◆エピローグ◆
19 王女と踊る
「フィリアさん、あなたです」
そう目を向けた先で、彼女は静かに瞑目していた。
しばらくの沈黙ののち、彼女はゆっくりと目を開け……そして、口を開く。
「流石です。……とはいえ正直、こうなるだろうとは思っていたので、あまり驚きはないのですがね」
そう言って、彼女は小さく笑って見せる。
その声は、驚くほどに清らかで美しかった。
「どうして、と訊くのはやはり野暮ですか?」
「いえ、そんなことはないですよ。ただ……大体は察しがついておられるのでは?」
逆に問われてしまった。
実際、根拠もほとんどないけれど、大筋の予想はできている。
「……亡くなった弟さんのための復讐……といったところでしょうか」
「さすが、やはりお見通しですかぁ」
「あなたは姉弟で活動する吟遊詩人だった。あなたが呪いを受けたのは、王都でのこと。……偶然、私の主人である王女もお二人のことを見に行っていました。そしてその時に――、呪いを受けた」
「へえ、王女様が。でも、そんな方が来ていたら、騒ぎになっていたのでは……? あの方の人気はすごいですし、知らない人の方が少ないと思いますが」
「……そうですね。まあ、偶然気付かれなかったのでしょう」
これは、嘘だ。
王女が素顔のまま城下に降りて、気付かれないなんてことはほとんどない。
あの日王女は、「理外の力」を使っていた。
フィリアさんは、それに恐らく気付いたらしい。
「――ああ、なるほど。あの時の『知り合いに同じ特異体質の者がいる』というのは、王女のことでしたか。どうりで、お詳しいはずです」
「そうかもしれません」
あまり吹聴するような内容でもないが……不可抗力だし、仕方がないだろう。
彼女が察したとおり、王女は、顔の造形を自由に変えることのできる特異体質、「変相」の持ち主だ。
だから私はあの時、食い逃げ犯の特異体質を、あれほど事細かに言い当てられた。
「……話が逸れましたね。王女がフィリアさんたちを見に城下へ降りた日、グラムル氏は王女に呪いをかけ、恐らくはそのついでに、フィリアさんにも呪いをかけたのでしょう」
「全くもって迷惑なはなしですね」
「であれば、その時点で、弟さんは生きていたはず。しかし、あなたは昨夜、弟さんの骨を食べ、血縁の加護を習得した。つまり、フィリアさんが呪いを受けた後、何らかの理由から、弟さんは命を失ったものと考えられる。……そして恐らくそれは、グラムル氏がフィリアさんに呪いをかけたことに起因する死だった。……だからあなたは、弟さんの死の復讐のため、グラムル氏を殺した」
間違っているかもしれないが、これが私の導き出した答えだ。
彼女は間違いなく、やさしい人だ。そんな人が、ただ自身の呪いを解きたいという理由だけで人を殺めるとは、どうしても考えられなかったから。
「……すごいですね。まるで心を読まれてしまったかのようです。イマジカさんの仰ったことは、ほとんど正解です」
「ほとんど、ですか」
まだ見逃している点があっただろうか。
「ああいえ、これは推測のしようもなかったことですよ」
その場の誰もが、彼女の言葉に耳を傾けた。
あのライルですら、彼女の語る動機を、静かに聞いていた。
――彼女の弟は、生れつき目が見えなかった。
その代わりに、彼には音楽の才能があることがわかったのは、塞ぎこみがちな彼に、フィリアさんが手作りの弦楽器を自らの演奏によって音楽を聴かせたことがきっかけだった。
その時彼は必死で練習して覚えたフィリアさんの演奏を、ほとんど感覚だけで再現して見せたらしい。
目が見えなくても鍵盤の位置さえ体に染み込ませれば外でも演奏が可能な楽器を選んで、フィリアさんと共に吟遊詩人としての生活を送るようになった。
人の心を震わせる見事な演奏技術を持つ弟と、その演奏を清らかな美声で詩いあげる姉。
地道に活動を続けるうち、二人の名は、静かに、しかし確実に、国中に轟いていった。
……ようやく活動が軌道に乗ってきて、王都での巡業も成功を収めた日。
フィリアさんたちは次の目的地へ向けて、急いで王都を発つつもりだった。
フィリアさんは普段からそんなに口数の多いほうではなく、その日も演奏後、会話なく手をつないで王都の大通りを、国の入り口である門に向かって歩いていた。
そんなとき、二人の前に、大勢の人混みがみてとれた。
広場にいい場所を取れなかった行商人たちが通りで包みを広げて商品を売り出したらしい。……厳密には違法だがよく見られる光景で、黙認されている。
人混みはしばらくやみそうになく、門に向かうにはその人混みを抜けるしかなかった。
フィリアさんは手をしっかりと握ってその人ごみに身を投じたが、途中、時間限定の安売りが始まったところで人々の熱気はピークに達し、肩がぶつかった衝撃でその手を離してしまった。
……普段であれば、手を離してしまった際は、声をかけて状況を伝えた。
でも、その時、フィリアさんはようやく気付いた。
自身が、声を出せなくなっていることに。
弟さんは状況を飲み込めず、ただただその人混みの外へ外へと押しやられていく。
フィリアさんは必死に声を出そうとしたが、どうしても声が出ない。
弟の姿を追うも、丁度人込みの中心でのことだったため、縫って歩けるほどの隙間もなかった。
それでも少しずつ近づいていったところで、弟さんはついに、人混みの中から大通りの中心へと弾き出された。
転んだようで、人に隠れて姿が見えない。
だめだ。そこは危ない。
大通りの中央は、馬車の通り道だ。
必死に人混みの外へ向かった。
そしてついに、人混みを抜けたところで――
「弟は、馬車に轢かれたのです」
馬の蹄に押し倒され、車輪に轢かれ、その衝撃で石畳に頭を強く打った。
弟さんが再び息を吹き返すことはなかったそうだ。
彼女は弟の亡骸をその腕に抱いて泣いたが、声は出なかった。
* * *
「私が悪かったんです。もっと早く、呪いを受けていることに気付いていれば、あんな人混みの中を行こうとは決して思わなかった。人混みの中で離れたとしても、それを伝えて、なんとかとどまって貰うこともできた。でも……だからって、あの呪術師に……何の罪もなかったなんて思うことも、私にはできなかった。間違っていても、どれだけ醜くても、私はあの日から、復讐のことだけを考えるようになってしまったんです」
虚空を見つめてそう話す彼女にかける言葉を、私はなにも持っていなかった。
中途半端な同情も、慰めの言葉も、今の彼女には空しく響くだけだろう。
だからといって、私には彼女の行いを非難する資格もないし、そんな気持ちにも到底なれない。
……私だってあの時、妹が殺され、感情の赴くままに領主を殺そうとしたのだから。
ただ、私にはそれを止めてくれる言葉があった。
私と彼女には、それだけの違いしかないのだから。
それに――
「いえ、あなたは決して、復讐のことだけに心を支配されていたわけではないはずです」
「……どうしてそんなことが言えるんです?」
彼女はテーブルに拳をたたきつけて身を乗り出す。
彼女の目がはじめて、私を向く。
その目には、静かな怒りと、憂いがあった。
中途半端な同情はいらない。そういうことなのだろう。
でも、私には確信がある。だったら、それを伝えなければ。
「だったらどうしてあなたは、ナイフの血を拭わなかったんですか?」
その問いに、その場の誰もが、はっと息を飲む。
「どうしてあなたは、死体をそのまま放置したんですか?」
私は彼女の答えを待たない。
「どうしてわざわざ、利き手でない右手で呪術師を刺したのですか?」
……彼女は楽器を演奏しているときも、食事のときも、左手を使っていた。
「確かにそうだね。それらは別に、難しいことじゃなかったはずだ。ナイフに至っては、利き手で扱った方がいいにきまっている。……でも、君はそれをしなかった」
辺境迫が、優しい口調で言い添える。
そうだ。この事件にはもともと、本来は潰せるはずのヒントが多すぎた。
「少なくとも、呪術師を右手で刺したというヒントがなければ、この事件の容疑者からライルくんが除外されることはなかったかもしれない。つまり、あなたは意図的に、まだ子供であるライル君を容疑者からはずすため、あえてヒントを残したんです」
私の言葉に、彼女は大きく目を見開いて、ため息をついた。
「……そんなことまで、お見通しですか」
彼女はライルに目をやって、小さくつぶやいた。
「ライル君の姿がね――小さい頃の弟に、重なるんですよ」
こうして、雪と氷の町で起きたこの事件――呪術師殺人事件は、幕を閉じた。
辺境迫の呼んだ兵士に連れられていくフィリアさんを見送りに宿の外に出れば、朝の底冷えするほどの寒さは既に失せ、優しく暖かな日差しが、前庭に降り注いでいた。
* * *
「旦那。旦那ってば、起きてくださいよ」
「んあ」
野太いおっさんの声で目が覚める。素敵な目覚めだ。
「もうすぐ着きますぜ」
王都までの道のりを、私はまたおっさんの馬車に同乗させてもらうことで辿っていた。
「相変わらず早いですね」
「奮発して買った魔法の蹄鉄ですからねぇ……。ところで、今回もお見事だったそうで。流石です」
クランブルクで起きた呪術師殺人事件。その事件は、王女の探偵により解決された。
……そのことを知っている人はあの時宿にいた人たちを除けば、兵士くらいしかいないはずなんだけど……。
「さすがに、商人の耳は早いってことですか」
「そりゃもちろん。少なくない金を払って、兵士さんから全部聞かせてもらいましたよ。王都への土産話には丁度いいですし、その旦那があっしを頼ったってことと合わせて触れ込めば、あっしの商売もちっとはやり易くなるってもんですからね!」
がははと笑ってみせるおっさん。
悪い人ではないが、やはり根は商人なのだということだろう。商魂たくましいことこの上ない。
まあ、本人を目の前にしてそこまであけすけに語ってみせるところが、なんとも憎めないところでもあるんだけど……。
「それはいいんですが……今回の事件は、できればその内容についてはあまり触れ込まないでもらえると有難いですかね」
「……ほう。そりゃまたどうして」
ここで下手なことを言えば、「王女の探偵が事件の内容を隠したがっている」という情報として商人たちをはじめとするゴシップ好きの者たちの会話に上ることになる。かもしれない。
このおっさんに限ってそんなことは無いかもしれないけれど、酔いの流れでということもある。注意するに越したことはない。
——商人が欲しがるのは、情報。
ある情報を隠すには、別のインパクトある情報で、その情報を塗り替えてしまうのが手っ取り早い。
「私、犯人だったフィリアさんのこと、好きなんですよ」
「……ええっ!?」
「好きな人の起こした事件を吹聴して欲しい人なんて、いるはずがないでしょう?」
「は、はぁ……」
これで、もし仮におっさんが酔いに任せて口をすべらせるとしても、それは事件の内容ではなく、王女の探偵の恋愛事情に関するゴシップだろう。
そんな毒にも薬にもならない情報であれば、仮に漏れたとしても問題はない。
別に誰からどう思われようと、私は一向にかまわないし。
「旦那、そっちの趣味があったんですね……確かに、かっこいいからなぁ……」
「はいはい、ありがとうございます」
「いや、ほんとに褒めてますからね!」
未だに旦那呼びなところには目を瞑って、私は馬車の中に寝転ぶ。
……そうだ。あの事件の詳細をあまり広めることはできない。
あの事件の犯人は確かにフィリアさんだった。
呪術師グラムルにナイフを突き立て殺したのは、フィリアさんだ。
……彼女が呪いの解き方を知っていたのは、きっと偶然だ。
それ以上考えることをやめようとしても、頭のどこかでは、まだ仮説を組み立てている自分がいる。私はその仮説を全て否定し、それ以上そのことを考えないようにする。
本当に、全部偶然なのか?
――そうだ。
あの時、解呪方法を唯一見出した私の母が死んだとき、王女があんな辺境の村に来ていたのも?
――偶然だ。決して、その解呪方法を暴きに来たわけじゃない。
王女から手渡された短剣の裂傷の呪いがグラムルによるものだったのは? 彼女は最初から、自分に呪いをかけたのはグラムルだと知っていたのでは?
――偶然だ。きっと王女も誰かから貰い受けたんだ。
フィリアさんに呪術師の場所を教えたのは誰だ?
――そんなことはどうだっていい。
そのとき、呪術師の場所を教えた人物は同時に、呪いの解き方を教えたのでは? そして王女なら、顔を変えて接触することも容易だったのでは?
――だとしても、それは王女とは関係ない。
……この事件でグラムルが死んで、一番得をしたのは?
――彼に呪いをかけられていた人なんてたくさんいるはず。得をしたのは、王女だけじゃない。
……だったらなぜ、王女は私を、『王女の探偵として為すべきことを為せ』なんて迂遠な言葉で送り出した――?
……私はもう、否定することをやめた。
否定すればするだけ、私の中には澱のように、それらの問いが溜まっていくだけだから。
……そうだ。そもそも王女のあの言葉があったから、私は、この事件の詳細を多くの人に知られないようにしていた。
王女のあの言葉があったから、例えこの事件が、どこかの誰かがフィリアさんを誘導したものだったとしても、その誰かを突き止めることはやめて、フィリアさんだけを犯人として告発した。
グラムルが私に呪いをかけたと勘違いしていたのは、恐らく、王女が「変相」を用いて私の顔に化けて城下へ降りていたからだ。
彼女は呪いを解く方法を知っていたけど、今、冤罪問題で国民が敏感になっている中で、王族である彼女が直接誰かを殺すことなどあってはいけないし、そもそもどんな呪いをかけられているのかも定かではない中で、呪術師に自ら接触することなんてリスクが大きすぎる。だから彼女は、自分に代わって呪術師を殺してくれる「人形」を探し、唆したのではないか……。
まあ、所詮、今の段階では、全ては想像だ。そうじゃない可能性だって、もちろんある。
……王女は、この国に必要な人だ。
私の目的を果たす上でも、彼女を失うわけにはいかない。
だったら、王女の探偵として、この事件のことをこれ以上掘り起こすことはしないほうがいい。
私の本能が、そう告げている。
そこで、おっさんの声が私を意識の底から引っ張りあげる。
「お、見えてきましたよ。今日は一段と綺麗ですね」
窓から見れば、遠くに、ぼんやりと青白い光が見えた。
魔力の満ちた王都が、淡く光っている。
「綺麗、ですね」
私は、魔法で冷凍保存した小さな箱を見る。
まだ中のヘリオトロープは、溶けてはいないだろう。
とはいえ、王女に見せるまで持つかどうかは、微妙なところだ。
「もう少し急ぎたいですね」
「えっ、でもあっしにはこれ以上は……」
「貸してください」
おっさんの横に腰を下ろして、鞭を受け取る。
おっさんがするよりも優しく、腿の辺りに鞭を入れる。
すると、馬が嘶きとともに、更に速度を上げた。
「うおっ!? ちょ、ちょっとこれは早すぎるんじゃあ!?」
「これくらいが丁度いいですよ」
これくらい速いほうが、余計なことを考えずに済んでいい。
周囲の景色が勢い良く流れていく。
それはまるで、舞踏会で踊ってでもいるかのようで――
(……そうだ、私は踊ろう。どれだけ道を踏み外そうとも、一度決めた目的のために。ただし……今度は決して王女の手のひらの上じゃなく、王女と一緒に――)
「私は、王女と踊ろう」
「ん、何か言いましたか?」
「いえ、なんでも」
探偵は、王女と踊る。
これがこの国の――
クリスタ王国の、探偵事情だ。
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