其の四 従者、特等席で観劇する

 二度目の銅鑼が鳴る前に、ギシュタークは天幕の中の席についた。

 立ち見客も多い中、金子きんすを惜しまなかった彼は、舞台に近い特等席にいる。


 興奮のあまり、彼は身を乗り出して開演を今か今かと待っている。


 期待を煽る楽の音の拍子が早くなり、ひときわ大きな笛の音が鳴ると、吊るされていた無数のランプの明かりが一斉に消えた。


「おぉぉ」


 思わず感嘆の声を上げたのは、ギシュタークだけではない。


 魔法道具からと思われる赤子の泣き声が、暗い天幕の中に響く。


 演目まで確認していなかったことに、ギシュタークは今さら気がつく。芸を見せるだけが旅芸人ではない。多くの一座が、役を演じる劇を行うことを、彼は知らなかった。


 堅苦しい劇だったらどうしようと一抹の不安を覚えたギシュタークだったが、暗転した舞台から朗々とした声が響いただけで引き込まれてしまった。


「世界の父、創造主の血を引く我が一族に、双子の男児が生まれるとは」


 やや明るくなる舞台の上には、白髪のかつらを被った獣人族の青年が双子の魔導人形を両手に抱えている。


 純白の髪は、創造主の血を引く聖なる一族の証。


 初めて劇を観るギシュタークでも、これが悲劇の幕開けだと知っている。


「兄はガラム。弟はイシュナグと名付けよう」


 そう、これは聖魔分かたれる双子の物語だ。


 暗転とともに消えた産声が、どこか悲しげな余韻を残している。


 再び明るくなった舞台で、白髪の二人の少年が正反対の幼少期を過ごしている。

 兄のガラムは嫡男としての期待にこたえようと一人勉学に励み、弟のイシュナグはこたえる期待もなかったこともあり多くの友を作った。


 舞台の上のイシュナグはとても魅力的な青年に成長した。

 本物のイシュナグと短い時間ではあるが、関わっているギシュタークは少しだけ複雑な気分になる。


「兄上、今日いよいよ父上より兄上が、王太子に指名される。心より、お祝い申し上げます」


 聖槍を模した棒切れを片手に、小柄な巨人族の青年が演じるイシュナグは、うやうやしく一礼する。


「祝福ありがとう、弟よ。これからも、ともによりよい世界を築こうではないか」


 イシュナグを演じる役者の兄弟だろうか。それとも、舞台化粧で似せたのかはわからないが、舞台の上の白髪のガラムとイシュナグはよく似ている。


 魔法道具が作り出した幻の白い花びらが舞う中、手を取り笑い合う二人。


 誰もが知る物語だからこそ、これから後起こることを思い涙ぐむ観客もいる。


 父――つまり先代の聖王より次の聖王に指名されたのは、弟のイシュナグだった。


「なにゆえっ、なにゆえ、わたしではないのですかっ?」


 不服の声を上げながら、父を追いかけ舞台を去る兄ガラム。

 獣人族、巨人族、小人族、翼人族、それからの友たちに祝福される弟イシュナグ。


 ここで聖なる一族の姫君ミスリアが舞台に現れ、イシュナグによりそう。


「妾は、イシュナグさまが聖王にふさわしいと知っておりましたわ」


 舞台の上のイシュナグは、美しい姫君に口づけをする。


 聖王となる者が、彼女を妻に迎えることができる。そういう決め事があったのだ。


 暗転。


 父を追いかけて舞台に戻ってきた兄ガラムの剣が、父の胸を貫く場面は、台詞一つなくあっという間に終わる。


 暗転。


 初めの方こそ本物のイシュナグと比べてしまっていたギシュタークだったが、気がつけば舞台から目が離せなくなっていた。


 父を殺害した兄を追い詰め、後に魔の森となる人間族の領地の上空で繰り広げられる激しい剣戟、地上に墜ちた兄ガラムへの追い打ちを思いとどまる場面では、魔法道具の効果が惜しみなく披露された。

 手に汗握る場面の次は、つかの間の平和な日々。

 聖王となったイシュナグと妃となった姫君の仲睦まじい日々もまた、美しく演出されていた。


 この後、魔王となって戻ってきたガラムの手によって美しい妃は殺されてしまうことになる。

 けれども、聖王イシュナグと妃ミスリアが愛を確かめあったところで、幕が下りてしまった。


 明るくなった天幕の中に、続きは明日と案内する声が響く。


「明日かぁ……」


 しばらく余韻に浸っていたギシュタークの耳が垂れる。

 明日は、もうこの街にはいない気がする。獣人族のカンがそう訴えかけてくるのだ。


 重い足取りで天幕を出ると、ずいぶん日がかたむき影が長くなっている。


「そういや、僕、これからどうすればいいんだっけ」


 金子をわたされて遊んで来いと言われたものの、その後どうするかまで聞いていなかった。いや、イシュナグがあえて言わなかったのだが。


 途方に暮れる彼の目に、上空から広場に降りてきた魔法道具が映る。

 金槌と鉄床の紋章――小人族の君王の紋章――が刻まれた彼の頭ほどある紅色の球体は、おかみからの通達に使われるものだ。


 広場の誰もが、足を止め通達球に耳を傾ける。


 ギシュタークの茶色の耳も例外ではなかった。


『…ザ……ザー……、えー、ごきげんよう、民たちよ……』


 この声はおそらく、小人族の君王ニグルスのものだろう。


 嫌な予感がした彼の頭を、背後から何者かが小突く。


「おい、ギーク。行くぞ」


「あ、ご主人さま……あの……」


 もちろん背後にいたのはイシュナグで、通達球を気にする従者の手を取り有無言わせず細い路地に連れこんだ。


「あれは、お前の懸賞金の案内だ」


「ひゃい?」


 懸賞金。

 つまり、ギシュタークはお尋ね者になっていたらしい。

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