其の五 諸侯ら、聖王を説得する
休暇というものがどういうものか、諸侯らも知っている。
働く者たちが、休息する日のことだ。
諸侯らの中で最年長の小人族のニグルスが、その小さな体をワナワナと震わせる。
「イシュナグさまが、休暇をとるとおっしゃるのですか」
「うむ。余は、常に民たちのために、休むことなくつくしてきた。誰にでも等しく、休む権利があるということは、余も例外ではない」
ニグルスの白髪は逆立ち、真っ赤に染まった頭からは、シュンシュンと湯気が立つ。
かたわらにいたヴァルバルが、熱っと膝をついたまま後ずさる。
「それは人間族の理屈じゃ。イシュナグさま、いい加減、目を覚ましなされ!」
ニグルスの怒りに、イシュナグは目を見張る。まさか反対されるなど、イシュナグはこれっぽっちも考えていなかったらしい。
これを好機ととらえたヒュンデも、すかさず畳み掛ける。
「そうですわ。妾たちはイシュナグさまの生還を信じて、百年もの間、この世界を平和に治めてまいりました。それなのに、休暇というのは、あんまりですわ」
「休暇など、もってのほか! イシュナグさまのお帰りを今か今かと待ち続けた民たちを、馬鹿にするつもりですか!」
もちろん、気の短いヴァルバルも黙っていない。
新参者のウームルだけが、困り果てた顔で成り行きをうかがっている。
もちろん、彼も聖王の休暇には反対だ。
「ウームル、お前も他の諸侯らと同じか?」
「恐れながら、イシュナグさま。わたくしも、休暇には反対です」
あからさまに嫌そうな顔をするイシュナグに、ウームルは感情的にならないようつとめた。
「そもそもイシュナグさまは、休暇を得て何がしたいのですか?」
「……うっ」
「聖王となれば、疲れなどすぐに癒やされるはずではないのですか?」
「…………」
「イシュナグさま、よぉくお考えください。これは、イシュナグさまのお帰りを心待ちにしてきた民たちに対する裏切りですよ」
「…………わかった」
不承不承といった態度ではあるが、イシュナグが首を縦に振る。
そのひと言に、諸侯たちがどれほど胸をなでおろしたことか。ニグルスの湯気もやっとおさまったほどだ。
「この話の続きは明日にしようか」
このひと言に、諸侯らがどれほど落胆したことか。
「イシュナグさまっ、まだ……」
「まぁ、落ち着け、ウームル。余は、早く休みたいのだ。そのくらいは、よかろう?」
否やはなかった。
諸侯たちも、あまりのことに疲れ切っていたのだから。
「うむ。では、諸君も今夜は休むがよい」
イシュナグが立ち上がり、手を打つと諸侯らの背後に白亜の石柱が二本現れた。二本の石柱の間は乳白色の靄が広がるだけ。
ヒュンデは、悩ましげにため息をつく。
「イシュナグさま、妾だけでもお側に……」
「いや、余も一人でいろいろと整理したい。さぁ、下がれ」
悪意のない笑顔で拒絶されたヒュンデに呆れを通り超えて同情の眼差しを、ヴァルバルと二グルスは向けた。もちろん、彼女に気取られる前にそっと目をそらす。
言いたいことは山ほどあるが、諸侯らはひとまず引き上げることにした。
明日になれば、イシュナグの気が変わっているかもしれない。そんな儚い希望をいだいていても、不思議ではない。
頭痛の種を土産に与えられて重い足取りで下がろうとした諸侯らを、いくぶん弾む声でイシュナグが呼び止める。
「そうだ。忘れるところであった。ウームルよ、リルアはどこにおる?」
「リルア、ですか?」
振り返ったウームルの整った顔には、困惑が色濃くあらわれている。
「そうだ。茜色の翼のリルアだ。お前の先代が、余の身の回りの世話をさせるように差しだした娘だ。また、余の身の回りの世話をさせたいと思ってな」
ウームルだけではなく、他の三人も怪訝そうにイシュナグをうかがう。
「失礼ながら、イシュナグさま。わたくしは新参者ですが、イシュナグさまは誰にも身の回りの世話をさせなかったと聞いておりますが……」
「なに?」
イシュナグの
だが、諸侯らも困惑するウームルに同意し、口をそろえてイシュナグの身の回りの世話をしていた者はいなかったと言う。
聖王イシュナグに忠誠を誓う諸侯らが、彼に嘘をついている様子はない。心底不思議そうに首を傾げながら、彼は身の回りのことは自分でしていたと言う。
「もうよい。わかった」
明らかに機嫌を損ねたイシュナグは、手を叩いて強制的に諸侯らを退出させた。
だから、さすがの聖王イシュナグも気がつかなかった。
彼が魔力を込めて手を叩いたその瞬間、ウームルが知らず知らずのうちに握りしめていた両の拳を開いたことを。その口元が緩んだことを。
◇◇◇
一人きりになった聖王は、カチューシャをもてあそびながら月明かりが降り注ぐテラスに出る。
銀色の月の皓々とした光が、眼下に広がる雲海を照らしている。
遠くで月を横切る小さな影は、翼人族だろうか。
「リルアがいないなど……」
薄紅色の翼の乙女の笑顔が、彼の脳裏をよぎる。
『無事に、帰ってきてくださいね』
白銀の戦装束を着付けてくれた乙女の声が、蘇る。
「…………なんのために、忌々しいガラムと手を組んで帰ってきたというのだ」
たった一人の存在が欠けるだけで、月明かりすらも陰る。
『すぐに、ガラムを討ち取ってくるとも。…………リルア、余が帰還したら、そなたに伝えたいことがある』
楽しみに待っていると言ってくれた笑顔に、彼は答えるすべはないというのだろうか。
確かに、彼は身の回りのことに誰かの手を借りることを嫌っていた。
「馬鹿馬鹿しい」
月明かりと雲海を渡る夜風だけが、聖王イシュナグを見守っている。
「たかが百年、だというのに……」
もてあそんでいたはずのカチューシャを、知らず知らずのうちに震えるほど強く握りしめていた。
たかが百年。
イシュナグにとっては、さらに短い一年。
彼が、元のままでいられなかったように、故郷も元のままでいられなかったのだろうか。
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