幕間

幕間 探偵と助手

 1


 円錐状かつ段階的に盛り上がっていく都市の中心に、まるで冠を戴くように聳えるのは、他国の姫君が羨んでやまない豪華絢爛な王城。

 その王城を囲むようにして、外側に向かって三つの内壁と、外周を囲む堅牢な外壁。

 ほぼ真円に近いその都市の直径は、――国防上の観点から正確な値は公にされていないが――おおよそ10キロとも20キロとも言われている。

 その強大さ、そして美しさから、〈千年王国ミレニアム・キングダム〉、〈大陸の王冠クリスタル・クラウン〉、〈魔法大国〉など、数々の言葉で飾り称されるその国こそ、ここ、城塞都市ディンブルクを王都とする、〈クリスタ王国〉である。


 王都ディンブルクには、内壁と外壁で隔てられた四つの階層がある。

 まず、王城から見て一枚目の内壁の内側は、貴族をはじめとする権力者たちの住む地区――通称「一段目」。一枚目と二枚目の内壁の間は、様々な店やバザーが軒を連ねる商業区――通称「二段目」。二枚目と三枚目の内壁の間は、一般市民たちの居住区――通称「三段目」。三枚目と外壁との間が、国の生活を支える様々な食物や資源を生産・採取する生産区――通称「四段目」。

 これら四つの層を貫くのが、四方に存在する目抜き通り。その通りはそれぞれ、東西南北にある大門へと繋がっている。

 北門の先には、大陸屈指の大河であるジューン運河の支流がその雄大な流れを横たえていて、南門の先には世界最大の大洋、サーランド海が広がっている。

 西門の先にはディーバ山脈が連なり、東門からはよく整備された主要街道が伸びている――。


 そんな、全てにおいて世界屈指の条件を備えたクリスタ王国。

 当然国力は高水準で安定しており、人口は緩やかな増加傾向で健康的と言え、周辺国家との関係も基本的には良好で、内戦の予兆も無い。


(――少なくとも、表向きは)


 王城。その南側にある部屋の窓から王都の様子を眺めながら、彼女――王女リーリア・S・クリスタは、そう心の中でつぶやく。


「何の問題もなく、内憂外患にも悩むことない平和な国。……傍目には、そう見えるのでしょうね――」


 今度は、声に出してつぶやいた。

 すると隣から、それに応じる声がある。


「……あんたは、そうじゃないって言いたいんだな」


 人形のように整った、まるで少女のようでもある男――セニス・インベントは、腕を組みながら窓枠に背を預けていた。

 王女はそんな男の姿を見て目を細めつつ、「ええ。その通りよ」と応える。


 ――そう。

 確かにこの国は立地面も申し分なく、その他様々な面においても、他国をリードしている。……しかしその実、同時にいくつかの大きな問題を抱えてもいた。


(まあ、問題の無い国なんて存在するのかしら、とは思うけれど――)


 この国の繁栄の歴史は、魔法の歴史ともいえる。

 この国は千年戦争の舞台となった土地であり、それ以来、国は魔法と共にあった。

 魔力濃度の高いこの国には生まれつき魔法の素養に恵まれた人物が多く、また特異体質を持って生まれてくる者も多くいた。

 影では、呪術も魔法と同様に力をつけてきた。

 それらの力を主軸として、この国は世界でも類を見ない成長を続けてきた。


 しかし――、それが、この国の抱える問題の原因ともなっている。

 

 この国において魔法や特異体質、呪いといった理外の力は、あって当たり前のものとなっている。

 だからこそ発生する問題が、それら理外の力を用いた犯罪だ。

 この国は、理外の力の成長による国力の増強を推し進めるあまり、それら理外の力の管理や制御といった部分においての技術が、その成長にまるで追従できなくなっていたのだ。

 その結果、理外の力が用いられた犯罪に対しては「疑わしきものを罰せよ」というあまりにもお粗末な理念の下、半ば無理やりに処理し続けることとなった。

 当然、冤罪の数は多かっただろう。だが、それが具体的な数字として出てくるわけでもないため、その問題は長年放置され続けてきた。その結果、この国の犯罪捜査は地に落ち、それと共に司法も堕落していった。今では裁判は形骸化し、裁判官が訴状を読み上げるだけの場となっている。


「――だから、『探偵』ってわけか」

「そうね。私はこの国から冤罪をなくしたい。そのために、探偵が――厳密に言えば、〈真実の目〉を持つものたちが必要なのよ」


 セニスの問いともつぶやきともとれる言葉に王女が答えて、その体をセニスに向ける。

 王女の視線の先で、彼は苦々しげな顔をしていた。


「じゃあ……俺はなんでここにいるんだ?」


 セニス・インベントは、一年ほど前にあった、この国の王女派の要人でもあった王族たち数名が殺害されるという事件、通称「王族殺し」の実行犯である。

 それは、この国の権勢を二分する王女派と国王――宰相派の勢力争いの一端として、国王派が王女派に差し向けた刺客だったのだが、実行犯であるセニスが助命される道理などないはずだった。

 しかし現に、今こうしてセニスは処刑されず、あまつさえ自分が殺した王女派のトップの目の前にいて、この国の問題点をその口から聞かされている。

 その理由が、セニスにはわからなかった。

 ――確かに、もしここでセニスが王女を害そうとすれば、首に嵌められた〈契約の首輪〉が喉を焼き、セニスは死ぬ。しかし、それまでの間に王女一人を殺すことくらいは可能だ。

 それとも、セニスが思っているよりも、この王女は武芸に秀でていたりするのだろうか。

 ……いや、そんな気配は無い。

 恐らく、一介の町娘と何もかわらない程度の身体能力だろう。

 だとすると、魔法だろうか――?


(いや、だとしても、俺がここにいていい理由にはならない)


 仮に王女がセニスを退けるほどの力を有していたとしても、リスクはゼロではない。そのリスクを負い、さらにはわざわざセニスを呼び寄せて話をする労力を割くような理由が、彼には思いつかなかった。

 セニスがわかっていることは、自分の罪状がいつの間にか、ただの「王族殺し」ではなく、「呪術師に操られた結果、王族を殺した」というものにすり替わっていて、その結果、判決が死刑ではなく懲役刑となったことくらいだ。

 セニスの疑念渦巻く視線を受けて、王女が笑う。


「その理由は、すぐに分かるわ――」


 彼女がそういい終わらないうちに、部屋にノックの音がする。


「リーリア様。例の物をお持ちしました」


 女の――、セニスにとってそれは、聞き覚えのある女の声だった。


「入りなさい」

「失礼いたします」


 果たして部屋に入ってきたのは、イマジカ・アウフヘーベン。

 王女の側近であり、「探偵」でもある女。

 そして――、セニスを捕らえた女でもある。

 彼女は王女に会釈し、次いでセニスに目をやると、


「セニスさん。お久しぶりです。――これから、よろしくお願いします」


 その長身を折って、深々とお辞儀をしてくる。

 逆じゃないのか? と思いつつ、そんなことより最後の言葉が気になった。


「これからよろしく――、だって?」


 思わず、口に出していた。

 するとイマジカが首をかしげて、直後何かに思い至ったように王女に顔を向ける。


「さてはリーリア様、まだ話していないのですね?」


 イマジカのジト目に、リーリアが背もたれつきの豪奢な椅子に座りながら悪びれもせずに答える。


「三人揃ってからの方がスムーズでしょう?」

「いや、別に私がいなくても話していて差し支えないと思うのですが……というか、ご自分で私がこれを準備する間に話しておくと仰られたのでは……」

「そうだったかしら?」


 かわいらしく小首を傾げつつ、自ら注いだ紅茶を口に運ぶ王女。


(このやりとりだけみても、イマジカの普段の心労が伺えるな……)と引きつり笑いのセニスだったが、そんなことよりも自分のことだと思い直してわれに返る。


(準備って、なんの――)


 セニスは事ここに至って、ようやく一つの可能性に思い至った。

 自分は王女派の王族を何人も殺したのだ。それが、ただの死刑で済ませられるなど、王女は耐えられないのだろう。

 そして、死すら生ぬるい、とそう思うような処罰を考え、その準備が今整ったということなのだろう――。

 ……どうせ、ろくでもないことなのは分かりきっているのだ。

 だったら、審判は早いほうがいい――。


「どうでもいいから、さっさと要件を聞かせてくもらいたいんだけど」


 セニスが急かすと、王女が「せっかちな男性はもてないそうよ?」などといいながら、ゆっくりとカップを置く。


「では、結論から言うけれど……」


 これから課せられるであろう処罰の内容に、思わず喉が鳴る。

 本当に死すら救いに感じるような内容であれば、今すぐにこの窓から身を投げて死ぬことも視野に入れた方がいいかもしれない。

 そんなことすら考えて――


「あなたには――」


 そんなセニスの決意は、あまりにも突拍子も無い言葉によって、どこかへ吹き飛ばされた。


「イマジカの『助手』になってもらうわ!」




 2


「あなたには、イマジカの助手になってもらうわ!」


(……はあ!?)


 セニスは一瞬、何を言われているのかわからなかった。

 いや、何を言われているのかは分かるのだが、理解が追いつかない。


「……な、なぜ? というかそもそも、そんなことが可能なのか……?」


 その困惑が思わずそのまま声に出てしまい、それに王女とイマジカが頷きあう。


「当然の反応といえば当然の反応かしら」

「まあ、そうですね」


 そして、王女が説明を始める。


「まず、そんなことが可能かどうかという疑問だけれど……答えは、可能よ。というか、可能にした、が正しいかしらね――」


 そう言って彼女は、テーブルにあった一枚の紙をひっくり返した。

 そこには、信じがたいことが記載されていた。


「俺の身柄を、王女の預かりに……?」


 そう。そこには、無期限の懲役刑を求刑されたセニスの身柄を、王女が預かることを裁判所が認める旨が記載されていた。

 これによって、セニスの扱いは王女であるリーリアに一任されることになった、ということなのだろうか……?

 いや、堕落しているとはいえ、司法は原則、行政とは分離独立している。

 たとえ王族であっても、罪人の身柄を自身の一存で決めることなどできないはずなのだ。

 どんな手練手管を用いればこんなことが可能なのかはわからないが、しかし現実として、ここにはそれを認める書状がある。

 であれば次の疑問は……


「な、なんで……?」


 それに尽きる。

 どうして、そんなことをしたのか。

 恐らくは、罪状の改編も王女の仕業だろう。その上で、自身の手中にセニスを収める。これを実現するのは、決して楽ではなかったはずだ。司法とも、もしかすると他の王侯貴族とももめたかもしれない。

 ……だとしたら、どうして。


「お兄様――と宰相派は、今回の件に関して大きく口出しはできないの。……なぜなら、あの人たちは一度、王族殺人事件の犯人として、罪も無い人間を、冤罪で処刑しているから。今回のあなたの裁判に対して口を出せば、そのときの傷を自ら掘り返す結果になりかねない。だから、他の王侯貴族を言いくるめるのは比較的楽だったわ。司法は――まあ、いろいろとね」


 彼女の浮かべた笑顔は一切の影も無い完璧な笑顔だ。

 だからこそ、空寒いものを感じる。


「そんなことをしてまで、どうして――という疑問だけれど、それは簡単。あなたほどの力を持つ人物を手中に収められれば、戦力の底上げができるからよ。それに――」


 彼女は意地悪く笑って、


「そこのイマジカが、どうしてもって言うからね」


 そう言った。

 セニスが顔を向けると、イマジカはばつが悪そうに「これを私の前で言いたいから待ってたんですね……」などと言いつつ、一呼吸置いて、まっすぐな目を向けてくる。


「――私は、あなたに言いました。王女はきっと、この国から亜人の差別をなくす努力をなさると。……それが嘘ではないことを、あなたにも近くで見届けて欲しかったんです」


 最後まで言い切ると、イマジカは顔を少し赤くして、ぷいっとよそを向いてしまう。


「たった、それだけのために……?」


 セニスは、あっけにとられていた。


「いや、それだけってなんですか! ここは素直に感謝するところでは!?」

「確かに。イマジカ……、よく考えると、私はたったそれだけのためにこんなにもいろいろと苦心させられたのね」


 よよよ、としなをつくって椅子のひじ掛けに倒れこむようにする王女。


「王女まで!? 『探偵といえば助手よね!』ってあんなに乗り気だったのに!?」


 セニスは、王女の顔を見た。

 その表情は、本当に楽しそうにイマジカをからかっているようにしか見えない。何か裏があるのでは、と勘ぐってみたが、少なくとも表情からはそれは読み取れない。

 するとセニスの視線に気付いた王女は、小さく肩をすくめて、こう言った。


「まあ、強いて言うなら――、私の打算と、少しのおせっかいも入っているかしらね」


 一呼吸おいて、彼女は声のトーンを少し落として続ける。


「あの『王族殺し』で、王女派の要人が数名死んで、王女派は少なくないダメージを受けたわ――」


 その言葉に、セニスは気づけば、目を伏せていた。

 どんな顔で、続く話を聞けばいいのかわからなかったから。


「そのおかげで、冤罪問題で宰相派にもダメージを与えられたけど……だからといって、貴重な同胞を失ったことに変わりはないわ」


 あの日、イマジカに捕えられ、そして亜人を差別せず、平等に捜査を行って犯人を暴いた姿を見たときから、セニスの中の――少なくとも王女に対する不信感は、ほとんどなくなっていた。

 それからは、――あの夜に自分がしたことを、正しかったなどとは思えなくなった。

 亜人の扱いを一向にあらためようとしない王族を殺して、死んでいった同族たちの無念を晴らしてやろうという当初の目的は、本当に正しかったのか。せめてその矛を向ける先は、王女派ではなく宰相派だったのではないか。

 しかし、全ては遅きに失していた。

 自分のやったことは変わらない。

 そして今、その代価を支払うべき時がきたのだと、潔く死を受け入れるつもりだった。

 しかし同時に、それはただの逃避なのではないか――、ただ自分が楽になりたいという甘えなのではないか。そう思ってもいた。

 ……だからといって、自分に何ができるとも思っていなかった。


 だから、先の王女の言葉は、あまりにも自分に都合のいい話だと思えた。


 だって――


「だからこそ、私は亜人であるあなたに、私のために働いて欲しい――。今後、亜人であるあなたが率先して冤罪の解決に尽くしてくれればくれるほど、この国での亜人の差別意識の低下につなげられるかもしれない。これが、私の言う打算。そして、もう一つ。あなたが同胞を殺した私たちのために、あなた自身が尽くしてくれることこそが、あの日の犠牲を無駄にしないための、あなた自身の贖罪にもなりえるんじゃないかと、私は考えているわ。……これが、私の思う少しのおせっかい」


 だってこれは、セニスにとって、唯一ともいえる、死以外の方法で、あの時の罪に報いることのできるかもしれないチャンスなのだから――。


「だめかしら?」と向けられる視線に、セニスは声を絞り出す。

 ある筈がない思っていた、贖罪の機会。

 恐らくはこの葛藤すらも全てを見通したうえでの、王女の誘い。

 セニスには、それを断ることなんてできない。


「御身の――」


 膝をついて、その名を呼ぶ。


「リーリア様の、仰せの通りに――」


 ……こうして、狼男セニス・インベントは、王女リーリアの配下となると同時に、イマジカの助手となった。


 ――これが、クリスタ王国の犯罪捜査を大きく変えていくこととなる、不思議な目を持つ男みたいな長身女と、馬鹿みたいに強い女みたいな狼男という、凸凹でこぼこコンビ誕生の瞬間だった。


 と同時に、


「よし、決まりですね! では、助手のセニスさんには制服をお渡しします」

「あなたならきっと似合うと思って用意させた特注よ。ありがたく受け取りなさい」

「はい。……って、なんだよこれ!?」


 その日から――


「メイド服よ!」

「メイド服です!」

「はァ!?」


 セニスの受難が始まった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る