其の三 聖王、魔法少女の真似をする

 聖魔分かたれて以来、何度も魔王ガラムが魔族の軍勢を率いて戦を仕掛けてきた。それほど、聖王の座を弟のイシュナグに奪われたのが許せないのだろう。

 三千年もの長い長い歳月。生と死を繰り返し続けながら、争ってきた。


 それなのに――


 ウームルは、前を飛ぶイシュナグの姿に妙な違和感を感じる。


 父王と最愛の妻ミスリア、それから多くの民の命を奪ってきたことの他に、魔王ガラムと争う理由があるのだろうか。


 せいぜい三百年程度しか生きられない翼人族のウームルにとって、聖王イシュナグは創造主よりも偉大な存在だった。

 たとえ、聖山を登る民が絶えないほど親しまれた気さくな聖王であっても、偉大な存在には変わりない。


 それなのに、見えない翼で前を行くイシュナグは、ウームルと比べ物にならないほどの憎しみを隠そうともしていない。

 怒りや憎しみに身を任せているようにしか見えない。


 昨夜から空に広がる鈍色の雲のせいで、明るい午後の日差しが届かない。


 眼下には、黒い靄に覆われた魔の森が広がるのみ。ちらりと後方を見れば、郷の断崖絶壁ははるか遠くに。


 ただひたすらどこかを目指して飛び続けるうちに、ウームルの激情は冷めてきた。


 何か話さなくては、不確かな焦りにかられて、ウームルは唇を湿らせる。


「ウームルよ。お前、魔族に何か恨みでもあるのか?」


「えっ、そう、ですが……」


 言外になぜそのようなことを尋ねるのかと、ウームルは主君の抑揚のない平坦な声に答えた。


「教えてくれ。崖の上での怒りは、俺の従者がさらわれたせいだけではあるまい」


 どこまでも平坦な声で、主君に言外の戸惑いに答えられては、ウームルも語らずにはいられなかった。どの道、沈黙にたえかねていたのだから、ちょうどいい。


「百二十年ほど前、わたくしがまだ子どもだった頃、姉が殺されたんですよ」


「それだけか?」


 抑揚のない声が揺れた。戸惑うような驚いたような、そんな揺れだった。

 無理からぬ反応だと、ウームルは自分をあざ笑うように口元を歪めた。


「お恥ずかしい話ですが、わたくしは姉に恋をしていたんです」


「恋?」


「ええ。姉のローウァは、それはもう美しくて素敵な人でしたから……。男なんかに取られるくらいならいっそのことと、ちょうどあの場所にやってきたのです」


 子どもじみていたと思う。それでも、ウームルは姉に恋をしていたと今でも断言できる。だから男と結婚していなくなってしまうなら、死んでしまおうと、あの崖にやってきた。

 それほど、姉に恋をしていた。

 叶わぬ恋だとはじめからわかっていたのに、恋をせずにはいられなかった。それほど、姉のローウァは美しかった。


『逃げるのっ、振り返らずに飛ぶの!』


 死のうとしていたはずなのに、実態のない黒い獣の群れに殺されたくないと思ってしまった。

 心配して探しに来てくれた姉に言われるまま、振り返らずに飛び続けた。姉も一緒だと信じていた。いいや――


「……怖くて逃げ続けるうちに、姉のことなんてすっかり忘れていました。あれほど好きだったのに。わたくしのせいで、姉は魔族の手にかかって無残な死を……」


「復讐か? 虚しいだけだぞ」


 イシュナグの抑揚のない声は、虚しさとは真逆にウームルの心に響いた。

 けれども、ウームルはますます自嘲的な笑みを浮かべて軽く首を横に振った。


「ええ。わかっております。さすがに、姉の仇を討ちたいとは思っておりません。ただ、許せないだけです。魔族の存在が許せないのです」


 許したくないと、言ってもよかったかもしれない。魔族を許してしまったら、罪悪感に潰されそうだったから。もちろん、ウームル自身も許せないが、それだけではとても生きていけなかった。


「…………許せない、ねぇ」


 ウームルがかろうじて聞き取れる程度の小さな声だった。気のせいでなければ、とても悲しげな声だった。

 聞き流すべきかウームルが迷っていると、イシュナグが飛ぶ速度を急に落として空中で立ち止まる。


「ところで、ウームルよ」


 ぶつからないように止まったウームルを振り返ったイシュナグは、ニヤニヤと笑いながら左手で握る聖槍の柄で自分の肩をポンポンと叩く。黄金色こがねいろの瞳が爛々と輝きが異様だ。

 ウームルの背筋に冷たいものがゾクリと走った。


「話は変わるが……」


 今までの抑揚のない声はなんだったのかと思うほど、イシュナグは声は弾んでいる。

 嫌な既視感の正体は、すぐにわかった。

 白亜宮殿で滔々と異世界ニホンについて語りだした時に、よく似ている。

 そして、その嫌な既視感は、すぐに既視感ではなくなった。


異世界ニホンには、魔法少女という架空の存在がおってだな」


「あの、イシュナグさま……」


「実在はしないのだが、アニメとか漫画……そうだな、絵物語のようなものの登場人物でな……」


「イシュナグさまっ」


 そんな話をしている場合ではないと、ウームルが声を荒げるが、まるで効果がない。


「まぁ、最後まで話を聞け。魔法少女というのは、職業のようなものだ。本来は魔力のない人間族の可愛い少女が――よいか、可愛いが重要なのだぞ……」


 駄目だ。

 ウームルは、がっくりと肩を落とした。

 翼人族の変わりようの苛立ちから、イシュナグの機嫌が悪かったのは知っていた。昨日など、地下の書庫から出てくるなり聖王なんかいなくともといじける始末。どうやら積もりに積もった鬱憤が、お気に入りの従者を誘拐されて、とうとう爆発したのかもしれない。


「多くの魔法少女がいる中で、ニャンニャンは特に素晴らしい。最高だ」


「あのぉ、ギシュターク殿は……」


「だから、最後まで話を聞け。よいか、ニャンニャンは、他の魔法少女のように普段は普通の少女。だが、変身すると猫耳に尻尾が生える。そして手には肉球が……」


 気が触れてしまったのかもしれない。

 どうしようとウームルは頭を抱える。

 明らかに異様だ。

 実力行使でどうにかできれば、とうにやっている。

 本来の目的を思い出してもらうには、言葉でどうにかするしかない。ないのだが――


「ニャンスティックという魔法道具があって、な。それを使って、悪のダークブリーダーを懲らしめていくわけだ」


 ポンポンと一定のリズムで肩を叩いていた聖槍が縮み、片腕と同じくらいの長さになる。


「こんな台詞とともに、悪を懲らしめるのだよ」


 ニヤリと笑ってみせるが、目はすわったままで、短くなった聖槍の石突の近くを握りしめる。


 もうどうにでもなれと、投げやりな気分でウームルは見守るしかなかった。もし万が一、お気に入りの従者に何かあっても、すべてこの主君のせいだと。


「可愛いネコちゃん、ワンちゃんをいじめる奴は……」


 聖槍を両手で抱くように胸の前に突き出す。


「このマジカル☆ニャンニャンが許さないんだから……」


 聖槍を頭上高く掲げる。


「いくよっ!」


 聖槍の穂先が輝き始める。


「ニャンニャンがプイッで」


 聖槍の穂先で頭上に光の輪を描く。


「……えーっと、なんだっけか………そうだっ『ちゅどーーーーーーーん!!』」


 聖槍を勢いよく振り下ろすと、穂先の先から巨大な光の玉が地上めがけて飛んでいく。


 聖王の奇行をげんなりと眺めていたウームルが、はっと我に返った時には遅かった。


「イシュナグさ……」


「やはり、ちゅどーんではなかった気が……気にするな、ウームルよ。この程度で森を消し去ることができれば、苦労はせんよ」


「え?」


 腕を組んで首をひねっていたイシュナグは、冷めた目でウームルをちらりと見ると今まさに黒い靄を突き破ろうとしている光に視線を戻す。とても冷めた目には、諦観が宿っている。


 森を破壊するかと思った光は、急に向きを変えて天を覆う鈍色の雲を貫いた。


「え?」


 まばたきを繰り返すウームルを見やることなく、イシュナグは冷めた目で光が向きを変えたあたりをじっと見下ろしていた。


「苦労はせんのだ」


 目の良い翼人族のウームルですら、その目で見ることは叶わないが、確かにいる。と感じた。

 だが、それもつかの間のこと。


 黒い肌に真紅の瞳。黒い髪をなびかせる頭には、ねじ曲がった角が二本。そう、魔王ガラムが、イシュナグたちの前にこつ然と現れたのだ。

 異世界ニホンで愛用していたアンダーリムの伊達眼鏡の向こうの眦を吊り上げて、黒い刃の魔剣の切っ先をイシュナグに突きつける。


「どういうつもりだ、イシュナグ。気でも触れたかっ!」


 ウームルは先ほど同じことを考えていたことを、なかったことにしたいと思ったかもしれない。

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