参ノ年

第壱話

 長月も今日で終わる。

 今日は朝から一段と冷えていて、上に一枚羽織るものが欲しくなった。だから静に頼んで、本格的な秋物を引っ張り出した。

 葉月の終わりに本邸に帰ってきた後は、はなもごく普通の女学生に戻っていた。

 そろそろ二学期の中間試験。はなは休日を試験対策に捧げていた。

 自室で教科書やノートと向き合っていたはな。

 すると、控えめにドアがノックされた。


「お嬢様」


 この声を聞く前から分かっていた。勉学に勤しむはなを気を遣うようなノックをするのは、実は静だけなのだ。

 他の使用人は一見丁寧に振る舞っていても、父ほどの敬意をはなに払うことはない。こういう細かい部分で、それは如実に表れる。

 はなは唇に微かに笑みを乗せながら振り返った。


「どうぞ」

「失礼します」


 静は紅茶の入ったカップを手に、部屋に入ってきた。

 湯気とともに、ふわりとした香りが漂ってくる。


「気が利くわね」

「申し訳ありません。集中なさっておられたのに」

「いいわ。疲れてきていたし」

「そうですか」


 静が机にカップを置き、背後に控える。

 はなは差し出されたカップに口を付けながら問うた。


「今日はアールグレイね?」

「はい。お嬢様、お好きでしょう?」

「うん。ありがとう」


 一口だけ口に含み、香りを楽しみながら嚥下する。

 もっと口にするかと思いきや、はなはそれだけでソーサーにカップを戻した。椅子を後ろに引いて、静と向き合う形となった。


「で?」


 首を傾けたはなに静は苦笑して、嘆息した。


「お嬢様に隠し事なんてできませんね」

「お静のことくらい分かるわ。……何かあったの?」

「旦那様がお呼びです」


 静の言う旦那様、とは、はなの父だ。

 最近は忙しくされていて、娘と会う時間なんてないはずだというのに、なぜ。

 といっても、はなは父が大好きなのでとても嬉しい呼び出しだ。


「分かったわ。すぐ行く」

「いえ、旦那様は紅茶を飲んで落ち着いてからで良いとの仰せで」

「ああ……この紅茶、父様からなの?」

「はい。お嬢様が頑張っておられることを大変お喜びになられて、休憩にと」

「そう……」


 呟いて、カップをまた持ち上げる。

 二口目は、一口目よりも優しい香りがした。


 紅茶を飲み終えてから、はなは父の書斎に向かった。


「父様、はなです」

「入りなさい」


 失礼します、と声をかけてから室内に足を踏み入れると、久し振りに父の顔を目にした。いつ振りだろう。夏の間会えていなかったから、短くても三か月振りだ。

 以前よりも痩せたように感じる。それほどに仕事に忙殺されているのだ。はなの表情が曇る。


「父様、お体は大丈夫ですか?」

「ああ。少し眠いだけだから、そんな暗い顔をするな、はな。久々に愛娘に会えたんだ。父様のためを思うなら、笑っていてくれ。心配でもな」

「……はい」

「それでいい。……おいで」


 手招きされて、素直に父が座るソファに近寄る。すると父が腕を伸ばして、はなを抱き締めた。

 父の匂いに包まれて、はなは安心した。はなが吐息を漏らすと、父も嬉しそうに、はなの髪の匂いを嗅いでいた。


「寂しい思いをさせてしまっているな……すまない」

「私は平気です。お静がいますから」

「そうだな。静がいるから、父様も安心して仕事ができる」


 父は商社の経営を行っている。

 海外との取引もする大きな会社で、父はとても忙しい。

 はなは寂しく思うどころか、父の仕事を誇りに思っていた。会社があるから、父がいるから、この国に物が流通する。


「父様。今日はどうされたのですか?」

「そうだった。はな、父様は今日休みなんだ。だから、これから母様のお墓参りに行こう」

「母様の……あ、お彼岸」

「忘れてしまっていただろう?」

「はい」


 お彼岸には必ず随分前に儚くなった母の墓に顔を出している。

 しかし、今回はすっかりと頭から抜けていた。父の顔を見れていないことばかりが、気になっていた。

 このままでは、母が寂しがってしまう。


「今日は少し肌寒いが、いい天気だ。行くぞ」

「はい!」


 母に会いに行くことももちろんだが、久し振りに父と二人でいられることが、はなはとても嬉しかった。

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