第23話 小説のジャンルについて。
【Q】
ピクルズジンジャーさんにとってのライトノベルの定義とはなんですか。またはライトノベル、キャラクター文芸や一般小説との違いなどがありますか。
【A】
ライトノベルのレーベルから出ていたらライトノベル、キャラクター文芸のレーベルから出ていたらキャラクター文芸、一般文芸として出版されていたら一般文芸、そういうことになってるんだろうと考える派です。ちなみに他に適切な言葉が浮かびませんでしたので、「一般文芸」という言葉を使いましたがあまり好みではない言葉です。
ガワがどうだからって、書かれている内容や質にそう大きな違いはなかろう、と考えます。重厚な読み応えのライトノベルもある、サクサク読めて楽しい一般文芸もある、そういう話でしかないと考えます。
ですので、「普段一般文芸をメインに読んでる自分からすると最近のライトノベルは……」や「このヘビーで容赦のない物語はライトノベルの域を越えている」みたいな意見を目にすると、わりと本気でクダラナイカラヤメロと思います。
一般文芸の下にライトノベルがある、という「まあそういうのは無いとは言い切れないんだろうなあ」と薄々察せられる業界内の上下関係をわざわざ内面化してどっちかの陣営に立ち、架空の戦争に身を投じる必要はないと思いますので。
大人気シリーズを手掛けたベテランのライトノベル出身作家が一般文芸に進出した時には新人扱いされているのを見た時、大人気ライトノベルがさも「女子供に読ませておくには勿体ない作品なんですよ」とばかりにカバーをかけ抱えて一般文庫などで販売される現場を見た時になんとなくモヤることが無いではありませんが、そういうことは業界内でなんとかすることであって読み手としては「こういうのは残念だよね」と意見を口にすることぐらいしかできないだろうなと思っています。
【Q】
ご自分で書いている小説のジャンルは何だと思われていますか。
【A】
「素人がwebで好き放題書き散らしているなんか変な小説」だと思っています。
出版社や本屋さんのカテゴリーに当てはめると「キャラクター文芸」が一番近いと思いますが、キャラクター文芸のレーベルさんが「あんたの小説うちとこで書籍化してやろう」と判断してくださらない限りはキャラクター文芸でもないと思っています。webで発表されているただの小説です。
カクヨムジャンルでいうところの「現代ファンタジー」が自分の中では一番おさまりがいいので、現代ファンタジー小説書きでも名乗ろうかと。
強いていうなら百合小説書きか魔女っ子小説書きではないでしょうか。自認としてはそんな塩梅です。
つまり、基本的にレーベルや形態でジャンルを決める派なんですよ、
【Q】
広義のなろう系などweb発の小説はライトノベルに含める方ですか?
【A】
旧来の文庫書き下ろし型ライトノベルとかなり似ているようであってもやはりどこか違う文化や文脈の上にありそうなので、やんわりとではありますが「ライトノベル」と「web小説」などと別ジャンルとして区別しているところはあります。どっちが優れていてどっちがダメとかはありませんが(そもそも最近のライトノベル事情にかなり疎いので……)
ただ、web小説限定のレーベルではなく既存のライトノベルレーベルからweb発の小説が刊行されるのがごくごく当たり前になっているように見える昨今、私の中にあるこの区切りもそのうち本格的に曖昧になっていくだろうなという予感はあります。
【Q】
「自分はライトノベルを書いている!」と宣言されてwebで執筆・公開されているがまだ書籍化を果たされていない書き手さんの小説も、ピクルズジンジャーさんの基準では「ライトノベルではない」という判断になりますか?
【A】
作者さんが「ライトノベルを書いている!」と宣言されているなら、お書きになっているものはライトノベルなのだろうと考えます。
ライトノベルだけでなく、ホラーやミステリー、ファンタジー、SF、純文学など他ジャンルでも「自分はこのジャンルの小説を書いている!」と宣言されているならそのジャンルなのだろうと素直に受け取ります。
【Q】
ピクルズジンジャーさんにとって純文学とは?
【A】
先ほどからところどころで述べておりますとおり、私はレーベルなどの販売形態で小説のジャンルを判断するタイプです。
ですので「『文學界』『文藝』『群像』その他純文学系の文芸誌でデビューされたり掲載されたり、プロモーターが新人に賞を獲らせようと判断した時に芥川賞、三島賞あたりにノミネートさせようとするタイプの作家が書く小説」が純文学ということになります。
つまり、美しい日本語で書かれた耽美的・芸術的な小説、人の内面を鋭くえぐった小説、矛盾まみれの世の中で必死に生きる人々を描いた小説、読んだ人々の生きる指針になるような胸を打つ小説などの要素だけで「純文学」とはとらえない派閥です(ここにあげた特徴はむしろ純文学以外のジャンルの得意分野だろうと思うので)。
書評欄などを見て興味を持ったなら読もう、好きな作家の新刊がでたから読もう程度でしかない純文学読みによる純文学観は「言葉を駆使して、何が何やらわけのわからんオリジナルの世界を作っている小説」ということになるでしょうか。
少なくとも、一回読んだだけでは訳が分からないけれど何かしら心に訴えかけるものがあるという小説を読みたいとき、とにかく簡単に理解できるようなものではなくひたすら圧倒されたいものを読みたい時に手に取るのが純文学だという基準が自分の中にある気がします。
オンリーワンじみたものに触れたい時に読むのが純文学と申しましょうか。
あるいは、ちょっととっつきにくいけどこの人が語る内容って面白いな、素敵だな、ゆっくり話をしてみたいなという気持ちに抱かせる小説が純文学といいますか……まあ私にとっての、という話になりますが。
ただしやっぱり「自分は純文学を書いている!」と宣言されて小説を発表されている方の小説なら、私の純文学観とは合致しなくても「じゃあ純文学なのだろう」と受け取るようにしています。
先の公開分で明かしておりますとおり、心身共に調子が悪い上に無策で参加したカクヨムコンで思いっきり撃沈している2018年末期のピクルズジンジャーです。こんにちは。
そのため、連載小説の続きを書こうにもどうにもこうにも筆が乗らず、しかしなにかしら文章を書いて発表したい欲は制御できず、そんなわけでこのようなエッセイを書いておりました。
カクヨムのエッセイや創作論でジャンル論をよく目にしたので便乗したくなったのでしょう。
あと、どうしたってなろう系やライトノベル系の表現形式が強くなるであろうこのサイトで「最近のライトノベルは安易な異世界転生が幅を利かせて云々」といったモノ申す系の意見に対する違和感が拭えなかったと言いますか。
本連載の結構前の方で言っている通り、「元々そういうジャンルが強くなるのが必然の場で少数派になってしまうのも無理もないジャンルの小説を公開しといて何言ってんだ?」みたいな気持ちが常にあったと言いますか。
自分は売れ線のジャンルは書けないし書きたくないというならば、そこは受け入れて甘んじてやっていくか、それとも別のサイトに引っ越すか公募でやっていくしかないのでは……? という気持ちはやっぱり強いですね。
ときおり目にする、「私はふだん一般文芸の方をよく読むので、ライトノベルやweb小説ばかり読んでいる人よりは文章力も語彙力もある」「であるからして昨今のライトノベルやweb小説およびその読者を殴る権利と資格を私は有している」と言わんばかりな人の態度にも少々違和感をおぼえておりまして。
一般文芸(先ほども述べましたがこの名称もあまり好みません)の方が、ライトノベルより上であるという価値観を振りかざされているのは、ライトノベルを年に数冊くらいしか読まなくなって久しく、流行りの異世界転生系もラブコメも飯テロあやかしほっこり系も単なる好き嫌いからほとんど読まない身からしたって、読んでいてあまりいい気持ちがしないのが正直なところです。
そういう「殴り棒」として使ってしまうことって、一般文芸や純文学系の作家や作品に失礼だと思えるくらいです。
普段から読まないし、大して好きでもないジャンルに「なんでこんなもんが人気を博してるんだ」とか言う暇があるなら、ご自分の好きで読んでる小説を誉めたりおすすめしたりする方が建設的だと思いますよ……ええ。
このような、ちょっと突き放したような言い方をしてしまえるのも、特に書籍化やプロデビューを夢に見ず自分は趣味で小説を書いているという意識が強いせいかもしれません。「趣味でやっている」を言い訳に居直っている心理もないではないのですが。
いや、本音をいいますとそりゃいつか書籍化したらいいなとは思いますけどね……。まあ実力からして宝くじで大当たりするのとそう変わらないギャンブルでしかないなとハナから期待していないだけでございます。
紙の本を出したい夢はあれど、それなら自分で小説の同人誌を作って売るのが現実的だな……と考えております。いつ実現できるか不明ですが。
後半の純文学云々にしては、twitter方面でよくながれてくる「私は純文学が好きだから最近のなろう系の流行がわからない」系の発言をされる方の純文学が、きまって国語便覧で紹介されていそうな近代文学を指している点が引っかかっていた為です。
国語便覧に名前が載っていそうな文豪の小説がお好きなこと、それ自体はまったくもって素晴らしいことだと思います。どうでもいいことですが、国語便覧もまたよいものですよね、私も高校生の時に暇つぶしによく眺めていました。「文豪とアルケミスト」というゲームを一時期やっていました時、国語便覧を捲って眺めていた頃をよく思い出しました(ゲームはアイテム集めと育成とガチャ運の無さに心が折れてかなり前にやめちゃいましたが……。『自伝的女流文壇史』で描かれる山田順子が好きで好きでたまらんという理由から徳田秋聲を推しておりました(※1))。
ただ、近代文学の名作がお好きなのはよいにしてもそれを指して「純文学が好き」と言われるのはなんだか違和感があるなぁ。現代で純文学が好きというなら、純文学の文芸誌を購読していて、芥川賞のノミネート作を一通り目を通しているくらいの人を指すのでは……という、自分の中の思いと齟齬があった為ですね。
現代の純文学を読まずして「純文学が好き」はなんだかしっくりこないと言いますか。「近代文学が好きなので最近のなろう系小説の流行がわからない」なら、妙なところで引っかからず「左様ですか」ともう少しすんなり受け止められたと思うのですけどね。
ただ何にしても、作者の方が「この小説は○○だ!」として発表される以上はそのジャンルなのだろうと受け止めたいなという気持ちがありますね。たとえ自分の中の基準と合致しなくて物申したくなっても。
他人様の書いたものを読んで「この小説は○○ではない」と言い切るのはある種傲慢だし、そこまで言い切れるほど小説に通じているわけではないのでそういうことはしたくないし出来ないという気待ちが強いのです。
──あ、でも、女の子に性転換した男子と女子のラブコメが百合小説として公開されていると「(私基準では)それは違いますよ」と言ってしまうかもしれない。
もっといえば、少年が美少女として異世界転生を果たし美少女ハーレムを築く系ストーリーを百合だとされたら「──宗教戦争起こそうかな?」ってなったりするかもしれない。
そんな風に心が狭くなるのはこの点ぐらいですかね。
やっぱり他人様の書いたものを「好き、嫌い」「面白い、面白くない」以外の点でジャッジする能力は私にはないし、したくないのですよ。
そのような、近頃おぼえがちだったモヤモヤを形にしてすっきりするために書いたエッセイでございます。
そんな私ですが、文学や文芸のプロパーでもなんでもなくただ単に好きで小説を読んだり書いたりしているだけのやつです。好きで読んでいるのはマジックリアリズム系の翻訳小説、女の人の横繋がりが肯定的に書かれている・ないしは面白く書かれている小説、国内外のYAや児童文学、そして「なにがなんだかよくわからないが個人的には好きなやつ」と判断している小説です。
こういうやつがこういう風に仕分けをしているだけだたと緩めにうけとってくだされば幸いです。
(※1)
どさくさにまぎれて触れた吉屋信子『自伝的女流文壇史』での山田順子ですが、本当にもう好きで好きで……。
実は、ここにに私の山田順子に対する愛情を十数行にわたってぶつけていたのですが、あまりにも今回のテーマと無関係すぎると後から気づいて全削除しました。
この人をモチーフにした小説はいつか書いてみたいですね。
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