其の五 従者、娘たちに追い掛け回される
翌朝早くから、ギシュタークの受難は始まった。
「ギーシュちゃん、どこー?」
「隠れていないで、出てきてぇ」
「ギーシュちゃん、ギーシュちゃん、おねえさまたちと遊びましょうよ」
翼人族の若い女たちは、ギシュタークのことがよほど気に入ったらしい。
朝からずっと、ギシュタークを探し回っている。
ギシュタークにしてみれば、たまったものではない。
昨夜の湯殿での出来事は、悪夢でしかなかった。――いや、少しくらいいい思いしたかもと、イシュナグに叩き起こされた時に思わないでもなかった。
それでもやはり、こうして血眼になって娘たちに探し回られると、悪夢でしかない。
「ギーシュちゃん、可愛い服あげるから、出てきてちょうだい」
「どこー? ギーシュちゃん、どこー?」
バサバサと翼が羽ばたく音が、すぐ近くに聞こえるたびに、ギシュタークは生きた心地がしなかった。
新しいおもちゃを手に入れたような娘たちを尻目に、日当たりのいい縁側で縦笛を吹いている少年がいた。
「ティー、ギーシュちゃん見なかった?」
「昨日、ウームルさまが連れてきた獣人族のお客さまの従者よ」
「ほら、茶色の犬の可愛い子」
ティーと呼ばれた少年は、笛を吹くのをやめて、薄紅色の翼を軽く揺らす。
「さぁ? 見なかったけど」
「本当に?」
「嘘、ついてないわよね?」
年上の女たちに囲まれた少年は、肩をすくめる。
「嘘ついて、俺になんの得があるってんだよ」
しばらく訝しげに娘たちは少年を睨みつけてきたが、すぐに時間がもったいないと、ギシュタークを探しに何処かに飛び去っていった。
「見かけたら、必ず教えなさいよ」
「わぁってるって」
気のない返事をして、少年は再び笛を吹き始める。
まるで、小鳥のさえずりのような音色だ。
ひとしきり満足するまで軽やかな音色を奏でた少年は、周囲に女がいないことを確認して縁側の下に声をかけた。
「おい。もういいぞ」
しばらくして、ペタンと垂れた三角の耳が現れた。それから、茶色い頭。
「ありがとう。えーっと…………」
「ティーゲル。君主ウームルの三番目の息子、ティーゲル。覚えておけ」
床下から這い出てきたギシュタークは、膝下丈のズボンやベストについた砂を払いながら縁側に座っているティーゲルにはにかんだ。
「ありがとう、ティーゲル。僕はギーシュ。よろしくね」
「はいはい、よろしく」
ティーゲルはそっけなく答えると、薄紅色の翼を広げる。
あまり、ギシュタークとよろしくしたくないようだ。
もしかしたら、珍しい獣人族の少年に熱を上げている女の中に、密かに思いを寄せる人がいたのかもしれない。そうだとしたら、さぞかし面白くないだろう。
「じゃあな」
「あっ」
ひらりと飛び去ろうとしたティーゲルの片方の足首を、ギシュタークが慌ててつかむ。
「何すんだよっ!」
ティーゲルの足首をつかむ力は、信じられないほど強い。
「一人にしないでよ。僕、この館のこと知らないんだもん。ここの女の人たち怖いよ」
「知るかよ。離せって。ナギとかいう、お前のご主人さまはどうしたんよ!」
薄紅色の翼をばたつかせながら、ティーゲルは声を荒げる。
「知らないよ。今日は一日のんびりしてろって、どこか行っちゃったんだ」
「離せって! 俺は暇じゃねぇんだよ」
「お願いだからぁ」
ギシュタークは、つぶらな菫色の瞳をうるませて手を引き剥がそうとするティーゲルに懇願する。
「お願いじゃねぇよ!」
それでもギシュタークは、足首を掴む力を緩めようとしない。
「大きな声出さないでよ。女の人たちが探しに来るじゃないかぁ」
「くっそ! わかったよ。わかった。わかったから離せって」
泣きそうなほど目をうるませたギシュタークは、本当にと何度も念を押してきた。ティーゲルは、念を押されるたびに首を縦に振った。
やっと手を離してもらったティーゲルは、空中で足首に痣がないか確かめる。
「俺、これから修練場に行くんだけど……」
「どこでもいいから、ついていくよ」
「あっそ」
ギシュタークは、心からホッとした表情を浮かべる。
よほど、翼人族の女たちが怖いらしい。
◇◇◇
それから、半日後。
ギシュタークは今、四つの鐘楼に囲まれた修練場にある試合舞台の中央で、ティーゲルと対峙している。
「僕が勝ったら……」
「わかってるって」
勝利を確信しているのか、ティーゲルは真剣そのもののギシュタークに鼻で笑う。
修練場にいた翼人族の若者たちが見守る中、ギシュタークは拳を握りしめて、ティーゲルの次兄ワーギスの開始の合図を待っている。
見守る若者たちの半数以上が、女たちだった。
「ティー! ギーシュちゃんに怪我させたら、ただじゃおかないからね」
「ギーシュちゃん、頑張って!」
「ギーシュちゃぁああああん! 勝っても負けても、わたしたちがいい子いい子してあげるわ」
「ギーシュちゃん!」
「ギーシュちゃん!」
ティーゲルは、非常に面白くなかった。
同族の女たちが獣人族の客人に熱のこもった声援を送っているのだから、面白くないどころか、
「……ぜってぇ、勝ってやる」
そもそも、なぜ二人が試合をすることになったのか。
理由は、実にくだらないものだ。
子どもの喧嘩の延長線でしかない。
それでも、簡潔に説明するなら、密かに思いを寄せる娘までギシュタークに熱を上げていることが気に入らなかったティーゲルが、ギシュタークをチビだの女々しいだのからかったのが、ことの発端だ。
正々堂々試合でケリをつけようとなったのは、お互いの意地の張り合いでしかない。
実にくだらない試合の審判を押し付けられたワーギスは、今一度ルールを確認する。同じ種族ではない少年のために。
「試合の勝利条件は、相手の戦闘不能、戦意喪失。あるいは、相手をこの試合舞台の外に追いやること。……ティーの武器は試合用だから、殺すような威力はないが、殺すことは敗北条件」
最後の敗北条件は、ギシュタークが武器を取らなかったから言い足したようなものだ。
正直なところ、事情を知るワーギスとしては、この試合は非常に好ましくない。避けることができるなら、避けたかった。
だが、本人たちがやる気満々なのだから、どうしようもない。
小さく息を吐いて、ワーギスは右手を上げる。自然と藍色の翼が大きく開いた。
「始めっ」
勢い良くワーギスの右手が振り下ろされた。
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