4 火葬の理由

 すっかり日が落ち、街には魔法の光が灯り始めている。

 街に張り巡らされた水路がその光を淡く反射している様は、かくも幻想的だ。

 そして私たちはそんな情緒あふれる水の都の街を、公爵家の館に向けて全速力で走っていた。その理由は――、


「なんでセニスさんが水路に落ちるんですか!? 火葬式に間に合わなくなりそうじゃないですか!!」


 そう。私に注意を促したあと、次の曲がり道で、あろうことかセニス自身が水路に落ちたのだ。


「悪かったって何度も言ってるだろ! それに狼男は、肉の匂いに目がないんだよ! 見ただろ、あの露店に吊るしてあったうまそうな肉! どうしても目で追っちまうんだよ!」

「そんなこと言って、本当は綺麗な女性に目を奪われていたんじゃないですか!?」

「んなわけ……つーか仮にそうだとしても、もし目が奪われるほどの美人ならそれはそれで仕方ないだろ!」

「た、確かに……? って、それはつまり、常に隣を歩いているはずの私には、目を奪われないってことですよね!? 失礼な人だな!」

「さっきから何言ってんだお前は!? いいからもっとはやく走れ! 置いてくぞ!」

「なっ……!? 私よりもちょっと速いからって調子に乗って……!」

「事実だからしょうがないだろ!」


 む、むきーーーっ! とかなんとかやってる間に、目的の館の門が見えてきた。


「夜の稽古で、ぜったいギャフンと言わせてあげます……!」   

「はっ、できるもんなら」


 自分のせいで遅れているのにこの不遜ふそんな態度、そしてこの余裕……!


(ぜ、絶対に後悔させてやる……!)


 と心中で息巻いて、せめてもう一言何か言ってやろうと口を開きかけたとき、


「おっと……」


 私たちが門を走り抜けるのとほぼ同時。横合いから一人の女性が走ってきて、セニスにぶつかりかけた。

 セニスがなんとか止まって衝突は免れたが、ぶつかりかけた女性は何も言わず、そのまま門の外に走り去って行く。 

 私たちは振り返って、その後ろ姿に目を向けた。

 身に着けた質のいい服からすると、この屋敷の使用人というわけではないみたいだけど……それ以上に気になったのは、


「……泣いてたよな?」

「ええ……」


 そうだ。ぶつかりかけた際、驚きに一瞬見上げた彼女の顔は確かに涙で濡れていた。


「なんだったんだ……」

「さあ……」


 私たちが揃って首をひねっていると、背中に声がかかる。


「お二人とも、お待ちしておりました」


 振り向けば、館の家令である老紳士がいた。


「ささ、場所は館の近くにある火葬場です。が、その前に……」


 彼は、私たち――特にセニス――の姿を上から下まで眺めて、続ける。


「お二人は少しお召し物が汚れていらっしゃいますから、まずは館でお着替えになったほうが宜しいでしょう」


 口調は柔らかだが、目が笑っていない。

 ……まあ、当然だよね。


「あ、はい……」

「す、すぐに支度します……」


 私たちは、急いで館に向かった。

 途中、一瞬後ろを振り向いたけれど、そのときにはもう、あの女性の姿は見えなくなっていた。



 * * *



 館で綺麗な服に着替えた後、家令に急かされつつ連れられたのは、先ほど彼が言っていた通り、館の近くにある火葬場だった。

 火葬場といっても、基本的には大きな穴が掘られているだけの場所だ。

 そこに死者のひつぎが並べられて、その上に薪などの燃料がくべられている。

 すぐ近くでは大きな篝火があり、火葬式が始まると、司祭、領主、親族親類、その他参列者の順で、その火を小さな木の棒に移して、大穴の中に投げ入れていくのだ。

 これが、アリューレ教における集団火葬式だった。


 火葬場には既に大勢の人たちが集まっていて、その奥には、教会司祭らしき老人。それに、黒の服に身を包んだヴィスタリア公爵。そしてその嫡男である、杖を持った美男子、ディーン・ヴィスタリア侯爵の姿もある。

 もちろん、公爵が存命である以上ディーン侯爵の爵位は儀礼称号ではあるが、彼もまた父に勝るとも劣らない傑物けつぶつであるとして、既に社交界では有名らしい。


(そういえば昼間は、姿を見なかったなぁ……)


 そんなに長居したわけでもなかったけど、そもそも公爵とやりとりしたあの場に、侯爵がいたとしてもおかしくなかった。というかいない方が不自然な気がするのだが……、外せない用事があったり、どこかへ出ていたりしたのだろうか。

 セニスも気になったようで、


「あの男、かなり鍛えられてるな。……強いぞ」


 などと言っている。……気になっている方向が違う気はするけれど。

 と、そんなことを考えている間に、公爵がこちらに気付いた。


「おっと、今日の主賓しゅひんが到着したようだ。さあ、イマジカくんとセニスくん、こちらへ」


 招かれるまま公爵の下へ行くと、彼は一歩下がり、声を張る。


「さあ。一通りの儀礼は済み、本来なら、残るは火をくべるのみだが……今日はその前に、この二人を紹介させて欲しい」


 集まった人々の視線が、私たちに向く。


「イマジカ・アウフヘーベン。そしてセニス・インベント。二人は、諸君らの大事な者たちを奪った呪具、それを作り出した張本人である、呪術師ヴェンディ確保の立役者だ」


 公爵の紹介に、人々は「あの呪術師を捕らえたのか」とか「お母さんもこれで安心していける……」とか「ありがたや……」とか呟きながら、とりあえずは総じて好意的な視線を向けてくれる。


「本来であれば司祭の次は領主である私が火をくべるのだが、今回はその前に、この二人から、火をくべてもらおうと思う。異論はあるかな?」


 当然、というように、反対の声は上がらない。

 まあ、領主相手にそんな声があげられるはずもないんだけど、恐らくは心から了承してくれているのだろうことが、彼らの表情からわかった。


「――うむ。では、火葬をはじめよう」


 公爵はそう言うと、司祭に目配めくばせする。司祭はゆるやかに頷き、赤々と燃える篝火の中に、近くに並べられた木の棒から手ごろなものを手にとって火を移し、小さく祈りを捧げたあと、大穴にその木の棒を放る。そして、角盥つのたらいから油を匙で掬って、大穴に撒く。

 大穴には最初からある程度油がかれているので、木の棒の火はすぐに、大穴に燃え広がっていった。


「さあ、二人にもお願いしたい」


 公爵が、私たちに次の火くべ役を促す。

 公爵の前に火をくべるなど恐れ多いが、公爵自身がそういうのだから断る理由もないだろう。


「では、失礼します」


 私たちは、司祭に習い、大穴に火をくべた。

 更に勢いを増した大穴の炎がじんわりと肌を焼く。

 そして、大穴のあちこちから、火の赤色に混じってほのかな青い燐光りんこうが漂い始めた。

 火が棺を燃やし、人が燃え始めたのだろう。

 セニスも火をくべ終えたようなので、私たちは大穴から離れる。

 続いて公爵が木に火を移し、祈りの後に大穴に火を投じたあと、角盥つのだらいから油を救って大穴に撒く。

 ……そして司祭が、青の燐光が程よく漂い始めたのを見計らって、朗々ろうろうと語り始める。

 ――これも、この世界の火葬においては決まって行われることだ。


「――ご覧下さい。あの光は、死者の魔力が世界にかえっていることを意味しています。皆さんの大切な人に宿った魔力はその身体から解き放たれますが、同時にこの世界の魔力の一部となるのです。魔力とはすなわち、全ての根源に繋がる理外の力。彼らは世界の一部となって、皆さんのことをいつまでも見守ってくれることでしょう。

 死は別れではなく、魂の昇華、そして救済なのですから……」


 死とはすなわち救済でもある——。

 これが、アリューレ教における基本教義の一つだった。

 ディーン侯爵が杖を頼りに大穴の前まで行き、家令の老紳士に火を付けさせた棒を受け取り、大穴に火を投じる。そして、老紳士が角盥から掬った油を、大穴に撒いた。

 青の燐光が、更に強くなる。


 ――生ある者には等しく、その量に違いはあっても、少なからず魔力が宿っている。そしてその身に宿る魔力は、命が失われた時点ではなくなりはしない。

 魔力を身に宿す者たちがその魔力を失うのは、その依り代である肉体を失ったときだ。


 はるか昔、この国では土葬が主流だったという。しかし今は、宗教的理由ですらなく、法で火葬が義務付けられている。

 それは、体内に魔力を多く持つ人間の死体は稀に死霊となり、生ある者を襲うようになるという事情による(人間以外の動物であれば、魔物となる)。

 死霊化を避けるためには、肉体から魔力を開放してやらなければならない。

 そのための効率的な方法が、火で肉体を燃やし尽くすことなのだ。


 大穴では侯爵が火をくべ終え、親族たちに順番がまわっていた。

 ここからは、一人ずつの投げ入れではなくなる。

 多くの火種が一斉に投げ入れられ、大穴の火は更に大きくなる。


 火をくべ、泣き崩れる者。その場に立ち尽くす者。唇を噛みながら戻っていく者。別れの言葉が告げられず、火を投げ入れられない者……。

 大穴の周りには、大切な人の不条理な死を前に打ちのめされる人々の、悲痛な姿があった。

 そんな彼らを、青い光が優しく照らしている。まるでそれは、大切な人を抱擁するかのように。


「綺麗ですね」

「……そうだな」


 セニスは顔を背けているかと思ったが、その光景をまっすぐに見つめていた。

 —―本当は。

 今日この式に参加するのは、本当は少し心配だった。

 セニスがまた、過去の過ちに苛まれてしまうのではないかと。

 でも、それは杞憂きゆうだったようだ。


「あんな人たちをこれ以上生まないようにしたいですね」

「……ああ」


 短い反応だったけれど、その言葉には確かな力がこもっていた。

 彼はもう、前を向いている。

 今度は奪う側ではなく、守る側になるために――。

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