異世界帰りの聖王、休暇を満喫する
笛吹ヒサコ
序の章
序 聖王と魔王、異世界に別れを告げる
この中に本物の魔法少女や勇者とか魔王がいても、誰も気がつかないんじゃないか。
ちょうど一年前、同じ場所で同じことを考えてたことを思い出して、
答えは、目の前の
「あまり、違和感ないね」
都会とは言いがたいこの街にも、駅前広場での
普段見慣れた景色に、オレンジと黒の装飾が追加された広場。
広場には吸血鬼や魔女、魔法少女があふれている。
浮足立つ彼らの中に、本物の聖王と魔王が紛れているが、誰も気がついていない。
昼間の青から徐々に青さを増し、橙色に移り変わる空の下、駅前広場のイルミネーションが少しずつ主張し始めた黄昏刻。
年々派手になっていくハロウィンは、黄昏刻をむかえたせいか、より盛り上がりをみせ始めている。
もちろん、沙耶のように私服姿でイベントを楽しんでいる人もいる。
沙耶と幼馴染みの翔太は一年前から、
「サヤ殿、この一年、とても世話になった」
「うん」
移動販売車で手に入れたケバブサンドを食べ終えた魔王ガラムは、食べかすがついた指先を舐めとった。
クシャクシャに丸めた包み紙を購入した移動販売車の近くのゴミ箱に捨てに行く魔王を眺めながら、沙耶は小さなため息をつく。
クマのゆるキャラがプリントされたスウェットに、ダメージジーンズ。アンダーリムフレームの眼鏡は、お気に入りらしいが伊達眼鏡だ。それから、右手の鞘におさまった魔剣。
本来は二本の角が頭部にはえているらしいが、今は黒い肌のただの偉丈夫だ。
少し離れたところでは、幼馴染みの翔太が露出度の高い魔法少女のコスプレイヤーと並んでポーズを決めてもらっている。猫耳とクルンとした尻尾。おそらく魔法少女マジカル☆ニャンニャンのヒロインだろう。
去年、その幼馴染みにカメラを向けていたのは沙耶だ。今年は、なぜか聖王イシュナグがカメラを向けている。
「あーあ。翔太のやつ、ホント楽しんでるなぁ」
聖王イシュナグは、ネイビーブルーのセーターに、明るいグレイのワイドパンツ。白い髪にはなぜか黒い猫耳のカチューシャがある。それから肩に預けた聖槍。不思議とよく馴染んでいる。本来、その額には聖槍の穂先に刻まれている四花弁の華を象った聖紋が刻まれているらしい。
翔太とポーズを決めているコスプレイヤーは、カメラを構える聖王のほうが気になってしかたないだろう。
「サヤ殿、名残惜しいが俺の帰りを待っている奴らがいるのでな」
「ずっと、そう言ってたもんね。ガラムもイシュナグも」
ちょうど一年前のハロウィンに、沙耶と彼らと出会った。
この一年、本当に色々なことがあった。本当に色々なことが。
いい思い出ばかりではない。むしろ、異世界人の彼らと過ごすのは、トラブルの連続だった。
下手をすれば、日本が世界地図から消えていたかもしれない。日本消滅の危機を回避するために、高校生の沙耶と翔太がどれだけ苦労したか――。
残念ながら、誰も知らない。
その苦労も今日までだ。
「ガラムはさ。その……」
イシュナグは、こちらを見向きもしないでイベントを満喫している。その横顔を見つめながら、唇を湿らせた沙耶は最後だからとためらいを捨てた。
「ガラムは、本当はイシュナグと仲直りしたいんじゃないの?」
軽く目を見張ったガラムは、曖昧に笑って肩をすくめる。
こちらを見向きもしないイシュナグの気持ちまではわからないが、ガラムが口にしない本音だけでも知ることができて、沙耶は充分だった。
なんだかんだで、この一年を忘れることなんてできないだろう。これからの長い人生がどうなるかはわからないけど、彼女はなんとなくそんな予感がしていた。
「時間だな」
ガラムの声に沙耶は現実に引き戻される。
いつの間にかあたりは静まり返っていた。
一年前と同じだ。
駅前広場には、沙耶とガラム。イシュナグと翔太だけだ。他には、誰もいない。
街路樹にくくりつけられたオレンジ色のカボチャやイルミネーションは、熱気と喧騒がなければ虚しいだけ。
イシュナグは沙耶に微笑みかけた。
「サヤ、世話になったな。この
彼はゆっくりと腰を落とし聖槍を構える。頼りがいのある笑みを刻んでいた唇が、横一文字に引き結ばれた。
幅広の三角形の穂先の聖紋の清らかな光に、
「ショウタ殿も、達者でな」
ガラムも翔太に笑いかけて、魔剣を抜く。
闇よりも黒い刃は魔剣にふさわしく、触れてはいけないと見る者の本能が訴えかけてくる。口元に笑みが残っているのは、余裕の現れだろうか。それとも――。
「あ、二人ともっ、その……」
この期におよんで、沙耶は何か言わなくてはと焦り始める。
この二人のせいで、苦労したことも多かったが、助けられたことも多かったのだ。
別れの挨拶は充分に済ませたが、肝心なことを伝えていなかった。
だが、聖王と魔王にこの世界はもう眼中にない。
「手加減するなよ、魔王」
「貴様こそ」
始まりは突然だった。
どちらが先に動いたのか、沙耶にも翔太にもわからなかった。
すぐ側で、それぞれの得物を構えていた二人の王が動いたと肌で感じた次の瞬間、とっさに目を塞いでしまうほどの金属音が響く。
まばゆい光が瞼の裏に焼きついた。
真っ白に焼きついたそれが薄れていくにつれ、周囲の人の気配を肌で感じるようになった。明るいBGMが戻ってくる。
喧騒と気配をしっかり感じてから、翔太はゆっくりと目を開けた。
「ちゃんと、帰れたみたいだな」
首から下げているのは、大学生の姉に頭を下げて借りてきたデジタル一眼カメラ。おさめた彼らとの最後の写真は、ちゃんと残っているだろうか。
もしかしたら、沙耶と自分だけしか写っていないかもしれない。それはそれで、翔太は心が躍る。
早く沙耶と合流しようと、翔太はあたりを見渡す。
「沙耶ぁ、沙耶ぁ、帰ろうか」
途中でハンバーガーくらいなら奢ってやってもいいと、考えながら。
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