◆問題編◆

 2 王女の探偵

 長く厳しい仕事を終えて約一月ぶりに戻った王宮は、静けさに満ちていた。

 まずわたしが向かったのは、わたしがいない間、あるじ――つまり王女の世話を担当していた王宮付きの女官のいる使用人部屋。その一室で、わたしは女官から残りの仕事を引き継いだ。そして王女の居場所を問うと、


「クリスタ様でしたら、今は沐浴中です」

「あれ? 今日戻ると先にお伝えしていたはずですけど……」

「だからこそだと思いますが?」


 女官は小さめのため息と共にそう呟くと、「まあ、そういうところが見ていて飽きなくていいんですがねぇ」と呆れ半分にやにや半分といった顔で去っていく。そして彼女は部屋から出て行く際、「そういえば、一つだけ。あえてわたくしからはお伝えしなかったことがありますが……、それはご本人の口からお聞きになってください」と言い残していった。

 いろいろとよくわからないが、ともかく王女は沐浴中らしい。私も使用人部屋を後にし、沐浴場へと足を向ける。



 沐浴場の外から「ただいま戻りました」と声をかけると、ちゃぷんという水音とともに、「あら、思ったよりはやかったわね。お帰りなさい」とゆったりとした声が返ってくる。

 久々にきいた主人の声。聴く者の心を虜にしてやまない澄んだソプラノが、沐浴場に静かに木霊する。

 沐浴場の中ですべての執務をこなして見せたという逸話すらあるくらい、彼女は沐浴の時間をこよなく愛している。特に今日のように月の綺麗な夜には、沐浴場の天窓から見える星空と月を眺めての長湯に興じるのが常だ。

 わたしはそれを知っているので、


「報告は、沐浴の後とさせていただきますね」


 その邪魔をしないようにとそう進言する。

 たとえ彼女が沐浴場の中でも執務をこなすことがあったとはいえ、そうしないに越したことはないだろう。相応の事態であればそうするだろうが、今回はただの結果報告でしかない。沐浴のあと、彼女の髪を乾かしながらしたって遅くはない話だ。そう思ってのことだったのだが――意外にも、彼女の返事はこうだった。


「いいえ、このまま報告をお願い。もうすぐ出るわ」

「……わかりました。……ご無理をなされているわけではないのですね?」


 彼女が、この綺麗な月夜を楽しむ間をすら惜しんでいる――。

 それはつまり、何か相応の事態が、彼女の身に起きているということに他ならないだろう。もし彼女の身体に異変が起きていて、わたしの報告のために無理をしているようであれば、……たとえ王女の判断でも、それは止めなければならない。


「さすが、相変わらず察しがいいわね。でも、大丈夫よ。無理はしていないわ。……報告を」


 ……だが彼女はわたしの意図を汲んだうえで、無理はしていないと言っている。であれば、それ以上の詮索は野暮というものだろう。全く察しがいいのはどっちですかと心の中で呟きつつ「承知しました」と了承の意を伝え、報告を始める。


「ではまず、今回の調査結果についてですが……やはり、国王が断行した死刑は、冤罪でした」

「ふうん。どうして? 『彼』はいつもほとんど一人で行動していて事件当時もアリバイは無く、また『狼男』だったのでしょう? そして、くだんの事件『王族殺し』の犯人は、狼男だったことが目撃されているわ」


 滴る水音と共に、彼女の声が聞こえてくる。試すような言葉とは裏腹に、その声音は、どこか楽しげだ。

 国王派の言い分が、これからどうやって否定されるのかを楽しみにしているのだろう。


 ――王族による封建的政治が布かれ表面的には一枚岩となっているこの国は今、その実大きく二つの勢力に分かれている。

 血統を重んじ、前国王の嫡男である現国王こそが絶対的な君主であるとする現国王派。

 それに対し、前国王の第二子、現国王陛下の妹君を擁する、つまり王女派。

 これだけきくと後者が傀儡政治のための道具として担ぎ上げられているように感じられるが、実際には全くの逆。

 善王であり賢王でもあった前国王――。

 その善性は、現国王が強く受け継いだ。

 ……しかし、その善性はあまりに幼稚で、あまりに未成熟だった。

 彼は争いごとを好まず、自ら政治に手を出すことをただ恐れている。また才にも恵まれなかったため、今はほとんど全てのまつりごとを、宰相に丸投げしている状態にある。……つまり厳密にいえば、現国王派は、別に血統を重んじているわけではない。表向きはそういうことにして、その真意は単純に、現国王を傀儡としてこの国を動かすことのできる宰相に付き従う「宰相派」というわけだ。……しかし、その宰相の行う政治は、あまりに独裁的だった。一度は廃止された「奴隷制」の再制定さえ目論んでいるとの情報すらある。

 対して王女は、前国王の賢性を強く受け継いだ。

 彼女は前国王からの信頼も厚く、表向きは前国王が制定した「探偵制度」についても、その草案は王女が提出したものだった。

 器という意味では現国王よりも遥かに国王の座に相応しいとする者たちと、宰相の独裁的な政治に反感を抱く者たちによってその体を成すのが、王女派。

 王女派は、愚王による丸投げ政治と宰相による独裁政治に耐えかね、その国のあり方に幾度となく苦言を呈し続けてきた。しかし宰相はもちろん、国王もそれにまともに取り合わなかった。そもそも、国王と王女が良好な関係を築けていたなら、国王は王女に助力を請えばよかったのだ。それをしなかったのは偏に、前国王が生前、王女の才をこそひどく認めていたことに対する劣等感があったから。その劣等感を宰相が煽り、利用し、この対立構造を作り出したのだ。


 ところで。王女の言った『王族殺し』とは、半年ほど前の満月の夜、突如として王宮に狼男が現れ、警戒にあたる兵士を軒並み退け王女派の王族ばかりを殺して回った事件のことである。


 狼男とは男性にのみ発現する「特異体質」であり、満月の夜になると平時の倍ほどに身体が巨大化し、更には半人半狼の姿となるというものだ。

 狼男は最終的に王宮の王女の部屋にまで押し入って、私がなんとか退けたけれど、一歩間違えれば、王女の命もその時絶たれていただろう。

 あの時――狼男と対峙し、あまりの膂力に私もじわじわと劣勢に立たされた。

 が、丁度その夜、私は王女から護身用として「裂傷の呪い」が付与された短剣を受け取っていた。

 だからわたしは一か八か、大見得を切った。


『このまま戦い続ければ、十中八九わたしたちは殺されるでしょう。……でも、ただでは殺されません。あなたにも、決して軽くはない傷を負わせます。そして、この短剣で負った傷は、決して塞がることは無い。そうなれば、流石のあなたも遠からず、血が足りなくなって死ぬことになる』

『……そんな馬鹿げたことが』

『嘘だと思うなら、自慢の治癒力でその額の傷を塞いでみてはどうですか? きっと、できないはずですよ』


 狼男は身体に力を込めて、傷口を塞ごうとした。だが、それは叶わなかった。

 、本当だ。

 塞がらない傷を認め、彼がその場を退いてくれたのは幸運と言うほかなかった。正直に言って、あのまま戦い続けて本当に、彼が将来的に失血で死に至るような傷を負わせることができたかどうかはわからなかったから……。それほどまでに、狼男の膂力と技量は圧倒的だった。それは、例え彼が狼男でなくとも、勝てるかどうかわからないほどに。


 ――だから、その狼男が翌日あっさり拘束されたと聞いた時には耳を疑った。


 彼は国王の名のもとに即日処刑台に送られた。

 しかし首を落とされたその罪人の額に、傷はなかった……。

 つまり国王が断行したその処刑は、別人を狼男としてでっちあげただけのものである可能性が高かった。そしてそれが意味するのは、あの狼男の襲撃は、国王派の差し金によるものだったということ。国王派はそのことを悟られないために、足のつかなそうな適当な人間を犯人としてでっちあげ、国王自らそれを裁くことで、あたかもこの狼男の襲撃に自分たちは関与していないという態度を貫いているのだ。

 ここで王女派がなんの根拠もなく国王派に対して報復なりといった攻撃的な行動に出れば、国王派はそれを厳しく糾弾するだろう。国民には、「王女派から先に手を出した」ということにして。

 だから私は、その事件の真相を、ここ数ヵ月の間追い続けた。

 彼の働いていたという鉄工所で聞き込みを行い、唯一彼が親しくしていたという気弱そうな青年から、彼が南方の村の教会に仕送りをしていたという情報を得た。

 あとは処刑の瞬間を見ていた絵描きによる似顔絵だけを頼りにその村、そして教会を訪ねた。

 そんな気の遠くなるような調査と長旅の末わたしは、彼ら国王派の浅慮とその非道を咎める方法を、ついに見つけ出した――。



「私の『眼』は、死んでしまった人間の能力を確認することはできません。ですから今回は時間がかかってしまいましたが……ことを、ようやく突き止めることができました」


 たったそれだけの説明で、聡明な王女殿下は全てを悟ったようだ。


「へえ……なるほどね。確かに、最後の泣き顔までをしていたものね。、今回の事件は彼女の仕業であるはずがない」

「ご明察です。……今回死刑にされたのは、男性ではなく女性でした。彼女は稼ぎのいい男性向けの仕事を受けるため性別を偽っていたのですが、国王派はそれをよく確かめもせず、彼女がこの国の人間ではないため足が付きにくく、反体制派の集会に出席していた過去があり動機も十分であるという理由から犯人として摘発し、処刑したのでしょう。遠く南の町にある彼女が育った孤児院の責任者が、彼女が女性であることを証言してくれました。その土地の教会に、記録も残っています。いつも一人で行動していたのも、素性を探られないようにするためでしょう。そして――」


 一拍置いて、続ける。


「そしてです。今回の襲撃の犯人が、女性であるはずがありません。それをご命令通り、既に王女派とは関係のない別経路からの情報として民衆に喧伝済みです」


 少なからぬダメージはあるだろうが、もちろん、ただのデマだということで国王派はその噂を否定するだろう。どうせそうなるのならば、わざわざこれほどの労力を要して真実を突き止める必要もなく、本当に憶測を働かせただけのデマを流すだけでも効果はそう変わらなかっただろう。

 だが、王女は言う。『正攻法を踏むことが重要なのよ』と。

 確かに短期的に見れば無駄な労力に見えるかもしれない。が、中・長期的に見て、真実を見出すことには必ず意味がある。


『正確でない情報は、いつか綻びが生じるものだから』


 これは、彼女の口癖だ。


「……これで、お兄様の王位もますます危ういわね?」


 王女が楽しそうに言う。

 国王派と王女派の争いはこれまで、あくまで議論の場で、牽制的動きを取り合うにとどまっていた。

 そもそも、王女派には必要以上に事を荒立たせるつもりはなかったのだ。国王は今はまだ愚王だが、権勢欲が人一倍強いわけでも過激な思想を持っているわけでもない。根のところはあくまで善良な人物だ。彼が手に余る判断を宰相に一任していることから現在のような対立構造を招いているが、国王が育ち、宰相に任せきりにせず自身の尺度で善悪を判断するようになれば――、王女派とて話し合いの余地は十分にあると考えていた。

 そして国王派も、これまでは少なくとも強行策に打っては出なかったことから、同じような未来を描いていると考えていた。

 だから、国王が育つまでは、国王派と王女派が睨みを利かせあい、決定的な崩壊を招かないように立ち回っていく――。

 少なくとも王女派は、それが現状における最善手だと考えていた。

 だがそれは、今となっては楽観的すぎだったと言わざるを得ない。今回の一件で、国王派はその不文律を破った。

 ……いや、そもそもそんな不文律など、最初から存在してはいなかったのだ。

 この一件以降、王女派は考えを改めた。

 このままでは、国王が育つ前に宰相らによって王女派は排斥され、王宮は宰相派の人間で埋め尽くされ、いずれは国王も殺されてしまうだろう。であるならばその前に、王女の手によって王位を簒奪する必要がある、と。

 たとえ王女が簒奪者の汚名を被ることになっても、今の宰相たちにこの国の実権を握らせてしまうよりはいい。だからなんとしてでも現国王の威信を失墜させる必要があり、様々な策を巡らせる中、私はその一手として、国王の名のもとに断行された死刑が冤罪であった可能性について調べていたのだ。



「ありがとう、イマジカ。あなたが狼男に傷を負わせてくれなければ、ここまで時間をかけて調べてみる価値があるとは、私も含めて誰も考えなかったでしょうね」

「とんでもないことです。あの時私が狼男を捕らえられてさえいれば、クリスタ様の命を危険に晒すことも、こうして無駄な時間を費やすこともなかったのですから。……申し訳有りません」

「またそんなことを言って……あなたがいなければ、私は殺されていたのよ?」

「ですが……。いえ、そうですね。すみません。でももし次に相対した時は、必ず捕らえてみせます」

「ふふ。期待しているわ――」


 彼女はそう言いつつ、少しずつこちらに向かって歩いてくる。決して彼女に目を向けないよう出入口の壁に背を預けているが、足音と、身体から滴っているのであろう水音でわかる。その艶めかしさが、私の思考を白く濁らせる。彼女は沐浴場の中、出入口のすぐそばで立ち止まった。


「……それはそうと、イマジカ。あなたに一つ、聞いてもらいたいお願いがあるのよ」

 ……それがどんな願いだったとしても、私には、それを断ることなどできはしない。

「はい、なんなりと」


 私がそう答えると、彼女は「もう、そうやって仰々しいのは苦手だって言ってるのに」と苦笑しつつ、


「王都から北に行ったところに、『クランブルク』っていう小さな町があるらしいのよ」

「はい」

「そこにね、ある呪術師がいるらしいの」

「……呪術師、ですか」

「ええ。……あなたに、その呪術師のところへ行ってきてほしいの」

「……それはもちろんかまいませんが…………理由を聞いても宜しいですか?」


 私の問いに、彼女は沐浴場から出て、私の目の前に立つことで答えた。

 誰もが羨む美貌に、まるで宝石のような輝きを放つブロンズの髪。その美貌は世界に轟き、国民人気は国王よりも圧倒的に王女の方が高い。この国で、彼女の名と顔を知らぬ者はそういないだろう。

 そんな彼女の肢体は湯に濡れていて、髪も身体にぴったりとくっついている。とはいえ、それは異変ではなく今が沐浴の後だからだ。

 病的なまでに細いその身体は元からだし、胸元の血管が透けて見えるほどの白さも、元からだ。

 それがえも言えぬ艶めかしさを放っているのも、元から。

 しかし、一つだけ、私が一月前に見たときにはありはしなかった異変が、彼女の身体にははっきりと表れていた。


「そ、れは……」


 言葉がうまく出なかった。

 彼女の身体。その右胸の上部には、淡く赤黒い光を放つ、黒薔薇の紋様が浮かび上がっていた。

 ……わたしはこれを、見たことがある。「裂傷の呪い」が付与された短剣。その刀身に、これと同じ紋様が浮かび上がっていた。


「しばらく前……王都にね、二人組の吟遊詩人がきていたのよ。それをこっそりみにいった日の帰りに、ね」


 彼女は、まるでいたずらを咎められることを恐れる子供のようにぽつりと言った。


「呪いを受けたのよ」


 呪い――。

 ある程度体系的にその種類や効果が整理されつつある魔法とは違って、呪いはその全容のほとんどが未だ謎に包まれている。特に、呪いにかかった際の対処方法としては、「呪いをかけた呪術師による解呪」以外の解呪方法が未だ解明されていない、――とされている。少なくとも、私がこの王宮で施された英才教育の過程では、その方法しか教えられていない。

 呪いをかけた呪術師の目的は不明だが、呪いには、それを行使する側にも大きな代償が伴うときく。ゆえに、ただの暇つぶしに呪いをかけた、ということは考えづらい。往々にしてあるのが、呪術師側から接触があり、多額の「解呪金」を迫られるケースだが、


「解呪金の要求は」

「今のところ、ないわ」


 呪術師側からの接触がない場合、呪術師は既に、その呪いに対する報酬を何者かから得ている可能性が高い。

 だから、呪いにかけられ、呪術師からの接触がない場合、まずは、誰にどんな呪いをかけられたのかを調べる必要がある。


「外へ出るなら能力を使えとあれほど口を酸っぱくして言ったと思うのですが……」

「ええ、きちんと使っていったわよ。――それでも、私は呪いにかけられた」


 つまりそれは、彼女の能力を知っている、もしくは、使、ということになる――。

 まあ、どちらにせよ、穏やかなことではない。


「明日……いえ、これから発ちます」



 わたしは、急いで身支度を整えた。

 と言っても、今しがた旅から帰ってきたばかりだったから、ほとんど時間はかからなかった。王宮を出る前にもう一度彼女に挨拶をと思い探していると、彼女は前庭の花壇の前にあるベンチに腰を下ろしていた。

 彼女は、沐浴と同じくらい、花が好きだ。


「ではリーリア様、クランブルクにいるという呪術師が御身に呪いをかけた呪術師なのかどうか、確かめて参ります。何か、それ以外にご要望などあれば」


 そう最後に確認すると、彼女は、私にこう指示した。


「その呪術師と、その身の回りに起きること、それを全て詳らかにして頂戴。あとは……そうね」


 いたずらっぽい笑みを浮かべ、こう言った。


「『王女の探偵』として、あなたが為すべきことをなしなさい」


 ――この国には、王女が草案を提出し、前国王が設置した「探偵」という官職が存在する。

 この世界で物事の真偽を見定めることは、非常な困難を伴う。それはひとえに、魔法や呪い、特異体質といった「理外の力」――、それら不確定要素が跳梁跋扈し、それを他者から推し量ること、或いはそれを自ら証明することが基本的には不可能だからだ。

 ……だけど、私にはそれができる。

 私の持つ眼には、そういう力が宿っている。

 彼ら王族は、その力――他者の「理外の力」を読み取り、そして出力することができる特異体質、「真実の眼」を持つ者たちを国中から集め、英才教育を施した。

 その第一号が、私。


「もちろん、土産も忘れずにね。向こうでは、氷のヘリオトロープが咲くというから」

「――承りました」


 私は、王女の「探偵」だ。

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