其の三 従者、少年と少女に頭を抱える

 結局、イシュナグが離れに戻ったのは、夜半すぎた頃だった。あの騒動でざわついていた飛翔館も、ランプの数も減り寝静まっている。だが、離れでは、未だランプの明かりがついていた。


「……お前、いつまでここにいるんだよっ! いい加減、帰れ!」


「だから、アタシはギシュと結婚するんだから……」


「ふざけるなよっ。テメー魔族だろ!」


「関係ないわよ。ギシュもおとーさまに血を分けもらえば、立派な魔族になるんだから」


「勝手なこと言ってんじゃねーよ! つか、ギーシュもなんか言えよ!」


「勝手じゃないもん! ギシュもこのボンクラに何か言ってよ!」


「ふ、二人とも落ち着いてよぉ」


 どうしてこうなった。

 戸口の外まで聞こえてくる声は三つ。一つはもちろん、従者のギシュターク。他の言い争っている二つの声のうち、男のほうはおそらくウームルの末の息子ティーゲルだろう。もう一つの甲高い女の声は、聞き覚えがない。


 イシュナグが戸口の向こうで、こめかみをもんでいることなど、離れの中の三人は知る由もない。




 ◇◇◇


 離れで目を覚ましたギシュタークは、体に異常はないかと尋ねてきた青年に、情けない腹の虫で空腹を訴えた。

 不思議なことに、意識を失う前に体を襲っていた倦怠感も悪寒も全て拭い去られて、快調そのものだった。ただ、空腹という一点を除いては。


「つまり、郷を襲っていた黒い靄みたいな奴らは、翼人族の成れの果てってことかよ」


「ひょうひゅう…………そういうこと」


 ギシュタークは、口いっぱい頬張ってた肉団子を飲みこんで、首を縦に振った。彼は、ティーゲルに魔の森で見聞きしたことをすべて語って聞かせていた。

 食事の用意とともにティーゲルと話がしたいと、ギシュタークは真っ先に強く訴えた。そうでなければ、ティーゲルがこうして離れにいることはできなかっただろう。


「ティー、ヤーシャの言ってたことが本当なら、君たち翼人族は……」


「聞いたことある」


 生まれたばかりの赤子を捨てているのかと、ギシュタークがためらった言葉をくみ取り、ティーゲルは薄紅色の前髪をかきあげる。目元は赤く腫れているのは、ギシュタークを心配していた証拠だろう。


「父上が君主になる前まで、女たちは虐げられてたってのは知ってるか?」


「う、うん」


 虐げられているとまでは耳にしていなかったが、表に出ることができない裏方だったという話なら、他種族のギシュタークも知っている。


「それで、さ。女が生まれると、その子の将来を悲観して母親が捨てる。もちろん、禁止されていたけど、暗黙の了解つーか、なんつーか、捨てられてたらしい」


 だから昔はあの魔の森に面した崖のことを、子捨て崖と呼ばれていたとティーゲルは続けた。


「でも、父上の代になってからは、見回りの仕事に子どもを捨てようとする親を説得するか罰するようになって、今じゃほとんどないらしいけど」


「そういえば、ヤーシャも百年くらい減ってるって言ってたっけ」


 でもなくなったわけじゃないとも、言っていたような気がする。


「ほら、父上、もともと女だったろ。俺、それ聞かされた時はすげーショックで寝込んじまったんだけどさ。……って、こんな話より、父上が女たちも活躍できるようにしてくれたんだけどなぁ……」


 ティーゲルは、頭をガシガシかいて、なにやら考えこんでしまったようだ。


 よかったと、ギシュタークは食事を再開しながら思う。

 獣人族の少年が訴えたところで、下手をしたら翼人族への侮辱ととられる可能性だって充分あったのだから。

 まだ知り合って間もないが、信じてくれる親友がいてくれてよかった。


 ティーゲルの考え事の邪魔をしないようにと、ギシュタークは黙々と食べ続ける。


「ん?」


 すべて平らげ食器を戸口の側に片付けて戻ってきたギシュタークは、なにやら戸口の向こうで人が動く気配を感じた。

 翼人族ではない。主人のイシュナグでもない。誰だろうと、ギシュタークが戸口に向かって声をかけようとしたときだった。


「ギシュ〜〜〜〜〜っ!」


「どわっ」


「っ!」


 戸口の内側にふっと姿を表したヤーシャは戸口に背を向けていたティーゲルを押しのけ、並べられたご馳走を飛び越え、ギシュタークに抱きついた。


「え? ちょ、離して、えっ、なに? えっ、なんで君がここに……」


「なんなんだよ、こいつっ!」


 ヤーシャの見た目からは想像できなかった力強い腕を解こうともがくギシュタークは、ティーゲルが唸るような声で銀色に光る短剣を振るったのを見た。


「ちょっと、危ないじゃない。何すんよよ。アタシのギシュに……」


 パッとヤーシャがギシュタークから腕をほどいて身を翻したせいで、ギシュタークは衝立に後頭部をぶつける。


「いったぁ」


「大丈夫か、ギーシュ?」


「大丈夫、ギシュ?」


 後頭部をさするギシュタークを心配する声を上げた二人は、すぐさま互いをキッと睨む。


「お前が言うな!!」


 今度は寸分違わず、声が揃った。


 さほど広くない離れで火花を散らす二人の間に、尻尾を垂らしたギシュタークが割り込む。


「二人とも、落ち着いてよ。ティー、彼女がさっき話したヤーシャで……」


「誘拐犯か! 貴様のせいで……」


「ティー! 落ち着いて、こんなところで争わないで!!」


 不承不承、ティーゲルが短剣を下ろす。それでも、ヤーシャを敵意むき出して睨みつけるのはやめない。それは、ヤーシャも同じことで――。


「ヤーシャもヤーシャだよ。ここは魔の森じゃないんだ。みんな、君が魔族ってだけで襲ってくる……」


「知ってるもん。アタシだって、おとーさまにお願いされなかったら、こんなところ……」


 腰に手を当てたヤーシャは、フンっと鼻を鳴らす。


「最初に言っておくけど、アタシのおとーさまは、ガラムさまなの。もしアタシになにかあったら……あんたにでもわかるでしょ」


「ぐっ!」


 実はただのハッタリだったりするのだが、魔王の名はティーゲルを黙らせるには、充分すぎた。


「で、何しに来たの? ティーが人を呼びに行かないうちに、すませてよ」


「な、なんで、そんな冷たいこと……べ、別に、あんたに優しくされたいわけじゃないけど、あんまりじゃない」


「そんなこと言われても、いきなり魔族が目の前に現れたら、って考えたら……」


 迷惑だというギシュタークに、ヤーシャは目をうるませる。


「なんなんだよ、こいつ」


 ティーゲルの声はげんなりしていたが、その手にはまだ短剣がある。


「いいの、いいの! アタシが魔族だからっていうなら、ギシュも魔族になればいいの。そうすれ……」


「ふざけんなよっ!」


 なぜか、ギシュタークよりも先にティーゲルの堪忍袋の緒が切れた。


 かくして、ティーゲルとヤーシャの口論は始まり、イシュナグが戸口に姿を見せるまで続くのであった。


「あ、ご主人さま、何とかしてください〜」


 額の聖紋を隠していないイシュナグのひと睨みで、それまでやかましく口論していたティーゲルとヤーシャは萎縮し押し黙る。


「おい、ギーク。お前も一緒に出て行け。俺は、今、非常に機嫌が悪い」


「ひゃ、ひゃい!」


「は、はい!」


 唸るような低い声に、ギシュタークとティーゲルは恐怖に支配された体が動くままに戸口に向かう。


「ちょ、ちょっと、あんたっ……」


「ヤーシャの馬鹿ぁ」


 重い足取りで衝立の向こう側に向かうイシュナグに、震えながら指を突きつけるヤーシャにギシュタークは三角の耳を押さえる。


「なんだ、貴様も外の木馬でさっさと帰れ」


「むぐっ! おとーさまから、あんたから返事を聞いてこいって言われてるんだからっ!」


「あ? あー、そういうことか。借り返してもらうつもりはない。そう伝えておけ」


 完全に据わりきった黄金色の瞳にヤーシャは震え上がりながらも、魔王からのいい使った用をやり遂げた姿に、ギシュタークはつい感心してしまった。


 衝立の向こうに、イシュナグが姿を消してすぐにボスンと寝台に身を投げる音が聞こえた。


「なぁ、本当に聖王さまなのか?」


「う、うん……」


「ちょっとぉ!」


 戸口の前で、背後からギシュタークに囁いたティーゲルの声を耳ざとく聞き取ったヤーシャが目を吊り上げた。


「アタシのギシュに気安く話しかけないでって、何回言えばわかるのよっ! このボンクラっ!!」


「だから、てめーこそ、ギーシュはてめーのものじゃねぇって、何度言えばわかるんだよっ!」


「二人とも、ちょ……」


 ギシュタークが制止しようとしたが、遅すぎた。


「やかましいわっ! リア充がぁああ!!」


 衝立の向こうから、恐ろしい声が響き渡ったかと思うと、三人はひと気のない修練場の真ん中にいた。

 三人は、途方に暮れた顔でうなだれた。

 気まずい沈黙を破ったのは、ヤーシャの不思議そうな声だった。


「ねぇ、『りあじゅう』って何?」


 答えることができる者は、ここにはいない。

 いつの間にか、月を覆い隠していた雲はなく。きれいに晴れ渡っていた。


 皓々と輝く月だけが、途方に暮れる少年少女たちを見守ってくれている。




 ◇◇◇


 その頃、ようやく静かになった離れでは、イシュナグが寝台の上で天井をぼんやりと眺めていた。


「他者を思う気持ちを魔力の代わり、か……」


 どうしてもっと早く気がつかなかったのだろうか。

 頭の下で手を組んで目を閉じる。


『イシュ、すごいこと考えついたんだ。聞いてくれ』


『えー。兄上のすごいことが、すごかったこと今まで一度もなかったんだけど』


『そんなことないさ。あっても、今回は、本当にすごいんだからな。俺の考えたとおりなら、人間族みたいに魔力がなかったり、器が少なかったりする民たちも、俺達と同じくらいの力をふるうことができるはずなんだ』


『へー、すごーい』


『なんだよ。本当にすごいんだからな。とりあえず、俺はこの力に《願い》って名付けたんだ。で、これは……』


 そうだ。呪いではなくて、願いと呼ばれるはずだったのだ。


 どうしてもっと早く気がつかなかったのだろうか。


 答えなど、わかりきっている。


 ずっと、イシュナグが目を背け続けてきたからだ。


 三千年という長い時間がかかってしまったが、ようやくイシュナグは真実から目を背けるのを、やめることにした。


 ゆっくりとまぶたを押し上げる。

 黄金色の瞳に映ったのは、青。

 どこまでも広がる、青。

 青以外は受け付けないとばかりに、ただただ青が広がっていた。

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