其の三 聖王、諸侯らを召喚する

 帰還したばかりのイシュナグは今夜はゆっくり過ごして、明日にでも四種族の諸侯しょこうらを招集するつもりだった。

 だがそれも一年という考えがあったからこそだ。一年が百年となると話が違ってくる。


 四種族の諸侯らを召喚するにあたって、さすがに獣人族の控えの部屋では狭すぎた。

 心置きなく大好物を食らい幸せそうな寝顔を晒すギシュタークを部屋に残し、イシュナグはヒュンデを連れて回廊を渡った。


 白亜宮殿は、聖王自身が鍵。


「すまんな、ヒュンデ。一年ならばともかく百年となると話は別だ。留守をまかせた諸侯らを、早く労わなくてはな」


「かまいませんわ。イシュナグさまが帰還されたのですもの。みなの驚く顔を早く見たいですわ」


 召喚の間に付き従ったヒュンデが、心の中ではイシュナグと二人きりの時間を過ごしたかったと嘆いていたことは、想像に難くない。


 イシュナグが召喚の間に足を踏み入れただけで、壁にかけられていた無数のランプに灯りがともる。

 暗がりに飲まれた天井の高さを知るのは、聖王のみだろう。


「さて、と」


 白い壁に囲まれた円形の召喚の間の中央に、イシュナグは立つ。

 複雑な文様が刻まれ、鏡のように磨き上げられた床に聖槍の石突きを打ちつけた。


 カァーーーーン……


 硬く清らかな音が響く。

 床の文様が放った青白い光が、清らかな音の余韻とともに消える。

 かわりに現れたのは、新たな大小の三つの人影。


「な、なんじゃ、なんじゃ、こんな時間にわしを呼び出すようなやつは……」


 イシュナグの腰のあたりまでしか背がない小人族の君王くんおうニグルスが、尻餅をついた尻を押させながら喚く。

 それも、イシュナグの姿を目に止めるまでのことだ。

 あんぐりと口を開ける小人族の老人に、イシュナグは口元に笑みを浮かべる。


「余の他に、諸君を召喚する者はいない。急な召喚、余にとっても心苦しいものであったぞ」


 イシュナグの三倍はあろうかという壮年の大男が、ひざまずく。

 丸太のような腕で目元を隠したのは、感極まって涙ぐんでしまったためだ。


「とんでもございません。我らが巨人族は、イシュナグさまがお呼びであれば、いつ何時でも馳せ参じる所存であります」


「泣くほどのことではない。ヴァルバルよ」


「いえ、この百年、俺には長すぎました」


 おいおいと泣き出したのは、巨人族の大王ヴァルバルだけではなかった。彼の横でニグルスもまた、腹まで伸びる豊かな顎ひげをかきむしりながら泣いているのだ。


 頬をかくイシュナグの口元には、隠しきれない照れがある。頭をかいた手に猫耳のカチューシャがあたった。

 彼がカチューシャを外すのを、ああぁとヒュンデは悲しげな吐息をもらす。カチューシャをもてあそぶイシュナグは、その吐息に気がついたのか、気がつかなかったのか。


「さて、お前は誰だ? 初めて見る顔だが……」


 翼人族の青年に目を向けたイシュナグは、眉をひそめた。

 真紅の髪にふさわしい真紅の翼を持つ容姿端麗な青年は、一礼する。


「わたくしは、ウームルとお申します。先の君主ヨミさまの跡を継いだのは、イシュナグさまがお姿を消された後にございます。こうしてイシュナグさまにお呼びいただき、恐悦至極に存じます」


 緊張しているのか、翼人族特有の若干優雅さが欠けている。とはいえ、翼人族の君主には違いない。


「ふむ。やはり、諸君とよく話をしたほうがよさそうだ」


 百年という時の流れを、イシュナグはまだ実感していない。

 だからこそか、彼は再び聖槍の石突きで床を二回叩く。


 白亜宮殿は、聖王自身が鍵。


 磨き上げられた床が光ったと思ったら、ここはもう召喚の間ではなかった。

 夜風が吹きこむテラスから、月明かりが差しこむ広間。


「さて、諸君、くつろぐがよい」


 イシュナグが手をたたくと、天井から吊るされた無数のランプに灯りが灯る。

 暖かいランプの灯りに、広間はよりはっきりと浮かび上がる。

 床には幾何学文様が描かれた絨毯が敷き詰められ、イシュナグはすでに橙色のクッションに身を預け胡座をかいてくつろいでいた。

 その手に聖槍はなく、かわりに左の手の甲に槍の穂先を象った聖紋が刻まれている。


 獣人族の女王ヒュンデ、小人族の君王ニグルス、巨人族の大王ヴァルバルが、主のイシュナグの前に腰を下ろす中、翼人族の君主ウームルだけが所在なさげ立っている。

 そんなウームルに、ヒュンデは鋭い視線で有無言わせずに座らせる。彼女の視線には、あらゆる生物を殺せそうなほどの殺気がこめられていた。翼人族の君主とて、怖いものは怖いのだ。


 猫耳のカチューシャをもてあそびながら、イシュナグはさてと口を開く。


「さて、諸君。何から話せばよいだろうか。……ヒュンデより聞いたが、余は百年この世界を留守にしていたそうだな」


 戸惑いをはらんだ沈黙を、イシュナグは肯定ととらえた。

 沈黙を破ったのは、ヴァルバルのどら声だった。


「失礼ながらお尋ねします。イシュナグさまは、いったい何処にいたのですか?」


「ふむ、そうだな。それから話すとしよう」


 カチューシャを膝の上に置いて、イシュナグは黄金色こがねいろの瞳を輝かせる。


「聞いて驚け。余は、人間族が移り住んだ世界に魔王ガラムの奴めとともに飛ばされたのだ」


 もしかしたら、イシュナグはあえて自らどこにいたのか話そうとせずにもったいぶっていたのかもしれない。

 諸侯らの驚きのあまり言葉を失っている姿は、はたして彼がもったいぶっただけの甲斐はあったのだろうか。

 異世界ニホンでは、ドヤ顔と呼ばれるであろう彼の得意げな表情を見れば、説明するまでもないだろう。

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