其の五 従者、嫌々ながらも女装する
もちろん、イシュナグには想定内の出来事だった。想定内すぎて、つまらないほどだ。
「ぼ、僕が、お尋ね者? ど、どうしてっ」
「声がでかい。俺を探すよりも、お前を探したほうが楽に決まっているだろうが」
「それはそうですけど……」
報償金の額を聞けば、向こう十年は遊んで暮らせる莫大な金額に、ギシュタークは背中を嫌な汗が伝うのがわかった。
ギシュタークの手をつかむ反対のイシュナグの手には、別れた時にはなかった
「それ、なんですか?」
「食べ物ではないぞ」
「…………」
食べ物ではないと、鼻でわかっている。
ニヤリと笑って中身を教えてくれなかったイシュナグに、ギシュタークは不安になる。
「あの、手を離してください」
「断る」
「…………」
路地は進めば進むほど、嫌な臭いもするし薄汚れている。
嫌な予感は、もう確信に近かった。
「お前の名前、特徴、あの通達球がふれ回っている。そのままでは、すぐにお前はつかまって、下手をすれば俺の休暇が終わってしまう」
「…………」
いくら確信に近いとはいえ、予感は予感だ。何をされるかまでは、わからない。
ギシュタークは手を引く男が、先ほどの劇の凛々しい主人公だと思えなくなってきた。
やっとイシュナグが足を止めたのは、掘っ立て小屋が並ぶ貧民街だった。
交易が盛んであるということは、貧富の差も激しいということ。大きな街には、必ずこのような貧民街がある。
「そこで待ってろ。いいな?」
「ひゃい」
思えば、いつだってイシュナグの側を離れることができたのだ。
いくら彼に従者に任じられたとはいえ、聖王の居場所を母を始めとする諸侯らに伝える方法はいくらでもあったのだ。
それをせずに彼とともに遊び歩いていたのは、楽しかったからだ。
「僕も同罪だぁ」
汚らしい貧民街も、もちろんギシュタークは初めてだ。
待てと言われるがまま途方に暮れながらたたずむ彼の心中を知らないイシュナグは、小人族の掘っ立て小屋の前で家主と何やら交渉している。交渉といっても、多めに金子を握らせれば時間はかからない。もし禿げ上がった小人が欲を出したら、手酷いお仕置きもあったかもしれないが、それもなかった。
ペコペコと頭を下げる小人が何処かに行ってしまうと、イシュナグはギシュタークを呼びよせ、例の包を押し付ける。
「中でこれに着替えろ」
どうやらギシュタークを着替えさせるために、この掘っ立て小屋の主に金子を握らせたようだ。
「えっと……」
「お前にも、俺のように変装してもらうぞ」
戸惑うギシュタークを、イシュナグはツギハギだらけの布を木の棒で支えただけの小屋に押し込む。
これでよしと、イシュナグが満足げな表情を浮かべると、中からギシュタークが顔を出す。
「ご主人さま、これ、女物ですけどぉ」
「間違っておらんぞ。俺はお前に女装してもらうのだ」
「ひゃい?」
目を丸くするギシュタークに、その長躯を屈めてイシュナグはずいと迫る。
「よいか? ギークよ」
思わずのけ反るギシュタークに、周囲の浮浪者たちに聞かれることのないように声をひそめて、イシュナグ真剣そのもので言い放つ。
「俺は聖王だ。できぬことは、三つのみ。死んだ者を生き返らせること。過去に干渉すること。それから、呪いに関することだ。その三つのみだ。つまり、ギークよ。お前の体を女に変えることもできるのだぞ」
「そ、そんな……」
「嫌なら、さっさと着替えろ。お前に似合いそうな物を選んでおいたからな」
「ひゃい」
女になるくらいなら、女装のほうがマシだ。
イシュナグなら、きっとやるだろう。間違いなくやるだろう。
そのくらい、イシュナグの顔は真剣そのものだった。
「なんで、休暇なんか……」
何かが腐った臭いに顔をしかめながら、ギシュタークは初めての女物の衣装に悪戦苦闘しながら着替える。
◇◇◇
「……よい。よいではないか」
恥ずかしそうにうつむくギシュタークの女装姿に、イシュナグは大いに満足した。
もともと着ていたフェルトのベストと似た色合いの緑の巻きスカートに、生成りのチュニック。それから麦わら帽子。
もじもじとスカートの裾を握る少年の姿に、イシュナグは不覚にも生唾を飲み込んだ。
「ご主人さまぁ、やっぱり……」
「ギーク、そんな顔をするでない。襲いたくなるではないか」
「ひゃいっ?」
涙目でイシュナグに訴えようとしたギシュタークは、ズサササッと後ずさる。
「冗談だ」
笑ってごまかすが、先ほどのイシュナグの目は笑っていなかった。
「行くぞ、ギーク。そろそろ、家主も戻ってくるだろうし、必要以上に目立ちたくはない」
「待ってくださいよぉ」
さっさと行ってしまうイシュナグを、巻きスカートに足を取られないように気をつけながらギシュタークは追いかける。
「
「ご、ご主人さま?」
ブツブツと何やらつぶやいているイシュナグが不穏すぎる。
「僕、やっぱり……」
「僕、か。……よいな」
先ほどの広場に戻る頃には、夜はすぐそこまでせまっていた。
ひんやりとした風に吹かれて、イシュナグははたと我に返る。
「もうこんな時間か。ギーク、今から宿を探すぞ」
「宿なら、心当たりありますよ」
「ほう……」
世間知らずな従者がなにをいうかと期待していないイシュナグに、ギシュタークは失せ物を探した礼に来てくれと言われた宿があると話した。
「そんな遠くないと言ってましたよ」
「わかった。今宵はそこにしよう」
案内しろと言われて、ギシュタークは嬉しくなった。人助けが、役に立つことを知ったのだ。
背嚢の重さも忘れているだろう従者の姿に、目深に被ったフードの奥でイシュナグは眩しそうに目を細める。
「ギーク、お前は……」
「はい?」
「優しいな」
「そんなことないですよ。困っている人がいたら……」
照れる姿まで似ている。
『困っている人がいたら、手を差し伸べる。当たり前だろう。』
「……当たり前じゃないですか」
「そうだな」
心に刺さったままの古い棘から目を背け、イシュナグは意地の悪い笑みを浮かべた。
「そういえば、あの金子はどうした?」
「ぜ、全部、使っちゃいましたけど……」
ギシュタークの体中の毛が逆立つ。
「よし。ならば、明日は化粧もしてもらおうか」
「ひゃい? ご、ご主人さまぁああああ」
黄昏時の通りに、女装した獣人族の少年の叫びが響いて消える。
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