第6話 オタクボーイ

さっき走って京子きょうこを追いかけてみたものの、その時の衝撃だろうか。今になって膝が痛みだした。それに体も重い。


「あいててて。あんなに走るんじゃなかった。この身体太ってるから重いんだよ。こんなババアの身体じゃ何しても楽しくないじゃねぇか。」


家に帰る途中、すれ違う学生の中に見慣れた顔があった。オタクボーイのかなでだった。

弥琴みこは今自分が京子きょうこの身体であることをいいことにかなでを見つめた。


何故あんなに下を向いて歩いているのか。あんなに太いメガネをしないで、少し髪を整えればそれなりにマシになるのではないか。など思いながら見てしまう。


「なんで私のことなんか好きなんだろう・・・。」


ぽつりと呟いた瞬間に、下を向いて歩いているはずのかなでと目があった。

弥琴みこは自分でもわからないまま目を逸らした。




「おはようございます!」


「へ?」


聞いたことのないかなでの大きな声に弥琴みこはびっくりして顔を上げた。



「おばあちゃん、今日も朝の散歩ですか?」


「え?え?知ってるの?私のこと?」


弥琴みこさんのおばあちゃんでしょ?いつも挨拶してるのに・・・。どうしちゃったんですか?」


かなでが不思議そうな顔をした。

弥琴みこは少し不気味だった。


『いつも、うちのババアに挨拶してたのか。もしかしてそれで私の事を知ったのか?』


なるほどというような回答を自分で勝手に決め、弥琴みこは納得した。


「今日は寒いですから、何か一枚羽織ったほうがいいですよ。帰りも気を付けてくださいね。」


「あ・・・・。うん。ありがとう。」


そう言うと満面の笑みでかなではうれしそうに歩いていった。



「あいつがあんな顔してあんな事言うなんて意外なんだけど?誰ともしゃべらないオタクだと思ってた。というか初めてしゃべったかも。」


膝は痛く帰り道は長く感じたが、なんとなく気分はよかった。

たった今最悪な状況だと言うのに、自分でもわからない安堵感で満たされた。









京子きょうこを送り出してみたものの、やはり心配でしょうがない。


友達とは何をしゃべってるだろうか。

授業で手をあげて答えてたらどうしよう。


「どうしよう。生徒会長に立候補したとか言い出したら。」


そんな事を考えてると背筋がぞっとした。


それにしても京子きょうこの身体になった途端に何をしていいのかがわからない。

これも年寄りのせいなのだろうか。

普段、京子きょうこがいったい何をしていたのだろうと不思議になった。

弥琴みこは鏡台の引き出しをちらりと見て考えた。


「よく考えたらババアは私の身体になって好き勝手やってるし。私だってババアとして好きなことやってもいいよな。」


そう言うと引き出しをあけた。

ここには通帳もお金も入っている。

この前のように数千円ではなく数万円使おうと別に構わないのだ。

だって今は自分の金のようなものだ。


通帳は暗証番号がわからないから引き出せるわけがない。

弥琴みこは数万円を取り出した。

入れ物がないので、京子きょうこのバッグを使ってその中の財布にお金を入れた。


「へへへ。この金でみんなとカラオケ行ったりプリクラ撮ったりしよう。」


・・・・。


「行けるかぁあああ!!今はババアの身体なんだぞ!この姿でプリクラとか撮ったら、しわくちゃの顔が写ってただのホラーじゃねぇか!」


「だいたい、誰と行くって言うんだよ!?桃夏ももか一絵いちえがこんなババアと行ってくれるとは思えねぇし!」


鏡に向かって手で皺をのばしてみながら一人でひたすら叫んでいた。

金はある。でも何に使っていいかがわからない。

高校生の姿なら、欲しい物やりたい事がいっぱいあった。

しかし今の姿では、すべてがやりたいようにできないように思える。


「ああああああ!年寄りって何が楽しくて生きてるんだよ!!?」


しまいには年寄りすべてに腹が立ってきた。

腹が立つと今度は腹が減ってきた。



今日は母がパートに出ていていない。

仕方がないのでカップラーメンを作った。


「えーと、何分待つんだっけ?」


小さな文字が並んでいて見えない。

目をこすってみても、文字を遠ざけたり近づけたりしてもうまくピントが合わない。


「はあ・・・。目が痛くなってきた。」


そういえば、ずっと前こういう小さい文字を読めないで何度も聞こうとする京子きょうこに腹を立てたことがあった。

弥琴みこは少し罪悪感を感じた。


やっとできた昼ごはんを居間の炬燵こたつまで持っていき食べだした。

うまく噛めない。


「歯が汚ねぇからな。だからババアの食べてるところ見るのは嫌いなんだよ。」


そういう自分が今は年寄りの姿だ。

うまく運べずポロポロと落としてしまう。

普段の京子きょうこでも今の弥琴みこよりはずっと綺麗に食べている。


「どうやって食べるんだよ。なんか歯が痛くなってきたし。胃も痛くなってきた。」


「おまけになんか味しない・・・。」


入れ歯のせいか、格安ラーメンのせいか、それとも一人で食べているせいか。

味がしないラーメンを苦しみながら食べるのは、もはや何かの作業のようだった。







「ただいま。」


夕方になってやっと京子きょうこの声がした。


「帰ってきた!!ババア!ヘマしなかっただろうな!?」


「ヘマ?するわけないだろ。しっかりと授業を受けてきたけぇ、このノートを見ながら勉強しな!」


「は?勉強なんかするかよ!それどころじゃないだろ!友達とか怪しんでただろ!?」


「さあな。でもいい友達じゃ。弥琴みこは運がいい。」


学校の様子を聞いてみても、実際にはどうだったのかがさっぱりわからなかった。

弥琴みこはすぐに桃夏ももかにメールした。



『今日の学校どうだった?』


すぐに桃夏ももかから返事がきた。


『どうって?弥琴みこちゃんが珍しく学校に来たから楽しかったよ。明日も来る?』


その返事に安心したが、京子きょうこがうまくやったことには少しムカついた。


『明日はわからない。私、今日変じゃなかった?』


『変じゃなかったよ。ただいつもより真面目に授業聞いてるな~って思ってたけど。一絵いちえちゃんは、しゃべり方に笑ってたけどね^^』


その台詞にまさかと思った。


『しゃべり方って?何!?』


『だって敬語でしゃべるから。それに声も低くしてしゃべるからw』


桃夏ももか一絵いちえは、弥琴みこがふざけて敬語でしゃべっていたと思っているようだ。

ただこのままずっと敬語というのはまずい!

すぐに京子きょうこのところへ行きドアを開けて言った。



「ババア!敬語とかその方言使うのやめろよ!友達が怪しんでるじゃんか!」


「じゃあ、どう話せばいいんだ?」


「だから!えっと・・・・いつもみたいに!私に言うみたいに話せばいいんだよ。敬語とかそんな丁寧なしゃべり方したらバカみたいじゃん!」




「そうか・・・。そういうことやったんやね。」


「は?なにが?」


京子きょうこは急に悲しそうな顔をした。


「私がそんな言葉を使うけぇ、あんたも汚い言葉をしゃべっちょったんやね。私の真似か、そりゃ悪かったね。」


いきなりの謝罪に弥琴みこは驚いた。


「バ、ババアの真似なんかしてねぇよ!今どきはこういうしゃべり方なんだよ!とにかく敬語をやめればそれでいいんだよ!」


「敬語をやめたら、学校に行ってもいいか?」


「そ、それは・・・。」


京子きょうこがこちらをじっと見つめている。

見えているのは自分の身体とはいえやはり京子きょうこの威厳のある目つきは変わらない。


「べ・・・別に敬語使わないんだったら行ってもいいけど。」


「そうか。」


その厳しい目つきが和らいで笑った。

どこかうまく回された気がしたものの、まあいいかという諦めもついた。



「そのかわり、変な行動もするなよ!」


「そういえば・・・・。」


「あ?なに?なにかあったのか?学校の帰りに教室の掃除引き受けたとか!?」


「いや、真輝まきとかいうあんたの彼氏。あれに会った。」


「あれって言うなよ!なにか話したのか!?」





「色々話した。まあ、一方的にしゃべってきちょったが。」


「一方的って何のことについて!?」


「お前が神社から盗んだ金で遊んでることとかな。」


「ああ!くそっ!別にいいだろ!たかが数百円だし!」


「ふってやったけぇ。」





え?




「ちょっと待て。今なんて言った?」





「あの男はこっちからフってやった。」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る