17 事情の聴取(3)
「あなたは、あの時の『狼男』ですね」
私の指摘に、彼は無表情で答える。
「へえ。男だってことだけじゃなく、そこまで分かってるとは――」
そういうと彼は、額を隠していた赤いケープのフードをとって見せる。
果たしてそこには、あの時私がつけた、横一閃の裂傷があった。
――昨晩、セニスが食堂から出て行く際、そのフードに染みができていた。
食事中、そんなところが汚れるなんてことはあまり考えづらい。それにその時彼は、『今夜自分の部屋を訪れた者の命はない』というようなことを言っていた。
昨夜は満月で、彼は半人半狼の姿になっていた。誰にもその姿を見られるわけにはいかなかったから、そう言って念を押したのだ。
それに、そもそも地下牢で呪術師は、『この宿に二人を泊めることはできなかった』と言っていた。
つまりそれは、この宿に泊まっている誰かが、狼男であるということを意味していた。
――しかし狼男は、男性にのみ発現する特異体質だ。
対して、あの時はまだこの宿に泊まっている男性はライルとグーダルク辺境伯のみだと思っていたから、その正体を見出すことはできなかった。
あの時点で私は辺境伯が吸血鬼だと概ね気付いていたし、ライルには束縛の腕輪がなされていて、狼男の腕には、その腕輪はなかったからだ。
しかし今、この宿に泊まっていた男性は、もう一人いたことが分かった。
辺境伯とライルのどちらも狼男ではない以上、消去法的に、残ったそのもう一人――、つまりセニスが、狼男だということになる。
「それで、どうする? ここで俺を捕らえるか?」
「そうですね。そうさせて頂きます――ッ!」
私はそう言い終わらないうちに、彼の元へと疾駆した。
血縁の加護は勿論、脳内で詠唱して使用済み。
通常ではありえない速度での、完全なる不意打ち。
このまま彼の脚を払いつつ腕を取って背中に回り、そのまま床にうつ伏せになるように叩きつけて身動きを封じる――!
そう思い描いていた私の動きはしかし、
「おっと」
「なっ――!?」
紙一重で、最初の脚払いをかわされる。
(完全に不意をついたはずだったのに、私の動きについてきた――!?)
苦し紛れに、返すの手――いや返すの脚で放った回し蹴りも、頭を後ろに反らすことで難なくかわされる。
「良い動きだけど――、甘いッ」
完全に空を切った私の脚が回りきる前に、彼はもう一方の私の足をはらいに来る。
その動きを視認できていたのは奇跡に近い。
私は振りぬく脚にあわせて無理やり身をよじってなんとかそれをかわす。が、私のそれは単なる偶然だ。もう一度同じことをやれと言われても、できる気はしない。
私は一度大きく距離をとって、真っ向から視線をぶつけ合う。
赤々と燃える尽きかけの蝋燭の炎が、彼の背後で妖しくゆらめいている。
「へえ――。偶然だとしても、なかなかだ。さすがに、甘く見ていたとはいえ半人半狼の俺に傷を負わせただけのことはある」
既に呼吸を荒くする私に対して、彼は息ひとつ乱していない。
首と指を鳴らして、余裕そうな表情でこちらを
「そういえば、昨日の問いの答えをまだ聞いてなかったな。――アンタは本当に、王族に正義があると信じてるのか?」
昨夜、彼が地下室を去る間際になされた問いかけ。
彼はその答えを待たずに去っていったから答えを聞かせることはできていなかった。
「もちろん、王族の行うことが全て正しいと思っているわけではありません。でも、少なくとも今宰相が行おうとしていることは――、奴隷制度の復活は、間違っている」
彼はそこで初めて、表情を険しいものにする。
「王族だって、同じようなことをしているのに?」
私はようやく、彼の行動原理の一端に触れた気がした。
彼は昨夜、王族殺しの動機を、単に金払いのよかった方についただけだと言っていた。
――だが、多分それだけではなかったのだ。
その理由と言うのはきっと……
「亜人、ですか」
「……この国の王族は、自らの血統をこの土地に光臨した女神アリューレによって祝福を受けた選ばれた存在だと謳って君臨し、そして神話崇拝を推奨している。……その結果、亜人が不当に貶められることになったとしても、だ」
――確かに、彼の言っていることは概ね間違ってはいない。
王族はこの国に封建的政治体制を築いており、彼らは自らの血筋を、
そしてその立場を守り続けるため、女神アリューレに纏わる神話の崇拝を推奨・推進している。
だから、亜人に対する扱いが不条理なものであることを知りつつも、それをほとんど黙認している状態にあるのは、紛れもない事実だ。
「――ですが、王女はそれも含めて、改善に乗り出すはずです」
「本当にそうか? あの女が、本当にそんなことをするとでも? ――あいつら王女派の王族は寧ろ、お前たち探偵を使って、自分たちの都合のいい結末を用意するだけのクズの集まりだろ?」
「――っ」
……私はいつも、それに気付かないふりをしているけれど。
だけど――
「……どうやら、あなたとはやはり分かり合うことはできないようだ。このまま互いの主張をぶつけ合っても、そのレベルでの認識に溝があったのでは、平行線でしょう」
それでも私は、王女についていくと決めている。
彼女は確かに、ただ清廉潔白な人物とは言えないかもしれない。
必要であれば邪魔な相手を間接的に排除することも、勿論有り得る。
だが、この国に
……であれば私は、どんな時でも正しい手順を踏むことを厭わず、決して嘘だけはつかない、彼女の言葉を信じてともに進みたい。
――あの日、あの暗い地下室から私を救ってくれた、彼女の言葉を。
あの日約束してくれた『あなたの目的も、きっと達成できるはず』という、あの力強い言葉を信じて。
「私はこれからも、王女に従い続けます」
「――ま、そうだろうな。もとより分かり合おうなんて思っちゃいないさ」
「では……、そろそろ決着を」
「いいけど、俺に本気で勝てると思ってるのか? さっきので分かっただろ。油断さえしてなけりゃ、俺はたとえ半人半狼の状態じゃなくても、お前より強い」
「それは、やってみないと――分かりませんッ!」
私は先ほどの動きを追随するように、彼の元に再度疾駆する。
「おいおい、そういう割にはワンパターンかよっ!」
彼は既に、確実に私の動きを見切って迎撃するという構えだ。
今回は、不意をつく事すらできていない。
だが、そんなことはこっちだって承知のうち。
私は彼のもとに駆けながら、腰に提げていた紙包みを投げつける。
「おいおい、それで牽制のつもりか!?」
彼はそれを、顔を少し横にずらすだけで難なく避けてみせる。
私が彼のもとに到達したのと、その包みが彼の背後の尽きかけの蝋燭の火元に落ちて燃え始めたのは、ほとんど同時だった、
勢いよく燃え始めたその包みの炎が一瞬、強く辺りを照らす。
はらいに行った彼の脚が一瞬宙に浮き、私の脚を避ける。返すの脚で放った回し蹴りは、先ほどとは違って避けられるのではなくいなされ、体勢を崩される。私のみぞおちに彼の左の拳が迫り、私はそれを両手で受け止める。が、華奢な体のどこにそんな力があるのかと思うほどの衝撃――。
私の体は半分中に浮いて、両腕の防御は解かれてしまう。
私は息を吸う暇もなくそのまま腕を掴まれて、両腕を後ろ手に羽交い絞めにされながら、床に叩きつけられる。
「ったく、ちょっとは楽しめるかと思ったけど、馬鹿みたいにアッサリだな?」
「……」
「おい、なんとか言ったらどうだ? まさかこんなのでトんじまってるわけじゃないだろ?」
「……」
「なんだよ、つまらないな。じゃあ、お望みどおりさっさと楽に……」
彼はそこで言葉を切って、
「なんだこの、甘い臭いは?」
そう呟く。
「……」
「ああ、さっきの包みが燃えてるのか。……こんなもん、当たってたってなんの意味もなかっただろ。……ただの牽制にしても、お粗末すぎ……る……」
「……やっと、効いてきましたか」
私は、決して息を吸うことの無いように、短くそう呟く。
「……なん……だ……どういう……ことだ……」
彼は徐々にろれつが回らなくなり、そして、
「……意識が……」
どさりとその場に倒れて、――意識を失った。
私はすぐに部屋を出て扉を閉め、必死に耐えていた床に叩きつけられた際の痛みに呻きながら、限界まで呼吸を止めていた事による意識の混濁を、大きく息を吸って整える。
そして、閉めた扉に背中を預けながら、その場にへたり込む。
「……まったく。……結局、油断してたじゃないですか……」
――扉を閉める前、倒れるセニスの後ろで燃えていたのは、包みの中から現れた、氷のヘリオトロープだった。
その後、暫くしてヘリオトロープの匂いもほぼ霧散したことを確かめてから、私は部屋の中に倒れるセニスをその場で拘束した。
ちなみに拘束具はいつも持ち歩いている。
それがクリスタ王国における淑女のたしなみ……というわけではなく、探偵にとって必要なものだからだ。
そして、そのまま彼の能力を明文化する。
一方的な能力の盗み見はポリシーに反するが、相手が相手だ。
罪人に人権が無いと言うわけではないが、この程度のことには目を瞑っても罰は当たらないだろう。
その結果、彼の身には身体能力を底上げする類の魔法と、自身でも認めていたとおり、狼男の特異体質が宿っていることが分かった。
……これで、容疑者全員から、理外の力の明文化が済んだ。
私は拘束した彼を担いで、呪術師の部屋へと戻った。
「な、なにがあったんです……!?」
ぼろぼろになった私が拘束されたセニスを運んで入ってきたのを見て、アイラさんが心配そうに駆け寄ってくる。
「セニスさんは、半年前に王都で起きた『王族殺し』の犯人だったことが分かったので、眠ってもらいました」
「ええっ!?」
アイラさんが叫び、その場の誰もが同様に、驚きに言葉を失っている。
「すまない。あのまま残って、加勢すべきだったね」
辺境伯が私をそう気遣い、
「……いえ、なんとかなりましたから」
「ボロボロだが……」
『大丈夫ですか?』
ウッドボードをこちらに向けて、フィリアさんも気遣ってくれる。
「ありがとうございます。大丈夫ですよ。……それで、最後に一つだけ確かめたいことがあるんですが……、それは、この宿の外に行かなければわからないことでして……。そんなにはかからないと思うのですが」
そう。私は最後に一つ、ライルに纏わることで、外に出て確認して来なければならないことがある。
私の相談に、辺境伯が頷いて答える。
「ああ、ここは大丈夫だ。私に任せて、行ってきてくれていい」
「――すみません。すぐに戻ります。皆さんは食堂でお待ちください」
私はすぐに、屋敷を出た。
* * *
「旦那――じゃなかった、イマジカ様!? どうしてそんなにボロボロなんです!?」
私は、数軒の酒場を巡って、目的の人物を見つけ出した。
「気にしないで下さい、ちょっと犬にじゃれつかれただけです」
「いや、そういう次元じゃないような……?」
「そんなことよりも、あなたに一つ、頼みたいことがあるんです」
私のその言葉に、彼の目が真剣みを帯びる。
「……わかりました。困ったことがあれば頼ってくれと言いましたからね。あっしにできることなら」
「すみません、恩に着ます」
「それで、頼みというのはなんなんです?」
私は彼の目を見て、鞄からある物を取り出す。
それをみて、おっさんの目が大きく見開かれる。
「これは――! しかし、どうしてこれが外れて――?」
私が取り出したのは、ライルの腕に嵌められていた、束縛の腕輪だった。
「私を、あなたが王都で呪術師の話をきいたという奴隷商の元へ連れて行って欲しいんです」
奴隷商の屋敷は、呪術師の宿のすぐ近くにあった。
その応接間に、肥えた商人の野太い叫びが響き渡る。
「ひいいぃ――! か、勘弁してくれ! 今朝この屋敷についてみたら奴隷たちの腕輪が全部外れてて、もう奴隷商からは足を洗うって決めたところだったんだ!」
「いや、今まさに売ろうとしてましたからね。ダメです」
私はおっさんの友人だということにして奴隷商の屋敷に上がり、奴隷商が自分の奴隷たちを安値で買わないかと相談を持ちかけてきたところで、自身の身分を明かした。
すると、一転してこの態度である。クズもここまで極まると、ため息しか出てこない。
「ひとまず、今この屋敷にいる奴隷は、全て解放してください。そのうえで、私の質問に答えてくれれば、多少は罪が軽くなるように、便宜をはかります」
「……ほ、本当ですか……? その保証は……?」
保障、ね。商人が好きそうな言葉だ。
「まあ、別に私はどっちでもいいんですがね……でも、逆に答えて頂けない場合は、罪が思ったより重くなるということも……」
「わかりましたっ! なんでもきいてくださいっ!」
くい気味に答える奴隷商。
……こういう強かさが、商人の世界ではものを言うのかもしれない。
「では、あなたに聞きたいのは一つだけです。あなたはここに、今朝到着した。間違いないですか?」
奴隷商は困惑気に答えた。
「……ええ、はい。そのとおりです。何人かで商隊を組んできたので、彼らに聞いてもらえれば裏も取れるかと……」
「そうですか……。わかりました」
――これで、全ての情報が出揃った。
しかし、だとしたら王女はどうしてあんなことを……。
……いや、そうか。
王女の探偵として、為すべきことを為せ。
私は、王女が私を送り出す時に言ったこの言葉の意味を、ようやく理解した。
「ではあなたは、このまま奴隷を解放してください。ちなみに、もし逃げても分かるように、あなたには魔法をかけておきました。逃げれば、より罪が重くなるだけだということは忘れないように」
「はい……」
私はそう言い残して、その場を去った。
もちろん、そんな魔法をかけてなどいない。
だが、彼には私の言ったことが嘘だと判断する材料も、手段もない。
この国における魔法や呪いとは、そういうものだ。
唯一、探偵という存在を除けば。
* * *
「ただいま戻りました。お待たせしてすみません」
私が呪術師の宿、その食堂へと入ると、全員の視線がこちらへ向いた。
アイラさんは奥の調理室の扉の前に立っていて、それ以外の人は昨晩と同じ配置で椅子に座っている。
「いや、思ったよりも早かったよ」
と辺境伯。その隣には、もう目が覚めているようで、セニスが私に鋭い視線を向けていた。
それは華麗にスルーして、「アイラさんは、こちらの席に」とアイラさんに昨晩私が座っていた席を勧める。
「承知しました」
アイラさんが座ったのを見て、私は呪術師が座っていた、一番奥の席へ。
そして、その椅子に座ることなく、静かにこう宣言した。
「呪術師を殺害した犯人が、分かりました」
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