其の三 娘たち、従者を歓迎する

 翼人族は、色とりどりの翼を持つ見目麗しい種族だ。美しいものを愛し、とりわけ楽の音をこよなく愛する。

 翼人族の女たちは、より美しく自分を磨くことを惜しまない。男たちも、女に劣る訳にはいかないと自分を磨く。つまり、どの種族よりもきれい好きで、――――お風呂好き。


 君主の館である飛翔館の湯殿は、とても広い。湯殿だけで、二十人は生活できそうなほどに。

 夕食の支度が間に合わず、ウームルは急遽その湯殿に主君を案内することになった。また逃げられてはかなわないと、今、主君と並んで白く濁った薬湯に浸かっている。

 広々とした湯気が立ち込める男湯には、彼ら二人だけ。


 お風呂好きなウームルが監視の役目を忘れているのではないかというくらいくつろぐ横で、イシュナグは肩を震わせていた。もちろん、寒さにではない。怒りに肩を震わせていたのだ。


「けしからんなぁ。実にけしからん。けしからんすぎて、けしからんぞ」


「まぁまぁ、よろしいではないですか」


 お風呂で心までほぐれたらしいウームルののんびりとした声に、イシュナグが怒りがとうとう爆発した。

 盛大な水しぶきを隣のウームルに浴びさながら立ち上がった彼は、背後にあった板壁を指差す。


「あ、れ、の、ど、こ、が、よろしいだと!?」


 指差した板壁一枚向こうの女湯からは、実に楽しそうな声が聞こえてくる。


「そもそも、どうしてギシュタークが女と一緒に風呂に入っているのだ」


「子どもですから」


「いやいやいやいや。チビだが、十二歳だぞ。獣人族だぞ。ケダモノだぞ。お前の娘が全員手篭めにされてもいいのかっ」


「その心配はなさそうですよ」


 ウームルにしてみれば、イシュナグの心配事の方が間違っている。


 なぜなら――、


「かわいい」


「ギーシュちゃん、男の子にしておくなんて、もったいない」


「お姉さま、あたしにもギーシュたんに触りたいぃ」


「ぼ、僕、出る。出るからぁ」


「だぁめぇ、まだ、体洗ってないじゃない」


「ひゃふぅ! 尻尾ぉ、だめ! 触らないでぇ」


「あらあら、尻尾が弱いのね。ごめんね、かわりにあたしのおっぱいを……」


「お姉さま、ずるーい!!」


「お姉さんたちが、きれいに洗ってあげるわぁ」


「ついでに、ちょっといいことも……」


「いやぁああああああ!!!!」


 娘たちの声は実に楽しそうだからだ。


 もちろん、女湯に引きずり込まれそうになったギシュタークが男だと言い聞かせてある。逆に、それがどうも娘たちの何かを刺激してしまったようだが。


「わたくしは、むしろ彼の貞操の方を心配したほうがいいと思いますが。まぁ、娘たちにしてみれば、彼は珍獣のような感覚なのでしょうね。獣人族の子どもなど、そうそうお目にかかれませんから」


「……ウームルよ。お前、さらりとひどいことを口にするよな」


 そうでしょうかと首を傾げるウームルは、先ほどからずっと口元に笑みを刻んでいる。


「お言葉ですが、イシュナグさまも、先ほどケダモノとかひどいことをおっしゃっていたと思いますよ」


 さすがに毒気を抜かれたイシュナグは、一度頭の上まで湯船に浸かり気持ちを切り替えることにした。女湯の声など聞こえないと、湯の中で言い聞かせたのかもしれない。

 再び濁った湯から頭を出したイシュナグの耳にはもう、女湯の楽しげな声は届いていなかった。


「しかし、俺の知っている翼人族は、決して女を人前に出さなかったはずだ。ずいぶん変わったものだ」


「女たちにも、輝いてほしいだけですよ」


 百年。

 たかが、百年だ。三千年、生と死と繰り返してきたイシュナグにしてみれば、長くはない時間。

 実のところイシュナグは、帰還して五日の間に、百年という時の流れを実感できないでいた。


 イシュナグの言ったとおり、翼人族は男性社会で女は裏方に徹して、そうそう人前に姿を現すことなどなかった。

 細やかな気遣いのできる娘は、使用人として他種族にも重宝される。リルアもよく働く娘として、先代の君主から差し出されたはずだ。


「食事の用意もできた頃でしょう。そろそろ、上がりましょうか」


「……そうだな」


 物思いにふけっていたイシュナグは、本当に女湯が静かになっていることに気がいついた。

 なるほど、向こうも先に上がったらしい。腹をすかせたギシュタークが待ちかねているだろうと、苦笑してしまう。


 大量の鼻血とともにギシュタークが伸びていたことを知るは、もう少し後のことである。




 ◇◇◇


 イシュナグ――ごく一部の者を除いて獣人族の要人ナギとして振る舞うことになったのだが――に用意された部屋は、こじんまりとした離れだった。

 板葺きの平屋造りは、この離れに限ったものではない。翼人族の住居は、たいてい板葺きの平屋造りだ。


「ウームルの奴め、まるで俺を信用しとらんな」


 敷物の上に胡座をかいたイシュナグは、つまらんと鼻を鳴らす。

 背後の衝立の向こうでは、未だに伸びているギシュタークが寝台に転がっている。時おり、どんな悪夢にうなされているのかわからないが、苦しげに「おっぱいがぁ……」と呻く声が聞こえてくる。


 この離れには、監視用の魔法道具があちこちに隠されている。もちろん、イシュナグにバレないと考えるようなウームルではない。だから、これは間違いなく嫌がらせだ。


「本当に、いい性格しておるわ」


 飛翔館についてから、イシュナグはどんどん機嫌が悪くなっていく。


 もちろんウームルの嫌がらせもあるが、彼を一番苛立たせているのは、翼人族そのものにあった。


「ぅうっ……おっぱい、もんでおけば……」


 ギシュタークのわけの分からないうめき声もまた、癪に障ると、八つ当たり半分に彼を叩き起こすまで、さほど時間はかからないだろう。

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