脇の頑張りっぷりを眺めている。


「リンドウから電話。山の神様がピザ味のポテトチップ食べたいって」


 山の神のお守役についたリンドウは、あれから山小屋には降りて来ていない。それでも純に何かと電話を入れて来るようになった。純もそれをしっかりと受け止めている。


「うん。わかった。ジュンくんは何か欲しいのある?」


「僕は大丈夫ですよ」


 そう言って山脇の元まで走って戻る純。何か山脇にアドバイスをしてやっているのか、短く言葉をかけてストレッチを始めた。


「ところで、マキシくん。マキシ特製DVDの内容は、妻としてぜひ知っておきたいのですが?」


 真樹士を真正面から睨み付ける向日葵。夜中、二人のベッドをこっそりと抜け出してパソコンをいじっている事もある。自称アンディなんとかって言うハッカーを手懐けて手下のようにこき使っているようだが、はたして、妻に内緒で何をしているのか怪しみだしたらきりがない。


「オトコなら見とけって萌える内容らしいけど、オンナの私もぜひ確認したいわ」


「ガンダムだよ。オトコなら燃える」


 真樹士はしれっと返した。


「あらあら。ヤマワキくん、かわいそ」


「ほらほら、テツヘイさんもヤマンバさんも待ってるよ。寒くなるから早く行って早く帰ってきな」


「うん。いってきます」


 真樹士は鉄兵の運転する四輪駆動車を見送り、山の周囲マラソンのスタートを切った純と山脇の背中が見えなくなるまで目で追い続けた。


 ふと、誰もいなくなり、物音一つ無く、急に静寂にすっぽりと包まれる。


 自分が山に入ってからいろいろな事が起こった。失った物も大きい。それでも山は在り続けるのだ。


 向日葵の言葉を思い出す。

 

 山はこれからもこんな感じで在り続けるんでしょ?

 

「ああ」


 真樹士は応えた。


「山はこれからもこんな感じだよ」

 

 


   おしまい

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山臥我他彼此通信儀礼 鳥辺野九 @toribeno9

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