13.Diva mater

第29話

 粒子が粗い町の明かりは、あたかも解像度の低い動画のように、夜の路面だけを薄白く切り抜いていた。


 向日葵が真樹士とともに山で暮らし始めてからまだほんの少しの時間しか過ぎていない。山小屋の仕事として覚える事もまだまだたくさんあった。気のいい山臥達と自然の中で生活し、人里離れた山にいる事を寂しいと思った事はなかった。


 それでも、ひさしぶりに町の明るい夜に触れると、向日葵の心にも懐かしいと言うかすかな思いがあった。


 山を降りて、鉄兵の運転する四輪駆動車は目的もなく夜のバイパスを走り回っていた。鉄兵はヘッドセットを脱いで自分の眼と手足で運転している。ナビ席に座る向日葵は鬼の面のようなヘッドセットを抱きかかえ、それに繋がったケーブルが背後へ流れて、向日葵はちらりと後部座席を覗き込んだ。


 後部座席には真樹士と純が座っている。向日葵の視線に気付いた真樹士がキーボードを打つ指を止めて首を傾げる。


「どうした? 疲れた?」


「ううん。私達どこに向かっているのかなって思って」


 真樹士は軽く笑って外の景色へ顔を向けた。釣られて向日葵も夜の町を見る。まだちらほらと明かりの付いている窓も見られたが、町は深い眠りについていた。


「ただ走っているだけ。目的地は設定していないよ」


 ヘッドセットを被った純がこくんと頷く。向日葵が膝に抱くヘッドセットも純の頭の動きに合わせてくいっと勝手に動いた。


「サルの奴らはもう引き返せないレベルまで人間の領域に踏み込んで来やがった」


 真樹士はそれぞれの指に銀色の指輪が輝くその手を握っては開き、開いては握る。


「テツヘイさん、ハンドル借りるよ」


「ほいよ」


 人の主の声に応えて鉄兵はハンドルから両手を離した。ふらふらとハンドルは頼りなく揺れている。


「ヒトのヌシである俺に宣戦布告してきた以上、徹底的にお仕置きしてやるさ。ヒトとサルと、どっちが上位なのか思い知らせてやる」


 真樹士が右手を突き出して、ゆっくりと右へ捻る。その手のひらの動きに同調してハンドルもゆっくりと時計回りに回転し、車は滑らかに右車線に移った。真樹士は満足そうに頷いて言葉を続ける。


「ここは山じゃない。森じゃない。人の町だ。ヒトのフィールドだよ。山ではクマのヌシが最強だけど、町ではヒトのヌシこそが最強生物なんだ。力の差を教えてやる」


 右の拳をぐっと握り込む。四輪駆動車はエンジン音を高く唸り上げてスピードを上げた。拳を解くとその指の広がり具合に応じてスピードも緩む。反時計周りに手のひらを回転させると、車は左車線に戻り、緩やかに歩道に寄っていった。親指をクリックするようにぴくっと動かすと左ウインカーが点滅する。


「山の神様が復帰するまでに、何もかも終わらせておこう」


 真樹士の右手が完全に開ききると、車は完全に停止した。


「同調終わり。オンライン状態の山臥の強さ、見せつけてやろうぜ」


「……でも、マキシさん」


 純が細い声で言った。六番と書かれたヘッドセットの頭を真樹士に向ける。


「ヌシがヌシを殺すのは、ヌシの掟に反する事じゃ……」


「うん、大丈夫だよ。ヌシとしてじゃなく、ハッカーとしてやってやるから。ヌシの力を使うまでもないさ」




 向日葵は無人の運転席を不安に満ちた眼で見つめていた。誰もいない運転席でハンドルが勝手に回るのが、これほどまでに怖いものかと思い知りながら。後部座席では鉄兵が狩猟用ライフルを手に警戒している。


 真樹士が笑顔で言ってくれた。


「車の駆動系システムとリンクできたからパーフェクトに運転できる。身体を動かすように車を操縦できるんだ」


「よくタンスの角に小指ぶつけるじゃん」


 思わず反論してしまう向日葵。


「細かいとこ気にしないの。言わば俺と車は一心同体状態。安心しろ、いつも君の側にいるよ」


 四輪駆動車は勝手にウインカーを点灯させて、スピードを緩めて滑らかに右折した。向日葵も運転免許は持っているが、確かに、彼女よりも右折はスムーズだ。真樹士の言う通り、オンライン操縦は任せておいて大丈夫そうだ。


「テツヘイさん、やっぱ誰もいない運転席は怖いよ」


 空っぽの運転席でハンドルが小刻みに動いて進路を微調整する。ナビ席で自分の細い両肩を抱く向日葵は言った。後部座席をまるごと陣取っていた鉄兵は普段通りの明るくテンポのある言葉で答える。


「平気平気。マキシくんはゲームもうまいから、運転もゲーム感覚でさくさくっとこなすさ」


「それがかえって不安なの」


 真樹士と純はあと二体いる猿の主を分断させると言って、途中で車を降りた。双方の相対的な位置をリアルタイムで観測できるように、向日葵の乗る車の駆動系システムを真樹士本体そのものと接続。同時に山臥の装備しているヘッドセット、補助動力付きのセンサースーツ、それらの情報も真樹士のマスターシステムのヘッドマウントディスプレイに逐一データ入力されている。真樹士がどこで何をしていようと、純、鉄兵、そして向日葵の乗る車、それらは真樹士の身体の一部としてタスクシェアリングができる。


「心配かい?」


 鉄兵が穏やかな口調で聞いた。向日葵はルームミラーをちらっと覗いて、シートに深く沈み込んでシートベルトをきゅっと握りしめた。


「みんなの事は信頼しています。でも、空っぽの運転席って馴染めませーん」


 向日葵の隣の空っぽの運転席ではアクセルが勝手にふかされて、車はぐんっと速度を増した。




 運転席の真樹士はバックパックからゲーム機のコントローラを取り出した。ナビ席の純がヘッドセットのまま首を傾げる。


「マキシさん、それ何ですか?」


「ん? USBコントローラだよ。やっぱ慣れてる方がいいかなって」


 コントローラのケーブルを伸ばし、運転席メインパネルのコンソールにUSB端子を差し込む。そのままモーションセンサーリングをはめた右手を何もない空間に踊らせる。そしてコントローラの色とりどりのボタンをかちゃかちゃと確認する。


「ちなみに、どっちの車の運転ですか?」


 純はそうっとシートベルトを確認してから聞いた。


「ヒマワリの方。俺の方はこっちさ」


 左手でマスターのヘッドマウントディスプレイをこつんと差す。右手は相変わらず空中に何かを描くようにさまよっている。ハンドルは手放し状態でぷらぷらと頼りなく揺れていた。


 真樹士のヘッドマウントディスプレイには二つの画面が表示されていて、それぞれ真樹士の車、向日葵の車の運転状況がリアルタイムの映像に重ねて数値データとして表れている。


「ヒマワリさんが知ったら怒りません?」


「たぶん怒るなー。黙っててな」


 真樹士はハンドルから手を離して、HMD内の仮想ディスプレイで視点操作で自分の車を運転しながら、手元のゲーム機のコントローラで向日葵の車を運転した。


「さて、そろそろ着くはずだ。そっちの方は準備はどうだ?」


「準備? 何のです?」


 純は思わず問い直した。しかし真樹士は片手で受話器を持つ仕種をして構わず喋り続けた。


「いや、ジュンじゃないし。山脇くん、あちこちで騒動が起きるかも知れないけど、そのへんのところ頼むよ。あと盗難車が一台通報あるかもしれないけど、それ俺だから誤魔化しといて」


 純はとりあえず知らんぷりを決め込んだ。今まさに自分が乗っているこの車は、速そうだからと言うシンプルな理由で真樹士が電子ロックを解除して、駐車場から無断で拝借した車だ。


「騒動の想定域はココと、ココらへん。ルートはこう行って、こう行く予定。そう、さっすが山脇くん」


 HMD内でテレビ電話しているのか。純は納得した。山脇くんって、確かふもとの派出所の若い警官だったか。


 視点操作で自分の車を運転しながら、手元のコントローラで向日葵が乗る車を遠隔運転し、かつ、テレビ電話であれこれ画面を見ながら指示を出す。人の主の成せる技か? いや、違うか。おそらくゲーマーとハッカーとしてのスキルだろう。


 念のため、純はもう一度シートベルトを確認した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る