5 疑わしきを
私の宣言に、店主は大いに戸惑った。
「じゃ、じゃあ一体、俺が見たのはなんだったって言うんです!? 昨日、俺は確かにこの嬢ちゃんの顔を見た。店から出て行く前、一瞬だがこっちを振り返って、しっかり顔を見せていったんだ。あれは他人の空似とかそういう次元じゃなかった!」
「まずそこがおかしい。食い逃げ犯が一瞬振り返って、顔をしっかり見せた? そんなことをする必要がありますか? ……ちなみに、おじさんはその食い逃げ犯の後をもちろん追ったんでしょう?」
「当たり前です、追いましたとも。でも、店を出てすぐ、そこにいたはずのその娘はもうどこにもいやしなかったんですよ」
「普通なら身なりや体格で分かりそうなものですが……この町ではそれも厳しいですかね」
「そうです。この町じゃあ、ほとんど全員が同じ外套を羽織ってる。体格もほとんど隠れちまうし身なりでは判別できねえんで、その時その場所にいた全員の顔を見ました。でも、そこにいた誰も、同じ顔じゃなかった」
そこで店主は、店内にいた赤髪の客に「なああんた、昨日俺が最初に顔を確認させてもらったよな」と声をかけ、その客も「あ、ああ」と応える。
「食い逃げ犯が出て行ったほとんど直後に外に出たんだが……まあ、身体能力が普通じゃねえやつなんてざらだし、魔法だってある。その一瞬で、俺の目の届かねえ所にいっちまうことだって、不可能じゃねえかもしれません」
「ふうん……」
まあ、身体能力の強化も魔法も、店主が思うほど便利な代物ではないんだけれど。
「ちなみに、その食い逃げ犯の髪の色はどのような色でしたか?」
「あー……っと。ああ、丁度、そこのお客さんみたいな色でしたね」
店主は、先ほど声をかけた男性に顔を向けた。
……ひとまずこれで、状況証拠はほとんど揃った。
私たちが話を始めてからずっと、彼は店内で、その動向をずっと伺っていた。そして、「疑わしきを罰せよ」のルールを野次に乗せて説いても見せた。
私はその客にもはっきり聞こえるように、声を張った。
「この世界のルールは、『疑わしきものを罰せよ』でしたね。……であれば、例えばこの状況で、『顔の造形を自由に変えられる特異体質』を持つ人物が、昨日、おじさんが声をかけた中にいたとしたら……? そしてその人物の髪色が珍しいもので、食い逃げ犯のものとも符合していたとしたら……?」
「なっ……!?」
店主が驚きと共に一瞬私の顔をみて、次いでその目を、昨日最初に声をかけたという客に向ける。
「か、仮にそんなことがあったとしたら、そりゃあもう……」
「まあ、身辺の調査くらいはさせていただくことになるでしょうね。食い逃げの証拠なんかは出てこないでしょうけど、もしかしたら、余罪があるかもしれない。……そうですね、例えば……宝石商から盗んだ宝石類とか――」
この街では今、宝石商ばかりを狙った盗みが横行していると、私をこの街まで運んでくれたおっさんが言っていた。その犯人は逃走の際、わざと顔を見せていくのだとも。
それは、今回の手口と同じだ。
男の肩がびくりと震える。
私はその客の元へと近づき、こう声をかける。
「――あなたは、無実を証明しなければならない。そのためには、私の眼で、あなたの能力を調べるのが最も確実です。もちろん、あなたが無実ならば快諾してくださるはずだと思うのですが……どうです?」
私のその問いかけに、彼は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。そして次の瞬間、彼はいきなり立ち上がり、駆けだした。だが、私の横を通り過ぎていこうというところで、私は彼の腕を掴む。彼はそれを必死に振りほどこうとするが――、
「……っ!?」
いかんせん、力が足りない。
私は女だが、たいていの男よりも身長があるし厳しい修練にも励み身を鍛えている。並みの男性が相手であれば地の膂力でも劣ることは少ないだろうと思う。しかもそれに加えて私は今、ある「魔法」を使っている。この状態の私の手を振りほどくことは彼には到底できないだろう。
探偵は、他者の秘密を暴く。
そして秘密は常に、暴かれたくないからこそ秘密にされるのだ。だから、探偵の秘密を暴くという行為には常に、一定のリスクが孕んでいる。それを阻止すべく実力行使に訴えられることもしばしばだ。それゆえ探偵は、そのリスクにも対応出来うる「力」がなければならない。私はそれを、「血縁の加護」の魔法に恃んでいる。血縁の加護は、ある条件を満たしたあるものを食することよって習得できる魔法だ。そしてその効力は、「一時的な身体能力の向上」。私はそれによって、狼男を相手にしたときでさえなんとか暫くその猛攻を耐え忍び、結果的に生き延びることができた。
「ここで逃げたら、罪を認めることになりますよ? ……それとも本当にあなたは、『変相』の特異体質持ちなのですか?」
私の言葉に、
「クソッ――てめえ、なんでこの体質のことをそこまで知ってやがる――ッ!?」
そう叫びながら、彼は腰から短剣を引き抜いてひらりと閃かせた。「あっ」と店主が声をあげ、フィリアさんが反射的に両手で顔を覆うのが見えた。
確かに、完全に不意を突かれたかたちであれば完璧に避けることは難しかっただろう。しかし私は、こうなることをある程度予感していた。だから、軽く上体を反らすだけで男の凶刃は空を切る。肩透かしを食らった男は体勢を一瞬崩す。その隙を逃さず、短剣を握る彼の腕に掌底によって打撃を入れて短剣を手から落とさせ、私はまだ落下中の短剣をもう一方の手で素早く回収する。
「なっ……!?」
その一瞬の出来事に男が声をあげ、店内の誰もが目を瞬かせる。とはいえ私にとってはいつものことなので、さして緊迫感などはない。この程度のことができなければ、到底王女の探偵は務まらない。
「私のよく知る方に、あなたと同じ体質を持つ方がいるんです。だから、あなたの体質のことはよく知っていますよ。……これ以上抵抗されるなら、もう少し痛い目に遭っていただくことになるかもしれませんが……続けますか?」
私がそう諭すと、男は逡巡ののち、観念したように体の力を抜いて呟いた。
「……ちくしょう…………なんでこんなところに、王族の狗なんかが……」
男はその言葉を最後に、騒ぎを聞き駆け付けた衛兵たちによって連行されていった。
* * *
「嬢ちゃん、疑っちまって本当にすまなかったっ……!」
店主は衛兵への事情説明を終えたあと、私とフィリアさんのもとに来て、そう頭を地に付けるくらいの勢いで謝罪した。そんな罪悪感マックスの全力謝罪に、フィリアさんは『騙されていたのですから、無理もないことです。どうかお気になさらず』と少し困ったような笑顔と共に書いて見せ、「俺はなんていい娘を疑っちまったんだ……」更に店主の罪悪感を募らせることに成功した。そんな店主の様子に『あああ逆効果だったあああ』みたいな感じであわあわするフィリアさんを眺めて(なかなかの天然さんなのかなあ)と頬を緩めていると、店主が今度は私の方に向き直る。
「旦那も、俺の早合点を止めてくれて、本当に助かりました。ありがとうございます」
そんな店主の言葉に、気が付けば律義にフィリアさんまで頭を下げている。やっぱり素敵な人だなあと思いつつ、いや、でも、まずは、
(まーた旦那かーい!!)
いや別にいいんだけどね。気にしてないし。これだけ背があって、胸もない、顔立ちも柔らかじゃないとくれば、そりゃみんな男だと思うよね。とはいえこれ以上旦那呼びを訂正するのも辛いので、もうこの場では気にしない。
「何も大したことはしていませんよ。私も、彼女の首にある呪いの痕が目につかなかったら、通り過ぎていたでしょうし」
私の言葉に、フィリアさんは乱れた外套をあせあせと正して露になっていた首元を隠してしまう。それにより、黒薔薇の紋様は見えなくなってしまった。彼女はあの紋様を見られることを快く思っていないのだろうが、しかし今回ばかりはそれが吉と出たわけだ。とはいえ――、
「すみません、必要なことだったとはいえ、フィリアさんの呪いのことを公のものにしてしまって」
彼女がそれを心から望んでいたとは限らない。一応許可を得たとはいえ、ほとんど私の独断によって話を進めてしまった感は否めなかったわけだし。しかし私のそんな謝罪の言葉にも、彼女はただ穏やかにかぶりを振って木板に石灰石を走らせる。
『お気になさらないでください。助けて頂いて、本当にありがとうございます』
ええこや……。
多分年齢は私とそう変わらないのだろうけれど、なんとなく守ってあげたくなるようなオーラがにじみ出ている。身長が小さいせいもあるのだろうか。ただその場合、私からすればほとんどの女性は小さいから、ほとんどの女性からそのオーラが出てしまうことになるけど。
というようなどうでもいいことを考えていたらちょっと間が開いてしまった。ひとまず「そう言ってもらえると、助けに入った甲斐がありました」と当たり障りのないことを言っておく。すると、店主がぱんっと柏手を打って言った。
「そうだ、旦那とフィリアちゃん、宿を探してるんだったら、今日はうちにどうだい? 迷惑かけちまったお詫びに、安くするよ!」
いいね。と平時であればノータイムで返事をしたであろうとても魅力的な提案ではあるが、生憎今はそれはできない。ついでに(間違ってもタダではないんだなー)と商魂の逞しさに少し苦笑しつつ、
「ありがとうございます。ただ、今日は泊まる宿を既に決めているので……お気持ちだけ頂いておきます」
と丁重にお断りする。
「泊まる先……でも旦那が向かうこの先にはもう……って旦那、まさかあの宿屋……呪術師の宿屋に?」
その言葉に、フィリアさんの身体が視界の端でぴくりと震えた。
「ええ、そう考えています」
「なるほど……。旦那みたいなお方がどうしてこんな辺鄙な街にとは思ってましたが、そういうことでしたか」
この街で呪術師が宿屋を経営していることは、この街の人間であれば誰もが知っている。そんな街に探偵が来て、わざわざその宿屋に泊まろうというのだから、何らかの意図を汲み取られても仕方がない、か。……こういうことになるから要らぬ憶測を招くような行動はなるべく慎むべきだったのだが、まあ、今回は事情が事情だし仕方がない。
「それなら、無理にとは言いません。ただ……場所が場所です。くれぐれも、お気をつけて」
私が頷くと、店主は次にフィリアさんに訊ねる。
「フィリアちゃんはどうだい?」
しかしフィリアさんは首を横に振る。
「ありゃ」
彼女は店主にそう訊ねられる前から、何かを書いていた。そして何かを書き終えた木板を、私に向ける。
『私も、この街にいる呪術師さんを探していました。私はこの街に、呪いを解きに来たんです。宜しければ、ご一緒させて頂きたいです』
……薄々、そんな気はしていた。
呪術師のいるこの街に、失声の呪いを受けた女性。彼女が呪術師を目的にこの町を訪れた可能性は高いと思っていた。
彼女が何も言わないのであれば私の方から訊ねてみるつもりでさえいたくらいだ。
彼女の善良さはこの短時間で痛いほどに伝わってきたし、とくに断る理由もない。
「ええ、もちろん」
そう答えると、彼女は大きくお辞儀をした。その様子を見て店主は、
「ったく、今日は呪術師にお客を二人もとられちまったってわけですか。ついてねえです」
と苦笑しつつ頭を掻いていた。
私も苦笑しつつ頭に手をやりながら、なるべく早口で言う。
「そういうことになりますねー。まあ今回は仕事ですから、またいずれお邪魔させていただいたときには、タダで泊めてくださいね」
私の早口に、ほとんど商売人の条件反射で、
「ええ、もちろんですとも!」
と返してくれる。
「じゃあまた! じゃあフィリアさん、行きましょうか」
私はフィリアさんの手を取って、足早に歩き始める。ちょっと驚くフィリアさんをよそに、店主に顔だけ向けて言う。
「タダって約束、忘れないでくださいね!」
「えっ!? ああっ!? ちょっとズルいですよ旦那ぁ!」
隣を歩くフィリアさんにウィンクしてみせれば、彼女はくすりと笑ってくれた。そして、木板に大きくこう書いて、店主に向けた。
『もちろん二人分ですよ!』
それを見た店主の「そんなぁ~!?」という叫びに私たちは思わず噴き出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます