第8話 奏の優しさ

地面についた手がやけに冷たい。

冬の寒さのせいではない事は弥琴みこにもわかっていた。


今まで自分が付き合っていた彼氏はどこへ行ったのだろう。まるで別人だ。

もしかして中身が入れ替わってしまったのは真輝まきのほうではないか。そう思ってしまう。


「あんた、本当に真輝まきなの?あんなに優しくしてくれたのに・・・。」


人混みの中、冷たい視線を投げてくる人々の前で弥琴みこは涙を流した。

これは夢なんだ。ババアと入れ替わったのも真輝まきがこうなったのも全部夢なんだ。そう思いたかった。


泣きながら真輝まきを睨みつけたが、その顔には以前変わらぬ優しい瞳とは不釣り合いの企んだような笑みがあった。

そしてそのまま後ろを振り返り歩いて行ってしまった。





「大丈夫ですか?」


だれかが後ろで呼びながら体を支えてくれた。

涙を拭きながら振り返るとそこにはオタクボーイのかなでがいた。


かなで!?なんでここに・・・・。」


「ごめんなさい、おばあちゃん。俺、後ろから見てたけど怖くて助けてあげられなかった。ケガしてないですか?」


まるで年寄りの扱いに慣れているようにかなでは膝が痛むことを考えて足のほうも支えながら起き上がらせてくれた。

弥琴みこは、真輝まきへの憎しみと二股をかけられていた悔しさで何も言う気分にはなれなかった。


「そこにベンチがありますから、そこまでおんぶしますよ。さあ、乗ってください。」


そうは言われてもかなでの体は小さかった。

京子きょうこの体はずっしりと重い。きっと乗ったらかなでは潰れてしまうだろう。しかし足の痛みと尻もちをついた時の体の痛みには勝てなかった。

弥琴みこは、ゆっくりとかなでの背中に乗った。


「いきますよ。」


そう言ってグンッと力を入れ、かなで京子きょうこの体を持ち上げた。

フラフラとして進む速度はとても遅く、頼りない。はっきり言って乗ってるほうが怖くて心配になってくる。それでも顔をしかめながらかなではベンチまで何とか歩いた。


「はあ・・・。はあ・・・。座ってください、おばあちゃん。」


息切れしながらも座る時までかなで弥琴みこを優しく支えた。

その優しさが弥琴みこには辛かった。今は何をされてもお礼を言う気にもなれないし、そう思うことはかなでには申し訳ないと思ったからだ。


「何か飲み物買ってきましょうか?」


「・・・・。」


何も返事ができない。


「あ、あそこに自動販売機あるからお茶買って来ますね。」


「・・・・。」


何も返事をしない弥琴みこの事を気にする様子もなくかなでは販売機へと走って行った。


『あいつって、ただのオタクだと思ってたけど、こんな社交的な事もできるんだな。』


恨みと悲しみが渦巻く中でかなでの優しさには純粋に感心した。


「おばあちゃん!お茶!これ飲んでください。」


そう言ってかなではメガネを外して汗を拭きながら温かいお茶を差し出した。

いつもなら冷たいジュースでも飲んでおきたいところだが、この時は温かいお茶で良かったと思った。

かなではキャップを開けて弥琴みこに差し出した。


弥琴みこは、飲む気分にはなれなかったが自然とお茶に手がのびた。

一口飲むと涙が流れた。また一口飲むとまた涙。

それを見たかなではポケットから取り出した恐竜のハンカチで涙を拭いてくれた。皺の間に流れる涙も優しくふき取ってくれた。


「痛いですか?病院につれて行きましょうか?」


どうやらかなでは痛みで泣いていると思っているようだ。


うるせぇな。ほっとけよ!


普段ならそんなセリフを言ってしまうだろう。だが、今日は違った。

いつもなら言えないような一言が出てしまった。


「ありがとう・・・。」


弥琴みこがそう言うとかなではにっこりと子供のように笑った。

その笑顔はいつもの陰気な雰囲気からは想像できないほど可愛らしかった。


「俺には、こんなことくらいしかできないから。本当は、もっと早く助けてあげたかったんです。本当にごめんなさい。」


謝ってくるかなでの言葉に、弥琴みこは首を横に振るしかできなかった。


これ以上ここにいても仕方ないのでタクシーを呼んで帰ることにした。かなではタクシーを停めて手をひいて乗せてくれた。

かなでの手を振る姿を見ながら悲しいのか嬉しいのかよくわからない感情のまま、自分も手を振り返した。








家に帰りついたが、まだ体は痛い。

京子きょうこへの仕返しをするつもりで外に出たが自分が苦しんだだけだった。

部屋に入るなりスマホを取り出すと、履歴を確認した。

もしかしたら真輝まきから何か連絡がないだろうか。

しかし、そんな様子は少しもなかった。


一人になるとまた虚しい気分が襲ってきた。

こんなことになったのも京子きょうこのせいだと思うしかなかった。

怒りをぶつけるところが見当たらなかったからだ。


「もう最低だ!なんでこんな目に合わなきゃいけないの!早く元の姿に戻ってよ!」


バンバンと床をたたきつける音に母がびっくりして部屋に入ってきた。


「おばあちゃん!大丈夫ですか?すごい音してるけど、何かあったんですか?」


「あ、いや何でも・・・・」


ヤバイと思ってすぐに顔をあげた。


「ど、どうしたんですか?すごくその・・・なんていうか疲れた顔してますけど?」


「だ、大丈夫だから。気にしないで。」


弥琴みこは、そう言いながら顔の涙を拭いた。


「夜ご飯食べますか?」


母にそう聞かれたが食べたいという気分にはなれない。


「体悪いんですから、しっかりとご飯食べてください。食事しないと良くなりませんよ。」


「いや、いい。」


断ったにも関わらず、母は部屋まで食事を運んできた。

運び終わるとさっさと母は台所へ戻っていった。


色々あったが、やはり小腹はすく。

とりあえず少し食べようと思い、半分くらい食べた。味がしなかった。

少し前まではあんなに何でも美味しく食べていたのに。

どうせだったら太ってでも好きなものを食べてしまえばよかった。

そう考えるとますます入れ替わった体に苛立ちが募り、食事どころではなくなってしまった。







スマホを確認したが、やはり真輝まきからの返信はない。

やはり今日の真輝まきが本当の姿だったのかな。


そう思うと悲しみよりも怒りがこみあげてきた。

弥琴みこは、桃夏ももかに電話して話を聞いてもらった。

入れ替わっていることを内緒にしながら話すと桃夏ももかは静かに聞いてくれた。

声だけは入れ替わらなくて良かった。



弥琴みこちゃんは、可愛いからもっといい彼氏できるよ。私、真輝まきくんの事そんなに好きじゃなかったから、ちょっと嬉しいな。」


「でしょ!?私もさ、あんな男と別れて良かったと思ってるんだよね~。顔はいいけど良く見ると笑い方とか気持ち悪いしさ。」


さっきまでの悲しみはどこへやら。自分が思ってもいないような事まで言っているとスッキリとしてきた。

しばらく話しているとだんだん笑い話になっていった。


やはり桃夏ももかに電話して良かった。

幼馴染の彼女は本当にいつも側にいてくれて、弥琴みこが悲しい時はいつでも助けてくれる。

もしかしたら桃夏ももかには、入れ替わった事を話しても大丈夫かもしれない。

そう考えて思い切って話してみようと思った時、桃夏ももかの方が先にしゃべりだした。




弥琴みこちゃん、実はね私・・・。」


「え?なに?急に声のトーン下がったよ。」



今まで話していた声とは明らかに違う。

弥琴みこは心配になった。


「ど、どうしたの?」



「うん、えっとね。寂しいけど私・・・。引っ越すことになったの。」

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