第34話 言いたい

京子きょうこが病院に運ばれて入院してから二週間が過ぎた。

普段なら入院を嫌がるであろう京子きょうこは、さすがに拒むことはなかった。


病気の進行具合については母からそれなりの事は聞かされた。



「きっと大丈夫よ。」



などと母から言われても弥琴みこにはわかっていた。


このタイミングで2人の体が元に戻ったことも、京子きょうこがいきなり調子が悪くなったことも運命なのだ。





そう




京子きょうこの命は長くはない。






それがわかったところで何を理解できるというのだろうか。

弥琴みこは、何をしてやれるわけでもなくただ見舞いに行くしかなかった。









久しぶりの高校生の体に弥琴みこは歩き方さえ最初は思い出せなかった。

何かを触る度に、若くて白い手を見ては「ああ、そうか。自分はもう自分の体に戻ったんだ。」と少しずつ理解するほどだった。


だからといって喜ぶことなど一切なかった。




自分が本当に必要としていたものは何だったのか。



若さや自由といった単純なことではないこと。





弥琴みこにとって今一番大切なことは京子きょうこ自身のことだった。











「ババア、見舞いに来たぞ。」



病室前に置かれている殺菌消毒スプレーを手にこすりつけてから、弥琴みこはカーテンをめくって中に入った。



京子きょうこは寝ているようだ。


二週間前の姿が想像がつかないほど・・・・・いや、あの威厳があって誰からも怖いと思われていたあの体格のいい京子の姿。

あの姿はもうどこにもなかった。


入院してからというもの、一気に体は痩せてゆき見舞いにくる度に元気がなくなっていっていた。




弥琴みこはベッドの隣の小さい隙間に入り込み、四つ足の小さな椅子をギギギと音を立てて引いて座った。




「ババア・・・・なにか話してくれよ。」



弥琴みこが話しかけても京子きょうこは寝息で返事をするように眠っている。

一気にやせてしまったせいで、ほほの肉が垂れ下がり骨の形が浮き上がっている。

気のせいか、髪の毛も薄くなっている。



こんなにも人間というものは一気に変わってしまうものなのか。

まだ心の準備もできていないというのに。




「話し相手がいないとつまんないよ。畑の野菜とかさ、続きどうやって育てたらいいかわかんないんだ。教えてよ・・・。」



すると、ゆっくりと京子きょうこの目が開いた。



「あ、起きた・・・。」


「ババア、大丈夫か?」



弥琴みこ・・・・・か?」




「そうだよ。見舞いに来たんだ。」




「学校は?」




「行ってない。今はそんな気分になれないし。」




「年寄りの見舞いになんか来んでええけ。学校に行け。」




いつも通りのその言い方に弥琴みこは心からほっとした。

このままいつも通りの京子きょうこに戻るのではないか。

そう思った。



弥琴みこもいつもの調子に合わせて答えることにした。



「ババアが家に戻ってきたら、学校行ってやるよ。家にババアがいたらうるさくてたまんないからね。せっかく体が元に戻っても、どうせいつもみたいにうるさく言うんだろ?」



弥琴みこが笑いながらそう言うと京子きょうこも力のない笑顔でふっ・・・と笑った。






「昨日、桜雅おうがが来た。」



「あ、そうなんだ。」



かなでも、ちょっと前に来た。」



「マジで!?知らなかった。」



「ご近所さんも昔からの友達の冬美ふゆみちゃんも。みんな来てくれたけぇ。」



「そ、そんなに見舞いに?」




京子きょうこは少しせき込んで、よだれを自分でティッシュで拭きとるとまた話しだした。




「こうやって来てくれることはわかっちょった。わざわざ来てもらって悪いことした。気を遣わせてしまったけんねぇ。」




「そんなことないだろ。みんなババアが心配なんだよ。なかなかモテるじゃん!」




京子きょうこの見舞いに来てくれた人が大勢いることに弥琴みこまで嬉しくなった。




「こうやって見舞いに来てくれちょるんは、私がいい人間だったからじゃないけぇ。まわりが自分をいい人間にしてくれてたんじゃ。」



「どうゆうこと?」



京子きょうこは今まで力の抜けていた顔を一気に険しくさせると、弥琴みこを見つめた。



弥琴みこ・・・・。最後に一つ言っておく。」



「さ、最後って?最後とかいう言葉を使うなよ。縁起でもないだろ。」



「いいから黙って聞け。大事なことじゃけぇ。」



「な、なに?」





もしかしたら遺産相続のことだろうか。遺言だろうか。

それとも我が家に何かとんでもない秘密でもあるのだろうか。


弥琴みこはとんでもない事実でも聞かされるのではないかとドキドキしていた。




しかし、京子きょうこの口から出た言葉は拍子抜けするようなことだった。






「お前のベッドの下にホコリがたまっちょった。掃除しとけ。」




「はあああ!?なにそれ!びっくりするじゃん。何かすごいことでも言うのかと思ってたのにさ!」



呆れている弥琴みこの横で京子きょうこは久しぶりにニヤリと笑った。



その後、京子きょうこはまた眠そうにしたので、弥琴みこは帰ることにした。




「ババア、また来るよ。」



「もう来んでいい。学校に行け。」



「また、そんなこと言いやがって。これだからババアは・・・・。」



そう言って病室を出ようとした時、弥琴みこは立ち止まった。






「あ、あのさババア・・・・。」



「なんじゃ?」




「あの・・・・あのさ・・・・。」




「・・・・・?」




「あ・・・、あり・・・・。」




「何言いたいかわからんけど、はっきり言え。早く寝たいけぇ。」



「な、なんでもない!」





弥琴みこは慌てて外に出た。


京子きょうこが入院してからというもの、たった一言いいたいことがあった。


今言わなければいけない。


そんな気持ちになりながら次にしよう次にしようといつも先延ばししてきた。



たった一言なのになぜか出てこない。



それは弥琴みこにとってあまりにも重く、もしかしたらそれを言ってしまったら京子きょうこはすぐにでも死んでしまうのではないかと思ったからだ。








ありがとう。







こんな簡単な一言が何故言えないんだろう。




弥琴みこはこの時、その一言を言う勇気が出ないことを後でどれほど後悔するかを知らなかった。







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