第漆話

 ストウブの効いた店内は暖かく、寒さで凍えた体にはありがたかった。

 この天気だからか、客も疎らで空席が目立っている。しかし、この天気で、この表通りから外れた立地。しかも、ここはまだ開店からひと月だ。それらを考慮すると、数人でも人が入っている時点でかなりの人気なのかもしれない。


「いらっしゃいませ!」


 静と同年くらいの若い女給がカウンターからパタパタと小走りに駆け寄ってきた。その手には、ハンガーとバスケットが抱えられている。


「外套と防寒具をこちらに」

「ありがとうございます」


 静がそれらを受け取り、はなのものを整えて入れてから、自分のものを纏めて入れた。

 それを認めた女給は、にこりと愛想よく微笑む。


「こちらでお預かりいたしますので、どうぞ、お好きな席に」


 雪のせいで少し湿った外套の掛かったハンガーと防寒具の入ったバスケットを持って行く小柄な女給の言葉に従って、二人は壁際の席に座った。

 席に座った後、静は何気なく、その女給の後姿を目で追った。

 彼女は、自分よりも背が小さい。湿気で重みの増した衣類を運ぶのは、給仕よりも骨が折れることだろう。自分も侍女なので、幅広い種類の仕事をこなしている。何となく、彼女には親近感を抱いていた。

 一方、はなは店の中を興味津々といった様子で見渡していた。

 店内は暖かみのある明かりに照らされ、テーブルやチェアは手触りの良い木製。飾られた小物といった、さりげないところから家庭感が溢れている。なんだか落ち着く、安心を覚える空間だ。


「お嬢様、こちらを」


 はなが、きょろきょろと辺りを見ていたら、静が置いてあったメニューボードを渡してきた。

 はなは顔を赤らめながら、それを受け取った。


「お静は何にしたの?」

「見ておりません。お嬢様と同じものにするつもりです」


 参考が聞きたかったのに、それでは参考にならないではないか。

 はなは顎に指を当ててしばし考え、そこまで時間をかけずにメニューから顔を上げた。

 それを見て頷いた静が、軽く手を上げると、先ほどの女給がやってきた。


「ご注文をお伺いいたします!」


 はきはきとした元気の良い声音だ。それに、健気で一生懸命働いている感じが動きから見て取れる。

 きっとここで一番人気の娘だろう。なんせ、ここにいる他の客全員が殿方。しかも、食事や茶を口にしながら、ちらちらと彼女に視線をやっている。

 人気があるのも事実だろうが、今日の天気はかなり荒れている。おそらく、先客たちは愛らしい女給の顔を毎日でも拝みたい、熱心な常連なのだろう。

 そんな静の推測をよそに、はなはメニューを片手に注文をした。


「南瓜のタルトと紅茶を。二つずつ」

「はい。かしこまりました!」


 手に持ったメモ用紙に注文を書き留めて、女給は結い上げた髪を跳ねさせながら一礼した。そして、ぱたぱたとカウンターまで小走りし、奥の厨房に声をかける。


「南瓜のタルトと紅茶、二つですー!」


 鈴の音のような愛らしい声が店内に響き、他の席から吐息が零れるのを静は聞いたが、特に何も言わなかった。ただ、一瞬だけ。同情のような眼差しを、女給に向けた。


 運ばれてきたタルトは可愛らしくも、素朴な見た目だった。

 薄めなタルト生地を土台にし、その上に南瓜の層、生クリームの層の順で重なっている。

 見事な見た目のバランスで、作品としての均衡を保っている。これを崩すのはなんだか申し訳ないような気がした。

 しかし、いざフォークで崩して一口、口に入れると、これはまた驚いた。

 薄いように見えたタルト生地が、さくっと口の中で軽快に割れ、そこにしっとりとした南瓜と生クリームが絡み合う。最高の舌触りだ。しかも、甘みが強すぎず、タルトを食べた後に紅茶を口に含むと、紅茶の風味とタルトの純朴な甘みが混ざり合う。

 実に、美味だった。

 はなが、美味しい美味しいと何度も頷けば、静も同意の意を込めて一つ頷いた。

 タルトを食べ終えたとき、外は雪のピークを迎えていた。

 窓に打ち付けるような吹雪で、帰れそうもない。すると、女給が頼んでもいないのに、紅茶のお代わりを持ってきた。


「雪が落ち着くまで、ゆっくりとお楽しみください」


 二人は顔を見合わせたが、帰れないのは確かなので、お言葉に甘えることにした。

 この空間は居心地がいい。吹雪や強風の音も、ここでは曖昧になって、安心感に包まれる。


「……また来よう、お静」


 ぽつん、と呟けば、静は静かに頷いてくれた。


「はい。また参りましょう」


 ふふっと、はなが笑みを漏らした。静もつられて笑顔を覗かせた。

 どこか緩んだ空気。弛みほどではない、この緩みが、なんだか幸せだ。

 ――シンと。

 シンと、日の当たる草地で日向ぼっこしているときのようだった。

 シンが、普通の、あの村の住人ならば。一緒に、静も入れた三人で、ここに来られるのに、と、ぽうっとする頭で何となく考えた時だった。

 緩んだ空気は、扉の開けられる音で引き締められた。

 開けただけで扉が、ガタガタと音を立てる。

 はなが振り返った。

 静も、扉の方に視線をやる。


「……なんで」


 思わず零れ出た呟きは掠れていて、声になったかも微妙だった。

 しかし、はなも静も、入ってきた人物を凝視して、目を逸らせなかった。


「全く、ひどい雪だ」


 入り口で体についた雪を払い落としている青年が、何気ない動作でこちらを見た。

 自分に目鼻立ちの似た少女と見覚えのある娘を捉え、青年は軽く瞠目した。


「……なぜ、ここにいる」

「お茶をしておりました」


 そう答える自分の声の、硬いことといったら。……肉親相手とは、とても思えない。

 だが、はなは強張った笑みを浮かべて目礼した。


「お久し振りです、兄様。お帰りなさいませ」


 妹の不自然だと一目でわかるほどの緊張っぷりを見て、兄――秀一郎は、苦笑した。


「ただいま戻った。……三年振りだな。はな」

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