其の六 聖王、休暇も忘れ激怒する

 その宿についた頃には、日はとっぷり暮れていた。

 不慣れな街で迷ったわけではない。単純に遠かっただけのことだ。


「ここ、です」


「ここ、ねぇ」


 街外れのその宿は、繁盛しているとは言い難そうな雰囲気を醸し出している。


 二軒向こうにある宿の賑わいに比べると大丈夫かと思ってしまうほど、宿屋花ノ木亭は静まり返っていた。

 これには、さすがに案内したギシュタークも戸惑いを隠せない。


「まあよい。宿屋は宿屋だ。行くぞ」


「は、はい」


 多くの宿屋が大衆食堂もあわせて経営している。

 花ノ木亭もそうだった。

 外の雰囲気とは違い、中はなかなか立派だった。綺麗に掃除されており、手入れされた魔法道具の照明が明るく店内を照らしている。


「いらっしゃ……あれ?」


 早速出迎えてくれた広場の娘――サイシャが、首を傾げ戸惑いの表情を浮かべる。


「ああ、女装コレは、こいつの趣味だ」


 店内をじっくりと見渡していたイシュナグはいち早く、サイシャの戸惑いを察して困ったものだと苦笑する。どうやら、通達球の報せはまだ届いていないようだ。

 否定しようとしたギシュタークをひと睨みで黙らせるイシュナグを信じたかどうかは、彼女の作られた笑顔からうかがい知ることはできなかった。


「わかりました。それで、宿泊でよろしいんですよね?」


「ああ、一晩頼む」


 旅芸人の劇の続きを諦めなくてはとギシュタークが肩を落とす。


「それから……」


 ぐるりともう一度、イシュナグは食堂を見渡す。

 陰気臭そうな巨人族が三人。それから、顔色の悪い獣人族の女が二人。

 彼の眉間に皺が寄る。


「それから、飯は部屋に持ってきてくれ。なんなら、金子を追加してもいい」


「はい。ではご案内します」


 世間知らずのギシュタークは、こういうものかと背嚢を背負ったまま主人の後についていく。主人がじっと裏手の別棟へ案内する娘を注視していたことに、気がつくはずもない。




 ◇◇◇


 案内された平屋建ての別棟もまた綺麗に掃除されていた。

 調度品も魔法道具の類が多く、安宿とは言い難い。街外れの宿には、もったいないほどだ。

 だが、宿泊客らしき者たちは、どうも雰囲気が悪い。


 食事の準備をして来ると、頭を下げて退出しようとしたサイシャをイシュナグは呼び止める。


「娘、厠はどこだ?」


「奥に行ったところの左にあります。ご案内……」


「いや、一人でいい」


 ヒラヒラと手を振ってイシュナグは、ギシュタークを残して廊下の奥に消える。


「ご主人さまも、厠行くんだ。……あ、な、何でもないです。気にしないで」


 思わずこぼれた台詞に不思議そうに小首を傾げた娘に、ギシュタークは慌てて手を横に振る。

 そうですかと娘が出ていって、彼がどれほどホッとしたことか。


 あらためてギシュタークは部屋を見渡す。


 床の敷物は緻密に織られた幾何学文様の絨毯。

 ふんだんに刺繍が施された絹張りのクッション。

 ランプは着けたり消したりが便利な魔法道具。

 透かし彫りの白木の衝立の向こうに行けば、フカフカの大きな寝台が二つ。


「うわぁあああああい」


 目を輝かせた彼は、背嚢を下ろすと寝台へ飛び込んだ。

 女物の服が乱れるのもかまわず、ゴロゴロと転がり続ける。


「むふふふ。フカフカ、最高ぅうう」


 クッションを抱えて、ゴロゴロ転がり続ける。


 クギュゥウウウウウウウウウウ


「はぁ、これで美味しいもの食べれたら、もぅ幸せ」


 寝台の上で幸せそうな笑みを浮かべている彼の鼻を、すでに美味しそうな匂いが刺激していた。


「失礼します」


「ひゃいっ」


 慌てて飛び起きて服の乱れを直して、衝立の向こうに戻ると、サイシャが敷物の上に食事を並べ始めていた。


「手伝うよ」


「え?」


 小人族の小さな体では、並べるのは大変だろうとギシュタークも廊下のスープの入った器を手に取る。


「僕、家族多いからこういうの僕の仕事なんだ」


「じゃあ、またお言葉に甘えて」


 うつむきがちな彼女がはにかんで見せると、ギシュタークはさらにやる気を出した。


 娘とギシュタークが食事をすべて並べ終える頃に、イシュナグはようやく戻ってきた。

 厠にしては長かったと不審がる娘に、夜風に当たっていたとイシュナグは軽く受け流す。


「ほぉ、酒まで用意してくれたとは。ありがたいことだ」


 舌鼓をうちながらクッションの上でイシュナグがくつろぐと、サイシャは入浴の方はと尋ねてくる。


「いや。今夜はいい」


 下がれとヒラヒラと手を振る。まるで娘を追い払いたくてしかたないようだ。


「さてと……あー、食っていいぞ」


「やったぁああああ!」


 せっかく女装させたというのに、よだれを垂らさんばかりだったギシュタークに可愛らしさがまるでない。

 まるでお預けを食らっていた犬だなと、呆れながらイシュナグは酒杯に酒を注ぐ。


「明日から、どう仕込むか……」


 切子硝子の酒盃を煽りながら、イシュナグが不穏なことを考えていることなど、どれから食べようかと目を輝かせたギシュタークは気がつかない。


「ギシュタークよ」


「ひゃい?」


 魔力が込められていた声にギシュタークは、とろんとした顔を上げる。


「今日は疲れただろう。眠るがいい」


「ひゃい」


 コテンと後ろに倒れるギシュタークを、柔らかいクッションが包み込む。すぐに、気持ちよさそうな寝息が聞こえてくる。


「さて、俺も……」


 空になった酒杯を床に転がし、イシュナグもクッションに体を預けて寝息を立て始める。




 ◇◇◇


 サイシャは、その様子をずっと部屋の外からうかがっていた。

 昼間のおせっかいな少年の主人には、何度もドキリとさせられたけど、たいしたことはなかったようだ。


「いい気味」


 焦りは禁物。

 以前しっかり薬がきいていることを確認しそこなって騒ぎになった時は、それはもう女将さんに酷いお仕置きをされたものだ。あんなのはもうごめんだ。


「失礼します。お客さま……」


 乱れることのない寝息に、娘はほくそ笑む。

 これなら大丈夫だと。


「本当に、いい気味」


 クスリと笑って、娘が部屋を出ていこうとした時だった。


「それは、俺の従者のことか?」


「……っ」


 跳ね上がる心臓をなだめながら、振り返ると外套をそのままに眠りこけていたはずの男が、凍てついた眼差しで娘をじっと見ていた。


「何を驚いている? ああ、眠り薬がきかなかったことか?」


「ね、眠り薬、なんて……」


 娘がガタガタと震え上がるほどの、凍てついた声。


 手近な器に盛られたダフ芋団子をつまみ口に運び、ゆっくりと咀嚼する。ペロリと指先についた餡をなめとると、冷たく笑った。


「あいにく、俺は毒の類がきかん体でな。そのくせ、どんな毒が盛られているのか、わかる。たとえ、無味無臭であってもな。まったく、難儀な体だ」


 さてと、ゆるりと立ち上がったイシュナグの歪な影が、娘を覆う。


「女将さんに言われて、しし、しかたなかったのっ。やらなきゃ、あたし……」


「ほぅ。それで?」


 腰を抜かして震える娘を、イシュナグはただ凍てついた眼差しで見下ろしているだけだ。


「だからっ、あたしは無理やりやらされてただけなのっ。やらなきゃ、あたし、あたし……」


 娘がどんなに大きな声を出しても聞こえているのは、イシュナグだけ。


「折檻が怖くて、しかたなく人売りを手伝っていたと?」


「そ、そう! そうなの。だからっ、だから、あたしは……」


「俺は、許さぬよ」


 ちらりと気持ちよさそうに眠るギシュタークを見やる彼の口元に、優しげな笑みが浮かんでいた。


「お前は、あえて手を差し伸べた俺の従者を絶望させたかった。そうだろう?」


「そうよ! そんな馬鹿みたいなお人好しがいい目見るなんて、おかしいじゃないっ」


「貴様が泣こうが喚こうが、俺は許さぬよ」


「ひっ」


 不意にイシュナグは、衝立の向こうの背嚢を取りに行く。戻ってきても、娘はまだ入り口の近くで動けずに震え上がっている。


「貴様は運がいい。危うく忘れるところだったが、俺は休暇中だからな。俺は罰しない。すでに警邏を呼んである。だが、駆けつけてくるには今しばらく時間がかかるだろう」


 イシュナグは背嚢を背負い、眠りこけるギシュタークを肩に担ぎ、部屋を出て行く。


「逃げたければ、逃げるがいい。できるなら、な」


 すぐに、娘が喚き泣く声が聞こえてきた。

 泣けばいいと、イシュナグは口の中でつぶやいた。

 罪の意識があるうちは、まだ救いがある。何より、まだまだ若い。


「俺は、お前のように優しくなれないのだよ」


 夜陰に紛れたイシュナグは、誰に聞かせるでもなく胸の内をこぼした。


「創造主は答えた。『嘆きの母よ。余もまた不完全なのだ。許せ』と」


 息子を殺された小人族の母親が、なぜ悪が存在するのかと創造主に訴えた時の言葉を、末裔の彼は声にしてみるが、胸に深く根付いた虚しさは消える気配がない。


 夜陰から明るい通りに出た彼には、良くも悪くも百年前と街も民たちも何も変わっていないように見えた。

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