◆エピローグ◆

16 人魚の歌声

「――以上が、公爵領で発生した事件と、その顛末です。……帰還が遅れてしまい、申し訳ありません」


 俺たちが公爵領で遭遇し、解決した事件のことを、イマジカが王女に淡々と説明し終える。


「ふうん、なるほどね……帰りが遅くなった理由はわかったわ。それは気にしないで」


 ティーカップを置く音と王女の声が、王女の部屋に静かに響く。

 俺は、窓枠に背中を預けながら、天井を仰いだ。


「なんつーか、救いの無い事件だったよな……」


 しかしイマジカからは、「そうですね……」とすげない返事があるだけ。


(……なんか、変なんだよなぁ……)


 ――事件が解決したその日、俺たちはそのまま王女の待つ王都へと向かって公爵領を発った。

 その出発間際、人魚であるマリーがイマジカの元にきて、「もしかして、あれを回収したのって……」とわけのわからないことを言って、イマジカは「マリーさん。あなたにはきっと、そんなつもりはなかった。だったら、そのことは、心にしまっておいてください。……私たちのためにも」とかなんとか、もっとわけの分からないことを言っていた。

 そのあたりから、イマジカはずっと、よくわからないけど多分、そう――、落ち込んでいる様子なのだ。

 そんなイマジカの様子を見て、王女が声をかける。


「ねえ、イマジカ? 今回も私のために、頑張ってくれたのね……?」


 なんだ、その意味深な言い方……。

 しかしイマジカはその言葉の真意を理解したようで、 


「……! いえ、私が勝手にやったことです。王女に関係はありません――」

「そんなことは言わないで。――もしあなたが私の計画のためにを見逃したのだとしたら、その罪は、私にも一緒に背負わせて欲しい」

「リーリア様――!」


 もう一人の犯人? 罪……?


「どういうことだ……?」


 俺が尋ねると、王女は「あら?」と首をかしげて、


「セニスは、気づいてないのね」

「そうですね……。そういえば、私からは言っていません」


 な、なんなんだ……。


「一体、何の話だ」


 俺が問うと、王女が指を頬に当て、「そうねえ」と前置きして、答える。


「セニス、あなたはもし、『私に伝えてはいけないけれど、イマジカには伝えたいような秘密』を抱えているとき、自分の部屋にイマジカが一人で訪れたとしたら、どうするかしら?」


 は……?

 なんだこの、唐突な質問は。


「そりゃあ、もしそんな秘密があったとしたら、そのタイミングで、イマジカに伝え――」


 あれ……。

 そうだ。確かに、おかしい。


「なんでディーン侯爵は、メリッサが部屋に来たとき、本当のことを伝えなかったんだ……?」


 絶対に、俺ならそこで伝える。


「そうよね。おかしいわよね。それに、いくら目が見えなくて不意を突かれたからって、男のディーン侯爵が女のメリッサちゃんに、絞殺痕に抵抗の意思が感じられないほど無抵抗のまま殺されちゃうなんて、おかしいと思わない? あなたたちが見た侯爵は、そんなにひ弱そうな感じだったの?」

「いや……」


 そんなふうには見えなかった。

 少なくとも俺から見た第一印象は、よく鍛えられており戦士としての強さすら感じた程だった。


「メリッサちゃんが言うには、首を絞める前、ディーン侯爵が何かを言いかけたときから、不思議な歌――つまり〈人魚の歌〉が聞こえてたのよね? ……その歌は、なんのための歌だったのかしら?」


 ……そうだ、確かに、朝方にほんの十五秒程度聞こえた人魚の歌。

 マリーは、一連の事件の犯人ではなかった。では一体、


(何のために、マリーはあの歌を歌ったんだ――)


 ……いや、彼女は言ってたはずだ。

 侯爵に、気づいてもらうために歌ったのだと。

 だけど――


「そうよね、おかしいのよ。それが、ディーン侯爵が『昨日のこと』を話しかけた丁度その時だったなんて、あまりにもタイミングがよすぎる。その間、ディーン侯爵が言葉を続けず、しかも無抵抗になるなんて、あまりにも都合がよすぎるわよね……?」


 背筋を、冷たいものが走った。


「まさか……、いや、でも、どうやってマリーは――」

「大広間にいたマリーちゃんが、一体どうやって、ディーン侯爵の部屋の会話を把握できたのか――」


 王女は俺の考えなど全てお見通しというように、そう言葉を継ぐ。


「――呪術師の作った〈盗人の手鏡〉は全部で三つだった。一つは呪術師が持っていて、残り二枚は既に買い取られていた。そのうちの一枚は、ターニャちゃんが持っていて――、じゃあ、


 なっ……!?


「まさか――!?」


 俺が顔を向けると、イマジカは罰が悪そうに顔を背ける。

 そんなイマジカに、王女が優しく問う。


「ねえ、イマジカ。――大広間で、あなたはそれを見つけたんでしょ?」


 その言葉に肩を震わせ、そして、イマジカは黙って鞄を開け、その中から、何かを取り出した。

 それは……


「〈盗人の手鏡〉……」


 呪術師とターニャの手鏡は、事件の証拠品としてヴィスタリア公爵の預かりとなっている。つまりここにあるのは、残るもう一つの手鏡だ。


「それを、大広間で……?」


 イマジカは、「メリッサさんが連れていかれた後すぐに、大広間へ行って。……マリーさんが座っていたと言う椅子の裏に、隠されていました」と答えた。


「まじか……」


 残る一枚の盗人の手鏡は、マリーが持っていた――。

 確かにそれがあれば、侯爵の部屋でのやりとりを知ることができただろう。

 公爵は目が見えないから、恐らくは音だけたっただろうが。……でも、


「何のために……」


 彼女がそんなことをして、何か利があるのだろうか? 別に、侯爵に恨みがあると言うわけでもない気がするし……。


「ここからは全くの推測だけど……、侯爵憎しじゃなくて、どちらかというと、逆かしらね」

「私も、そう思います」

「……どういうことだ?」


 イマジカは、窓から遠くを見やって言った。


「――マリーさんもまた、侯爵に惹かれていたのでしょう」


(……ええっ!?)


「侯爵がなかなか迎えに来ないのを訝しんで、マリーさんは隠し持っていた手鏡を使った。すると、どうやら今、侯爵の部屋にはメリッサがいるらしいことが分かる。……多分、侯爵はその場で、メリッサに本当のことを告げてしまう。そうなれば、メリッサと侯爵は晴れて結ばれる。……おそらく、ほんの気の迷いだったのでしょう。『昨日のこと』と聞こえた瞬間、マリーさんは〈人魚の歌〉を歌って、彼の動きを止めた。……続く言葉を、言わせたくなかったのでしょう。そして、すぐに我に返って、歌をやめた。……しかしその時にはもう、全ては遅かった。

 侯爵はその間に、殺されてしまった――」


 イマジカは、小さくため息をついて続ける。


「拘留された彼女のもとを訪ねたとき、彼女は恐らく何かを言いかけて、やめました。あの時、私たちに全てを打ち明けようと思ったのでしょう。でも結局、そうはしなかった。……彼女は、恐れていたんです。彼女は、違法な呪具を所持していました。それに、そんなつもりは無かったとはいえ、自分が侯爵殺しの片棒を担ってしまったことについて、何らかの処罰が下ってしまうのではないかと……」


 確かにあの時、マリーは何かを言いかけていたように見えた。

 でも、だったら……


「お前があいつを見逃したら、思うつぼじゃないか」

「ええ、そうですね……」


 彼女は、王女の正面の椅子に、その身体を小さくして座っていた。

 ああ……だからこそ、イマジカはずっと落ち込んでいたのだろう。


(――正しいことだと思っての行動ではない、ってことか)


 じゃあ、何のために……?

 ――いや。答えは、さっき王女が言っていた。『私のために』と。

 マリーが違法呪具を所持していて、彼女にそんなつもりはなかったかもしれないが、少なくとも、彼女の歌がディーン侯爵の死の一因となったことは紛れもない事実だろう。


 ――それを、ヴィスタリア公爵が知ったとしたらどうなる?

 

 ……どうなるかは、侯爵次第だ。他人がいくら考えても、実際のところはわからない。

 だが、イマジカはきっと、こう考えたのだろう。

 もし全てを知った結果、ヴィスタリア公爵が亜人を憎むようになったら、と。

 そうなれば公爵は、王女との協力を解消するだろう。……公爵は今や、王女派の筆頭だ。そんなことになったら、王女派は大きな打撃を受ける。

 そして、王女が推し進める「亜人差別の撤廃」については、完全にとん挫することになるだろう。


 ――万が一にもそんなことにならないために、イマジカはマリーを見逃したのだ。


(……イマジカ……お前は本当に、『王女のための探偵』なんだな……)


 そこで、王女が立ち上がって、イマジカに手を差し出した。そして、誰もが魅了される美貌の笑みと共に言う。


「イマジカ、踊りましょう」


 イマジカは逡巡するが――、


「喜んで」


 立ち上がり、その手を取って口づけをする。

 そして二人は、ゆっくりと、互いに身を寄せ、離して、また寄せて――、時には廻って――


 二人は、踊り始めた。


(あぁ……なるほどね)


 俺はそれを見て、ようやく理解した。

 二人の舞踏ダンスは、これからもずっと続いてくだろう。そして俺はそれを、これからもずっと、誰よりも近くで眺め続けることになる。

 ――まあ、それも悪くない。

 俺はこの二人の行く末を見届けたい。


「……馬鹿みたいにお似合いだな」


 自然と漏れた呟きに、イマジカが「何か言いましたか?」と顔を向けてくる。俺はそれに「なんでもねーよ」と返して顎を向ける。

 イマジカは「?」と首を傾げるが、「さ、続きを」と王女に促され、「はい」とゆっくりダンスを再開した。


 王女とイマジカも、とうの昔に覚悟を決めている。

 綺麗事だけでは変えられないものを変えるため。

 全ては、互いが互いのために。

 そう。だから、


 探偵は、王女と踊る。

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