第18話
「すみません、取り乱しました」
「病気だな」
エルの冷めた呟きなんて聞こえない。
小さなアリアと大きなアリアから受けたダメージがまだ残っているが、何とか呼吸は整えることが出来た。
椅子の位置を戻し、腰を下ろすと鏡に視線を戻した。
「あれ、アリアは?」
映っているのは緑の中を突き進む聖女の姿だけで、愛しい赤はどこにもない。
聖女は村を出たようで、ハイデの森の中を大股で歩きながら白い尻尾をゆらゆらと揺らしながら先を行く猫を追いかけている。
聖女の猫を射るような眼光が怖いのだが……どうしたんだ?
「アリアは照れて赤くなっている間に出遅れたようだぞ」
エルがそう言うと、鏡の中にアリアの様子が映った。
アリアはまだ村の中で、周りをキョロキョロと見渡している。
完全に猫も聖女も見失ってしまったようだ。
「アリア、猫も聖女も村を出ているよ!」と教えてあげたいのに声が届かないのがもどかしい。
そんなことを考えている間に鏡が映し出す光景は聖女の方へと戻ってしまった。
左右半分半分で両方映してくれる機能はないのだろうか。
怖い顔で猫を追う聖女より、僕は焦っているアリアを見たいです。
「聖女様、凄い気迫で猫を追いかけていますね……」
猫を必死に追いかける聖女の目つきはさっきより鋭くなっていた。
聖女としての矜持があるだろう。
アリアに負けるわけにはいかないと気合が入っているはずだ。
それをジュードに言うと曖昧な返事をされた。
「確かに聖女として聖獣を得なければならないという使命感はあるだろうが……この険しい表情の主な原因は、さっきの君達のやり取りじゃないかな」
「さっきの僕達?」
「ああ。君達は幼い頃から想い合っているというところを見せつけてくれただろう?」
「えっと……」
指摘されると恥ずかしくなる。
クッキーを渡した後の僕のことを想ってくれているアリアの反応を見ることが出来て、今もまだ浮かれている自覚がある。
ジュードのような大人からすれば青臭いかもしれないが、僕は凄く嬉しかった。
はい、見せつけてしまいました。
いいだろう!
「あの子はね、物心ついた頃から聖女なのだよ」
小さなアリアの反応を思い出して顔が緩みそうになっている僕に、苦笑しながらジュードは話し始めたが……何の話だ?
首を傾げるともう一度苦笑された。
「君は本当にあの子以外のことには興味がないんだな」と言われたが、その通りです。
「あの子……セラフィーナは歩き始めて間もない頃に神殿に預けられ、ずっと聖女としての教育を受けてきた。常に聖女としての振る舞いを求められ、今まで過ごしてきた。自由が少ない中、あの子が憧れ続けたのが『勇者』だ。その憧れが恋心なのが信仰なのかは分からないが、あの子にとって君が特別なのは間違いない。『勇者を支えるのは聖女』という意識があの子にはあるから、さっきの君達のやり取りを見て複雑な想いをしているんじゃないかな」
「そう、ですか……」
「悪い。気にしないでくれ」
「……」
……薄情ですみません、やっぱり僕はアリア以外のことはそんなに気にならないみたいです。
子供の頃から自由が少なかったのは気の毒だが、僕にはどうすることも出来ないし、何かを求められても困る。
ジュードは小さな頃から聖女を見ているそうで、親心のようなものがあるらしいが……。
というか、聖女が固執しているのは『僕』というより『勇者』ってことだよね?
例えばトラヴィスは本物の勇者だったなら、固執の対象がトラヴィスだったということだと思うのだが。
鏡の中の聖女に視線を戻すと、どんどん森を突き進み村から離れて行っていた。
魔物が出ないか心配になったが、今のところは大丈夫なようだ。
そして鏡さん、アリアも映してくれませんか。
僕の願いは叶わず聖女ばかり映っている。
気が利かない鏡だ。
猫の進む速度は衰えず、軽快な足取りで進んでいる。
追いかける聖女の方が辛そうだ。
歩いていると猫と距離が開き始めるため、時折駆け足になり息が上がり始めている。
村から離れたハイデの森とシュトロムの森の境にある山の麓まで来たところで、とうとう聖女の足が止まった。
体力的に限界が来たのかと思ったが……どうやら違うようだ。
『……え』
聖女は真っ直ぐ前を見て驚いていた。
焦点の合っている目は何かを捉えている。
鏡には映ってはいないが、聖女の視線の先に何かあるらしい。
ゆっくりと鏡に映る範囲が広がっていく。
そこには一人の青年が立っていた。
聖女が追っていた猫が彼の足に身を寄せ、じゃれている。
そして彼にも影は無かった。
『ルーク様……?』
「うん?」
急に聖女に呼ばれたので首を傾げた。
また小さい僕が現れたのかと思ったが、鏡の中には聖女と青年しかいない。
どういうことだ?
聖女の視線は青年を見ている。
まるで彼に問いかけているようだと思いながら彼の顔を見て……納得した。
「僕だ」
聖女の呟きの通り、確かにそれは僕だった。
小さな僕ではない。
成長した今の僕だった。
僕はここにいるのですが……どういうこと?
鏡の中の僕は今の僕と身体的特徴は同じだが、違うところと言えば服装。
纏っているのは白銀の鎧だ。
蒼のマントをつけていて『いかにも勇者様』な風貌だ。
腰にはしっかりと聖剣もぶら下がっている。
髪は綺麗に切り揃えられていて素顔は晒されている。
僕なのに僕じゃないような……。
「おおおっ!! これは良い!! この姿であれば我も鼻が高いぞ!!」
何故かエルが大興奮だ。
テーブルの上でぴょんぴょん飛び跳ねている。
実体がないのでテーブルがガタガタと揺れることはないが行儀が悪い。
『……聖獣様』
勇者な僕に聖女は跪いた。
あの猫が聖獣じゃなかったのか?
勇者な僕の方が聖獣?
疑問が湧くが口にしないまま大人しく見守る。
『聖獣と契約したい?』
勇者な僕が聖女に向かって問いかけた。
なんてことだ、声まで僕だ。
いや、違った方が気持ち悪いかもしれないけれど。
それにしても自分じゃない自分を見るのは気持ち悪い。
『はい』
跪いたまま頭を下げる聖女に向かってふわりと笑った勇者な僕は、聖女の前に立つとスッと手を出した。
『立って』
「……」
優しい声を掛け、聖女をエスコートするような仕草を見せた勇者な僕は……僕が今までしたことがない表情をしていた。
女性の扱いが慣れているような余裕のある微笑み。
恐らく僕は一生しないと思う顔だ。
『は、はいっ』
聖女は思いきり動揺していた。
林檎のように顔を真っ赤にして、差し出された手に震える白い手をソッと乗せた。
立ち上がった聖女と見つめ合う聖獣。
……なんだこれは。
「抗議します」
僕はエルを思い切り睨んだ。
あいつ、何とかしてください!
人の姿を使って妙な雰囲気を出さないでください!
「あんなの僕じゃないだろう!」
「我は好みだぞ」
「そんなこと聞いてないから!」
うわあ……なんだか寒くなってきた。
鏡を叩き割りたい衝動に駆られるが、アリアを見ることが出来なくなったら困るから我慢だ。
『僕が実体じゃないのは分かるかい?』
そう言うと勇者な僕は聖女の手を両手で包んだ。
だから!
やめろって!
これをアリアが見たら……と想像すると背筋が凍った。
お願いだから今は来ないで!
……なんてことを考えていたらきっと来る。
世の中はそういう風に出来ていることを僕は知っている。
だから考えないのが一番だ、と思っていたら――。
「ああ、アリアもこの場所に向かい始めたな」
「!!」
などとエルが呟いた。
鏡には映っていないが分かるらしい。
うん……こうなることは何となく察していたよ……。
世の中の摂理には逆らえない。
どうか!
アリアが来るまでに早くこの謎の雰囲気終わらせてください!!
『……あ』
更に顔を赤くしていた聖女だったが、勇者な僕が質問したことの答えを見つけたようで顔を上げた。
勇者な僕はそれに満足したようでにっこりと微笑んだ。
『聖獣の実体は、この山のどこかで動けなくなっているんだ。助けてくれたら、君の力になると約束しよう』
それが試練なのだろうか。
やっぱりこの勇者な僕が聖獣?
力になると言っているのだからそうなのだろう。
まずい……アリアはまだ来ていないのに!
アリアと契約して貰わないと一緒に旅が出来ない!
あ! でもこの妖しい雰囲気は見られたくない。
いつのまにか聖女の白い手を包んでいた勇者な僕の手の一つは頬に移動していた。
頬を撫でられている聖女もうっとりとしている。
あれ……おかしいな……僕もこの試練を受けているみたいになってないか?
むしろ僕が一番過酷な試練を受けているような……。
『必ず、わたくしがお救いします……!』
『ありがとう』
妙に盛り上がっている鏡の中を見るのはやめよう。
そう思い、顔を逸らしたときの『その言葉』は聞こえた。
『あまり時間はないんだ。じきにこの山は崩れてしまう。それまでに助けてね』
「…………」
一瞬、呼吸が止まった。
「…………え?」
『山が崩れる』
その言葉を聞いた途端、聖獣の声以外が消えた。
音も、景色も、宿屋の微かな埃臭さも。
僕の身体の全ての感覚が聖獣の声に集中した。
『いいことを教えてあげよう』
『?』
『未来の勇者となる少年とその両親が今この山にいるよ』
ああ、そうだ……この山だ。
今はすっかり姿を変えてしまっているが、崩れる前はこんな山だった。
それに『あの日』はこんな雲一つ無い綺麗な青空だった。
視界を塗りつぶしたような青が当時の記憶を呼び覚ます――。
僕達親子は三人でこの山に来ていた。
いつもは外に出ると剣や魔法の練習をしていたけど、この日は「いい天気だから散歩をしよう」と母さんが言い出して……。
のんびり歩きながら「あれは薬草だ」「あっちは毒がある」「あの果物は食べてみたら腹を壊した」なんて勉強混じりの談笑をしながら歩いた。
母さんに不意打ちで靴を凍らされて転んだり、恥ずかしいから止めて欲しいのに父さんに肩車されたり――。
音を立てると魔物が来るかもしれないのに、誰もそんなことは気にせず大声で笑い、歌い、騒々しく歩いた。
むしろ夕飯になるような獲物が襲って来ないかな、なんて言いながら。
夢にも思わなかった。
このすぐ後に両親を亡くすことになるなんて。
鏡に映っている場所が実際の過去なのか、過去に似せて作ったところなのかどうか分からない。
でも……。
『また二人を失う』
そう思った瞬間に僕の足は前に動き、手は鏡に伸びていた。
「勇者? 勇者……お前! 止まれ!!」
「どうした!?」
鏡を掴もうとする僕にエルが気づき、エルの声で驚いたジュードに腕を掴まれた。
「離せ! 僕も鏡の中に行かなきゃ……父さんと母さんが!!」
あの鏡に触れたら映っている場所に行けるかもしれない。
二人を……助けられるかもしれない!!
鬱陶しいジュードの腕を強引に引き剥がし、思い切り突き飛ばした。
ジュードが勢いよく床に倒れ、呻き声をあげたが今はそれどころじゃない。
必死に鏡を掴み、景色に触れてみたが……何も起こらない。
ただ鏡に触れただけだった。
「エル!! 僕をここに連れて行け!!」
鏡から手を離し、エルに向けて叫んだ。
「お前は入ることが出来ん。落ち着け、勇者……」
「いいから今すぐに連れて行け! また折るぞ!!」
お願いだから早くつれて行ってくれ!
テーブルに置いていた聖剣を手に取り、真っ二つに折ったあの時のように力を入れると、ミシッという鈍い音と同時に刀身にヒビが入った。
「……折りたければ折るがいい。だが、鏡の中には行けん」
「嘘だ! さっきはアリア達を連れて行ったじゃないか!」
「我は『資格』を持つ者を導くだけ。今ここに『資格』はない。ゆえに出来ん。……出来ぬのだ、勇者よ」
エルの静かな声は僕に詫びているようだった。
人の姿のエルの辛そうに歪んだ顔を見てハッとした。
頭に血が上って、非のないエルの刀身を傷つけてしまった。
聖剣は「折れても大丈夫だが痛い」と言っていた。
今、辛そうな表情なのは痛みを感じているのだろう。
そして僕が取り乱した原因も察したのだと思う。
「……ごめん」
聖剣をソッとテーブルの上に戻し、項垂れた。
……じゃあ、どうすればいい?
これから両親が死ぬと分かっているのに、見ていることしか出来ないなんて……。
この鏡の中の世界が実際の過去なのかどうかは分からない。
でも、作り物だろうが何だろうが救いたい。
「もしかして……ライネル団長とミリア様はここで?」
「……はい。ジュードさん、すみませんでした」
僕に突き飛ばされて倒れていたジュードが起き上がった。
申し訳なくて謝ると「気にするな」と軽く僕の肩を叩いてくれたが、鏡に映る場所が両親の最後の場所だと知って彼も表情を固くしている。
『聖女、君なら三人を救えるよ?』
「!?」
鏡の中から聞こえてきた言葉に、耳を疑った。
「救える」って……言った?
父さんも母さんも死なずに済む?
勇者な僕を見ると、相変わらず僕はやらないような綺麗な微笑みを浮かべているだけだった。
『それは……どういうことでしょう?』
『勇者の両親はね、ここで命を落とすんだ。……でも、君が今から助けに行けば運命が変わる。二人は死なない』
『!』
「聖女様! 父さんと母さんを助けてくれ!」
気づけば鏡を掴み、聖女様に向けて必死に叫んでいた。
こちらからの声が届かないのは分かっている。
でも叫ばずにはいられなかった。
『でもね、本当にあまり時間はないんだ。聖獣か勇者達、どちらか片方しか救えない』
「!?」
『そ、そんな……』
『本来の運命を選ぶなら聖獣を探すといい。ああ、でもね。勇者とその両親を救うと、勇者は君を愛するようになるよ』
『なっ……!』
聖女のつぶらな瞳が大きく見開かれた。
僕は今の言葉の意味が分からず、固まった。
『勇者様が……私を?』
聖女が父さんと母さんを助けてくれたら、僕は聖女を愛するようになるだって?
そんな馬鹿な……。
『勇者は両親を失ったことで自らも死を望むようになる。それを救ったのがあの赤い髪の娘だ。だから勇者はあの娘を愛する。だが両親は死なず、君がその命を救った場合は……彼の心は君に向かう』
『……』
聖女の目は見開かれたままで、勇者な僕を映している。
『幼い勇者は君の姿を忘れない。自分と両親を救った、美しい君の姿をね。もちろん今の君は彼の前から姿を消すことになるが……信託がくだり、幼い君達は出会うことになる。その時、彼はすぐに分かるよ。あの美しい人は君だと。そして彼から君を求めるだろう』
『……』
『勇者達を救えば……刻を戻してやり直すことになるが、君は勇者の愛を手に入れることが出来る。今は聖獣を得られなくても、成長した勇者が旅立つときに再び試練を受ければ聖獣も得られる。時間はかかるが両方手に入るこちらの方が君には有益なのではないかい? ああ、君は僕を助けてはくれないかなあ?』
クスクス笑う勇者な僕の手は、聖女の頬にあてられたままだ。
聖女の瞳に勇者な僕が映っているのが分かる。
聖女は動かない。
言葉も出ない。
聖女が両親を救ってくれたら僕は聖女を愛する。
アリアを好きなこの気持ちはなかったことになってしまう。
僕は……アリアを失う。
でも、父さんと母さんが還ってくる。
『さあ、進んで。選ぶのは君だ』
勇者な僕は聖女から離れると、猫と一緒に姿を消した。
鏡に背を向けた聖女が山を登り始める。
僕はその小さな背中から目が離せない。
聖女が選ぶのはどちらだろう。
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