其の三 従者、聖王より金子をいただく

 ギシュタークは、翼人族の君主ウームルよりも熱心な聞き手だった。


「じゃあ、異世界ニホンでは、一処ひとところで暑かったり寒かったりするんですか?」


「そうだ。人間族は、それを季節と呼んでおった。春、夏、秋、冬と、大きく四つに分かれるようだが、とても四つでは足りない。だが、この四つが一年の間に順に訪れるのだ」


「さっき一年はこちらと同じ365日と言ってましたけど、そんなに短い間に、暑くなったり寒くなったりするなんて……」


 想像もできないと、ギシュタークはスープを飲み干す。

 ここは昼食を食べに来た客で賑わう大衆食堂。

 食べ汚された織物の上で片膝を立ててくつろぐイシュナグは、もはやどこぞの放蕩息子といった風体であった。


 まさにイシュナグの狙い通り、誰の目にも獣人族の若旦那とその従者と映っているに違いない。そうでなくては、ギシュタークという荷物を連れてきた意味がない。


 昼間から軽く酒杯を煽るイシュナグは、ギシュタークにいくらかの金子きんすをよこした。


「ギークよ。さきほどの広場に、旅芸人の天幕があったろう。その金子で、しばらく遊んでこい」


「いいんですか! あ、僕一人で?」


「ああ。ただし、買い与えた荷物を一つでも損なうなよ」


「はいっ。わかりました」


 麦わら帽子をかぶり背嚢を背負ったギシュタークは、金子を掴んで大衆食堂を飛び出していった。


「面白い少年だ」


 しばらく退屈せずにすみそうだと、イシュナグは酒杯を置く。


 かつてともに遊び歩いた彼とは、面影も性格もまるで違う。それなのに、どうしてこうも懐かしいのか。


 イシュナグは軽く頭を振り、腰を上げた。


「さて、そろそろ諸侯らが手を回した頃だろうな」


 目深に被った外套のフードの中で、それはそれは楽しそうに彼は笑う。

 間違いなく、聖王イシュナグは休暇を楽しんでいた。




 ◇◇◇


 ギシュタークにとって、この街は初めてであふれかえっていた。

 獣人族の女王ヒュンデの領地から出たのは、実は昨日の会合が初めてだった。それ以前に、領内で他の種族を目にすることはあったが。


「旅芸人、かぁ」


 旅芸人がどういったものかは、知っている。

 四種族がともに旅をする、芸にひでいた集団だと。

 二年ほど前に母の館に一座がやってきた時は、不覚にも風邪を引いて寝込んでしまっていた。その時の悔しさを晴らすべく、ギシュタークは意気揚々と赤い天幕を目指す。背嚢に積まれた荷物の重さなど忘れていたに違いない。


 とはいえ、彼は一人で金子を持っておつかいをしたことすらない。

 入場券を買う列に並ぶ間、始終緊張して耳と尻尾だけではなく、下半身を覆うフサフサの体毛も逆立っていた。


「ぼ、僕、一人ですけど」


「はぁい。お一人さまね。あそこの銅鑼が三度みたび鳴ったら開演ね。それまでに、席についててねぇ」


「ひゃ、ひゃい。ありがとうございますっ」


 紺色の翼の翼人族の売り子から、キラキラ輝く入場券を受け取ると、ギシュタークは嬉しさのあまり深々と頭を下げる。よく背中の荷物が落ちないなと、売り子が苦笑したことを、彼は知らない。


 ギシュタークは憧れの旅芸人の技が見れると、ピョンピョン飛び跳ねながら、天幕から一度離れた。

 イシュナグからもらった金子は、まだ残っている。

 開幕の銅鑼が鳴る前に使おうと広場に並ぶ屋台を、尻尾を振りながら見渡す。


 やはり、食いしん坊の彼だ。

 あれほど昼食を食べたというのに、金子はすべて食べ物に変わり、胃袋の中におさまってしまった。


「ふわぁああ。幸せぇ。イシュ……ご主人さま、最高ぅ」


 彼の緩みきった笑顔が、ふいに引き締まる。


「あの、さっきも……」


 旅芸人の赤い天幕があるせいか、この広場にいる者たちは、ほとんど浮足立っている。にもかかわらず、小人族の少女が今にも泣きそうな顔で広場のすみを行ったり来たりしている。


「まだ、時間あるよね。よいしょっと……」


 背嚢を背負い直したギシュタークは、灰色の頭巾の少女に声をかける。


「ねぇ、君、どうしたの?」


「……っ」


 声をかけられると思わなかったのか、少女は弾かれたように顔を上げた。少女といっても、ギシュタークよりも明らかに年上だ。


「あ、あ、あの」


 小人族といっても少女の背丈は、ギシュターク自身が小さいから頭一つ分ほどしか違わない。彼が人懐っこい笑顔を浮かべていたこともあるのだろう、少女は少しだけ迷ったようだが、探しものをしていると言った。

 探しものと聞いて、ギシュタークの尻尾が揺れる。


「探してあげるよ。僕、鼻がきくから」


「ありがとう。探しているのは女将さんから預かった金子なの。あれがないと、あたし帰れないの」


「金子の臭いなら、君の上着のそのポケットからしてるけど?」


「えっ、やだ、うそ」


 鼻を軽くひくつかせたギシュタークが指差した黒っぽい上着の胸ポケットに手をおいた彼女は、顔を真っ赤にする。


「これだから、あたし駄目なのよね」


 それは探しものが見つかった安堵からというよりも、彼女自身に対する自嘲の響きがあった。


「あ、あたし、サイシャっていうの。お礼がしたいから、うちの宿に来てくれる?」


「え?」


 お礼とかそういうものを、ギシュタークは求めていなかった。

 キョトンと目を丸くする世間知らずな獣人族の少年に、彼女は町外れの宿の場所を一方的に教えて去っていく。


「街って、すごいなぁ」


 驚くことばかりだと、ギシュタークがしみじみしていると、一度目の銅鑼の音が聞こえてきた。


「あ、急がなきゃ」


 天幕へと急ぐギシュタークの背中を、少し離れた屋台の先ほどの小人族の少女――サイシャがじっと見つめていた。暗く、淀んだ眼差しで。

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