8 過去の英雄

 食堂のテーブルには、私とフィリアさんを含め6人が座席についていた。

 暖炉側の正面、長テーブルの先に当たる場所に、私たちを案内したフードの男。ただの案内役という可能性も想像してはいたが、座席についたところをみると、恐らく、彼が呪術師グラムルなのだろう。

 次に、向かって左手奥に美丈夫。その隣に人形のような女性。その正面に腕輪の少年。その隣に私。その更に隣にフィリアさんという並びだ。

 それ以外に食堂にいるのは、ローブの男が晩餐会の開始を宣言した直後、恐らく調理室に繋がっているのであろう扉から、前菜となるスープを台車に乗せて入ってきてそれを給仕サーブしてくれた女性だけ。

 ――そのスープが、口触りがさらさらと滑らかであるのに対してまだ口に含むと火傷してしまいそうになるくらい熱々だったこと。そしてぴったり人数分の皿が既にテーブルに用意されていたことに、私は静かに驚愕した。

 私たちが来る時間帯など呪術師は知る由もないのに、私たちが部屋に入ってすぐにそれは供された。

 私たちが来るそのときまでずっとスープを煮込んでいたなら熱々なのは頷けるが、それだとスープは煮詰まって、野菜が溶けてどろっとするのが道理だ。だというのに、野菜はしっかりと歯ごたえの残る新鮮な味わい。しかもテーブルには、ぴったり人数分の食器が配置されていた。それはつまり、呪術師は私たちがこの宿を訪れる時間と、最終的にここに集まる人数を、事前に、正確に把握していたことを意味している。

 ……館の門がひとりでに開閉した時既に確信していたことだが、やはり彼は呪術師を騙る詐欺師などではなく、呪いをはじめとした尋常ならざる力をその身に宿し、あるいは習得した、本物の呪術師なのだろう。

 しかしそんなフードの男の晩餐会開催の言葉に、給仕の女性が食事を運び終えたのを見計らって、私の正面の女性が抗議する。


「『さあ、晩餐会を始めましょう』――じゃないでしょう!」


 ――やはり何度見ても、人形のように整った容姿の女性だ。

 容姿が整いすぎていて、彼女がドレスを身に着けていなければ、性別の判断さえ難しかったかもしれない。――とはいえそれは容姿のせいだけではなく、部屋の中だというのに赤を基調としたショートケープを頭から被っていて、目から上がほとんど見えないのもその一因と言えるかもしれないが。

 見た目に反して声は以外にも低めで、その怒りを孕んだテノールが室内に重く響く。ケープの中から垂れたブラウンの髪が、怒気に揺らめいてさえ見える。


「一体どれだけ待たせたと思ってるのよ!? しかも――」


(な、なんだ……?)


 彼女は最後の言葉で私に厳しい目を向け、その言葉を喉で止める。私のことで何かを言いかけ、それを堪えたように見えた。

 ……何か、気に障るようなことをしてしまっただろうか? 結果的に最後に到着したのは私たちだったから、顰蹙ひんしゅくを買っているのだろうか。

 しかしローブの男はそんなことは柳に風、


「おやセニス様、何かおかしなことでも?」


 と返す。……すごい胆力だ。

 間に挟まれる形となっている体格のいい美丈夫が邪魔なのだろう、セニスと呼ばれたその女性は、暖炉の前に座るローブの男に、テーブルに身を乗り出して言い募る。


「当たり前でしょう!? 私はもう四時間はここで待たされてるのよ!?」


 四時間――! それは確かに、怒るのも無理ない。


「しかも、その間! ずっと、無言で、この人と!」


 セニスさんはそう言って、テーブルに身を乗り出したまま隣の美丈夫を振り向いて指さす。

 突然話しの矛先を向けられた美丈夫はしかし特に狼狽える様子もなく、「はて」と顎に手をやって、「そうだったかな?」と首をかしげるだけ。


「そうよ! っていうかあんた、私よりも先にいたじゃない! その間ずっと黙りこくってそこにいて、あんたはそんなに待たされて、何とも思わないの!?」


 もっと前からいた――!? ということはそこの美丈夫は少なくとも四時間以上はここでああやって椅子にただ腰かけていたのだろうか……? だとしたら、それは彼も怒っていい。……しかし美丈夫は困ったように、


「まあ、時間の感覚がずれているとはよく言われるよ」


 と笑って見せるだけ。懐が深いというか、見た目以上の落ち着きを感じる。

 身に着けているのは、黒地に蔦の刺繍が施された質のよさそうなウプランド。その上に、裏地の赤い黒のマントを羽織っている。短く整えた髪はキッチリと左右に分けられていて、髭は綺麗に剃られている。というよりも、髭自体が生えてこない体質なのかもしれない。肌は外に出ない病人のように白くて、遠くからみても分かるほどにきめ細かい。背丈は私よりも少し小さいくらいだろうか。私よりも小さいといっても私の身長が大体185センチ程度なので、十分に大きい。鷲鼻が印象的な顔立ちも、美丈夫と評して差し支えない男だろう。

 その美丈夫の言葉に、ローブの男が言い添える。


「ダグラス様は、まだ日が昇る前に我が宿へと投宿されて、中を一通り見まわられてからは、ずっとここにおられましたね」


 ダグラス……その名前には、どこかで聞き覚えがあった。

 いや、というか、聞き覚えもなにも――。


「そうだね。懐かしくて、ついつい隅々まで見てしまったよ。全く変わっていなくて、安心した」

「この館が、懐かしい……ですか?」


 私が思わずそう口にすると、彼は事も無げにこう言った。


「そうだね――。ここはもともと、から」


「はあ?」と、セニスさんが眉を顰める。

 ……ここは、クリスタの北に位置する街、クランブルク。そしてかつてこの館を建てさせた、つまり所有していたという、「ダグラス」。


「……失礼ですが、フルネームを教えて頂いても宜しいでしょうか?」


 私の突然の質問に、セニスさんからは「なんだっていうの?」と怪訝そうな目を向けられる。しかし、私はダグラスと呼ばれた美丈夫に目を向け続けた。すると彼は、


「おっと、もう気づかれてしまったか」


 ……まあ、『王女の探偵』が相手では無理もないかな? と食えない笑みを浮かべてみせる。

 そして、彼は名乗った。


「私の名は、ダグラス・グーダルク」


 やはり……。

 その名前に、

「……ええ!?」「……!」セニスさん、フィリアさんは驚愕をあらわにし、腕輪の少年は「誰だ……?」と首を傾げた。

 私は「非礼を。申し訳ありません」と頭を下げ、彼はそれに「問題ないよ」と笑って応える。


 グーダルク――。

 それは百年前、北に国境線を有する隣国「クリュニア」との争いを停戦に導き、奴隷制廃止の立役者ともなった一人の辺境伯に与えられた家名だ。

 かつては「昼は部屋に籠って知略を巡らし、夜は自ら先陣を切って敵軍を圧倒する」という逸話とともに「夜戦の鬼」とも呼ばれた当時の将軍でもあり、滅多に表舞台には姿を現さないぶん、かえってその存在がこの国の平和の象徴として扱われることとなった、この国の、「過去の英雄」――。

 だけど――これを知る人は多くないけれど――、その英雄、あるいはその辺境伯は、決して過去の人物などではない。

 

 どういうわけか彼は当時から見た目も変わらず、今日まで生き続けていると聞く。

 百年以上もの間、北の大地を統べる国境線の守護者――。それが、ダグラス・グーダルク辺境伯。

 見た目のわりに落ち着いて感じたのも、当たり前だった。


 ところで、この国の英雄がまだ生きているということは別段隠されているわけでもないけれど、民草の描く英雄像を壊さないために、強いて広められることもない。それはひとえに、彼の生来の気質に由来するといわれている。

 その気質というのは――


「――いやしかし、今日はまったく僥倖だった。まさか今日が、こんなにも素敵な美女二人が同じく一泊する日だったなんて!」


 生粋の、女好き。


「今夜、私の部屋に遊びに来てくれてもいいからね?」

「最低です」

「食い気味!?」


 思わず声に出した。間違っても国の英雄が口にすべきセリフではないし、そもそも今日この宿に泊まる女性は、セニスさん、フィリアさん、そして私の三人だ。しれっと私を除外したのも気に食わない。例によって、恐らくは私のことは男だと思っているのだろうけど……。


「……最低です」

「二度も!?」


 彼は驚きつつも、静かに怒れる私を微笑ましそうに見つめていた。余裕な態度が腹立たしい。かと思えば、次の瞬間には隣のフィリアさん――の大きめな胸元――に目をやって鼻の下を伸ばしはじめる。

 ……とりあえず、彼が生きていることはこれからも広められるべきではないと、私は確信した。

 それと同時に、私はあることを再認識してもいた。


 今日この宿に来ている誰しもが、やはりこのように、何かしらの秘密を抱えているのだろう、と――。

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