8.From the knees down

第16話

「おわっと」


 突然、真樹士が聞いた事もない飛び跳ねた声を上げた。向日葵も現治朗も修司も、何事かと鬼の角が生えたのっぺりとした仮面を装備した人の主に振り返った。真樹士は顔の周りを飛ぶうっとうしい小蝿を追い払うように両手をはらはらと振り回していた。


「どしたの? マキシくん」


 向日葵が真樹士の肩に手をおいて尋ねた。


「いや、なんでもない」


 真樹士のヘッドマウントディスプレイに投影された、見た事もない格好で寝そべる向日葵の裸体の画像。幸いにも彼のHMDと向日葵達が視ている有機ディスプレイとはダイレクトにリンクされていない。向日葵が異常な反応を見せていない事から思うに、この裸の画像は真樹士のHMDに直接割り込みをかけられたものだろう。


「このくそ忙しい時に、邪魔すんなよな」


 誰がこんな画像を送ってきたのか。心当たりはある。ここ最近ちょくちょくと真樹士のサーバーを覗きに来ていたハッカーだ。向日葵の画像をわざと盗ませてプレゼントしてやったってのに、こんなコラージュを作りやがって。しかも、それを俺に見せつけるとは。いい度胸を通り過ぎて単なるお調子者か。


「中継アンテナを操作して、あの谷間に指向性の電波を飛ばしてみるか」


 山には峰々ごとに階層ネットワークを構築するために中継アンテナを張り巡らせている。その一部は樹木を利用してワイヤーによってモノレールの要領で移動が可能となっている。それに強い指向性電波を送信することで山全域を電波的にカバーしていた。


「それで連絡できるのか?」


「たぶんね。銀行強盗ごときにシステム変更するのも癪だけど」


 真樹士は両手のセンサーグローブをやたら早く動かし始めた。高速モードの手話のごとくにせわしなく両手が交差して十本の指が乱舞する。しかし、向日葵の前にあるディスプレイに何の変化も見られなかった。


「シュウジさん、みんなが帰って来たらすぐにフル装備で動いてもらうかも。悪いけど、みんなの装備の準備と、おにぎりでも作ってやってもらえるかな?」


「ああ、いいよ。腹も空かしているだろうな」


 真樹士は現治朗と修司が部屋から出て行く気配を感じ取った。しかし、もう一人、この場にいて欲しくない人物の気配が残っている。


「ヒマワリはお手伝いしないの? おにぎりは得意でしょ?」


「あ、うん。……いいけど、さっきから何慌ててんの?」


「えっ、そうかな」


「何か急に背中が落ち着きを失った感がある」


 なかなか鋭いじゃないか、真樹士は思った。


「いやね、こうして見るとヒマワリってきれいだなって思って」


「はあ?」


「落ち着いたらこのHMD試させてあげるから、とりあえず今はシュウジさんの手伝いをお願いできるかな?」


「……うん、わかった」


 どこか釈然としない響きの声。女のカンでどこか不自然さを感じ取ったか。やや間を置いてからぺたぺたと小さな足音が遠ざかり、扉を閉める木の音が真樹士の耳に届いた。


 真樹士が視ているHMDの画面は、視界2メートル前方の距離に約80インチの画面が広がっているように見える。そこに横たわる生まれたままの姿の向日葵。他の誰にもこのコラージュ画像が見えていないとしても、どことなく背徳的な匂いがしてどうにも落ち着かない。


「とりあえず、保存しとくか」


 真樹士はこれはこれでこっちに置いとく事にして、純と連絡が取れるまでに片付けなければならなくなった仕事に手を付けた。


 山のふもとの駐在所へネットを繋ぐ。新人警官の山脇が仕事の早い優秀な人間ならば、すでに向こうで県警のデータベースとも接続されているはずだ。


 そして同時作業でこの向日葵のコラージュ画像を送りつけてきたルートを割り出す。せっかく自由に泳がせてやっていたのに、こんな大胆な悪戯をしかけてくるとは。きついお仕置きをしてやらないと。


「何がスーパーハッカーUID参上だよ。放置プレイに気付けっての」


 HMDに展開する真樹士の視界が複雑に切り分けられた。テクスチャーが貼られた3D画像にリアルタイムで山の映像が重ねられている。予想移動ルートの軌跡を描いている数値データは三つ。視界の隅っこにはアクセス履歴が次々に処理されていく小さなウインドウが開く。そこへ視点を置くとウインドウは拡大されて、直にスーパーハッカーアナイデンティファイドの元へと導いてくれるだろう。


 と、画面中央に新しいウインドウが開いた。見慣れた駐在所の座敷が展開される。山脇が慌てた様子でパソコンの前に座り、カメラの角度を調整しているのか彼の指先が画面を覆った。


『はいっ、呼びましたかっ?』


 若い警官は息が弾んでいた。


『うわっ、何ですか、そのヘッドセットは。かっこいいっすねー』


 さらに息が弾む。


「いいだろ。ヘッドマウントディスプレイだ。後で試させてやるから、これから送る端末データを解析して欲しい」


 銀行強盗犯の携帯電話情報と移動座標、そして割り出したアナイデンティファイドのアクセスポイントをメールに添付する。同時に、ちらりと視点操作でいくつかのアイコンをタップして向日葵のコラージュ画像を画像処理ソフトにかける。


『はい、きましたきました。これは何のデータですか?』


 山脇の声に反応して彼が映るウインドウが大きくなるが、真樹士はそれを画面左上に小さく固定した。山の3D映像で純達の位置情報の予想地点に変化がない事を確認してから、向日葵の画像の解析を始める。


「一つ目は銀行強盗犯と思われる人物のモバイル端末の情報だ。山のアンテナにひっかかったんだ。二十分くらい前までは移動していたが、今はちょうど谷間にさしかかったせいか電波に圏外にいる」


『見つけたんすか? さすが人の主様っすね』


 画像をカラートーンのかすかな差異から分析し、基となった女性の画像と、貼付けられた向日葵のパーツとを分離しながら、山を監視しつつ、山脇に指示を出す。


「県警のデータベースと電話会社に問い合わせれば持ち主が判明するだろ? そうすれば容疑者の身元も割り出せる」


『早速手配します。で、もう一つは?』


 向日葵の首から上の画像を消去。みだらな格好をして寝そべった首から下だけの女性像ができあがる。女性の趣味に関しては、真樹士はスーパーハッカー、アナイデンティファイド様を肯定してやる事にした。


「山のサーバーにちょっかいだしているハッカーのアクセス情報だ。電子情報保護法違反で訴えてやる事も可能だけど、ちょっとお仕置きしてやりたくてね。こいつの個人情報の一切合切をもらうよ」


『ええっ? それって、電子情報保護法違反って奴ですよ。やばくないっすか?』


 山脇がそんなわかりやすいリアクションを取っている間に、真樹士は強引に繋いだ駐在所の端末から県警データベースにアクセスし、山脇のパソコンに送り込んだ情報に基づくアナイデンティファイドの個人情報をそっくり戴いていた。


「大丈夫。もう終わった。銀行強盗犯の身元が判明したらこっちにもメールしといてくれ。頼むぞ」


「えっ、ちょっ」


 何かを言いかけた山脇の顔がウインドウごと閉じた。真樹士は胸の中の空気を一気に吐き捨ててHMDを脱いだ。HMDに投影される映像は脳に大量の情報を容赦なく送りつけてくる。見たいものだけを見て、優先度の低いウインドウを視覚的に無視するよう訓練しないとあまりの情報量に仮想酔いしてしまう。仮想酔いがひどくなればHMDを脱いでも視界が狭く感じて真っ直ぐに歩けなくなってしまう。


「急に忙しくなったな」


 真樹士はペットボトルに残った緑茶を一気にあおり、センサーグローブを着けたままの右手で左右のこめかみをぐりぐりとほぐした。


 そしていつの間にそこに現れたのか、パソコンのキーボード側に一匹の小さなクモを見つけた。


「おい、いつからそこにいたんだ?」


 クモを指先に乗せてやり、デスク脇の窓を開け放つ。やや温度の低い乾いた風がふわりと流れ込む。秋の風の匂いは熟成されたワインに似て土の香りがする。


 人の主は秋風を指に絡め取るように腕を振るって小さなクモを放った。クモは目に見えない細さの糸を繰り出して、するすると真樹士の指から地面へと降りていった。ふと、今度はどこからともなく一匹のガが旋回しながら舞い降りてきた。その大きな羽の模様はどこか人の横顔に見えた。


「頼むよ、ムシのヌシ様」

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