9 宴は終わる

「あ、あの……知らなかったとはいえ、先ほどはとんだ失礼を……。どうか、ご寛大な処置を……」


 私とグーダルク辺境伯のやり取りが一段落したのを見計らって、セニスさんが謝罪の言葉を口にする。確かに(自分のことは一旦棚にあげるが)、仮にも領主相手にあの口ぶりは、普通なら何らかの罰を与えられてもおかしくないかもしれない。

 ……まあでもそれは、相手が普通の領主であれば、のはなしだ。


「気にしないでくれ。私は今領主としてではなく一人の客としてこの宿に泊まりに来ているに過ぎないのだし、むしろ一人の客として接してくれると嬉しい。どうだい? あとで一緒に沐浴でも」

「……えーと……遠慮しておきます」


 セニスさんは冷や汗とともに、その誘いを断る。辺境伯へんたいは「ふむ、残念」とか言いながら本気で残念そうにしている。いや冗談じゃなく本気で一緒に入ってもらえると思ってたならあんた馬鹿だよ! と、心の中だけで突っ込んでおく。


 そんなやりとりの後、晩餐会の二品目がテーブルに供された。

 一品目の前菜の野菜のスープに続いて出てきたのは、鳥を丸ごと一匹焼いた……要するに、鳥の丸焼きだった。一品目が食材豊かで非常に手の込んだ品だっただけに、その余りのシンプルさに少し面食らったが、


「今朝近辺の森で取れた渡り鳥の一種で、遠くへと渡っていく準備として栄養を蓄えている今の時期が一番美味しいんですよ」


 と給仕の女性が感じよく説明してくれたとおり、確り肉がつき油が乗っていて、無駄な味付けがなくとも野性味あふれる格別の味わいだった。

 テーブルには、一目で上等な品だとわかる銀のナイフとフォークがこれみよがしに用意されていたからおとなしくそれを使って食べてはいるが、これがもっとフランクな場であれば、手づかみでかぶりついてしまいたいくらいだ。と思っていたら、


「うん、うまいな!」


 私の斜向かいでは、かの英雄が最初からナイフとフォークに触れた形跡すらなく手づかみで鳥を頬張っていた。いや、子供ですかあなたは……。


「すこぶる美人だし、あの給仕の女性、我が屋敷で雇わせて欲しいくらいだ!」


 そんな領主の言葉に、ローブの男が不気味な笑いとともに反応する。


「それはよかった。しかし残念ですが、彼女は私の元でのツケの清算を終えていませんので、まだお渡しすることはできません。ご了承を」

「ふむ……」


 ツケの清算……。

 不意に出てきた不穏当なその言葉に、辺境伯が手を顎に当てて押し黙り、場の空気が少しだけ張り詰める。誰しもが、その言葉の真意を推し量ろうとしている。私も、もし誰も口を開かないなら、彼女に課したそのツケとやらが何なのか、私の口から問い質そうと考えてさえいた。

 ――が、そこに、


「ツケのセイサンってどういう意味だ?」


 声変わりもしていない腕輪の少年のその女の子のような声が、場違いに響いた。

 その目をみればどうやら、ただ単純にその語彙の意味を尋ねているというだけのようで、小さく傾げられたその顔にそれ以上の含意はなさそうだ。

 私はローブの男に、この場でそのツケとやらの真意を問いただそうと一度は考えた。たが、この子の存在をすっかり失念してしまっていた。どうせローブの男の口から語られるのは、ロクでもない話だ。……子供のいる場所で、あまり血なまぐさい話をするものではない。

 恐らくは私以外も少年の純粋な質問に毒気を抜かれたようで、各々が咳払いするなり襟を正すなりで一つ調子を整えている。張り詰めていた空気が、弛緩していった。

 私はふうと一つ長めに息を吐いて、「ええと」とりあえずはその言葉の意味だけを説明することにした。


「例えば、何かをもらったら、何かを返さなきゃいけないよね? それはわかる?」

「うん」

「それを、すぐにではなくてあとから返すことにするのを『ツケる』と言って、その『ツケにした何かを返す』ことを、『ツケを清算する』っていうの」


 なんとか言葉の概念を理解して貰えるようにと噛み砕いて説明してみたが、うまく伝わるだろうか。

 しかしそんな私の懸念とは裏腹に、彼は多分私の言ったことを十分に理解したうえで、思わぬ方向に話を転がす。


「ふうん、ありがとう。……でも、じゃあ、オレは何のツケを清算させられてるんだろう……? 一応、二日にいっぺんは飯をもらってるけど……なんだか変な感じだな」


 彼の言葉には多分、他意はない。

 彼は他意なく、恐らく彼のおかれている状況の問題点、その本質を、鋭く突いている。

 ……きっと、地頭のいい子なのだろう。


「そうだね……」


 私は彼に、そう返すのが精一杯だった。

 話の成り行きを黙って聞いていた他の誰も、その言葉に返す言葉は持っていなかった。

 ――いや、本当は、言ってしまうこともできた。

 あなたのしていることは、なのだと。ただ誰かの欲望、欲求、私利私欲のためだけに、あなたたちはただの道具として扱われているのだと……。


 でもそれは、まだ小さな彼にとって、あまりに残酷なはなしだ。


 その後彼は、「まあ、よくわかんないけど、この鳥ほんとに美味しいな! こんなの、初めて食べたよ!」と、目の前のご馳走にありつく。彼もまた辺境伯のように、子供らしく銀食器は使わず手掴みで食べているけれど、その手は片方しか使われていない。腕輪がされた右腕はだらりと、自身のか細い腿の上に乗せられている。


 ――彼の腕には、大きな腕輪が嵌められている。

 そしてその腕輪には、

 つまり、彼が嵌められている腕輪は「束縛の腕輪」であり、それは同時に、彼が「奴隷」であることを意味している。

 どこからか、逃げ出してきたのかもしれない。……いや、彼の口ぶりからするに、誰かが逃したのか……。

 束縛の腕輪は嵌めた腕の機能を著しく低下させる。そしてその腕輪は、術者による解呪、あるいはその腕輪を嵌めた人物のくちづけがなければ、決して外すことができない呪いの腕輪だ。だから彼は今も、運ばれてくる料理を懸命に、片方の腕で食べている。

 その姿はあまりに痛々しくて目を逸らしそうになったけど、決して逸らしはしない。逸らしてはいけない。

 この国では原則、奴隷制が撤廃・禁止されている。しかし地方では未だにこうして、奴隷は存在している。このままの治世が続けばそれもいずれは淘汰されるだろうけれど……もし、国王派……いや、宰相が本当にこの国の実権を握ってしまったら、奴隷制は復活し、この光景が再びこの国内全土でみられるようになってしまうかもしれない。

 それだけは、絶対に許すことはできない。

 私は、そういう人たち……そんな理不尽に苛まれる人たちを助けるためにこそ、探偵になったのだから。

 私は自身の目的を再認識するために、その少年の姿を、確りとこの目に焼き付けた。

 

 

 * * *



 その後他愛もない話が続き、長かった晩餐会にも気付けば、終わりが近づいていた。

 いや、晩餐会といっても、特に何か催しがあったわけでもないのだが、とにかく、このささやかな宴はそろそろお開きとなる。デザートが出てきた。タルトの上に、クリームと沢山の果実が乗せられている贅沢な品だ。

 目にも鮮やかなそのデザートに誰しもが垂涎し、その皿に乗せられた木のフォーク――品に合わせてカトラリーの素材を変えてくるところも、給仕の行き届いた配慮が光るにくい演出だ――を一斉に手にとって、


「いやあ、これまた格別にうまいな!」

「これは何という料理なのかしら?」


 辺境伯がそのフォークを片手に舌鼓を打って、セニスさんがその品の名前を尋ねる。

 給仕の女性がその品の名前やその由来なんかを説明しているのを聞きながら左隣に目をやれば、フィリアさんも同じく、フォークを左手に持ちながらそのデザートに頬を綻ばせている(かわいい)。次に左隣をみれば、奴隷の少年――ライルというらしい――は、大き目の葡萄に木のフォークがなかなか刺さらないようで苦戦していた。さっきのように素手で食べればとも思うのだが、先ほどまでは一緒に素手で食事をしていた辺境伯がこのデザートはそうしていないので、であれば自分もということなのかもしれない。子供らしく、可愛らしい発想だ。私は隣から、小さく声をかける。

「さっき使わなかったそっちのフォークなら刺さるんじゃないかな?」

 少年が使わなかった銀食器はそのままになっていた。あれは、よく切れたしよく刺さった。定期的に刃こぼれのメンテナンスなどもされているようだ。

 私の勧めに、ライルは「そっか。ありがとう!」と言ってフォークに手を伸ばして勢いよくそれを手に持った。するとその拍子に、隣にあったナイフをフォークの腹で掬ってしまったようで、ナイフが軽く宙を舞った。少年は「わわっ」と咄嗟に体を引いて、ナイフは彼とテーブルの間に吸い込まれていった。彼の身につける襤褸が、はたとひらめく。

 それを見ていた給仕の女性が「大丈夫ですか! お怪我などはないですか?」と駆け寄ってくる。

 ライルは彼女に「ごめんなさい。怪我はないけど、その……、ナイフがどっかいっちゃって……」と顔を青くして返す。

 私も床を見たけれど、どこにもナイフは落ちていない。じっくりと見て気付いたが、なかなかに年季の入った床板にはところどころ小さな隙間が生じているところがある。

「床板の隙間に入ってしまったのかもしれませんね」

 給仕の女子はそういうと、ローブの男に向き直って確認をとった。


「旦那様、どうやらナイフが床下に落ちてしまったようです。後ほど拾っておきますので、今はよろしいですか?」

「……かまわんよ」


 その返事に、「かしこまりました」と腰を折って、「ではナイフは後ほど探しておきますので、どうぞお気になさらないで」とライルに微笑む。

 ライルは「わかった、ごめんよ。ありがとう!」と胸をなでおろしている。


「ごめんね、私が急に声をかけたから」

「いや、オレが調子に乗っただけだよ。姉ちゃんは気にしないで」


 まだ10歳程度だろうに、やはりこの子は既に人の話すことの意味を理解し、さらに心を慮ることもできる、頭のいい子なのだろう。だが、そんなことよりも。


(ね、ね、姉ちゃん――!)


「わ、私のこと、男だとは思わないの?」


 今日はじめての女性扱いに逆に衝撃を受け、きかなくてもいいことをきいてしまう。しかしライルはこともなげに、


「え? 姉ちゃんはどう見たって女だろ?」


 ああ、なんていい子……。

 私はその小さな男の子の言葉に、自分の顔が紅潮するのを感じ、そのまっすぐな瞳から目を背けた。

 これが、天然たらし……。

 ライルは「なんだ?」と首をかしげてテーブルに向き直り、今度こそ葡萄にフォークを挿して口に運んだ。



 * * *



 全員が最後のデザートを平らげ、思い思いにその余韻を楽しんでいたところに、ローブの男が立ちあがって言った。


「さてそろそろ、晩餐会もお開きとしましょうか」


 その言葉を待っていたかのように、グーダルク辺境伯が反応する。


「いや、実に見事な料理の数々だったし、幸せな時間だった。……だけど、我々は何もここに、のんびり休養にやってきたわけではないと思うのだけどね? それは貴殿もわかっているんだろう?」


 呪術師、グラムル殿――?


 呪術師……!

 辺境伯が、ローブの男を呪術師だといった。ここまでの流れから彼が呪術師なのだろうと予想はしていたが、実際に彼が名乗ることはなかったので、まだそれは確定ではなかった。が、辺境伯は、この館を一度呪術師に売っている。どんな人物なのかを知っていても当然不思議ではない。要するに、ローブの男は呪術師で間違いないのだろう。

 ローブの男はゆったりとした口調で、それに返す。


「もちろん、存じておりますとも。――皆様は私に用がある。そもそも、私が招待した方もいらっしゃいますからね」


 そう言って、彼、呪術師グラムルは、目深に被ったフードの中から、恐らくはフィリアさんに目をやる。フィリアさんはその目に怯えたようすで、身を竦ませてしまう。そんなフィリアさんをなおも呪術師は口元に下卑た笑みを浮かべ、愉快そうに眺め続ける。

 私は体勢を前に寄せて、二人の延長線上に割って入るようにして言った。


「それじゃあ、今から私たちの話しを聞いてもらえるんですよね?」


 おや、と呪術師は私に目をやって、


「そうしたいのはやまやまですが、私は夜に弱い性質たちでして、そろそろ眠らなければいけません。お話しは明日の朝食のあと、一人ずつゆっくり聞かせて頂きますよ。……恐らく、その方がいい方もいらっしゃいますから」


 呪術師は今度はセニスさんに視線を向ける。セニスさんはその視線に苦虫を噛み潰したような顔をして、キッと顔を上げて睨み返した。セニスさんは、今夜だといったい何がまずいというのだろうか……?


「そういうわけで、私はこれで失礼させていただきます。皆さんの部屋は既に席次に合わせて決めていますから、どうぞ彼女から部屋の鍵を受け取って、ご自由にお使いください」


 その言葉に、調理室へと一度戻っていた給仕の女性が手に鍵束を持って再び部屋へと入ってくる。

 それは小さな腕輪になっていて、私たちがそれぞれにカギを受け取っている間に、呪術師は私たちが入ってきた扉の前にまで歩いていた。

 そしてそこで、「ああ、そういえば――」と勿体ぶって前置きして、


「イマジカ様は腰に差した短剣を。グーダルク様は、マントの下に佩いた銅の剣を。この部屋の隅にでも置いて出て行ってくださいね。基本的に宿の中では自由に過ごしていただいてかまいませんが、あまり物騒なものを持って歩かれては困りますから」


 と言って出て行った。

 名前は、確かに今日の晩餐会の途中で名乗った。だが――


「短剣のことは、話していませんよね」

「ああ。私も、この剣が銅の剣だとも言っていないね」

「そうですね。革につつまれていますから、それが銅の剣であるとまではわかりませんでした」


 私と辺境伯は、呪術師がいなくなった食堂で顔を見合わせる。すると、給仕の女性がおずおずと教えてくれた。


「ご主人様は、この宿の外から持ち込まれたものならば全て、どこに何があるのかを把握できるらしいのです」

「そんなことが……まあ、可能なんでしょうね、かの呪術師様ならば」


 私はあきれ半分に言って、腰から短剣を外し、テーブルに置いた。

 辺境伯もまた、「まあ、言うことを聞かないで明日話をしてもらえないというのもばからしい話だ」と剣を外して、同じくテーブルに。

 それを見たライルが、「かっこいいな! ちょっと見せてくれ!」と勢いよく立ち上がった時、彼の身に着けた襤褸の大きなポケットから、カラン、と何かが床に落ちた。

 それは、先ほど床の下に落ちてしまったと思われていた銀のナイフだった。


「あ……こんなところにあったんだな。ごめん、気が付かなかった」


 そう言って彼は給仕の女性に謝って、彼女は「いえ、みつかってよかったです」と微笑んでいた。

 その一連のやりとりをみて、私と辺境伯は再び顔を見合わせた。


「辺境伯、これは……」

「そうだね」


 にっと笑って、


「彼の呪術はなるほど確かに恐るべきものだが、だからといって、何もかもを見通せるわけではないらしい」


 ……こうして、呪術師の宿での宴は幕を閉じた。

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