第16話 文字数とカメラワーク(結構恥ずかしい内容)
【Q】
小説を書くときに気にかけている点は?
【A】
・読みやすさ(あんなんでも)。
・キャラクターの管理と見せ方(いかんせん出しすぎる傾向があるので)。
・視点をどこに置くか、語り手の位置。
……などです。
お前はまだ創作について云々できるような場所にたどり着いてないだろう!
──と、内なる声が恥ずかしさを訴えておりますが、無視してちょっと語ってみたくなった「小説を書くとき自分はこの辺にこだわってますよ」といったことについてです。
なお、気をつけているだけで徹底は出来ておりません。あくまでも「心がけている」程度のことです。暖かい目で読んでやってください。
とりあえず上から順に語ってみます。
・読みやすさ
基本的にスマホでさらさら読めるような文章で、読んだ方に作品世界のイメージがある程度正しく伝わること、を、指針にしております。あんなんでも。
縦書きで読めるようになったので行間をやや詰めたりはしていますが、それでも「見た目に圧迫感がなく、さらさらひっかかりなく読めて、内容と雰囲気が伝わる文章」であろうとすることに関しては変わらず心がけています。
というのも、カクヨムで初めて発表したものを自分で書いて読んで「……読みにくッ!」ってなったことがわりと強く印象に残っているためです。これはいけない、これでは読んでもらえない、こりゃ一話でイヤになるのも当然だな、と。
以来適宜行間を開けて視覚的な圧迫感を減らしたり、リズムよくトントントーンと読めるような文章になるよう心がけているのです。
行間はともかく文章については努力目標ですが。
流麗で玄妙な文体や語彙力でぶん殴るのが活きてくる作風でもないため、日本語表現としての美しさを追求する等へのこだわりは特にないです(ただ、読みやすくて書いたものが誤解なく読み手に伝わる文章というものも「美しい日本語文章」の一つであるとは思います)。
ただでさえ独りよがりで妙な話を書きがちなので、書いたものが読んだ方へ負担なく伝わることが一番だと思っています。
ただ、読む方に回ると格調高い作品世界にあった美しい表現などを読むことそのものは好きなので、そういった作品に接してはため息をつくことはよくあります。私には書けない世界であるため憧れは強いですね……。
・キャラクターの管理と見せ方
現時点で試行錯誤の真っ只中におります。本当は自分の力量に応じただけのキャラクターを出すのが一番なのですけどね。
とりあえず頭に置いている点を一つ。
twitterあたりで見かけたあるアニメ監督さんの特色について語ったものが流れてきました。かなりうろ覚えですが、内容は大体こんな感じでした。
「某監督は登場人物の頭の良い、悪いの書き分けが上手かった。さらにそれぞれが所属する階級が持つ権限がどの程度に及ぶかまでを考慮して『頭がよく先々まで見通せるが階級が高くなく上からの指示に従わざるを得ないキャラクター』『頭が悪く自分の周辺のことしか見通せないが非常に強大な権力を有するキャラクター』など様々な背景を持つ登場人物を生み出してドラマを作ることが出来ていた」
それを読んで思わず、ほう! となったのでした。
それを読んでから、登場人物の立ち位置から「このキャラクターはこの辺りまでは見通せるがそのため考えすぎて動けない」「このキャラクターはそういった能力はないがその代わり馬力があるので一点突破に向いている」といったことをちょっと意識して書くようになりましたね。
論理的に考えるキャラクターかフィジカル思考のキャラクターか、キャラクターがそれぞれどの立ち位置いて何が見えて何が見えないのか、それらを把握してレイヤーを設けて集団にグラデーションをつけるといいますか……。
その結果がどう表れているかは読んだ方に評価していただくほかありませんが……。
・視点と語り手の位置
ちょっと感覚的な話になりそうですが、お許しください。多分、物語創作術とかで分かりやすく語られるような基本の話ですので、気楽に読み流してやってください。
好きな作家さんが、かつてブログでおっしゃられていたことです(これも性懲りも無くうろ覚えですが……)。
「小説を書くには頭の中に、カメラが三ついる。一つのカメラが主人公の視点、もう一つのカメラは主人公の姿を横から映すもの、もう一つのカメラは全体を見通すもの。小説を書くときはどのタイミングでどのカメラの映したものを書くか、またどのカメラを対象に近づけ遠ざけるか、その操作が大事」
――確かこのようなものだったような(※)。
非常にうろ覚えでありますが、これを読んだ時に膝を打つような思いがして以降、書くときにはどこかで意識しております。
視点となるメインのカメラの位置をどこに据えるのか、カメラの位置を低くして主人公の目線に合わせるのか、それとももう少し高い位置に据えるのか。書きたい物語にはどの位置で語るのがベストか、とりあえずそれを考えてから書き始めています。
基本的には私はカメラの位置を高くとってある小説を好みます。
それこそ人工衛星くらいの高さから地上を眺めるくらいのやつが好きです(妙なことが起きる翻訳物の短編を好むのも比較的カメラの位置が高いためです)。
極端な例を出しますが、「本日人類は死に絶えましたが地球は変わらずに青いです」くらいの高さが好みです。
「今地上にいるのは私とあなたと二人きり。そんな日なのに空は変わらずに青いままだなんておかしいねって荒れ果てたデパートの屋上で笑いあう。コインで動く遊具とあまりおいしくないソフトクリームやフライドポテトなんかを出すさびれた売店しかなくって、SNS映えなんて軽薄な風潮を頑なに拒否するような頑固に寂れさせたままにしているこんな屋上なんて今まで興味もわかなかった。どこかのだれだか偉い人がうっかり最終兵器を解き放つボタンをおしてしまったその日まで。
夏休みが始まったばかりの日、あなたと二人買い物に出かけたこのデパートで≪それ≫を迎えた私たちはそのまま帰宅できなくなった。≪それ≫が起きた直後、屋外にいた人たちからしゅわしゅわと蒸発するように消えていった。世界各地でそういう現象が起きてパニックになっているのを私たちはスマホを通じて知った。もちろん私たち以外の人たちもそのことを同時に知ったから、ちょっとしたパニックになったわけだけど。
デパートの中にいた人たちが総菜屋さんのぎっしり詰まった地下から地下鉄の駅へ殺到するのとは反対に、私たちは身を潜めてレディースファッションのフロアで人気が堪えるのをじっと待つ。家に帰りたくなかったわけじゃないけれど、私たちの目的は地元のモールにはないショップを覗き、靴下でもハンカチでもなんでもいいから一つは買い物して帰ることだったのだから。その目的を達成するまでは帰れない。というよりもこれ、チャンスじゃない? 私たちだけであのショップ独占できるよ? 二人の間でそんな話がまとまって、じっと待ったのだ。
結局、独占は無理だったけど。ショップのお姉さんが私たちがエスカレーターのそばでじっと機会をうかがっているのに気が付いて見張っていたから。でもあのお姉さんはいい人だった。理由を話せば、「まあこうなったんだから仕方が無いよ。着たい服もきれなくてこのまま死んでくなんて不憫すぎる」なんて言って、デパートにいる間ショップの中にある服を着て自由に過ごすことを許してくれた。私たちの着こなしがみっともなければすっきり着こなすアドバイスもしてくれたし、髪も整えたり、メイクの仕方も教えてくれた(お姉さんも一階フロアの化粧品売り場へ〝レンタル″に行くときはワクワクを一切隠さなかった)。
お姉さんは頼りになる人だった。地下の総菜売り場を占拠した人たちの目を盗んで食べ物をとってきたり、時にはアウトドア用品売り場で見つけた道具やなんかで自分たちだけで食べ物や水を独占しようとするケチでわからずやな人たちをガンガン殴りつけたりしていた。私たちも時にそれに便乗して、食糧や家具売り場の中にある一番寝心地のよさそうなベッドをちゃっかり確保した。でもそのお姉さんは二週間ほどするとデパートの外に出てしまった。「家が気になるから」って。飼っていた猫のことがどうしても気になるからって。「人間は死んでるみたいだけど猫はどうなってるかかわかんないじゃん」なんて言って、私たちにばいばいって言葉だけ残してデパートの外に出て行った。私たちのスマホの充電はとっくに切れていたからデパートの外の様子は全く分からなくなっていた。人間がしゅわしゅわ消滅するんだから猫に限らず哺乳類も同じような目に遭ってるんじゃないって考えるのが普通じゃないかなって思うんだけど、ひょっとしたらしゅわしゅわの犠牲になったのは人類だけっだったのでは? ってお姉さんの希望通りの世界が残されている可能性だってなくはない。
お姉さんがデパートを去る前には、電気が供給されなくなった。総菜売り場の生鮮食品がすごい匂いを放ちだして、保存のきくスナックや缶詰やなんかをめぐってちみどろの争いが繰り広げられていたけれど、私たちはその目を盗んで食べ物をくすねていた。空腹はつらかったけれど、汚くなっていくトイレに立ち寄る回数が減ったって考えればいいかなって考えれば凌げた。
デパートの中に残っていた人たちの数は次第に減っていく。私たちに襲撃をかけようとした地下の人たちも全員共倒れしたか、デパートの中に居続けることに耐えきれなくなってしゅわしゅわになっても構わないという覚悟で外に出たようだ。
気が付けばこのデパートに二人きり。そんな静かな毎日をすごして数日。どちらからともなく屋上に出てみようかって話になった。退屈してたのだ。
小さい時このデパートに買い物にきたっきりだよ、ここに来たの。私もそう。どうせなら二人でこれ乗ってみようか。誰もみてないし。うわ、人類消えても百円いれれば動くよ、マシーン最高!
お財布の中にあった残りの百円を全部つっこんで、パンダの形の車に二人またがって屋上を乗り回す。無性に楽しくてゲラゲラ笑う。
デパートの外は耳がいたくなるくらい静かだった。電車の音も人が行きかう音も何もない。空にはカラスやハトの姿もない(やっぱり地上の脊椎動物もあのしゅわしゅわの対象内だったのだろう)。季節は真夏なのに蝉の声すらない(無脊椎動物もしゅわしゅわの対象内だったのか)。
一通りはしゃぐのにも疲れた後、パンダの車にならんで座って駅ビルの向こうの大きな入道雲を眺める。地上で人類や脊椎動物や無脊椎動物がしゅわしゅわしていったにもかかわらず、空は変わらず青いし入道雲は大きい。
デパートの外に出てしまった以上私たちの体もそろそろしゅわしゅわしてゆくんだろうけれど、その時がくるまであなたと二人こうして空を眺めていられる幸せをかみしめていたいなって思う」
人工衛星くらいのカメラを地上に近づけると、まあこんなドラマが繰り広げられていたりするかもしれませんが、やっぱりうんと高くとって「本日人類は死に絶えましたが地球は変わらずに青いです」ぐらいで語るのが理想なのですよ。
……適当に作った謎の掌編を挟んでみたけれど、却って分かり辛くなったような……。
要は、カメラの位置を低くして対象に据えるとその分文字数が増えてしまう、というようなことを言いたかったのです。
書いていてノッてくるのは主人公の視線にカメラを固定した低い位置のものですが、これをやると文字の量がとんでもないことになってしまうし主人公に同調してしまったりして肉体的にも精神的にも負担が大きい。
なのでできればカメラの位置は高めに設定したいのです。
しかし私のクセなのか、高めに設定していたカメラがいつのまにかグーンと下がって主人公の視点までおりてきてきていることが多々あります。これが実は厄介で。
ここ最近、放っておけば文字数がガンガンに増えるということに少し悩んでおります。それもというのも高めに設定していたカメラがいつのまにか下がってきていることが原因の一つだなと気が付いて以降、その対策に試行錯誤をしております。
妙な構成を採用しがちなのもその結果ですね……。
とまあ、思いつくままに語ってみたものの結局あやふやで何がなんやらな内容になりましたね。
構成についても語ってみたくあったのですが、手が回りそうにありませんでしたのでまた後日。
(※)
念のため原典を調べてみたものの読んだはずの文章が見つからず、記憶に近い文章がうろ覚えのものと殆ど違う内容であったため大いに焦りました。しかし、うろ覚えの内容が自分の中の指針になっているのも事実なのでそのまま押し切りました。
私が読んだ文章に近かったのはこちらです。
「たとえば森に菫が咲いていたとする。「おお、なんと美しい菫よ」と語るのが文学ではない。菫は美しいと感じたことと、感じている人間ともにカメラは向くべきである。「おお、なんと美しい菫よ」と思う「わたし」と、「わたし」の鼻はしかし団子鼻だと恥じている「わたし」を、さらに「わたし」はカメラを抱えて撮らねばならない。この客観、つまりロングカメラにウィットやユーモアや爆笑冷笑微笑といった人類だけが持ち合わせている感受性が生まれるのであり、この織りを、一人称小説にせよ三人称小説にせよ、私はずっとしてきた。すくなくとも目指してきた。」
姫野カオルコ
「「甘い夢のように憂鬱」といったコピーに惹かれる人もいるのだということを確かめる試みとしての『コルセット』」より
http://himenoshiki.com/himefile/corset3.htm
……うーん、全然違う。なおブログですらない(確かブログでも似たような趣旨のことを仰られていた筈なのですが探しだせなかった)……。
姫野カオルコさんの全著作読んでいるわけではないけれど、書かれるものが好きなのです。とりわけ好きな短編があるので読書エッセイの方でもその旨語ってみたい気持ちがあるのですが、後回しになっております。
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