第陸話
馬車か父の車に乗って行こうと思ったのだが、残念ながら、帰国する次代の迎えで運転手は忙しく、妹君と侍女の茶会の送迎などに付き合う暇はないようだった。
まあ、このくらいは想定していたので、はなは大して落胆することなく、外套の他に、襟巻や耳あて、手袋を着けて、静とともに、元気に正門から出かけていった。
「お嬢様、お寒くはありませんか?」
石畳の道を、カツカツと足音を響かせて歩いているとき、静が気遣わしげに聞いてきた。
はなは斜め後方を振り返って、にこりと笑ってみせた。
「大丈夫。ちゃんと着込んでるから」
はなは寒さが苦手だ。
しかし、今日はきちんと着込んでいるし、それに何よりも、カフェーが楽しみで仕方ない。時々粉雪が舞っていて、気温的にはとても寒いはずなのに、気分が明るいからか、体の芯がじんわりと温かい。
はなの屋敷はわりと高台にあるが、本来ここは港町として栄えていて、こうやって街中を歩いているだけで、船の汽笛が微かに風に乗って聞こえてくる。
兄も船で帰ってくるのだ。案外、今入港してきた船に乗っていたりして。
そんなことを考えたが、洒落にならないのでやめた。
カフェーのある隣街は、ここから歩くと一時間近くかかる。だが、バスに乗ればだいぶ楽だろう。
停留所に、あまり人はいない。この天気では皆、外に出る気にはならないのだろう。
はなは、ほっと愁眉を開いた。
「良かった。空いてるみたいね」
はなが明るく言うも、静の表情は曇っている。
「申し訳ありません……」
「お静?」
「本来ならば、きちんと日取りをしてから、馬車を手配すべきでしたのに、私が至らないせいで、お嬢様に、このようなお寒い思いを……」
「……お静」
はなが、静の前まで歩み、そのか細い肩を掴んだ。
こう見えて静は、はなと五つしか変わらない。使用人の中でも最年少だ。だから、こうやって物事を深刻に捉え過ぎる節がある。一生懸命なのは大いに結構なのだが、もう少し気楽になってもらいたいものだ。
「私は、そんなこと全く気にしてないわ。寒い? そんな冬なのだから当たり前でしょう?」
「お嬢様……」
はなは、そっと安心させるように微笑んだ。
「お静が私の気が沈んでると察してくれて、とても嬉しかったのよ。カフェーへ一緒に行こうって言ってくれて、とても嬉しい。……今は、楽しみたいのよ。この状況全てを」
はなの言葉に、静はハッとして顔を上げた。
明るい、春を体現したような笑顔を見、静は思う。
この方は、やっぱり。
私の、とても、大切な――幸せになってほしい方だ。
合理主義な兄君が、今後何を考えられ、行動に移されても、この方の笑顔だけは、奪ってほしくない。
静は、心から、そう思った。
数分後に到着したバスも、あまり人は乗っておらず、ほぼ二人の貸し切り状態も同然だった。バスを降りると、落ち着いていたはずの雪が、また強くなってきていた。バスの中にいたときは、揺れが心地よくて微睡んでしまっていたから外を見ていなかったのだ。
地面に降り立ったはなへ、静が用意していた傘を差し出した。
「こちらを」
「ありがとう」
「いえ。……ここからなら、すぐ着くと思われます」
「分かったわ。行きましょう」
雪の勢いのせいか、急に気温が下がってきた。
着込んでいるはずなのに、服の隙間から寒さが忍び入ってくる。
指先から力が入らなくなっていって、傘を持つ手が震えてきた。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「う、うん。平気」
「あちらの角を曲がれば間もなくですから」
「うん」
バスを降りてからは喫茶店や小物店が並ぶ通りを進んでいた。
そして、少し前方を歩く静の後に続いて道を右に曲がる。
そこは周囲を建物に囲まれた狭い路地で、たとえ天気が良くても日の光はあまり入らなそうだった。しかも今日は、雪。路地は日没後のように暗い。
けれど、右側にある店からは、暖かそうな光が零れ出ている。おそらく、あそこだろう。
「開いているようですし、入りましょう」
静に促され、はなは店に足を踏み入れた。
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