10 雪原に響く
晩餐会が終わり、呪術師が去った食堂。
「グラムル氏がライルくんの服に忍んでいたナイフを指摘しなかったのは――」
私の言葉を、辺境伯が引き継ぐ。
「しなかったのではなく、できなかったと考えるのが自然だろうね」
そう。呪術師は、私と辺境伯の武器の所持を咎め、この部屋にそれらを置いていくようにと指示した。であれば当然、ライルの服に忍んでいたナイフもまた、指摘の対象になって然るべきだった。……しかし彼は、それをしなかった。
――いや、辺境伯が言ったように、しなかったのではなくできなかったのだ。
「すみません、あなたは先ほど、『ご主人様は、この宿の外から持ち込まれたものならば、何がどこにあるのか全て把握できる』と言いましたね」
私は、給仕の――というか、使用人の女性にそう訊ねる。
「……はい。以前、ご主人様がそう仰っていましたので」
「そうですか。であればやはり彼はその言葉通り――、最初からこの宿にあったものは、見通すことができないということなのでしょうね」
――呪術師は、怪力乱神を語らない。
呪術師の言葉は虚言にまみれていると思われることが多いが、実は違う。彼ら呪術師は契約を何よりも尊び、契約によって相手を縛る。一度交わされたその契約が破棄されるような事態は彼らの最も嫌う事象であり、そうなることがないよう、彼らは基本的に嘘はつかない。
嘘は、契約の正当性に不要な綻びを生むから。
真実のみを口にしながら、相手を欺き、嵌める。それが呪術師のやり方だ。
「まあとはいえ、この宿の中で唯一『物騒なもの』と呼べそうなものなんて、それこそそこのナイフくらいだ。そしてそのナイフも、尋常ではない力でもってしなければ、とてもではないが人を害することは叶わないだろう。――この宿の中に警戒すべきものがないなら、それを見通せなかったとしても彼が困ることは無いってわけだね」
辺境伯がそう結論付けて、私はそれに頷く。
確かにあのナイフは手入れが行き届いていて切れ味も抜群だったけれど、それはあくまで食事の際に不要なストレスを感じさせない程度の切れ味に留まっていた。例えば私が何の魔法も使わない状態で誰かを害そうとしたとしても、少なくとも相手がなんらかの衣服を着ていたとしたら、その衣服を貫いてナイフを相手に突き立てるのは極めて難しいだろう。
そのあたりの塩梅は絶妙で、もしかすると呪術師から指示があったりもするのかもしれない。
そんなことを考えていると、セニスさんが「ふうん。……まあ、私には関係のないことね」と言って、入口へ向かって歩き出す。
「私も、そろそろ失礼するわ」
「お部屋に戻られるんですか?」
私が訪ねると、彼女は露骨に目を細めて、「……ええ、そうね」とすげなく返す。
……私、本当に何かしただろうか……。
意を決して、彼女に気に障るようなことをしてしまったかきいてみようと彼女の目を見たとき、彼女の赤のショートケープのフード、その額部分が、少し濡れていることに気づいた。食事中に濡らしてしまったのだとしたら、逆に器用だな――とか思っていたら、彼女が「私からも、あなたたちに一つだけ言っておくことがあるわ」と言ったので、私のことを訪ねる機会を失してしまった。
「今夜、私の部屋を訪ねたり、間違っても中に入ったりはしないこと」
「入ったらどうなるんだ?」
ライルが単純に疑問ですという顔で首を傾げ、セニスさんは入り口の扉を開きつつ、
「――死ぬことになるわ」
その言葉を残して、食堂を出て行った。
* * *
あのあと、残された私たちも各自あてがわれた部屋へと戻ることになった。
私は一階のつくりを少し観察してから部屋へと向かったため、今は一人、ロビーの階段を上っている。
階段を一段ずつ上りながら私は、彼女――セニスさんの言葉を脳内で反芻していた。
『死ぬことになる』彼女はそう言った。彼女の部屋を今夜訪ね、中に入ってしまえば、死ぬことになると。
そりゃ、彼女のような美しい人であればそう言った経験――つまり夜這いを仕掛けられるような経験がこれまでにあったのかもしれないし、それを牽制する目的で冗談で放たれた言葉だったのかもしれないけど……、それにしては、あの時扉の向こうへ消えていく寸前の彼女の表情にはそんな色はみてとれず、むしろどこか焦っているようにさえ見えた。
(……まあ、今は考えても答えは出ないかな)
本当は一つだけ、脳裏を掠めた考えがあったんだけど――、でもそれはあり得ないことだから、それ以上それを考えることはしなかった。
それよりも、と、二階へ上がって、私の頭は次のことに意識を向ける。
(本当に、光が入ってこないなぁ……)
この宿は、外からの見立て通り二回構造のようだ。階段は、二階までしか続いていない。
一階部分は階段を上がる前に一通り見てきた。一階部分にあったのは、ロビーと食堂、調理室、客間と……地下へとつながる階段。そして、中庭へとつながる扉。この館は、中庭の四方を囲むようにして建っていた。
これらの情報は、外から見ただけではわからなかった部分。だが、外から見たときの印象を裏付ける情報も得られた。それは、この館の、少なくとも一階部分には、窓がなかったこと。廊下には点々と燭台にろうそくの火が灯されていて、それだけがこの宿の中に光を生んでいた。そして二階に上がっても、それは同じだった。やはりこの館には、通常は存在する、外から光を取り入れるための窓がないようだ。
この館は、かつて辺境伯のものだったという。同時に、彼がこの館を建てさせたのだと言っていた。つまりこの窓のない構造は、彼のオーダーだったことになる。……果たしてこのつくりには、どんな意図があったのだろうか。
二階部分を見て回ると、そこにあったのは四方の廊下の外側に面した壁に、七つの扉だけ。
正面扉からみて奥の廊下には一つの扉しかなく、そこが最も広い部屋とみえる。つまりそこが、呪術師の部屋なのだろう。左の廊下の奥の部屋から逆時計回りに、1から5の番号。そして残る一部屋に、使用人部屋との記載があった。そこは、使用人である彼女の部屋なのだろう。彼女から手渡された部屋の鍵には番号が振ってあり、私の番号は5番だった。つまり、使用人部屋の隣。
2階の廊下をぐるっと一周し、特にそれ以上の情報が無いことを確認して、私はその部屋へと入った。
――部屋の中は特に変わった様子もなく、設えられた調度品も、これといって特筆すべきものはない。町の宿屋にあるのと同じような調度品が一通り揃えられているだけ。
私は荷物を置いて、ベッドに腰かける。
(……特段悪いものってこともないんだけど、これで明日法外な宿泊代を迫られると思うと、もう少し凝っていていいんじゃないかと思っちゃうなあ)
寝心地は悪くない。が、きっとこの程度の設備であれば、町の中堅くらいの宿屋でも提供しているレベルだと思う。
(晩餐会も、料理は格別だったんだけど、晩餐会っていう割には特になんの催しもなかったし……)
そう心の中でぼやいていると――、それでというわけではないだろうが、不意に、どこかから静かに、楽器の音が聞こえてきた。
(そうそう、例えばこんな風に、一流の奏者の演奏なんかがあれば――)
って、これはどこから聞こえてきているのだろう。
壁に隔たれしっかりとは聞こえないものの、それでも既に、その音色が一流のものだということがわかる。
耳をすます。外側からではない。内側からだ。
私はそれにいざなわれるように、その音のする方向へと足を向けた。二階ではない。つまり下。階段を降りる。一階の、内側。どこかの部屋……ということでもなさそうだ。つまり、中庭か。
私は、ロビーの階段の裏側にある、中庭へと続く扉を開けた。
すると瞬間、その音色が一気に鮮明になり、曲へと姿を変えた。その曲は、訥々と、柔らかに、しかし力強く、もともとその空間に満ちていた静謐を壊すわけではなく調和しながら、奏でられていた。
中庭にはうっすら雪が積もっていて、奏者は、中庭の真ん中に設けられた小さなベンチに座って、それを奏でていた。
天を仰げば、四角く切り取られた宙にはすでに、満点の星空と、今上ったばかりの満月が、この小さな箱庭に、仄かな光を届けている。
その光景はあまりに幻想的で――それはさながら、雪原の演奏会。
奏者が奏でるのは、ハーディ・ガーディと呼ばれる楽器。つまり奏者は、フィリアさんだ。
右手でしっかりと楽器を支え、左手でやさしく弦を弾く。彼女は昼間に見た時とは違い、素手で弦を弾いていた。それが、柔らかな音を出すための一つの技法なのかもしれない。
彼女は目を閉じ、ただその曲を奏でている。その姿はまるで、何かを祈る修道女のようにさえ見える。
私はしばらく、その光景に目を奪われていた。
すると背後から私にだけ聞こえるような声量で、「見事な演奏だね」唐突に声がかかった。
「っ……! って、グーダルク様ですか」
振り向けば、そこにはいつの間に中庭に入ってきたのか、グーダルク辺境伯がいた。
「すまない。驚かせてしまったね」
「いえ。グーダルク様も、この音色につられて?」
私が訪ねると、
「そうだね。それもあるけど……そんな素敵な演奏を、こうして素敵な女性と二人で楽しめるチャンスを、私が逃すわけがないだろう?」
そんな歯の浮くようなセリフが返ってくる。一瞬、頬を紅潮させそうになるが、我に返る。
「いや、どの口が言うんですか」
「おや、ご不満かな? 少年に褒められて初心に照れて見せていたから、こういうのも嫌いじゃないと思ったんだけど……」
「いや、普通に言われていたらそりゃ照れもしたでしょうけど……グーダルク様、最初私のことを男だと思ってましたよね?」
そう。彼は晩餐会が始まった時、『二人の美女が同じく一泊する日に来られて幸せだ』というようなことを言っていた。今日この宿に泊まる女性は、使用人の女性を除けば、私と、セニスさんと、フィリアさんの三人だ。私を男と勘違いしていたということでなければ、計算が合わない。
だが、彼は、
「ん、なんのことかな? 私は最初から君のことを女性だと分かっていたけど――」
と言う。
「え……? いや、でもそれじゃあ計算が」
「――ああ、なるほど。君は優秀な『探偵』だときいていたし今もその認識に間違いはないと思っているが……どうやら君は今、つまらない先入観によって一つ思い違いをしているようだ」
「それは、どういう……」
彼は「ふむ」と一つ頷いて、
「うーん。考えたが、教えてあげたいのはやまやまだけど……あの子にどんな事情があるのか分からない以上、今私から言えることはないかな」
「そう、ですか……」
「すまないね」
確かに、誰かが何かを隠しているとして、それを知った誰かから、その秘密を聞き出すのは、フェアとは言えない。
「……いえ。自分で、考えてみます。私にも、その程度の分別はあるつもりです」
ここで、私が気づいてもいない誰かの秘密を辺境伯の口から聞き出してしまうことは、私が探偵として掲げる
「『捜査はいつも、正しい手順を踏んで行われるべき』ですから」
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