第肆話
死とは、絶対の理である。生ある者すべてに等しく課される業である。
死から逃げ切ることができる者はいない。
生き物は必ず死ぬ。遅かれ、早かれ。
それなら、本来の生を自ら放棄した者に、その生を終わらせる日は来るのだろうか。人間という種を超越した彼に、死が訪れることはあるのだろうか――――
湿気の孕んだ空気が山の木々を包み込んで、緑の薫りが濃密に溢れ出す。夏の空気が森を満たし、それを受けて生物たちが活動を開始する。そんな初夏のこと。
「全く。今年は夏の風を連れてくるのに難儀するわぁ……雪ももう少し後々のことを考えてくれればいいのに。ねぇ、巫覡様?」
上空を飛んでいる風の精霊が唇を尖らせて愚痴る。季節における大役を担う精霊は力が強い。人形をとるのも彼らには容易だ。
ふわふわの綿菓子のように柔らかい髪が風の流れに合わせて揺れる。薄い生地の衣も、陽気に踊っていた。
話を振られたシンは、川の水で身を清めながら苦笑を零す。
「確かに今年の寒さは異常でした。しかし、こうやってきちんと夏を迎えているだけでも、有り難いものだと思いますが」
「もうっ。巫覡様は雪に甘いんです! もっと威厳というものをお見せください!」
「そう言われましても……」
不満げな抗議にシンは苦笑いするしかない。
茂る緑は日の光を受けて光り、川の水は輝く。大地が命を育む季節。そんな当たり前の夏が今年もやってくる。
「……」
そして、はなも――
「巫覡様」
「なんです?」
精霊が高度を下げて、シンの頭上に舞い下りる。
日光を受けて、どこか神々しさすら見られる精霊が風を起こした。
水に濡れたシンの体躯を乾かし、河原に置いていた衣を纏わせる。器用なものだ。
精霊の表情は逆光でよく見えないが、笑顔ではないようだ。
「あの娘に執着するのは、あまり褒められませんわ」
「そうですか」
「聞く耳は持たないって感じですわね」
精霊は呆れたように鼻を鳴らして、また高度を上げてしまった。なんだか申し訳ないが、こちらも意志は曲げられない。
シンは河原に上がって衣の帯を締め直し、森の中へ戻っていく。
一方の精霊も大気の流れを操りながら、そっと息を吐いた。
どうしようもない。どうしようもないのだ。人間であった頃の性状を、彼は強く残して生きている。こうなることは、必然でもあった。
「……我々が貴方を思っても、貴方は娘を想う。皮肉なこと」
洞窟に戻ったシンは最奥の祈りの間に向かい、天井に開いた大穴から降り注ぐ日光の下に膝をついた。
「禊より戻り参った次第。我が君においてはご機嫌麗しく」
うむ。……時に、シンよ。
「は」
主の声に応え、頭を垂れる。
光や神威と共に降り注いだ声がシンの鼓膜を叩いたものの、脳に届くことはなかった。
巫覡の任を解く。人の道に戻り、その生を終えよ。
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