6 私を食べて
北西区へと続く、川に沿った真っすぐな道をフィリアさんと歩いている。
彼女は声を出すことができないので、私たちの間に会話はない。川のせせらぎと二人の靴音だけが、静かに耳に届く。でも、彼女の醸す柔らかな雰囲気のせいだろうか、その沈黙は決して気まずいものではなかった。
……もちろん、このまま呪術師の館に到着するまで幸せな沈黙に浸り続けるのも悪くはないけれど、彼女にはいくつか訊きたいことがある。呪術師の館についてしまえば二人きりの時間などないかもしれないし、この機会を逃すわけにはいかない。馬車の往来に四辻で揃って足を止めたタイミングで、私は声をかけた。
「――あの、その背中に背負っているものって、ハーディ・ガーディですか?」
ちょっと唐突過ぎただろうかと思ったが、そんな私の問いに、彼女はにこりと笑って首肯した。
――声を出すことができない以上、彼女が複雑な意思を伝えるには、恐らく文字を書くしかない。だから、ある程度イエスかノーかで答えられるように質問を意識する必要がある。気がする。
ハーディ・ガーディは、ハンドルを回して弦を動かし、それぞれ位置をずらして配置された鍵盤を押し込んで弦に弓を当て、音を奏でる。この大きさともなると、その両方を一人でこなすことは難しいはずだ。
「それを、一人で弾くんですか」
しかし彼女は、それにも首肯した。つまり彼女は、本来二人で扱う楽器を、一人で弾くということらしい。
へええ、と関心しつつ相槌を打っていると、彼女はウッドボードに『以前は弟と二人で弾いていたんですが』と書いて見せてくれた。そして、彼女は背中からその楽器を背中からおろして、少しだけ、実際に弾いて見せてくれた。なんと彼女はハンドルを回さず、鍵盤になっている部分を取り外して弦をむき出しにして、その弦を、棒状の骨だろうか? ――を平たくしたもので
――以前は、ということは、今は違うのだろう。
私がその理由を尋ねようとすると、彼女は再度木板に石灰石を走らせる。
『私、これでも声を失うまではそこそこ有名な吟遊詩人だったんですよ』
「え、そうなんですか」
誇らしそうに、えへんと少し胸を反らすフィリアさん。天使かな。
彼女はそれから、木板を使ってゆっくりと、自身のことを話してくれた。
彼女は声を失うまで、双子の弟さんと二人で吟遊詩人をやっていたらしい。だが、彼女は半年ほど前、突然声を失った。王都でのことだったらしい。弟と二人途方に暮れていると、そこに一人の男から手紙が届いた。
その手紙に書かれていたのは、これだけ。
『解呪金、1000万ガルをお持ちください。 呪術師・グラムル』
つまりそれは、彼女に呪いをかけたのは呪術師グラムルであり、その呪いを解いてもらうには、グラムルのもとに1000万ガルを持っていかなければならないということを意味していた。1000万ガルなんて、普通の人間であればゆうに5年は働かずしても暮らしていける額だ。
私はその手紙をみて、最初に訪れた宿で聞いた話を思い出していた。
『あの呪術師は、金を持っていそうな人間に呪いをかけて、解呪金を請求するらしい――』
その噂は、本当だったのだ。
弟さんはその手紙をみて、資金を集めにどこかへ行ってしまったらしい。しかし彼女は今、一人でこの街にいる。なんでも、王都でグラムルの居場所を教えてくれた人物がいたらしい。その人物の顔に見覚えはなかったが、フィリアさんはその情報を頼りに、この街にやってきた。
彼女がこの街についたのは昨日で、呪術師の居場所をウッドボードに書いて聞いてまわったが、声を出さない彼女は不気味がられ、それを知ることはできなかったそうだ。あまり呪術師の話題をおおっぴらに口に出すことは出来ないと宿屋で聞いたので、そのせいもあったのだろう。
持ち金も多くはないのでひとまず昨日は安宿をとったらしいが、それが多分、彼女があの「食い逃げ犯」に顔を真似られる原因となった。
恐らくあの食い逃げ犯はフィリアさんの聞き込みの様子を見て、この街の外から来た人間であることを知った。そしてフィリアさんが安宿をとったのを見て、値段の代わりに忍び込むのも容易い彼女の部屋に忍び込み、彼女の髪を入手し、食い逃げに及んだ。そしてフィリアさんは今日も聞き込みを行うためあの宿兼酒場へと立ち寄り、食い逃げ犯と間違えられ――、そこからは、私も知るとおりだ。
フィリアさんは最後に、『私はこの街に、呪いを解きに来ました』と言って(正確には、書いて)自身の話しを終えた。――私には何となくその言い回しが不自然なもののように感じられたけれど、その理由にまでは思い至らなかった。
そして話題は、私のことに移った。
『イマジカさんは、どうしてグラムルさんのところに?』
小首をかしげるフィリアさんの可愛さに悩殺されそうになりながら、私は彼女の問いに答える。とはいえ本当のことを話すわけにはいかないので、ほとんど嘘をつくことになってしまうのが心苦しいのだけれど……。
「私は、知人が呪いにかけられてしまって……、その解呪方法を、探ってみようと思っています」
彼女は大きく目を見開いて、木板に何かを書きはじめ……、結局、それを消してしまった。
「どうかされましたか?」
彼女は私の眼を見て何かを伝えようと口を開くが、声は出ない。そして彼女は諦めたように、首を横に振って見せた。そして話題を逸らすようにして、訊ねてくる。
『そういえば、イマジカさんはさっき、男の人の力でもびくともしませんでしたし、不意打ちみたいなナイフも、軽々と避けて見せました。どうしてあんなことができるんですか?』
決して大きくないウッドボードにぎっしり文字を詰め込んだ質問。どう考えても何か他のことを伝えようとしてくれていたのだけれど、それをやめたということは、私にはまだ、それを聞く権利はないのだろう。私だって彼女に嘘をついているのだから、それをこれ以上追及する権利などない。私に今できるのは、彼女にこれ以上気を使わせないことだけだ。
私はあえて自慢げに、私が持つ血縁の加護の力と、その習得方法までを熱弁した。
「それはですね、私が『血縁の加護』の魔法を習得しているからで、その習得方法は、血を分けた双子の亡骸を摂取……つまりしたたむことなんです!」
彼女は私の説明にひどく驚いている。それはそうだろう。双子の亡骸をしたたんだのだと宣言されて、「へえそうなんですかー」となる方がどうかしている。
どうしてこんな話をしたのか、自分でもよくわからない。……多分、私も彼女の過去に土足で踏み入ってしまったのだから、その贖罪……にはならないかもしれないけれど、フィリアさんには、私も私の秘密を明かしておきたいと思ったのだと思う。
ちょっと昔話をしていいですか、と尋ねると、彼女は深く頷き、それを了承してくれた。
「これは、妹との約束だったんです。昔……私がまだ10歳の頃です。私の母は、昼間に領主家の屋敷で起きた殺人の罪で処刑されました」
彼女の目が、驚きに見開かれる。わたしは、ゆっくりと説明を始める。
「それは、明らかな冤罪でした。母はその事件があった時、私たち姉妹と一緒にいたんです。……でも、状況証拠から見れば、最も怪しいのはどういうわけか母でした。……誰かに、嵌められたんです。私たちは必至に母の無実を訴えました。でも、母の無実を証明できる証人は私たち姉妹しかおらず、まだ小さな子供でしかなく、更には身内でもあったことから、聞き入れてはもらえませんでした。だから私は私の目の力を使って、母の特異体質を明文化しました。母が『吸血鬼』である以上、昼間に外を出歩くことは不可能だと証言したんです。吸血鬼は、不老不死のかわりに銀に触れることができず、また日光に当たると著しくその体の力が弱り、とても人を殺すことなんてできないのです。……ですがそれでも、母の罪は覆りませんでした。なんの後ろ盾もない私の言葉と能力を信じるものなど、だれもいなかったのです。……しかし私の母は、陽の光で弱らせられ、心臓を銀の短剣で一突きにされて殺されました。それが吸血鬼を殺す唯一の手段だと、領主家は知っていたんです。私は、それを教えなかったのに!」
その村のある方角を仰いで、私は続けた。
「母は処刑の間際、私たちに言いました。『絶対に、復讐に取りつかれてはだめよ』と。でも私たちは、抗うことはやめられなかった。私の生まれは東の小さな村だったのですが、母はもともと王都で魔法を学んだ、高名な魔法使いでした。そんな母の書き残した魔法に関する書物が、領主に差し押さえられてしまったんです。……多分、それが目的だったのでしょう。そもそも領主家主導のもと行われた捜査はあまりにおざなりなものでしたし、最初から、母を犯人に仕立て上げるために書かれた台本のようでした。私たち姉妹は、母の残した書物を持っていく兵士たちをなんとか止めようとしました。ですが、最後には領主が出てきて……」
* * *
「ふん。人殺しの子供が領主家に楯突こうなど、殺されても文句は言えんだろうな」
肥えた領主はそういうと、右手を前に突き出した。
「どれ、奴の魔法の試し撃ちの的にしてやろう」
最初に持っていった書物から、すぐに習得と使用が可能そうな魔法を見繕って習得していたのだろう。領主は右手を前に突き出したまま、何かを唱え始めた。
その文言には聞き覚えがあった。
『この魔法は、魔力をどんなものも貫く光の矢にして射出する魔法よ。でも、そういう魔法は得てして、術者にも、相応の反動が返ってくるの』
母は確か、そんなことを言っていた。……そして、領主の右手は、妹の方を向いていた。私は妹のもとに駆けた。だが、間に合わなかった。
妹の腹部を、光の矢が貫いた。その矢は、妹が止めようとしていた兵士の鎧と身体をも貫き、果てにはその後ろの決して薄くはない石造りの家の壁をも貫通していた。
「すごいぞ! 何という威力だ!」
領主が喜ぶのもつかの間、魔法を放った右手に異変が訪れた。領主の右手が赤い光に包まれ始める。
「何だこれは……? あ、熱い……熱いぞ!? おい、誰か水を持て!!」
私はそんな様子に目もくれず、妹のもとへ駆け寄る。その腹部からは絶えず血が流れ出していて、もう妹が助からないことは明白だった。私が泣き叫ぶ中、妹がかすれる声で言った。
「お姉ちゃん、お姉ちゃんは生きて」
「馬鹿、何言ってるのよ!」
「私たちみたいな、誰かを、助けてあげて」
「そんな、そんなこと……」
「お姉ちゃんなら、できるよ。その、目があれば……」
「無理……無理だよ……! わたしには、力がない……! あなたを……あなたを守ることさえ出来なかった……!」
情けなく泣き叫ぶわたしに、妹は手を伸ばした。
「これを、読んで」
妹の手には、兵士の持っていた書物から破りとった一枚の紙があった。そこには、こう書かれていた。
〈血縁の加護〉
身体強化の魔法。双子が、一方の亡骸を摂取することで習得が可能。その効力はまちまちだが、私の見立てによれば、恐らく生前の信頼関係に大きく依存している。
妹は、慈しむような笑みとともに言った。その声は掠れ、ひどく頼りなかったけれど、しっかりとこう口にした。
「お姉ちゃん。……わたしを、食べて?」
私には一瞬、妹が何を言ったのかわからなかった。食べてって? あなたを、私が? ……私がアリアを、食べるの……?
「そんなこと……!」
できるわけない、そう続けようとして、私の首筋に当てられていた妹の手が、わたしの頭を優しく引っ張って、わたしの顔を自分のお腹へと当てた。「美味しくないかもしれないけど」そう言って、最後の仕事を終えたかのように、その手からふっと力が抜けたのを感じた。
「こうすれば、わたしはお姉ちゃんの中で生き続けられるから……。わたしを食べて……、私たちみたいな人たちを、救ってあげて」
それが、妹の最後の言葉だった。
「アリア……? あ……アリアぁ……うぁ……あぁ……」
私は何度も妹の名前を呼んだ。だけど、返事はない。妹の最後の言葉が、頭の中をぐるぐると回る。
『わたしを食べて』
妹の腹を噛んだ。まだ柔らかくて、もうちょっと力を入れて噛めば、容易く噛みちぎることができるだろう。そう思うと、涙が出てきた。
そして私は、顎に力を込めた。ぶちっと、皮がかみちぎられる音と感覚が口の中に響く。
そこでようやく、その叫び声が耳に届いた。
「あああぁぁぁ!! なぜだ!! なぜこんなにも熱い!? 腕が、腕が焼ける!!」
「だめです! 水でも、効果が……!」
「ええい邪魔だ!」
領主が、自身の腕に水をかけ続けていた兵士の顔を、赤く光り続ける手で掴んでどける。
兵士が、苦痛に叫びをあげる。
「あぐあああああ!?」
その兵士の顔は、あの手に触られただけ。それだけで、焼け爛れていた。
「貴様らの……、こうなったのも、貴様らの母親のせいだ……!!」
領主が、腕をだらりと垂らしながら、私たちのもとにのろのろとした動きで歩み寄ってくる。
私は、その眼をまっすぐに睨み返した。
(あいつが……あいつがこの子を……お母さんを……)
この時私が抱いていた感情は間違いなく、殺意だった。
私は、自身の身体がこれまでにないくらい軽いことに気が付いた。
妹を食べて、魔法を習得したのだろう。そして無意識に、それを使ってしまった。
あの男を、殺すために。
私は、のろのろと歩く領主のもとに駆けた。
体が軽い。力が沸き上がる。間に兵士が割って入ったけれど、避けて、突き飛ばして、退けた。領主は、腕の痛みに何が起きているのかわかっていない。最後の兵士の手から剣を奪い取って、領主に突き刺そうとした。
だけどそのとき、お母さん、そして妹の声が、耳を打った。
『絶対に、復讐に取りつかれてはだめ』
『わたしたちみたいな人を、助けてあげて』
その言葉が無ければ、私はあのまま、領主を殺していた。
私は剣を逆さに握り直して、刃の代わりに、領主の頬に剣の柄を叩き込んだ。
領主は目を剥いて倒れ、気を失った。
私はその後兵士たちに取り押さえられて、領主の館の地下牢に入れられた。
牢屋の床は冷たくて、いかに日中はもう暖かくなり始めた春の頃といっても、夜はまだ寒い。数日呑まず食わずで牢屋に入れられていた私は、衰弱しきっていた。このまま、死んでしまうのだろうと思っていた。私はあの時、母の最期の言葉に従ったのもあったが、このまま領主を殺せば、私は確実に死罪になって、妹との約束を果たせなくなる。そう思って、剣を逆さに握った。だけど、どうせこのまま死んでいくなら、やっぱりあの領主は殺しておくべきだった。
そんなことを思いながら、壁に繋がれた錠を、加護の力を使えば外せるのではと逃走という選択肢も同時に検討しだしたその日の夜。彼女はやってきた。
誰かが階段を降りてくる音。足音からして、二人だ。
篝火が、階段の上から一つずつ灯されていく。そして、最後の篝火に火が付いた。
「あの娘は、ここにいるのよね?」
「はい、しっかりとここに捕らえて御座います」
最初の声は分からない。だが、それに続いた声は、あの忌々しい領主だ。
私は機会さえあれば、今度こそ領主を殺してやろうと思っていた。
だが、先に階段を降りてきたその人を見た途端、そんな気持ちは一瞬で吹き飛んでしまった。
それほどまでに、超然として、美しい女性だった――。
「あなた、変わった眼を持っているそうね――?」
声も、聴く人を一瞬で虜にしてしまう、甘いソプラノ。それだけで、この人の虜になってしまいそうになる。
でも、この人の隣には、あいつがいる。
この人がどれだけ常人離れした魅力を持っていても、この男の仲間なのであれば、心を許すわけにはいかない。
……そんな私の心を読んだように、彼女はこう言った。
「ああ――。なるほど。この人、あなたには本当に酷いことをしたもの。――当然よね?」
彼女はにこりと微笑んで、領主を見る。
「ありがとう。あなたは、もういらないわ」
彼女がその言葉を言い終わると同時、階段の上からほとんど足音も立てずに執事然とした男が姿を現していて、領主の腕を拘束していた。領主は、呆然としている。
「な、なにを――?」
「わからない? あなたは今日、このときより、領主ではないわ。確か、隣の領地との統合を言い渡されていて、どちらかが取りつぶしになる予定だったのよね? 大方そのために、高名な魔法使いが溜め込んだ魔法の知識を恃んだんでしょうけど……あまりに浅はかだわ。この子の指摘は正しかった。あの殺人は、この子の母親の仕業じゃない。だったら、領主家の行ったあの捜査自体が、そもそもおかしいことになる。あの殺人は、あなたの仕業よ。そんな人間を領主にさせておく理由がある? ……取りつぶしになるのは、あなたでいい。――連れて行きなさい」
領主を取り押さえた男は「はっ」と短く返事をして、まだ腫れた顔で抗議し続ける元領主の男を無理やり連れて行った。
私はその様子を、ただ呆然と見ていることしかできなかった。
抗議の叫びが届かなくなったころ合いで、彼女はこちらに振り向いて、こう言った。
「あなたの眼は、この世界の役に立てるわ。この国は今、変わろうとしている。あんな風に、既得権益にものを言わせて、疑わしきを罰するなんて間違ってる。そんな不条理が、この国には溢れている。おかしいと思わない? ……だから私は、今まで誰も為し得なかったことを、為そうとしているの。そしてそのためには、あなたの力が要る――」
そもそも、一国の王女がどうして私などの元を訪ねたのか。
これはのちに、領主家で起きた殺人のことを聞き及び、不可解に思い視察に来ていた王女が、私が母の特異体質を
そして、続く言葉が、その後の私の人生を決定づけた。
「ねえ、あなた。私の、探偵になってくれないかしら――?」
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