第22話 満たされない食事

最近の弥琴みこの日課といえば、毎朝、挨拶運動をしに行くことだった。

何もしていないよりも通学する学生を高見の見物のように眺めるのは面白かった。

ただかなでに会うことは一度もなかったが。



そのあまりの変わりように京子きょうこは、何も叱ることがなくなったせいか黙って学校に行くようになり、朝の言い合いが嘘のようになくなった。




弥琴みこも自分では気づいていないようだったが、毎日が楽しくなってきた。自分が京子きょうこの体であることを忘れ、見た目にも若返ったようだった。





「じゃあ行ってきます。」




「おばあちゃん、今日も見回り運動ですか?毎朝、大変ですね。行ってらっしゃい。」




母にそう言われて、またやる気を出した。

毎日毎日、ただ弥琴みこかなでのことを考えた。

無意識だったので、それがおかしいこととは思うこともなくなっていた。







「たまには場所を変えるか。よく考えたらここは小学生の通学路だし。あ、おはよう!元気に学校行けよ!」






何日も挨拶運動に来たせいで、自分から挨拶するのも上手になっていた。

これで近所から怖いおばあさんと噂されていたのも少しはなくなるかもしれない。









自分の高校への道のりに小さいな公園がある。

弥琴みこは、そこで待つことにした。



ぼーっとしていると、久しぶりに見る顔ばかりで、クラスメイトも何人も通り過ぎた。数週間ぶりに見たせいか、みんなが成長しているような子供に見えるような変な気分だった。

高校生ともなると挨拶してくる人も少ない。






『あ~学校行きたいなあ。こんな生活してるくらいなら学校行って友達と遊んでた方がましだったかもなあ。』




自分から学校に行きたいなどどと思ってしまったので、弥琴みこ自信も驚いた。

でも正直な気持ちだ。





ずっと立っていると足腰も冷えてきて、風も吹いてきたので帰ろうかとした時。

うつむいて歩く暗い学生の姿が!




『もしかしてかなで!?』





弥琴みこは心臓がどくんと鳴るのを感じた。




その学生がどんどん近づいてくる。

メガネを忘れたので老眼でよく見えないが、髪型はよく似ている。





弥琴みこの前に来た時、すばやい動きで一気にその学生は顔を上げ弥琴みこを見つめた。






かなでだ!!!





そう思うと弥琴みこは一気に顔が熱くなった。

自分でもそれに気付いたせいで今度は心臓が先ほどよりもドクンドクンと素早く高鳴りだした。

かなでの瞳がメガネの奥で優しく笑う。




「おばあちゃん!おはようございます!!!」




その元気な声と自分を呼びながら笑う顔。まさに弥琴みこが、何日も待っていたものだ!






『そう、それ。それが聞きたかったんだよ!それだけのために何日も挨拶運動してた

んだよ!』


声にも心の声にも出さない奥底の想いだけで弥琴みこはそう感じた。






「この前のゲートボール大会どうでした?俺、出場できなかったんですよ。下手くそだからしょうがないけど。」



この言葉で京子きょうこかなでのつながりがわかった。

しかし、それだけで弥琴みこは何も返事を返せなかった。



「じゃあ俺、学校行きます。おばあちゃんも散歩楽しんでくださいね。」



『散歩じゃねーよ!お前に会いに来たんだよ!』

とは言えないので、弥琴みこはただ、頷くしかなかった。




会話とも言えないようなやりとりだったが、弥琴みこは幸せな気分でいっぱいだった。

何も言えなかった事に後で後悔するであろうこともわかっていたが、喜ばずにはいられない。






かなではまた下を向いて歩きだした。

その後ろ姿が、ちょっと前までは気持ち悪くて仕方なかった弥琴みこだが、今では癒されるものがあった。



その時、弥琴みこの後ろから走りぬける女子高生の姿があった。

その女子高生は、弥琴みこの横を通り過ぎるとかなでに近寄り話をし始めた。






え?だれ?






かなでは通学の時も学校で過ごす時もいつも一人。

そんなイメージを持っていた弥琴みこはその光景を見て驚いた。

あのかなでが笑顔で、女の子と話をしている。





ずっと下を向いていたかなでが、楽しそうに横の女の子を見つめている。






『もしかして彼女?』






そう思うと弥琴みこは、今まで明るかった通学路に雲の影がかかったように感じた。

かなでを遠く感じ、まるで地面を足に縛りつけられているかのように動けない。ひたすら2人の姿を見送るしかなかった。














家に帰りつくと、弥琴みこはコートを床に投げ捨てた。

鏡を睨んで自分の顔をぶった。



「ばっかじゃないの!かなでのくせにさ!いっちょ前に女なんか作ってんじゃないわよ!」



握りしめた拳が目につき、その拳の数えきれない皺とシミにイラついた。



「こんな顔!こんな体!!私が私だったら、あんな女なんか全然、目にもとまらなかったのに!!!」


「私の事好きだったんじゃなかったのかよ!ババアのせいだ!たぶん、そうだ!ババアが私の体で勝手に優等生みたいにしたから、かなでもきっとそんな私が嫌だったんだ!」




もうここまでくると弥琴みこの被害妄想と苛立ちは止まらない。



「私、なに挨拶運動とか偽善活動みたいなことやってんの!?ばっかみたい!なんなの、あの小学生!うっざ!マジでうっざ!!!!」





行き場のない悲しみに何かを恨むことが逆恨みだとは知っていても弥琴みこにはそれを止める方法がわからなかった。









悲しみにくれて、いつの間にか眠ってしまっていた弥琴みこは、もう夕方になっていることに気付いた。

京子きょうこももう帰って来ている。

それどころか、夕食を母と話しながら楽しく食べているようだった。



弥琴みこは暗い部屋に電気をつけると、片隅に置かれた夕食を見つけた。

母が運んできたのだろう。

ラップもしていない状態だったので、あたたかい物は冬の寒さのせいで冷めきっていた。





弥琴みこは、その食事の前に座り込むと箸を握った。

みそ汁・・・・ごはん。からあげ、コロッケ。母が作る料理は油ものがメインだ。

ただ空腹を満たすためだけに食べていると、自分がくちゃくちゃと音をたてて食べていることに気付いた。



昔、自分が京子きょうこの食べ方が汚いと批判したその食べ方だ。



『ああ、汚い!!』



弥琴みこは、嫌になって箸を投げ捨てた。

自分自身が汚く感じて仕方なかった。






うす暗い部屋で一人、何も満たすことのない食事。

今日という日を誰かに聞いてもらえるわけでもない苦痛。

遠くで楽しそうに聞こえる母と京子きょうこの声。




何もかもが裏切り者で、自分を笑っているようにしか感じなかった。

かなでと女の姿が焼き付き、夕食のからあげもごはんも水の中に沈んだ。

あふれ出てくる大粒の涙が弥琴みこの瞳を濡らしていたからだ。





悲しい。





寂しい。







弥琴みこは、夕食に手をつけることができなかった。

食事を食べることで、最悪な事実が押し寄せてくるからだ。








『ババアはいつもこんな飯を食べてたのか。』

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