4 食い逃げ犯

 煌く川の流れと共に南門から街へと入れば、遠くには北門がうっすら見えていた。

 南門から北門に向かってほとんど真っすぐに川が街を縦断していて、その川に沿って大きな道が出来上がっている。東門と西門も大きな通りで結ばれていて、クランブルクはその二つの目抜き通りによって北西区、北東区、南東区、南西区の4つの区画に分けられている。

 私が向かうのは旅人向けの宿屋などが固まる南西区で、おっさんが向かうのは北東区らしい。つまり、ここでお別れだ。私は馬車から降り、おっさんに「ここまでどうも」と運賃を手渡した。するとおっさんは、


「はえぇ!? こ、こんなにですかい!?」


 と驚きの声をあげる。

 クランブルクの目抜き通りには昼間だというのに馬車もひとさえもまばらで、おっさんの叫びはよく響いた。驚きと共に目を皿にして、その手に渡された報酬が見間違いでないか確かめている。確かにただの運賃としては破格だが、何度見ても間違いではない。


「もらってください。貴重なお話をたくさん聞かせて頂きましたし」

「そ、そうでしたかねぇ……?」


 なおも恐縮した様子のおっさんに、私はその報酬の意味する本当のところを告げる。


「あと――、私がこの町に来たことは、口外しないようにお願いしたいかなと」


 商人は自身の持つ情報をカードに商人たちの輪に加わって、情報交換を行う。しかし、私がこの町に来たことを流布されることは、その理由に鑑みて好ましいとは言えない。だから、これは口止め料も含んだ妥当な金額なのだ。……もっとも、普通の商人であればこんなものを手渡してもその約束など簡単に反故にしてしまうだろう。だが、このおっさんはそんなことはきっとしない。その点を加味したうえで、私はこのおっさんの馬車に乗せてもらうことにしたのだから。

 それを聞いておっさんは「ああ――」と多分得心して、「わかりやした」と頷く。

 が、おっさんの言葉はさらに続いた。


「ただし、それにしたってこりゃあ貰いすぎだ。……ですから、何かあったらいつでもあっしを頼ってくだせえ。力になれることがあるかはわかりやせんが、旦那の頼みなら喜んで引き受けますぜ」


 そして、彼はその人好きのする笑顔を向けてくる。

 そんなおっさんの商人らしからぬ物言いに、私も自然と笑みがこぼれた。


「ええ。その時はぜひ、お願いしますね」

「任せてくだせえ。といっても、あっしにできることなんてたかが知れてますがね」


 どこまでもお人好しなおっさんだ。私など、ただちょっと金払いがよかっただけのいち客に過ぎないだろうに。少しだけ沈黙が下りて、


「……じゃあ」

「へい、また!」


 言葉少なに別れを告げ、私は南西区に、おっさんは北東区に向かって、それぞれ逆方向へと歩き出す。

 おっさんとの旅路は、魔法の蹄鉄を装着した優秀な馬のおかげでたった三日だけだったけれど、彼の人となりはある程度知ることができたと思う。商人は損得勘定で物事を判断する人種が多いし、彼もまたそういった面を覗かせることもあった。しかし彼の損得勘定は、自身の損得だけではなく、相手の損得もキッチリ勘定に入れて行われている。自身が一方的に得をすることはもちろん是としないし、一方的でなくともそれが不釣り合いだと思えばその分の補償も厭わない。商人向きとは言えない性格かもしれないが、私には彼のそういった面が好ましく映った。

 と、そんなことを考えつつ十歩ほど歩いたところでふと、そんな彼にも唯一気に入らない点があったことを思い出し、それを訂正し忘れていたことに気づいて、私は振り向きつつ言った。


「最後に言っておきますが、私一応女ですからね――!」


 私はおっさんの反応を待たず、再度南西区を目指して歩き出す。今頃は、驚きに声も出ず顎を外さんばかりにあんぐりと口を開けていることだろう。私はその表情を想像して少しふきだしつつ、クランブルクの年季の入った石畳を踏み鳴らした。



 * * *



「まさかこんなに簡単に居場所がわかるなんて……」


 私はおっさんと別れてから、南西区の川沿いの目抜き通りにあった手頃な宿に入った。とりあえずはどこかで宿をとって、そこを拠点として呪術師の居場所などを調べようと考えていたからだ。しかし、その宿はすでに満室状態となっていて、宿泊はできそうになかった。だから他を当たろうと宿を出ようとしたところで、そこの主人から耳打ちがあった。


『あんたなかなかいい身なりだが、この町の人間じゃないだろう?』

『そうですが……どうしてわかったんです、か――って、ああ。外套ですか』

『そうだ。この街じゃあ伝統的に、みんな同じ外套を羽織るんだよ』


 この街に来てから、ほとんどの人が同じ薄い青色の外套を羽織っていたからおかしいとは思っていたのだが……。どうやらこの街の伝統的外套らしい。確かにこの街の雰囲気によく合っている。


『なるほど。それで、何か御用ですか?』

『ああ。外から来たあんたは知らねえとは思うが、北西区にある大きな庭のある宿にだけは泊まらない方が身のためだぜ。なんせあそこは……、宿だからな』

『なっ――!? 呪術師の宿屋ですって――!?』

『おい、声が大きい!』


 思わず聞き返してしまったが、私のその言葉に、酒場となっている一階部分で酒盛りをして賑わっていた客が少し静かになった。

 私は耳を疑ったが、どうやら話を聞くに、呪術師はこの町で宿の経営を行っているらしく、それが呪術師の宿屋だと知らず泊まってしまったが最後、知らぬ間に呪いにかけられ、解呪代と合わせて法外な宿代を請求されてしまうらしい。

 呪いをかけられ解呪代と合わせて――の部分は若干話を盛っていた雰囲気もあったが、事情に通じていそうな周囲の客にも話を聞いてみたところ、少なくとも、呪いをちらつかせて法外な宿代を請求されることは間違いないらしく、呪術師という肩書を利用して客を脅し暴利を貪る悪徳宿屋としてこの辺りでは問題視されているらしい。

 とはいえそれを表立って非難したり、事情を知らない外からの旅行客などに大っぴらに注意を促したりすれば、呪術師の目にとまって呪いをかけられてしまうかもしれない。だからこの街では、表立って呪術師を話題にのぼらせることは避けられているとのことだった。

 町長を通じ、決して呪術師には伝わらぬよう秘密裏に領主への掛け合いも行なっているようだが、まだ具体的な対応策などは実施されておらず、改善には至っていないとのことだ。

(呪術師も商魂逞しいというかなんというか……)と苦笑いせざるを得なかったが、私としてはむしろ好都合ですらある。

 呪術師のことを調べるにあたり、その呪術師の宿屋に泊ることができるのならばそれは願ってもないことだ。

 私は情報料兼口止め料を置いて宿を出て、一路、呪術師の宿屋を目指して歩みを進めた。

 ――その道程。


「ちょっとそこの嬢ちゃん、昨日の夜、うちの店で食い逃げしていったよな!?」


 通り過ぎようとしていた一軒の宿屋兼酒場から、そんな怒声がした。振り返ってみれば、店主らしき禿頭の男が、大きな背負子とそれに括り付けた大きな楽器を背負った鈍色の髪の女性の腕を掴んで、そう怒鳴り散らしていた。

 女性の方はいきなりのことに声も出せず、戸惑っている様子だ。店内の客も、その騒動に驚きと共に目を向けている。――珍しい赤髪の客が目を引く。


「あんだけ威勢よく『また来てやるよ!』なんてほざいて逃げていくもんだから睨みを利かせてりゃあ、よくもまあぬけぬけと! 髪の色を変えればばれないとでも思ったのか!? 馬鹿にしてんのかくそっ!!」

「……っ! ……っ!」


 女性は何やら口を開いては、自由な右手で左手側の背負子の側に手を伸ばしている。

 彼女が手を伸ばそうとしているのは恐らく店主に握られ自由に動かせない左手側に引っ掛けられている小さな木板なのだろうが、ぎりぎり届いていない。

 ――それだけのことであれば、間抜けな食い逃げ犯がお縄についた場面として、関与せず見過ごしていただろう。だが、店主の言い分にはおそらく致命的な矛盾があることに、私は気づいた。


「てめえ、抵抗するんじゃねえ! さっさと衛兵にでも何でも突き出してやるっ!」

「……っ!? ……っ!」


 普段はフードを羽織って隠しているようだが、今は店主に引っ張られて女性のしなやかな首筋、そして喉が露になっている。

 その喉には、見覚えのあるが浮かび上がっていた。

 つまり、彼女は……。

 私は二人の元へと近づいて、言った。

「すみません、その手、放してあげてもらえませんか」

 店主も女性も、動きを一時止めてこちらを見て呆けている。言葉が伝わらなかっただろうか。


「その手、放してあげてください」


 もう一度私がゆっくりそう言い直すと、ようやく店主が我に返って口を開く。


「な、なんだ兄ちゃん、この食い逃げ犯の知り合いか何かか?」

「いえ、存じ上げませんね」


 女性の方も、ぶんぶんと首を左右に振っている。

 長く伸ばされた鈍色の髪が軽やかに舞う。近くで見れば彼女は、息を呑むほどの美人だった。今の状況を差し引いても垂れ気味な眼尻が、気弱そうな印象を見る者に与える。


「……じゃあ、なんだって兄ちゃんがこの女の肩を持つんだ?」

「いえ、ね。ひとつ気になることがありまして」

「気になること、だあ?」

「ええ。――彼女、あなたに腕をいきなり掴まれても叫ぶことすらせず、その後も抵抗はしても反論などはしていない」

「だったらなんだってんだ? 図星を突かれて、何も言えないんじゃねえのか」

「そうかもしれません。でも、……もしかすると彼女、声が出せないんじゃないかなと。その喉に浮かんでいる紋様、それは呪いの紋様ですよね?」

「はあ……?」

「……!」


 私のその指摘に、店主は訝しげな表情を浮かべる。が、女性の方はものすごい勢いで首を上下に振っている。


「なっ!? ほ、本当なのか――?」

「食い逃げ犯は昨日『また来てやるよ』といって逃げて行ったんですよね? だとすると、声が出せない彼女は、その犯人であるはずがないと思うのですが」

「なにを……」


 店主が一瞬手の力を緩めたのだろう、その瞬間に女性はその手をするりと抜けて、背負子に括り付けられていた小さなウッドボードを手に取り、それに文字を書いていく。


「お、おい、何してんだ……」


 店主が一瞬遅れてそう咎めるや、彼女はその顔にウッドボードを突きつける。


「っ!」


 覗き込むと、そこにはこう書かれていた。


『私、半年ほど前に喉に呪いを受けていて、声を出すことができません。昨日いろいろな人にあることを訊ねて回ったので、その時から呪いにかかっていたことは証明できると思います』


「なっ……」と店主は一瞬狼狽し、「だ、だけど、俺は昨日、この嬢ちゃんの顔をはっきり見たんだ! 間違いなく喋ってた! それに、声を出せない演技なんてどれだけでもできるだろう!」


「まあ、確かに、声を出せないことの演技なんて、誰にだって簡単にできる。……いや、実際にはそう簡単でもないとは思いますが……、そう言われてしまえば、反論することは難しいでしょう。何かをできなかったということの証明は、できたということの証明の幾層倍もの困難を伴います」


 私のその言葉に、赤髪の客から『そうだ! この世界じゃ、『疑わしきを罰せよ』がルールだぜ!』と野次が飛ぶ。


「……っ!」


 女性の表情が険しくなり、その唇がきつく結ばれる。悔しいのだろう。そして、これまでにも同じような目に何度もあってきたのだろう。

 ――この世界における犯罪は、「疑わしきを罰せよ」が基本的な観念として定着している。

 魔法や呪い、特異体質といった理外の力が存在する以上、「無実の証明」は基本的には困難。だから、現行犯を除き、ある条件下において最も疑わしい人物がいれば、その人物が罰せられる。それが、この世界における犯罪に対する考え方だ。


 ――いや、正確には、「だった」というべきだろう。


「なので、私の能力チカラを使いましょう」


 私はそう言って、髪をかき上げる。


「はぁ? 何の――」


 店主が「何のことだ」と言おうとしてこちらに顔を向け、その言葉が最後まで紡がれることは無くなる。

 そこに、答えがあったから。


「……っ!?」


 女性もまた、私の顔を――いや、、言葉を失っている。


「その眼……まさか兄ちゃん……」

「恐らくご想像通りですが、兄ちゃんはやめてください」

「は、はい……」


 私の眼は、彼らにはさぞ気味悪く映っていることだろう。

 だから私は普段、この左目を重めの前髪の下に隠し決して見られないようにしているんだし。


 ――私の左目は、通常の眼の機能を持っていない。

 だけどそのかわりに、ある特別な力が宿っている。


 私の左目にはまるで時計の長針と短針のような模様が浮かんでいて、それは、私の眼が「真実の眼」を持つことを意味する。

 そしてそれは同時に、私が「探偵」であることを意味している。

 私は目を丸くしてこちらを見る女性に向きなおり、訊ねる。


「お名前を聞いてもいいですか?」


 彼女は一瞬びくりと身体を震わせ、そしておずおずと、手にしていたウッドボードにその名を記していく。


『フィリア』


 いい名前だ。


「フィリアさんですね。……では、フィリアさん、あなたの情報を『明文化スティピュレーション』させて頂けますか」


 フィリアさんが、私の眼を見て頷く。彼女の大きな瞳には、私の顔、そして、私の眼が、はっきりと映っていた。その左目は酷く虚ろで、時計の針が十二時を指して止まっている。


「では、始めましょうか」


 私は肩にかけていた鞄から、羊皮紙を一枚取り出す。

「その紋章は……」店主が恐々と尋ねてくる。


「ええ、王家の紋章です」


 羊皮紙の上部には意匠を凝らした蔦のようなデザイン。それに囲まれるように、王家の紋章が入っている。

 さらにその下には、このような文が記されていた。


『以下に「真実の眼」によって記された事柄の全ては、リーリア・S・クリスタの名の下、真実であることを証明する。』


 ――要するに、この羊皮紙に私の能力で明文化された内容は、王家によってその正当性が保障されるということ。

 言い換えれば、ここに記された内容への異議はそのまま王家への異議申し立てとなることになる。場合によっては、食い逃げよりもよほど重罪だ。

 私はその羊皮紙に手をかざし、フィリアさんの眼を見る。


「フィリアさん、私の左目を見てください」


 フィリアさんが、言われるままに私の左目に視線を合わせる。

 ――瞬間、私の眼が熱を持ち始める。

 彼女の瞳の中の私の眼は、目まぐるしくその針を動かしている。

 私の手から、光が漏れる。すると羊皮紙に、最初はまばらに文字が浮かび上がった。

 その文字は少しずつ、意味をなして行く。

 魔法……呪い……特異体質……。

 それらの情報が、まるで火で炙り出したように、羊皮紙の上に文字として浮かび上がった。

 魔法と特異体質については、何も記載はない。だが、呪いに関する記載――そこには、こうあった。


〈失声の呪い〉


 ――魔法や呪い、特異体質といった理外の力が存在する以上、「無実の証明」は基本的には困難だ。

 だから、現行犯を除き、ある条件下において最も疑わしい人物がいれば、その人物が罰せられる。

 それが、この世界における犯罪に対する考え方だ。

 ……いや、正確には、「だった」というべきだろう。

 何故なら――


「フィリアさんは、声を出すことができません。しかし、食い逃げ犯は言葉を発していた。よって、彼女は食い逃げ犯ではありません」


 何故なら、この国には今、唯一その無実を証明できる、「探偵」がいるからだ。

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