其の七 聖王、深い夢に抱かれる

 目を覚ましたギシュタークは、まだ夢を見ているのかと必要以上にゴシゴシと目をこする。


「あれ? 僕、たしかぁ……」


 フカフカの寝台のある綺麗な宿屋にいたはずだ。

 それなのに今は、狭い天幕の中で毛布にくるまって横になっている。

 灯り一つない天幕の中だが、外でに焚き火があるのか、真っ暗というわけではない。


「ご主人さま?」


 天幕の外に顔を出すと、焚き火の向こうにイシュナグが胡座をかいて瞑想していた。


「起きたか」


「あのぉ、ここ……」


 まぶたを押し上げイシュナグは片膝を立てて、くつろぐ。焚き火に照らされた端正な顔が、疲れているように見えたのは、気のせいだろうか。

 わけがわからないという顔をしているギシュタークに、今朝の街道近くの森の中だと教える。


「でも、宿で……」


「ああ、あの宿か」


 焚き火にあたるようにとギシュタークを手招きして、イシュナグは起こったことをすべて聞かせた。


「そんなことって……」


 がっくりとうなだれるギシュタークの頭を、イシュナグは右手でポンポンと叩く。意外と手触りがいい。気がつけば、ワシャワシャと頭を撫で回してしまう。


「ご主人さま、やめてくれませんか」


「よいではないか。減るものではないし。……わかった。そんな目で見るな。襲いたくなるではないか」


 潤んだ目で上目遣いにじっと訴えられては、イシュナグもやめるしかなかった。


「ご主人さま、冗談はやめてください。それで、あの子はどうなっちゃうんですか? やっぱり、裁かれちゃうんですか?」


「お前というやつは……」


 手を差し伸べた相手に裏切られたというのに、ギシュタークは本気で心配している。


「さぁな。あの娘しだいだろう。ギークよ、これはあの娘のためでもあるのだぞ。罪を認め、贖うよい機会だ。鎖でつながれていたわけでもないのに、あの娘は悪事に手を染めてしまった。暴力という見えない鎖もあっただろうが、な。どちらにせよ、あの娘は悪事に手を染めていた自覚はあったのだ。罪を贖うことができなければ、あの娘はずっと罪悪感を抱えて生きることになる」


「そう、かな」


「だから、娘しだいだ。お前がどれだけ気をもんだところで、どうすることもできんだろう」


 悲しそうに焚き火を見つめるギシュタークの耳は元気なく垂れている。


「俺は身を清めなくてはならん。害がないとはいえ、毒を食らったのだからな」


 イシュナグはしゅるりと左手に巻いてあった布切れをほどく。


「えっと、身を清めるって……」


「潔斎だ」


 立ち上がったイシュナグの左手には、聖なる光を宿す聖槍があった。


 焚き火と天幕から少し離れた落ち葉が積もる地面に、聖槍の石突きを突き立てる。

 ゴポゴポと音を立てて清らかな水がき出した。


「一度潜れば、しばらく戻らん。天幕の中に、財布がある。好きに使うがいい。日が昇れば、街まで迷うこともない」


 服を脱ぎ捨たイシュナグは、ふと思い出したように振り返る。


「なぁ、ギークよ、一つ教えてほしいのだが……」


「はい。ご主人さま」


「いや、いい」


 イシュナグが泉に沈んだ後、ギシュタークはしばらく焚き火をじっと見つめていた。

 しばらくして夜が明ける。

 聖槍の穂先に朝日が照らされ、泉に光が降り注ぐ。


 焚き火の後の側には、誰もいない。




 ◇◇◇


 竪琴の音が聞こえる。


 どうやら夢を見ているらしいと、イシュナグはそっとまぶたを押し上げる。

 空の青さに圧倒された彼は、苦々しく笑い再び目を閉じる。

 青は、彼がもっとも嫌う色だ。


「ミスリア」


 竪琴の音がやむ。かわりに、細い指が彼の頬をそっと撫でる。


「ミスリア」


 もう一度、最初の妻の名前を呼ぶ。

 その声にこめられていたのは、愛情も確かにあっただろう。だが、真逆の感情もふくめた、幾つもの感情が複雑に織り交ぜられていた。

 目を閉じたままなのは、その複雑な感情のせいだろうか。

 あいかわらず、細い指が優しく頬をなでている。


「ミスリア。これは夢だ」


「ええ、夢ですわ」


 先ほどまで奏でられていた竪琴によく似た軽やかな声。


「夢の中くらい、わたくしの腕に抱かれ……」


「俺の夢だ。消えてくれ」


「……っ」


 指がビクッと強張る。

 そして、気配が霧散する。


 まぶたを押し上げ、映るはどこまでも青い空。

 あるいは、どこまでも澄みきった青い水面。


「……まだ、許せないのか」




 ◇◇◇


 イシュナグが泉から上がると、あたりは夕闇に包まれていた。


 すぐに乾いた体に脱ぎ捨てた服を着て、突き刺した聖槍を抜く。


「さて、リルアを探しに……ん?」


 左手の聖槍の紋様を隠すために、布を巻きつけながらあたりを見渡した彼は、予想外の物を見つけた。


「やれやれ。好きにすればよかったものを」


 燃え尽きた焚き火の跡の側に、三角の耳を生やした獣人族の少年が丸くなって眠っている。

 さすがに、女物の服は着ていない。だが、街に出ることすらしなかったのだろう。近くには彼が森で獲ってきたであろう小動物の食べ残しが散らかっている。


 イシュナグは、強引に従者として連れてきた少年が残っているとは思っていなかった。

 どうしたものかと、顎をさすっていると足元の少年が目を覚ます。


「あ、ご主人さま、お帰りなさい」


「おう」


 目をこすっている少年に今しばらく付き合ってもらおうと、イシュナグは心に決め、手を叩いて火をおこした。


「ギークよ。お前は、あの娘のように手を差し伸べた相手に裏切られても、まだ差し伸べられるか?」


 ギシュタークは目をこする手を止めて、しばし言葉を選んでからゆっくりと答える。


「僕は、手を振り払われてもかまわないと思ってます。正直、あののことはこたえてるけど、やっぱり困ってる人は放っておけないですよ」


「そうか」


 やはり、似ているとイシュナグは思った。

 嫌になるくらい、優しすぎるところがよく似ていると。


「ところで、ギークよ。明日は、より女らしい服を与えてやる」


「ひゃい? ご、ご主人さまぁあ、あんまりですぅうう」


 ギシュタークは目に涙をためて、オロオロとやめてくれと訴える声が夕闇の中に響く。



 従者ギシュタークが手を差し伸べた小人族の娘が、罪を悔い贖った頃に、また再び彼らと関わることになるのだが、それは今しばらく先の話。今は語るまい。




 そう、これは聖王イシュナグの休暇の物語。あるいは、消えた娘リルアを探す物語なのだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る