其の四 魔王、異世界人を盾にする
魔剣を突きつけられたイシュナグは、鼻を鳴らす。
「俺の従者を返しに来てもらった。他に何がある?」
「は?」
伊達眼鏡の向こうで吊り上がった目尻が下がる。
聖王と魔王が放つ魔力にあてられて、歯痒い気持ちで見守るしかないウームルは、困惑している魔王を見て、嫌な予感がした。
「とぼけるなっ!」
「だから、何の話だ!」
イシュナグが横に薙いだ聖槍を飛び退いて避けると、なぜかガラムは魔剣を鞘におさめる。
「俺の従者をさらって、俺を呼び出しただろうが!」
「知らん!」
再び襲いかかる聖槍を、ガラムは危なげなく避ける。
ウームルの嫌な予感は、ほぼ確信に変わりつつあった。
「しらばっくれる気か!」
「知らんものは知らん! ……それより、これ以上俺に聖槍を振るうな!」
イシュナグが頭に血が上って我を忘れているのは、明白だった。
聖槍の清らかな光が残像を残しながら、何度も振るわれる。その度に、ガラムは避け続ける。ただひたすら避け続けている。
とてもとても、一介の翼人であるウームルが介入する余地などない。
とてもとても、三千年もの間、生と死を繰り返してきた因縁の間柄の対決とは思えない。例えるなら――そう、ただの他愛もない子どもの喧嘩だろうか。そんなことはないはずだと、ウームルが自分に言い聞かせれば言い聞かせるほど、どうしようもなくどうでもいい喧嘩としか思えなくなっていく。
考えたくない。考えてはいけない。この三千年もの間。聖王と魔王の因縁によって、どれほどの犠牲が――。
「おい! そこの翼人っ」
回を重ねる度に苛烈になる聖槍を避け続けるガラムの声に、ウームルは我に返る。
「だからっ、どうして昔から逃げるのだ!」
「くっそっ」
斜め下から突き上げられた聖槍を赤い外套でいなす。おそらく、その分厚い外套には膨大な魔力を織りこまれているのだろう。
「翼人っ! さっさと、こいつを止め…………っ!」
ガラムが途中で言葉を飲み込んだのは、おそらく聖槍が胸を貫かんと迫っていたせいだろう。ウームルには、自分を初めて見て何かに驚いたような気がしたが、気のせいに違いない。自分は魔王にも聖王にも、取るに足らない者だから。
「俺の従者はどこにいるっ」
「知るかっ! お前は昔から頭に血が上ると周りが見えなくなる」
「さっさと、俺の従者を返せっ」
「その前に、聖槍を下げろ! また
ウームルは理解してしまった。
魔王ガラムが魔剣を鞘に納め逃げ回っている理由を。
百年前の一騎討ちで、たまたまイシュナグが人間族を移住させた
しかし、理解したところで、ウームルに何ができるのだろう。
大剣の柄に手をやるものの、聖王と魔王の間に入ることは自殺行為だ。
「
「こんのぉ……!」
ガラムの黒い肌のこめかみが引くつく。
一気にイシュナグと大きく距離をとると、彼は手を叩いた。それはまるで、イシュナグが魔力で何かをする時の動作のようだ。
聖王と魔王。
双子として生まれ落ちたにもかかわらず、ウームルの目には顔立ちは似ていないように映っていた。けれども今はもう、わからなくなっていた。
イシュナグとガラム。
どちらが聖王で、どちらが魔王かも、わからなくなりそうだった。
「俺からこれ以上、何も奪うなぁああああ!!」
冷たく輝く聖槍でガラムを貫かんするイシュナグに向かって、ガラムは人の形をしたものを投げつけた。
「〜〜〜っ!」
「っ! サヤ?!」
ガラムが投げつけたのは、人の形をしたものではなく、人。聖槍を消し去って、慌てて抱きしめたのは若い娘だった。
「サヤ? なぜ……」
娘は気を失っているのか、イシュナグが信じられないと名前を呼ぶ声に反応しない。
「あの、イシュナグさま……」
遠慮がちにというより、恐る恐るといったていで、ウームルは声をかける。おそらく、先ほどの怒りで我を忘れている主君の姿が、まだ彼の中に残っているのだろう。
「なんだ、ウームル」
「大変申し上げにくいのですが……」
顔を上げたイシュナグの
正気に戻ってくれたと、ウームルはどれほど胸をなでおろしたのだろうか。
「イシュナグさま、魔王ガラムの姿がどこにも……」
「なんだと?」
ぐるりとあたりを見渡すイシュナグの声に、剣呑な響きが混ざり、ウームルは話す順番を間違えたと冷や汗をかく。
「それから、今さら申し上げにくいのですが、従者殿を連れ去った犯人を誰も見てはいないので、もしかすると……」
「ウームル、それは、奴の仕業ではないと?」
「はい。その可能性は充分あったのではないかと」
沈黙が流れた。
気まずさにたえかねたウームルは、たっぷり唇を湿らせて沈黙を破った。
「……それで、その娘はお知り合いで?」
「ああ、
「…………冗談、ですよね?」
「………………俺も、そうであってほしいと思っていたところだ」
従者の誘拐騒動も解決していないというのに、どうやら新たな騒動をガラムに投げつけられたのかもしれない。
声に出さなかったが、イシュナグが帰還してからろくな目にあっていないと心のなかで大いに嘆く。
◆◆◆
魔の森と呼ばれている領地の居城――かつての人間族の公主の城――に舞い戻ってきたガラムは、こめかみをもみながら明るい中庭ので花壇の植え替えをしていた壮年の大柄の男に声をかける。
「フェンスン、ヤーシャを見なかったか?」
「ガラムさま、お早いお戻りで……もう片はついたのですか?」
フェンスンという男は、よく働く庭師だが、他人の問いかけよりも自分のことを優先する悪い癖がある。いらだちをごまかすように、ガラムは親指と人差指で伊達眼鏡のフレームを挟んでクイッと押し上げた。
「いや。何も片付いていない。サヤ殿に、時間を稼いでもらっているが、いつまた奴が暴走するか……時間の問題だ」
「そうですか……」
危機が去ったわけではないのかと、フェンスンはうなだれる。ゴワゴワした褐色の髪にかなり白いものが目立っている。ガラムと同じ色の肌には、年相応のシワが刻まれていた。
「聖王って、おっかないですね。爺さまから聞いてましたけど、いや、いきなりこの辺り一帯吹き飛ばそうとか……」
大柄の割には人のよすぎる顔をしたフェンスンは、伝え聞いていた聖王の恐ろしさが誇張ではないことを知って不安でしかたないのだろう。
「フェンスン、今はヤーシャの居所を……」
「ああ、そうでしたそうでした。昨日の夕方、北の崖の方にヤーシャさまの飛行車が飛んで行くのを見ました。そういえばあれから……」
「わかった。ありがとう、フェンスン」
伊達眼鏡をクイッと押し上げて庭師に背を向けると、ガラムはその場から消えた。
「ガラムさまも、苦労されるなぁ」
ガラムが向きを変えさせた光の玉のせいで綺麗に晴れ渡った空を見上げて、フェンスンはやれやれとボヤく。その白髪交じりの髪が揺れ、魔族の証でもある長く尖った耳が垣間見えた。
魔の森と恐れられている魔王ガラムの領地は、平和でのどかな時間が流れていた。
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