第35話 ありがとう

何日も雨が続き、やっと暖かくなった空気を一気に冷やしていく。

畑の野菜が恵みの雨に飽きたように、しおれていくのがわかった。




「水をあげすぎるのも良くないって言ってたな。」




晴れの日があって雨の日があって、暑い日も寒い日も乗り越えて野菜たちは強くなりおいしくなる。




「このままじゃ、野菜たちダメになっちまうよ、ババア。」



弥琴みこが庭に続くガラスドアを少し開けて雨が降り注ぐ畑を見ていると、母が洗濯物を抱えてやってきた。




弥琴みこ?大丈夫?」



「え?うん・・・・大丈夫だけど?」



「畑見てるの?」



「うん、頑張って育てたのにさ、野菜の元気がないんだもん。雨ばっかり降るから逆にしおれちゃってさ。」



「ふふ。弥琴みこが畑仕事なんかするから雨が降ったんでしょ。」




母は笑いながら座って洗濯物をたたみはじめた。

その様子を見るでもなく弥琴みこは外を見つめていた。




「そういえば、おばあちゃんが野菜を育てるのに一番大事なのは肥料やおひさまなんかじゃないって言ってたわよ。」




「え?じゃあ、どうすればいいの!?」



弥琴みこはやっと母を振り向くと真剣に尋ねた。

それを見た母はまた笑って答えた。



「それはわかんないけど。母さん、そこまで聞かなかったから。でもきっと土ね!土台が良くないとやっぱりいいものはできないものね。」



「そ・・・そっか・・・。」



母のせいで余計にわからなくなってしまった弥琴みこは畑を見つめるのをやめて部屋に戻った。





もう何日も京子きょうこの見舞いは母へまかせていた。

自分の体に戻ってみると、これだけの日にちがたつと変に冷静に考えてしまうからだ。



あれだけ喧嘩していた京子きょうこの見舞いに行くなんて恥ずかしい、と。



それに自分以外にも京子きょうこの見舞いに行く人は大勢いるし、自分が行かなくても寂しくはないだろうと思ったからだ。






次の日も次の日も雨。

やっと晴れの日が戻って野菜たちがへとへとになった頃、母が京子きょうこの見舞いへ出かけた。




弥琴みこも来る?」



「ううん、今日はやりたいことあるから。」




「そう。こんなこと言いたくないけど、おばあちゃんかなり体調悪いらしいの。だから、もうそろそろ・・・・・。できるだけ、お見舞いに行ってあげてね。」



母は少し泣きそうになりながら出かけていった。




その様子を見て弥琴みこも辛くなった。

それと同時に体調の悪い京子きょうこの見舞いをする勇気がますます出なくなった。



部屋で一人、何をするでもなくベッドに横になり天井を眺めていた。





「これじゃあ、体がババアだろうが女子高生だろうが何も変わらないな。」




こんな気持ちになるはずじゃなかった。

京子きょうこが死ぬ時は悲しいとすら思わないだろうと思っていた。




何も苦しみを知らないまま、女子高生のままただ毎日を過ごしていたあの日々。



あの時の自分になかった感情を弥琴みこは確かに心に感じていた。







ふと、京子きょうこの一言を思い出した。



「そういえば、ベッドの下が汚れてるって言ってたな。だったらババアが掃除してくれりゃいいのに。」




そう思ってベッドの下を覗いたが、思っていた様子とは違いキレイだった。

ホコリもないし、物も落ちていない。


ただ床よりも少し膨らみがある部分に気付いた。

ベッドの影のせいで何も見えなかったが弥琴みこが手を伸ばして引き寄せると、それは封筒だった。





弥琴みこは一瞬でわかった。




それが京子きょうこからの手紙であることを。




弥琴みこは読みたくない気持ちと読みたい気持ちが交じりながら、ゆっくりと封筒の口を開けた。


京子きょうこらしく和紙でできた便箋が一枚入っている。



ゆっくりと手を伸ばし、取り出そうとした時、弥琴みこのスマホが鳴り出した。



手紙を読むのをためらっていた弥琴みこは助かったとばかりに電話に出た。



「もしもし?」





「・・・・。」




「もしも~し?」






「・・・・・。弥琴みこ





「だれ?」




「・・・・・。」





何も答えない相手にスマホの画面を見ると非通知設定になっていて誰かわからない。






あまりにも沈黙が長いので、弥琴みこは母だと思った。



「母さん??母さんなの?」



弥琴みこ・・・・」



「うん、弥琴みこだけど何?何かあったの?」





「・・・・。」









「お前のおかげで楽しかった。ありがとう。」










その言葉を聞いた瞬間、電話の相手が誰なのか弥琴みこにはわかった。

そしてその言葉が何を意味するのかもわかっていた。






「ババア!!?」






そこで電話は切れた。同時に弥琴みこに頭痛が走った。




「うあああ。」




目の前が真っ白になり京子きょうこの命が薄れていくのが弥琴みこにも理解できない感覚で押し寄せてくる。

何かにひっぱられる感覚で白い世界が通り過ぎていく。








「ババア!ダメだよ!!」




「そんな!まだ行くな!」




命の灯が細く小さくなり消えていきそうになっていくのが弥琴みこには感じられていた。




「ダメだって!!死なないで!!まだ死なないでよ!私まだ・・・言えてないのに!!」





弥琴みこの体なのか魂なのか。


必死に声とは言えない感情の世界で叫んだ。





すると弥琴みこを取り巻く白い世界が今度は色々な映像の渦へと変わった。

次から次へ色々な映像がものすごい勢いで流れていく。










その映像は小さい頃の弥琴みこだった。

よちよち歩きでおしゃぶりをくわえながら歩いてくる自分の姿。



笑いながらアイスクリームをつけて走る自分。




七五三の着物姿。




手をつないで神社を歩く姿。




ランドセルを揺らして手を振る姿。





怒鳴り声をあげて物を投げつけてくる姿。




畑で作った野菜を笑って食べる姿。






弥琴みこ自身には思い出せない昔の事から最近のことまで全部鮮明に映像になって流れていく。


弥琴みこはその数えきれないほどの映像が何なのかわかっていた。





全部、京子きょうこ目線からの映像であること。


これは京子きょうこの思い出なのだ。



いいや、京子きょうこが大切だと思っていた思い出なのだ。








いくつもの映像や声が自分のまわりで笑ったり泣いたりして通り過ぎていく。


それと同時に京子きょうこがその時感じていた幸せが弥琴みこの心に確かに共鳴してくる。




映像が流れる速度が速まるほどに京子きょうこの命の灯が消えていくのがわかる。







昔の思い出とその想いが通り過ぎる度、弥琴みこは大粒の涙を流した。







「なんでだよ・・・ババア。」





「なんで最後に思い出すのが私との思い出ばっかりなんだよ。」






毎朝怒鳴りながら玄関を出て行く弥琴みこの姿。



笑いながら誰かと電話している弥琴みこの姿。






その京子きょうこの思い出の中に入っていない弥琴みこの姿はないと言えるほどだった。






一緒に散歩した幼い時も怒鳴り合いをした高校生の時も、どんな時も何も変わらず寄り添って同じ想いで接してくれていたのだ。










やがて映像は途切れ途切れになっていく。

最後に小さな光の中にすべてが吸い込まれいき、その光もさらに小さくなり消えていきそうになった。








その光が何なのか。

あの光が消える前に自分にできることは何なのか。






弥琴みこは不思議と悲しい気持ちだけではなく、優しい気持ちと共にしっかりとした声で言った。









「ありがとう、ババア。」





















白い光が消え、うっすら目を開けると部屋に戻っていた。


それと同時に鳴り響く電話の音。








その電話の知らせが何なのか弥琴みこにはわかっていた。

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クソババアJK きらーな* @Kira-Na

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