15 愛した証拠
イマジカが言い終わると、メリッサは、どさりとその場に
彼女はそのまま暫く何も言わずに虚空を見つめ、そして、小さく笑って――
感情を、爆発させた。
「ええ、ええ――。本当にすごい。……あなたの言うとおり、彼を殺したのは私よ。そして、ミナリアもね。……これでいいんでしょ? さあ、さっさと私を捕らえて、さっさと殺しなさい! どうせ、彼と結ばれることがなくなった時点で、私の人生はとっくに終わっていたのよ――!」
彼女の悲痛な叫びに、誰も、何も言うことができない。
そこに、公爵がゆっくりと口を開いた。
「メリッサ。きみの動機も、ターニャ君と同じく、ディーンが君たちとは結婚できないといったことによる復讐、ということかな?」
公爵の口調には、静かな、しかし確かな怒りが滲んでいた。
それを感じたのだろう、メリッサは俯いて、しかし手をきつく握り締めて答える。
「――そうです。彼が、私を裏切ったから……。私を幸せにするって、約束したのに……!」
彼女は、罅割れた樽から葡萄酒が漏れ出すように、あるいは杯から血が溢れ出すように、その動機と、犯行の様子を語り始めた。
――彼女とディーンの出会いは、一年前に、ここ、ヴィスタリア公爵家の館で開かれた公爵の六十歳の誕生日を祝うパーティの場だったという。
彼女の家はその頃はまだ今ほどは落ちぶれていなくて、しかし決して裕福でもない、そんな時期だった。
そのパーティは、そんな状況をなんとか変えるため、なけなしの財産と古い伝手を使ってなんとか参加したパーティだった。
しかし当然、身に着けるものや振る舞いなど、本物の上流貴族たちには敵うべくも無い。
彼女がそのパーティで得られたのは、新しい伝手でも信頼でもなく、嘲笑と侮蔑の視線だけだった。
その中にミナリアもいて、彼女が最も、その態度を表に出してぶつけてきた人物でもあった。
そんなパーティに嫌気がさして、メリッサは一人会場から出て、前庭の噴水の縁に座って泣いていた。
――するとそこに、突然声がかかった。
それは、同じく会場から抜け出してきた、ディーン侯爵だった。
その頃、メリッサは実はディーン侯爵の顔を知らず、杖をついていることから彼がどうやら目が見えないらしいことを察し、彼もまた同じく会場にいづらくなってここへ逃げてきたのだろうと考えた。
後にそれは、大きな誤解であったことがわかるのだが――、その時は、ディーン侯爵も自らの正体は明かさなかったらしい。
偶然外に出ていた彼は、メリッサの泣き声を聞きつけて様子を見に来てくれただけだったのだ。
しかしメリッサはそんなこととは思いもせず、まるで自分と同等の相手と思ってしばらく会話をした。
そして、その日のパーティももうお開きというタイミングで、「いつか君をきっと幸せにする」とメリッサに約束し、その場を去って言った。
その日は大きな屈辱と、少しの暖かな気持ちとともに自分の領地へと帰った。
そして、パーティで成果を得られなかった事から窮地を脱することができなかったメリッサの家は、それから半年ほどで、本当の没落貴族となってしまった。
そんなとき、使用人もほとんどいなくなったメリッサの家に、一通の手紙が届いた。
その封蝋には、公爵家の家紋。
半年前のパーティで何か無礼を働いたのではと思いつつ、恐る恐る中身を確認してみると――、それは、あの日、噴水の縁でした約束を果たしたい、という言葉の添えられた、花嫁候補としての公爵家への招待状だった。宛名は、ディーン・ヴィスタリア侯爵。
あの時の盲目の青年がヴィスタリア家嫡男のディーン侯爵だと知ったのは、その時だった。
半年後、招待状を持って公爵家を訪れ、そこで聞かされたのは、自分のほかにも三名の花嫁候補がいて、彼女らとともにディーン侯爵と地下で一週間、生活を共にし、ディーン侯爵が自身の花嫁として相応しいのは誰かを見極める、というものだった。
約束を果たしたいという彼の言葉に反する状況に少しの失望を感じたが、相手は次期公爵だ。それくらいのことは仕方ないと覚悟を決めて、共同生活に臨んだ。
そしてこの一週間、ミナリアの侮蔑の目に耐えながらも、彼はきっと約束を守ってくれると信じて、自分にできる精一杯のことをしたつもりだった。
しかし、その結果訪れたのは、誰とも結婚する気は無いという宣告――。
しかも彼は、私たちを地下に残して、人魚の女と密会までしていたらしい。
――約束を裏切られ、自分は用済み。
――家に帰っても、待っているのは没落貴族としての破滅のみ。
そこで、全てがどうでもよくなった。
とはいえ、ここではまだ、自殺を考える程度だった。
だが、ディーンの不貞によってそんな感情を抱いたのは、どうやら自分だけではないことに気付く。
ターニャの不穏な呟きが気になり、メリッサは自身の眼に宿る力で、ターニャの一日後までの未来を見た。
すると彼女は。彼への復讐の意味を込めた自殺を、明日の朝四時四十四分丁度に行うことがわかった。
具体的な時間が分かったのは、部屋には魔法の時計が設置されているからだ。
――そこで、今回の犯行の計画を思いついた。
自分を散々蔑んだミナリアを殺し、自分を裏切ったディーンを殺して、さらにその罪を、自分から全てを奪った人魚にかぶせる、そんな計画を。
翌朝、彼女は計画を実行に移した。
ディーンの言葉から人魚が明朝にやってくることはわかっていたので、まずはそれを小部屋の近くで待った。
本当は人魚自身に、『侯爵には私からあなたの来報を伝えるから大部屋で待っていて欲しい』とかなんとか伝えるつもりだったのだが、彼女は下半身が魚であり、兵士がそれを運んできて、好都合にも大部屋へと運んで行った。
そして、帰り際の兵士に、侯爵には自分が伝えておくと言ってその役割を
当然、ディーンには人魚の来訪は伝えず、そのまま人魚にそこで待ち続けてもらうことに成功した。
そして、時間を見計らって、まずはミナリアを殺した。
相手は生粋のお嬢様で、こちらはここ畑作業をこなすことすらあった没落貴族の令嬢だ。
多少暴れられたが、寝ている彼女を襲い、巻いたシーツで絞殺するのは想像よりも容易かった。
右手の薬指をナイフで切断し、農作業などで用いるために習得していた〈風の揺り篭〉で、彼女を天井から吊るしたシーツに首をかけさせた。そして、現場の状況をターニャの自殺の現場に酷似するように整えた。
次に、また時間を見計らって地上へと向かって、見張りの二人と話している間にターニャが自殺したことを確認した。そして、地下へと降りていったアダムを追いかけ、自分がディーンのもとへ向かうと説得し、ディーンの部屋へと向かった。
ここで、唯一の誤算が発生した。彼は、既に起きていた。
考えてみれば当然だ。明朝に人魚を呼んだ人間がまだ寝ている可能性のほうが低かったのだ。
しかし、あまり悠長なこともしていられない。本当は寝込みを襲うつもりだったが、計画を変更し、会話で油断させつつ、彼を背後から襲うことにした。彼は目が見えないから、それも可能だろうと踏んだのだ。
そして、部屋の中に入って、彼と会話をした。
あんなことがあったにも関わらず、彼はどこか楽しげに話していて、それが逆にメリッサの神経を逆撫でした。
それとなく背後へと回って機械を伺い続けるが、しかし、彼は目が見えないのに、なかなか隙を見せなかった。目が見えないからこそ、そういった感覚に敏かったのかもしれない。
なかなか油断を見せない彼に苛立ちと焦りを覚え始めた頃、彼が「そうだ。昨日のことなんだが――」と何か話そうとしたところで、突然、動きと言葉を止めた。
丁度そのときどこからか聞こえ始めた不思議な歌に、気を取られたのかもしれない。
唯一彼が見せたその隙をついて、メリッサは彼の首をシーツで絞め、殺した。
何が起きたのかを把握するのに時間がかかったのかもしれない。最初は、抵抗もしなかった。途中からは流石に必死に暴れだしたが、もう遅い段階からだった。
彼を殺したあと、急いで彼を吊るし、指を切断した。そのとき、急いだがゆえについた返り血をごまかすため、その死体にすがりついて、すすり泣く演技をした。
――演技のつもりだったのに、不思議と、涙は本当に頬を伝った。
これが、メリッサが語った、今回の事件の真相だった。
「あの人が悪いのよ。私との約束を破って、人魚なんかに気持ちを奪われた、あの人が――」
そう言って俯く彼女に、公爵が天を仰いでいった。
「馬鹿なことを……。メリッサ、本当にお前は、馬鹿なことをした…………」
それに、メリッサが激昂する。
「――何がよ! あの人が約束を破ったのも、人魚に心を奪われたのも、事実でしょう!」
「いいや、お前は何も見えていない。お前には未来を見る目さえも備わっているというのに、本当のところは何も見えていなかったのだ――」
「何を……」
メリッサが何かを言おうとしたとき、その目の前に、マリーが歩いていった。
そして、彼女に、一つの小さな箱を差し出した。
「これは、ディーン侯爵が私に依頼して作らせた、指輪。――あなたに渡すはずだった指輪です」
「え……?」
メリッサは、呆気にとられていた。
そして、放心状態のままその箱を受け取り、開けると、そこにあったのは、みたこともないような美しさを持つ、真珠の指輪だった。
「永遠の愛を約束するという、〈人魚の指輪〉……」
イマジカの呟きに、マリーが答える。
「そうです。ディーン様は私に、この指輪を作って欲しいと依頼され、昨日はその最後の相談のためにいらしたのです」
「うそ……うそよ……だって昨日は、本当に、この中の誰とも結ばれることはないって…………」
そこで、公爵が口を開いた。
「あれがどうして、わざわざ四人もの貴族令嬢を花嫁候補として呼び寄せたと思っているのだ……」
「えっ……」
「もし、あれが何の脈絡もなくお主を
今後あれは、この私の後を継いで、公爵家の当主としてこの世界を生き抜いていかねばならない。そのとき、これまで親交のあった貴族の令嬢を差し置いて、いきなりどこの馬の骨とも知れない、没落貴族の令嬢と結ばれた公爵という肩書は、必ず不利に働く材料となるだろう。それを可能な限り回避する、あるいは軽減するために、あれはこんな周りくどい方法をわざわざ取ったのだ。
……メリッサ、お前をこの四人の中に参加させ、まったくのいきなりな婚姻ではなく、こういった背景があったうえで結ばれたのだと、他の貴族たちに認識させるため。それと同時に、同じ条件で見際めを受け、その上で自分の娘が選ばれなかったのであれば、それは彼らからしてみれば、自分の娘の失態、ということになるからだ」
――そうか、夕食を共にしたときの『身分や立場で人を判断しないのは自分譲りの美点だが、自分の息子がいざそれを実践するとなると、少々複雑』というのは、このことを指しての言葉だったのだ。
イマジカが違和感を感じていたようだったが、今ならわかる。
確かにこの言い回しは、最初から没落貴族の令嬢であるメリッサを選ぶとわかった上でなければ出ない言い回しだろう。
「昨日『誰とも結ばれるつもりは無い』と言ったのは、メリッサ、きみ以外の者たちに自分のことをきっぱりとあきらめてもらうための方便だったのだろう。そこまでのことを言っておけば、後腐れなく自分を忘れることができる、とでも思ったのかもしれん。そしてメリッサにはあとから、本当のことを告げるつもりだったはずだ」
それを聞いたメリッサはただ、狼狽えた。
真実を、受け入れられていない様子だ。
「そんな……じゃあ、私は、勘違いして、彼を……? そんな、嘘よ……。ぜんぶ、あなたたちのでまかせだわ……!」
そう思いでもしなければ、耐えられないのだろう。
……だが、残酷にも――、「愛の証拠」は、形に残っていた。
マリーが、それを示した。
「いいえ。本当のことです。その証拠に――、指輪のリングには、貴女の名前が彫ってあります。……昨日私が受けた相談は、そのことだったんですから」
そういわれるや否や、メリッサが指輪を箱から取り出して、リングに目をやる。
そして、動きを止め――、目から、大粒の涙を零し始めた。
「ごめん……なさい……ごめん、なさい…………ごめんなさい…………っ!!」
それから彼女は、ずっと泣き続けた。
彼女が兵士たちに連れられていき、その姿が見えなくなるまで、彼女はずっと泣き続けていた。
そこには書いてあったのだろう。
ディーン侯爵が依頼したという、メリッサの名前が。
――彼女がこんな事件を引き起こす前に、あの指輪を渡していたら、結果は違っていたのだろうか。
永遠の愛を約束するという人魚の指輪。その効果が本物かどうかは、まだそれが手渡される前だったから、わからないままだ。
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