其の二 聖王と従者、街に行く

 意識を取り戻したギシュタークが最初に目にしたのは、青々とした草たちに縁取られた雲一つない青空だった。


「うー、気持ち悪ぃ」


 石畳で舗装された街道脇の草むらの中で、横になっていたらしい。体を起こして、彼は体についた土などを軽く払う。

 横で胡座をかいて瞑想にふけっていたイシュナグに、軽い違和感を覚えた。だが、起き抜けでよく回らない彼の頭では違和感の正体に気がつけないでいる。


「おう、ようやく気がついたか」


 鼠色の外套のフードを目深に被ったイシュナグが、まぶたを押し上げて上機嫌な笑みを口元に刻んだ。


「あのぉ、やっぱり白亜宮殿に戻りま……」


「断る」


「ですよねぇ……えっ」


 とうなだれかかったギシュタークは、初めてイシュナグの違和感の正体に気がついた。ピンと耳を立てて、まじまじとイシュナグを見てしまう。

 イシュナグの外套のフードには、ギシュタークの三角の耳によく似た何かがあった。


「イイ、イシュナグさま、そ、その耳……」


「ああ、これか。これは、ただの飾りだ」


 フードの中のカチューシャを見せるイシュナグの額には、黒の布が巻かれている。聖紋を隠すために違いない。


「これで、俺も獣人族に見えなくもないだろう?」


 立ち上がり革のサンダルで草を踏みしめたイシュナグに、ギシュタークは何も言えなくなった。

 鼻のきく獣人族でなければ、簡単に騙されてしまうかもしれない。半人半獣の獣人族は、体の一部が獣だ。その一部分がどこになるのかは、個人の自由。ヒュンデのように下半身だけであったり、ギシュタークのように下半身と耳であったりするが、中には耳だけの者もいないわけではない。


 誰かに見つけてもらおうというギシュタークの望みは、早くも儚く消えてしまったようだ。


「さて、行くぞ。そなたが天馬の上で気絶するから、時間を無駄にしてしまった。まぁ、休暇とならば、無駄に過ごすのも悪くないがな」


 グギュゥウウウウウウウウ


 ギシュタークが口を開くよりも早く、そのお腹が早く何か食わせろと返事をしてしまった。

 一瞬の間の後に、イシュナグの快活な笑い声があたりに響く。


 昨夜から何度自分の食い意地を恨んだことか、ギシュタークはもうわからなくなっていた。




 ◇◇◇


 聖山の麓には、大きな街道がぐるりと走っている。その街道沿いに、いくつか大きな街がある。

 それらの街は四つの種族の交流が盛んで、とても活気に満ち溢れている。


 イシュナグとギシュタークが向かった街も、例外ではない。


 さほど大きな広場でなくとも、大小様々な屋台が所狭しと並んでいる。

 意外なことに、イシュナグはギシュタークよりも活気あるいちに馴染んでいた。

 いちの屋台で購入した携帯用の軽い木の器を手に、湯気を立てた大鍋がある屋台に足を運ぶ。


「ダフ芋団子も五つずつ、この器にくれ」


「はいよ」


 売り子が鍋から団子を手早く二つの器によそう。

 金子きんすと引き換えに両手に一つずつ器を受け取ったイシュナグは、軽く片眉を跳ね上げた。


「おいおい、ダフ芋団子は五つと言ったはずだが?」


「おまけだよ、おまけ。色男さん」


「そいつは、ありがたくもらわないとな」


 売り子の巨人族のおばちゃんに、軽く頭を下げたイシュナグにならい、ギシュタークも慌てて頭を下げる。


「行くぞ。ほら」


 イシュナグは、ギシュタークにダフ芋団子の器を与える。

 湯気が立ち上る器の中には、琥珀色のあんがたっぷりと絡んだ団子が六つはいっていた。ダフ芋団子は初めてだが、ギシュタークの鼻は美味しいと保証してくれる。


「ありがとうございます。イシュ……」


「ご主人さま、だ」


「はい。ご主人さま」


 手が汚れるのも気にせず、ギシュタークは早速ダフ芋団子を頬張る


「ひゃふ。おいふぃれす」


 ハフハフと熱々のダフ芋団子を美味しそうに食べるギシュタークに、イシュナグの口元に笑みが浮かぶ。なにかを懐かしむような笑みは、ダフ芋団子に打った舌鼓によって消えてしまった。


 あっという間にダフ芋団子のみならず、手についた餡もきれいに舐めとったギシュタークは、広場の水場で器を洗うことを学んだ。


「ご主人さま、これからどうするんですか?」


「とりあえず、この街を見てまわる。百年も留守にしたのだ。何か変わりないか気になるのでな」


 イシュナグも餡が残る串を加えながら歩き出す。


 黄土色の土壁の家が並ぶ街を散策しながらイシュナグは、ギシュタークに雨よけの外套や小さな体にあう背嚢などいくつかものを買い与えた。


「ギークよ、街が珍しいか?」


「はい」


 通りの隅で、小人族の一団が魔法道具を使った芸を、ギシュタークは珍しそうに横目で見ていた。彼の頭に、イシュナグは購入したばかりの麦わら帽子をかぶせた。獣人族用とあって、ちゃんと三角の耳が外に出るようになっている。


「僕は、こういう街に来るのは初めてなんです。今まで、獣人族の郷を出たことなかったですし……」


 世間知らずであることが急に恥ずかしくなったギシュタークは、恥ずかしさを紛らわすためにイシュナグに質問をぶつけてみることにした。どうも、話に聞いていたほど、イシュナグが恐れ多い存在には思えなかったのだ。もっと言えば、歳の離れた兄たちよりも話しやすい存在だ。


「イシュ……ご主人さまは、珍しくないんですか? そのぉ、下々の暮らしというか、なんていうのか……」


「ああ。昔、よく宮殿を抜け出して遊び歩いていたからな」


「ひゃい?」


 ギシュタークは、思わず目を丸くする。


 ポヒュンと魔法道具が音を立てて、小人族の一団の周りに淡い色の花びらが舞う。


「昔の話だ。俺が聖王になる前のな」


 小人族の一団に送られた拍手を聞きながら、イシュナグはその場を離れる。

 イシュナグとギシュタークは、種族入り乱れた雑踏の一部となる


「三千年前とまるで変わらない。この街の活気も。ダフ芋団子の味も。それに、誰もに気がつかなかった」


 まるで独り言のようにつぶやくイシュナグの顔を見上げるが、ギシュタークにはその表情すらうかがい知ることができなかった。


「百年、か。人間族ならば、ずいぶん街も変わっただろうよ」


「人間族、ですか?」


「おう、人間族だ。実はな……」


 ニヤリと笑ってイシュナグは、不在だった百年――彼にとっての一年――を過ごした異世界ニホンで見聞きしたことを、ギシュタークに語り始める。


 往来の人々は誰も、聖王と従者に気がつかない。

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