第25話 病院で

目が覚めた時、弥琴みこは状況がわからなくなっていた。

病室のベッドである事には気づいたが、自分が京子きょうこであることを忘れていた。




桜雅おうがの大きな声がいつもより少し低い声になって病室の奥から聞こえる。

その声をかき消すようにベッドの周りのカーテンがシャーっと音を立てて開いた。



「おばあちゃん、目が覚めたんですね!ああ、良かった!」



「母さん・・・・?」



それを聞いた桜雅おうががバタバタと走ってきた。



京子きょうこさん!ああ、良かった。大丈夫っすか?」




その時やっと自分が京子きょうこの姿である事を思い出した。

弥琴みこ桜雅おうがの涙まじりの顔を見ながら答えた。



「お腹が痛い・・・。」



「そうっすか。先生に検査してもらったんで、すぐに良くなりますから!」



「おばあちゃん、桜雅おうがさんが運んでくれたの覚えてますか?」



弥琴みこの母はそっと弥琴みこの肩を撫でながら優しく話しかけた。



「少しは・・・覚えてるけど・・・。」



「そう。あのね、今回倒れたのも病気の悪化のせいだそうですよ。だからね、このまま入院しましょうね。」



「え?病気?やだ・・・・。私、入院するの?いつまで?」



「そうねぇ、そこは先生に聞かないと。」




のんびりとした母の声に対して桜雅おうがはもう涙でいっぱいだった。



京子きょうこさん!なんで言ってくれなかったんすか!俺、京子きょうこさんが癌だって聞いて・・・・抗がん剤とかもしてないって・・・・それ聞いて平気な顔して笑ってた自分が悔しいっすよ!」




「え!!癌!!???」




弥琴みこは驚きのあまり体を動かしたので腹の奥にぎゅっと締め付けるような痛みを感じた。





癌・・・。




京子きょうこは癌?

抗がん剤治療もしていない!!?



じゃあ余命は?




なんで?




なんで治療をしないの??







弥琴みこはショックを隠すことができなかった。

今、自分の体は京子きょうこの体であることはわかっている。

自分の体が病に侵されているということではないということ。


それでもショックでたまらなかった。

弥琴みこ京子きょうこ自身が癌で死んでしまうのではないかという恐怖を感じたのだ。






「私、いつまで生きるの?」




「・・・・・。おばあちゃん、治療を受けてください。少しでも長く生きられるようにしましょう。ねっ。」





母の憐れむような瞳に弥琴みこは苛立ちしか感じなかった。



よくもそんなにのんびりとした考えができるものだ、と。



その時、再びカーテンが開き今度は京子きょうこが入ってきた。



みんな一斉に京子きょうこの方を見た。

京子きょうこは全員を見渡すと、そのしかめっ面と暗い声でしゃべり出した。




「悪いけど、ババアと2人きりにして。」





京子きょうこがしゃべったとは思えないほど、見事な言い方。弥琴みこの真似をしっかりとしてみせた。





「で、でも・・・・。」




返事に困ったのは、母の方だった。

おろおろとしながら、2人きりにしていいものかどうか迷っているようだ。

一方、桜雅おうがは自分は場違いと言わんばかりに何も言わずカーテンを引いて出て行った。


弥琴みこも母がいては話ができないと思い、自分から言うことにした。



「悪いけど2人にしてくれる?」



「は、はい。じゃあ・・・・。」




弥琴みこがそう言うと母は、外へ出ていった。






病室には、他の患者さんがカーテン越しに寝息を立てている音しか聞こえない。

静かに京子きょうこが話しだした。




「黙ってて悪かった。」



その一言に弥琴みこは何も言ってくれなかった苛立ちと、ほんの少しの安心感を感じる。




「なんで黙ってたの?っていうか、いつから?」



「かなり前からじゃけぇ、覚えとらん。」



「な・・・なんで治療うけないんだよ?死ぬつもり?」



「そのつもりだ。」




京子きょうこが否定するでもなく、堂々と言ったので弥琴みこはついに怒りが抑えられなくなった。



「な、なんで!!バカじゃない!?わざわざ死ぬなんてさ!」



「治療を受けて長生きしても、もうただの年寄りじゃけぇ。だれにも迷惑かけんで死にたいんよ。」



「も、もう充分、迷惑かけてるだろうが!みろよ!私、入院だってさ!」



弥琴みこは半べそにならながら、窓の外を見ながら京子きょうこに怒鳴りつける。

京子きょうこ弥琴みこの頭をなでながら話し続けた。



「悪かった。病気の年寄りと入れ替わるなんて、お前には悪夢でしかないけんねぇ。」




京子きょうこがそう言う前にもう弥琴みこの目からは涙があふれていた。





「私・・・・・死ぬの?」



「絶対に死なせん!」



「し、死ぬじゃん!私この体のまま、死ぬしかないじゃん!どうしてこんなことになったんだろう・・・・。私、怖い・・・・。」



「大丈夫じゃけぇ!お前を死なせたりせんけぇ!」



「なんでそんな確証もないこと言えるの!?ババアはいいよな!だって高校生の体なんだもん!病気でもないし、友達とも楽しく遊べるしさぁ!私なんかこの年でこの体だよ!しかも癌で死ぬなんて!!」




弥琴みこが大泣きしながら叫んだので、となりの患者が一瞬大きな鼻音を鳴らした。

京子きょうこは何も言えずにいる。

両手を握りしめて、悔しがっているようだ。




「毎日、神様にお祈りしてるけぇ。」



「そんなことが何になるんだよ。」



「今できることがあるはずじゃけぇ!お前と私が入れ替わったのも何かの天罰じゃ!行いを改めて正しい方向へ行けという天からのお告げじゃ!」



「マジで意味わかんない!!どこかの宗教じゃあるまいし!だいたい、私がいったい何したって言うんだよ!普通に生活して普通の高校生やってただけじゃん!犯罪も犯してないし、私のどこに天罰が下るって言うの!?」



弥琴みこの言葉に京子きょうこは何も言えずにいた。

日の光が入って部屋全体がその暖かさを受けとめている。その穏やかな風景が弥琴みこにとっては悲しいものに見えて仕方ない。




「もう、いいよ。もう死にたい。いっそ、殺してよ!」



そこまで言い切った時、弥琴みこは右頬に強い衝撃を受けた。

京子きょうこの強烈なビンタをくらったのだ!





痛っ!





声に出す暇もないほど一瞬のことだった。

弥琴みこはとっさに左頬を押さえ、意味がわからないという顔で京子きょうこを見上げた。



一瞬の沈黙の後、やっと弥琴みこが口を開いた。




「な、なんでぶったの!?どうして・・・・。ババアはいっつもそうだ!私の事悪く言うばっかじゃん!」




「・・・・・。」




京子きょうこは顔色一つ変えずに弥琴みこを見つめている。




「なんで何も言わないんだよ!?どうせ私なんか産まれてこなきゃ良かったとか思ってんだろ!?近所に私の悪口ばっか言いふらしてさ!!こんな孫いらないって思ってんだろ!早く死ねって思ってんだろ!」




涙があふれて止まらない。

泣けば泣くほど辛い記憶が蘇り、あることないことまで責めてしまう。


悲しくて悔しくて惨めだった。






「もう、いや・・・。死にたい・・・。」




弥琴みこは自分の足を引き寄せて体育座りのまま頭を垂れながら言った小さな声は病室に消えた。





ひたすら泣く弥琴みこをしばらくじっと見つめていた京子きょうこが口を開いた。





「お前に今できる事はなんだ?」



「・・・・。」



「私はもう年寄りじゃけぇ、死んでもかまわん。もう充分じゃ。」



「・・・・。」



「じゃけど、お前は死んじゃいけん。きっと元に戻れるはずじゃけぇ。」




「ひっぐ・・・・。」




「必死に生きちょったら、きっと何とかなるけぇ。」





弥琴みこは泣きながら、しっかりと京子きょうこの言葉を聞いている。

それを聞くと尚、涙が溢れてやまない。


弥琴みこの頭の中に桜雅おうがの言葉がこだまする。






京子きょうこさんのそういう言い方の中にある優しさ大好きっすよ!』






興奮していた気持ちが収まってくると、京子きょうこが誰を想ってそう言っているのかが弥琴みこには良く理解できた。

それを認めるのは悔しかったが、どこか救われた気分にもなった。








一日入院したのち弥琴みこは退院した。

母はひどく憤慨していたが、話し合いの末、入院しての治療はしないことにした。







退院の付き添いには母も京子きょうこも来た。

後ろから見送る看護婦さんが弥琴みこににっこりと笑いかけながら言った。



「すてきなご家族ですね。」




弥琴みこはその言葉を無視して病院を後にした。

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