2 魔法と呪い

「イマジカくん、そしてセニスくん。君たちにはいくら感謝してもし足りない。本当に、よくやってくれた。やはり君たちを呼んで正解だったよ」


 上品だが華美過ぎない身なりの、品のよさそうな痩身の男性。

 昨年五十歳の節目で盛大なパーティーを開いていたはずだから、今年で五十一歳になるはずだが、もっと若くも、年老いても見える、不思議な雰囲気の御仁ごじんだ。

 しかしその眼には、力強い確たる意思が宿っており、そこだけ見ればまるで歴戦の戦士のようにさえ感じられもする。


 ……いや、事実彼は、歴戦の戦士だ。


 王国という大きな戦場を舞台に、派閥同士の争いを、類稀たぐいまれな交渉術とその舌剣ぜっけん遺憾いかんなく発揮して生き抜き、そして勝ち抜き、その結果揺るぎない地位――公爵位――にまで上り詰めた、紛うことなき大人物だいじんぶつなのだから。

 ――そんな、ヴィスタリア公爵が、今、私たちに頭を下げている。

 いや、いやいやいや。


「あ、頭をお上げください! 公爵閣下が私のような者に頭を下げるなど、あの家令長殿が見たら卒倒されますよ!?」


 あまりのことに思わず叫びながらの物言いになってしまったのは、仕方がないだろう。

 公爵はゆっくりと頭を上げて、椅子に深く腰を下ろす。


「ああ、確かに、彼は少し頭の固いところがある。私にない見解を求められるそんな彼だからこそ、傍にいてもらっているのだからね。――だが、今この部屋には私と君たち以外には誰もいない。気にすることはないだろう」


 ヴィスタリア公爵領、港湾都市フィンラム。

 その中心にあるヴィスタリア公爵家の館。

 呪術師ヴェンディの捕縛を終えた私とセニスはその館に招かれ、依頼者であるヴィスタリア公爵に状況を報告し、今に至る。

 通された部屋には、彼が言ったように公爵と私たちしかおらず、なんというか――


(ちょっと不用心過ぎない?)


 そんな私の感情が透けて見えたのかもしれない。

 公爵がテーブルに置いてあるカップを手に取り、それを見ながら言った。


「これはね、王女殿下が私にお贈りくださったものなんだ」

「そうなのですか」


 ……何の話だろう。


「曰く、『信頼と友好、そして対等の証』なのだそうだ。もちろん対等と言うのはあくまで精神的な意味で、ということだろうが……それでも、私はこれを貰った時、嬉しかったよ」

「それが、私たちや王女をここまで信頼する理由、ということですか?」

「それもある。だが、私が本当に王女に畏敬の念を抱いたのは、その後に知ったことによるところが大きい」

「と、いうのは……」

「私はその頃にはもう公爵位を手に入れていたし、王女派の筆頭としても名が通っていた。だからこそ王女は、私にこのカップをお贈りくださったのだと思っていたのだ。……だが、そうではなかった。王女は、王女派に名を連ねる者皆に、これを渡していたのだよ」

「……なるほど」

「――うむ。私が王女派に名を連ねているのは、彼女の掲げる『亜人差別の撤廃』という理念に共感を得たからだ。そして彼女のその行動は、実に首尾一貫性があった。身分にとらわれず、全てのものに平等に接するその姿に、私は畏敬の念を抱き、同時に深い感銘を受けた。――だから私は、彼女の信じるものであれば私も信じると、そう決めているんだ」


 亜人差別の撤廃――。

 それは確かに、王女が永い間夢想してきた目標の一つであり、セニスを私の助手として迎えた際、その理由の一つとして挙げていたことでもある。

 そしてその目標の達成のため、王女と共に腐心する同志として、ヴィスタリア公爵の名が挙げられるのも耳にしてきた。

 そう考えると……もしかすると今回、私だけでなくセニスも呼び寄せた理由の一つとして、亜人である彼のことを自身の目で見て知りたいという意図も少なからずあったのかもしれない。

 だとすると、今日、その亜人であるセニスが自身の兵士の命を助けたことを知って、王女の判断に間違いはなかったと、そう判断してくれればいいんだけど。

 そんな事情を知ってか知らずか、セニスが口を開く。


「王女がどんな理由で俺をイマジカ嬢の助手にしたのか、その真意まではわかりません。でも俺は過去に、大きな過ちを犯しました。その罪を少しでも償うことが、今の俺に許された唯一の救いであり、願いです。そのチャンスをくれた王女を、俺も信頼しています」


 不調法ぶちょうほうともいえる言葉遣いに何度もひやひやしたが、公爵は私に手を向けて、セニスの言葉を遮らないよう伝えてきた。

 そして、全てを聞き終えると彼は大きく頷いた。


「ああ、そうだね。あの人はやはり、私など及ぶべくもない、途方もない謀略家だよ。この私と、そして敵であったはずの君すらも、今ではここまで心を掴まれているのだから」



 * * *



「――呪具と魔法具の違い、ですか?」


 昼と言うには遅く、夕方というには早い時間帯。

 ヴィスタリア公爵との話を終えて、私たちは街へと繰り出していた。


 訪れているのは港湾都市フィンラム。別名、水の都。

 都市のあちこちに海へと続く細い水路が張り巡らされていて、クリスタと並び称されるほどの美しい街並みとして有名な観光地でもある。

 本来は今日、呪術師を捕らえたあと、そのままクリスタへと帰るはずだったのだが……今夜行われるらしい、呪術師の呪具による事件の被害者たちを弔う「火葬式」に参加して欲しいと公爵から頼まれてしまえば、それを断ることなどできようはずがない。私たちは火葬式に参加し、公爵の館に一泊世話になって明日の朝、クリスタへと発つ運びとなった。であれば、せっかくの観光地を楽しまないのは損というものだ。


 しばらく散策してみれば街は活気に満ち溢れ、あたりに張り巡らされた水路の作り出す街並みは前評判以上に幻想的で、心躍らせずにはいられなかった。

 大きな水路に沿ってできた繁華街、通称〈人魚の通り道〉――名前の由来は、まだ亜人の差別が今ほどではなかった頃、この水路を誰もが目を奪われるほど美しい〈人魚〉たちが通路として利用していたという逸話から――には様々な店が軒を連ねていて、土産物屋で王女への土産を買い、洒落た食堂で紅茶を飲みながら一休みしていると、セニスがおもむろにそんなことを訊いてきた。


「ああ、よかったら教えてくれないか」

「いいですけど、これまた突然どうして?」


 訊くと彼は少し困ったような顔をして、


「まあ、俺も少しは、そういった知識を持っておいて損はないと思って……」


 その声は、どんどんと尻すぼんでいく。


「……ああ、なるほど」


 要するに彼は、今後も助手として私のサポートをする上でもっと役に立つべく知識を欲しているのだろう。

 そう、恐らくは、先ほど垣間見せられた公爵の期待を裏切らないためにも。


(わっかりやすいなぁ……)


「な、何ニヤニヤしてる! 別に、お前が思ってるような理由じゃないぞ! 絶対!」

「いやー、セニス君みたいな人のことを、巷ではツンデレって言うらしいですよ?」

「なっ……!?」


 なんか違う気もするけど、当たらずとも遠からずだ。たぶん。


「そんなことはないし、それにその『セニス君』っていうのもやめろ!」

「いやいや、訊けば私と歳もそんなに変わらないらしいじゃないですか。だったら、同僚との親睦を深めるためにも、呼び方から近くして行かないと。セニス君も、私のことはイマジカ嬢じゃなくて、イマジカちゃんって呼んでくれていいんですよ?」

「い、や、だ。つーか、どこが『ちゃん』なん――」

「あ?」

「いや、なんでもないっす」

「よろしい」


 まったく、危うく短剣に手が伸びるところだった。

 こほんと咳払いして、


「まあ、その話は一旦置いておくとして――、呪具と魔法具の違い、でしたね」

「ああ。魔法についてはまあ、なんとなく知ってる部分もあるんだが、呪いについてはほとんど何も知らないに等しいからなぁ……」

「なるほど。では、簡単なところから説明しましょうか」

「頼む」


 紅茶で舌を軽く湿らせて、説明を始める。


 ――まず、基本的な魔法具と呪具の違いは、その作成方法の違いが挙げられる。

 魔法具はそれ自体に溜められた魔力を消費することでその効果を発揮するのに対し、呪具は所有者の魔力を消費することでその効果を発揮する。

 つまり、魔法具はそれ単体で効果を発揮するのに対し、呪具は使用者が存在しなければ効果を発揮しない。


「言い換えれば、魔法具は魔力が切れると誰かが魔力を込めなければ動作しないのに対し、呪具は使用者の魔力が尽きない限り、その効果を発揮します」


 セニスが、天井を見上げる。


「なるほど。この店の魔法の照明がそれだけで光ってるのと、ヴェンディの〈蠍鎌〉が切り離されて効果を失ったのがそのいい例だな」

「まさに、その通りです。次に――」


 魔法具と呪具にはもう一つ、大きな違いがある。

 それは、〈所有権の移動条件〉だ。

 魔法具や呪具の中には、そのアイテムの所有権を持つ正当な所有者でなければ効果を発揮しないものがある。

 その点については同じなのだが、移動条件が大きく異なる。

 魔法具は互いが合意している状態で触れれば所有権を移動することができるのに対し、のだ。


「呪具の所持や作成が禁じられている理由の一つが、これです。公にされていない仕組みではありますが、知っている者は知っている。だから呪具の周りでは、所有権を巡った殺人というのが少なからず発生するのです」

「……あの兵士が言っていた『犠牲』というのは、呪具そのものによる犠牲だけではなかったってことか」

「そうです。もちろん、呪具そのものによる犯罪や殺人もあったでしょう。ですがそれと同じかそれ以上に、所有権を巡った犯罪や殺人も起きていたはずです」


 呪具はその性質上、存在するだけで争いの火種となる。

 だからこそこの国の法は、その作成と所持を固く禁じているのだ。


「――なるほどな。あの糞呪術師が言うには〈盗人の手鏡〉も二つは売ったって話だったし……、ったく迷惑極まりない野郎だ」

「本当に……」


 そう。盗人の手鏡もまた、所有権の存在する呪具だったから。

 バスティア監獄へ連行される呪術師に、私たちはその場で少しの聞き取りを行った。

 それによると、やはり彼が相当な数の呪具を違法に売買していたことが分かった。中にはまだ行方の知れない呪具の情報も少なからずあったことから、これからもしばらくは呪具による犯罪が増えるかもしれない、というのがその場で出た結論だった。

 そうなると、やはり助手であるセニスにも、呪具の知識が求められる場面も訪れるかもしれない。

 今のところはここまでにしておこうかとも思っていたのだが、もう少し先まで説明しておいた方がいいかもしれない。

 そう思いなおして、


「では、次にもう少し専門的な話に入ろうと――」


 今わかっている中でももう少し高度な内容に転じようとしたとき―― 


「邪魔だ、どけっ――!」


 店の外から、怒声が飛び込んできた。

 続けて、


「誰か兵士を! ――人攫ひとさらいだ!!」「うるさい、黙れっ!!」「ぐああっ!?」


 大勢の人間がけたたましく石畳を踏み鳴らす音。助けを求める叫び声と、また怒声。そして、悲鳴。


(人攫い――!)


 考えるよりも早く、椅子を立っていた。

 見れば目の前でセニスも同じく立ち上がっている。

 私たちは目を見合わせ、

 

「私は攫われている人の救助を優先します。セニスくんは、賊の制圧を」

「わかった」


 役割の確認だけを済ませて、同時に駆けだした。

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