14 現場の検証

「犯人が言葉を発している以上、フィリアさんが犯人であることはありえません」


 私の宣言に、全員の視線がフィリアさんの方を向く。

 部屋の四隅に備え付けられた燭台の上で、蝋燭の炎が小さく揺らめいている。

 そして、セニスさんとアイラさんがそれぞれ小さく呟く。


「失声の呪い、ね。……確かに、その呪いがあったんじゃあ少なくとも、フィリアちゃんじゃないってことになりそうね」

「……声が出せない……。それは、さぞ辛いことでしょうね……」


 内容だけ見ればどちらも私の宣言を受け入れているようにも受け取れるが、セニスさんは「この発言の主は」にアクセントをつけていた。

 ――彼女は、こう言いたいのだろう。

 確かにこの発言の主はフィリアさんではないかもしれない。だが、この発言の主が本当に犯人なのかどうかは、まだ確定していないのでは、と。

 それはきわめて冷静な分析ではある。しかし、正しくはない。

 今ここで、その疑問は解消しておいた方がいいだろう。


「先に申し上げておくと、この発言の主は、間違いなくグラムル氏を殺害した犯人です」


 予想通り、セニスさんの反駁がある。


「どうしてそんなことが言えるの? そこにあるやり取りの間に彼が殺されたなんて」


 私は、賢者の手記を広げて見せる。


「ここをよく見てください。最後の『さようなら』の部分に、何かが滲んでいませんか?」


 セニスさんがそれを覗き込む。


「これは……そうね。筆の色とは違う。これは……血ね」


 そう、その文字には、筆で書かれた文字に重なるように、血が伸びていた。


「そうです。それは、血です」

「そう。でも、だからなんだっていうの?」

「先ほども申し上げた通り、この賢者の手記には、賢者の羽ペンが自動で文字を記入するとき以外は決して何かを入力することはできない」

「あっ……」

「ふむ。なるほど」


 セニスさんが見落としに気づいた拍子に声を上げ。辺境伯が小さく唸る。


「つまりこの血は、この会話中にこのノートに飛散し、その上を魔法の羽ペンが動いたことによって残った血の痕ということになります。グラムル氏が刺されたのは、この会話中であったということになります」


 少しの沈黙。しかしすぐに、セニスさんが口を開いた。


「ふうん、なるほどね。……これで、フィリアちゃんの無実は証明されたってわけね」


 私の視線に頷いて見せてから覚悟はしていただろうが、突然自身が関心の的となったフィリアさんは所在無げに肩を窄めてしまっている。

 そんなフィリアさんの様子を見かねてというわけではないだろうが、辺境伯が口を開いた。


「さて――、一人の無実が証明されたのは素晴らしいことだが……残りはどうする? 恐らく今ある情報だけでは、絞り切ることは難しいのではないかな?」


 手厳しい指摘だ。

 だが私には同時に、彼はこうして自然と、次に行うべきことの話を切り出しやすくしてくれている。そんな風にも思えた。


「私はこのあと、更に現場検証を行います。その間、皆さんにはこの部屋で待機して頂きます。その後別室にて、フィリアさんを除く皆さんから、私の『真実の眼』によって能力の『明文化』を行い、その時点で犯人がわからない場合は、状況を可能な範囲でお伝えした上で、その後の対応をあらためて考えさせて頂きたいと考えています」

「うん、わかった。――みんな、聞いての通りだ。私が、この捜査を許可した。いち宿泊客としての扱いを求めた昨日の言から転じてしまってすまないが、君たちには彼女の捜査に協力してもらう」


 私の提案を、辺境伯がやんわりとではあるが異議は認められないと念を押してくれる。


「……まあ、領主様がそう仰るなら、従わないわけには、ね」


 私の言葉に嫌悪感を露にしていたセニスさんも、辺境伯の念押しによって不承不承とだが受け入れてくれたようだ。

 辺境伯という力強い後ろ盾を得られたことには感謝すべきだが、だからといって彼を捜査対象から外すことはできない。

 つまり私は、辺境伯の能力についても、他ならぬ私自身の眼で知ることになる。

 彼はそのことを既に了承しているような状況ではあるが、彼がどのような存在であるのか、私は現時点で、ある程度推測できている。

 あとはそれを第三者にも証明できるように明文化するだけなのだが――、つまりそれは、彼に宿る「理外の力」を公式に明らかにするということだ。

 それは果たして彼にとって、本当に度し得ることなのだろうか……。

 探偵はいつも誰かの秘密を明らかにするが、犯罪捜査のためとはいえ、道徳にもとる行為であっては意味がない。

 行き過ぎた不道徳は、場合によっては犯罪と同義だ。

 ――だから私は、この能力を用いるにあたって、ひとつの条件を自身に課している。


「確かにこの捜査は必要なことです。ただし、それによって私は、皆さんの理外の力を公のもとに晒すことにもなります。ですから、それが了承できないという方がもしいれば、別室で二人になった際に仰って下さい。その場合はまず、私はこの眼の力に頼ることなく皆さんの身に宿る理外の力を予想します。その推測が正しかった場合は、申し訳ありませんがそれは個々人の責任ということになる。そのことを二人だけの間の秘密にし、外部に漏らさないことを約束した上で、その他に今回の犯罪に関わる能力が無いことを確認する目的のためだけに、理外の力の明文化を行わせていただきます」


 ――そもそもこの能力は本来、相手の了承などなくとも、私の視界に移る全ての存在に対し、一方的に使用が可能なのだ。

 だから本来、今この瞬間にもこの場の全員の理外の力を明文化することだってできる。

 だが、それはときに不要な争いを招き、そして場合によっては、私自身の不道徳につながる可能性だってある。誠実さを欠くことは、王女に仕える者としてあってはならない振る舞いだし、そもそも私自身、他人の秘密を暴くことに何の感情も抱かないわけではない。

 だから私は、この能力を使うにあたって、まずその了承を得る。

 そして了承が得られない場合、私はこの能力に頼ることなく、対象の理外の力を推測する。

 結果として推測が当たっていたなら、それは能力による不当な情報の覗き見ではなく、その人の行動の結果、私がそれを見破ったというだけに過ぎない。そうなれば少なくとも、私が能力を用いて明文化を行い、対象と私との間でその情報を共有するだけであれば、その人にとっては同じことといえる。

 ――この能力を、決して一方的な理外の力の覗き見には使わない――。

 私は自身の探偵としての誇りを守るため、そんな制限を課している。

 辺境伯は、私の言葉の意図するところを汲んでくれたのだろう。


「力持つ者にも、その使い方には相応の責任が伴うということだね。正当性を尊ぶ王女らしい考え方だ」


 嫌悪感を露にしていたセニスさんも、「まあ、そういうことなら」と小さくつぶやいて部屋の端にある小屋に腰掛けた。

 その他の誰も、異議を唱えることはなかった。

 私は全員の前で一つ頷いて、了承の意を受け取った。


「ありがとうございます。では、まずは現場検証の続きを行わせていただきます。部屋のものにはなるべく触らないよう、暫くお待ちください」

 


 * * *



 部屋の中はほとんど見た。残るは、呪術師の死体のみ。

 彼は革製の椅子に深く腰掛けた体制で息絶えている。やはり、即死だったのだろう。

 死因は、フードを貫いて深々と刺さったナイフ。その他に外傷はないようだった。

 ナイフの持ち手には、血でべったりと、手の痕がついていた。


「このナイフは、この宿のもので間違いないですか?」


 私の問いに、横合いから返事がある。アイラさんだ。


「そうですね。このナイフは特注したもので、持ち手の部分に施された装飾からして同じもので間違いないかと」


 彼女には、この宿のことを現状最も知る人物として共に現場検証を手伝ってもらい、助言を仰いでいる。


「わかりました。ありがとうございます」


 礼を述べて更に見分を進めていると、アイラさんが小さくつぶやく。


「……この血痕は、犯人のものなのでしょうか」

「今の時点ではなんともいえませんが、それはこれから明らかにします」

「どうやって……ですか?」

「もちろん、魔法で、です」

「――魔法、ですか」

「ええ」


 私は一つ頷いて、詠唱を開始した。

 ――魔法の使用条件は、本来、その魔法を習得していること。それだけだ。

 しかしその効果には、使用者によって大きく差が生まれる。

 魔法の効果の差には、イメージの力がもっとも大きく関係していると言われている。

 イメージ力が確たるものであればあるだけ、魔法の効果は増大する。

 そしてそのイメージ力を高めるために存在するのが、所謂「詠唱」だ。

 最も有効なのは発声しての詠唱だといわれているが、逆に言えばそれは必須ではない。

 詠唱なしでの使用も可能だし、脳内で文言を諳んじるだけでも一定の効果は望める。

 特に、あまり外部に漏らすことのできない魔法や、戦いの途中、相手に魔法の内容を看破されないようにするためには、声に出さない詠唱が推奨される。そして今用いるこの魔法は、前者に当たる。


(――不当に流れた紅き雫、時に隠された穢れの印。腐った葡萄は罪の証。その姿を再び我が前に現せ――、『葡萄酒の記憶』)


 私がナイフに手をかざし、その詠唱を終えると同時。

 アイラさんが「えっ」と驚きに声を漏らした。

 ナイフの血の模様が、少しずつ動き出していた。

 血痕が、どんどん小さくなっていく。

 血痕は消えてなくなり、それ以上何も現れることはない。

 しばらくして、もとの血痕が現れる。

 ――この魔法は、対象に付着した赤い液体の元の姿を幻視する魔法だ。

 これはもともと、腐った葡萄を用いた粗悪な葡萄酒を乱造する者が後を絶たなかった時代に作り出された、葡萄酒の粗悪品を炙り出すための魔法だったとされている。

 かつては、葡萄酒をグラスに注いでこの魔法をかけ、グラスの中に幻視される葡萄が腐っているかどうかでその葡萄酒が粗悪品かどうかを見定めていたらしい。

 だが、ある魔法使い――私の母だが――はこの魔法が葡萄酒だけでなく血液にも有効であることを発見した。

 それだけでなく、魔法をかける対象を「葡萄酒」ではなく「グラス」にした場合、一定期間においてそのグラスに注がれた葡萄酒が時間を遡って幻視されることも発見した。

 探偵はそれを活用して、凶器にその魔法「葡萄酒の記憶」をかけることで、一定期間内に凶器に付着した血液を幻視するのだ。

 私はナイフに、ここ一晩のうちにナイフに付着した血液の記憶を遡って幻視させた。

 しかし、結果は、今ある血痕が遡って一度消え、魔法の効果が切れて再度もとに戻っただけ。要するに――


「犯人のこの血痕の前に、別の血痕が拭われていたということはないようです。これほどまでに深く貫いていますから、返り血は避けられなかったでしょう。つまり犯人は右手でこのナイフを握り、グラムル氏を突き刺した。そして、流れ出た血で手の痕が残り――、よほど急いでたのかもしれません。それを拭い去ることはせずにこの場を去った、ということになりますね」


 やや不可解ではあるが、こういうことになる。


「では、この手の痕に照らし合わせれば、誰の手の痕なのか分かるのでは……!」


 アイラさんが私にぱっと視線を向ける。が、残念ながらそれは叶わない。


「いいえ、それはできません。拭き取られてはいませんが、この手跡は突き刺した際の衝撃でぶれて、滲んでしまっています。大体の大きさくらいは判断できるかもしれませんが、誰のものかまでは判断できないでしょう」

「そう、ですか……」


 そこに、辺境伯が後ろから声をかけてくる。


「大体の大きさが分かるなら、例えばその手形よりも明らかに小さな手の持ち主であれば、犯人からは除外できるのかな?」


 どこか試すような物言いだが、返答しないわけにもいかない。


「この手形よりも明らかに大きな手の持ち主がいたなら一考の余地もありますが、少なくとも小さいという理由だけでは判断材料として弱いと言わざるを得ないでしょうね。例えば大人用の靴の足跡が現場に残されていたからと言って、子供の犯行ではなかったとは言い切れない。子供が大人の靴を履いて足跡を付けるのは、大人が子供用の靴を履くのに比べれば比較的容易なことですから。一見逆に思われがちですが、実は小さなものほど偽装は難しく、大きなものほど容易いのです。そしてこの手形は、決して大きいとは言えないものの極端に小さいわけでもない。少なくともこの手形の大きさによって、この場の誰かを容疑者から除外することはできません」

「わかった、ありがとう」


 私の説明に、満足そうにうなずく辺境伯。

 なんとなくこの答えを引き出されたようで釈然としないが、必要な説明ではあったため留飲を下げておく。

 そこに、アイラさんが訪ねてくる。


「わたしからも一つ疑問があるのですが、そもそもこのナイフには、人を刺殺できるような切れ味を持たせてはいなかったはずなんです。主人からはそのように注文を受けていて、少なくとも私はその注文通りに、食事には困らない程度に、しかし決して誰かを害することができるような鋭さは与えない、ギリギリの調整をしていたつもりです。ですから、相当な力がなければ、このナイフでの殺人はできなかったと思うんです。だから主人も、あのナイフを警戒することが無かったのだと思いますし」


 それは、あのナイフがライルの服から出てきたときに感じていたことだ。

 だが、それも同じことだ。


「もちろん、相当な力が必要だったことは確かでしょう。ですがそれは、先ほどの例と同じことです。少なくともナイフを確りと握ることさえできたなら、あとはいくらでもやりようはあります。それこそ、身体能力を強化する魔法だってありますから」

「……そう、ですね。横やりを入れてしまってすみません」


 小さく頭を下げるアイラさん。しかしこれも、指摘がなくとも説明が必要なことだった。


「とんでもない。ありがたい指摘です」


 そんなやり取りの末、私は一通りの現場検証を終えた。

 あとは、フィリアさんを除く4人に利害の力が宿っていないか――、そしてそれはどんな力なのか、それを明らかにするだけ。


「順番はお任せしますので、一人ずつ、私の部屋へ来てください」


 そう言い残して、私は別室へと移った。

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