第19話
鏡の中、聖女の背景となっている山に目を向ける。
木々が鬱蒼と生い茂ってはいるが食料や薬になる植物が多いため、人の出入りは多い場所だった。
人が行き交うようになった獣道は自然と道幅を広め、歩き安い山道となっていた。
今聖女が歩いている道の横幅も広く、二、三人が横並びで歩いてもぶつかることはないだろう。
獣道にしては凹凸もなく歩きやすい。
魔物がいる点を考慮しなければ軽装でも難なく頂上に辿り着けるような山だ。
そんな山だからこそ、あの日ものんびり散歩しようということになったのだ。
途中までかけっこで登ったが、一位は父さんで二位が母さん。
僕はぶっちぎりで最後だったため、泣きながら「二人は大人だからずるい!」と怒った。
今思えばあれだけ能力の高い人達が子供相手に全力を出すなんて大人げないと思う。
母さんなんて魔法で加速していた。
それより早い父さんが恐ろしいが……。
僕を鍛えるためだったとは思うが、子供に対して遠慮がなかった二人を思い出して懐かしくなった。
聖女の足は止まること無く上を目指して進んで行く。
あの日、僕達親子が通った道を。
その足取りはしっかりとしていて迷いが無いように見える。
見えているのは後ろ姿だが、きっと凜とした表情で前を見据えているだろう。
目指すべき場所が分かっているようだ。
それが幼い日の僕と両親がいる場所なのか、聖獣がいる場所なのか――僕には分からない。
「……勇者よ、お前はどちらを望んでいる?」
「……」
エルの問いに応えることは出来なかった。
――アリアを奪われる。
これまで僕とアリアで築き上げてきた思い出、その時に感じた思い……そしてこれからのアリアと歩むはずだった未来。
それは間違いなく、何よりも失いがたい僕の宝だ。
でも……両親の方は『命』だ。
『自分の一番大切なもの』と『命』はどちらが重いのだろう。
アリアを失いたくないと思う気持ちは強いが、両親への想いも溢れてくる。
比べることなんて出来ない。
どちらも大切で、どちらも無くしたくない。
いや、本当は……未来は変えるべきじゃないと思っている。
両親の死を乗り越えられるよう、僕に寄り添って生きてくれたアリアとの未来を大事にしたい。
でも、それを選ぶということは両親を見捨てるということで……。
『ルーク様』
葛藤で内に篭もっていた僕の意識を聖女の呼びかけが引き戻した。
『わたくしの声は届いているのでしょうか』
「幼き聖女に、我らは見ていると伝えている」
エルが僕とジュードに向けて呟いた。
見ていることは分かっているが、声が届いているか確認したかったのだろうか。
返事を届ける術が無いので黙って見守った。
『……独り言でも構わないわ』
迷いのない歩みのまま聖女が呟いた。
『わたくしは今、過去の世界にいます。わたくしが干渉すれば未来は変わります』
実際の村とは違う作り物の場所なのかもしれないとも思ったけれど、やはり僕の育った村で間違いはないらしい。
村にいた子供の僕も、これからも亡くなる僕の両親も本物のようだ。
『ルーク様……貴方はどちらを望むのでしょうか。ご両親の命か、それともアリアさんと歩む未来か。わたくしは、勇者様をお支えすることだけを考えて生きてきました。聖女としての使命を全うすることだけを考え、『聖女』として生き、『セラフィーナ』としての人生は望みませんでした。……でも』
そこで初めて聖女の足取りが重くなった。
真っ直前に向けられていた視線も足下に落ちた。
『ご両親をお救いしたら聖女としての使命を全うしつつ、貴方の心も手に入る。セラでありながら聖女でいられる……』
聖女の独り言……というよりは内なる心の告白、と言った方がいいかもしれない。
それに三人で耳を傾ける。
話始める前に僕の名をあげていたからか、ジェイドとエルは極力気配を消しているように思える。
……こんなところで気が利くなら他のところでも発揮して欲しかったが。
『ルーク様、わたくしは貴方をお慕いしています。ただ、それが貴方個人へ向けたものなのか、勇者という存在に向けたものなのか……自分でも分かりません。でも、確実なことがあります』
聖女の声は段々小さくなっていた。
迷いのなかった足取りもとうとう止まってしまった。
『わたくしは……とても……とてもアリアさんが羨ましい』
さっきまでの颯爽と歩く後ろ姿は、背中だけでも自らが『聖女』と呼ばれる者であると物語っていたが……今は心細そうに肩を震わせている一人の少女だった。
『わたくしも最愛の人の唯一でありたい。多くの信仰より、ただ一人の愛が……わたくしにはとても眩しいのです』
「……」
聖女は僕の両親を救うつもりなのだろうか。
そう思える言葉だった。
アリアはただの幼なじみになってしまう?
「……嫌だ」
思わず声に出してしまった。
同じ部屋にいる二人の訝しむ視線を感じる。
聖女にも僕の声が届けばいいのにと思うが、それが叶わないのは分かっているので大人しく拳を握りしめて耐える。
両親は命がかかっている。
アリアといる未来が無くなってもアリアは生きる。
だから……両親を救ってくれる未来の方がいいかもしれない。
自分に言い聞かせるように、そんな思考を巡らせたが……。
「やっぱり嫌だ。僕にはアリアしかいないんだ」
そうはっきりと言葉にした僕に、ジュードは何か言いたそうな顔をしたが黙って俯いた。
ジュードは恐らく、僕の両親が生きる未来を望んでいる。
「選ぶのは我らではない。黙って見守るしかない」
僕とジュードに言い聞かせるようにエルが呟いた。
「見ろ、幼き聖女の腹は決まっているようだぞ」
「え?」
エルの言葉に促され、視線を鏡に戻した。
「あ」
そこは見覚えのある景色だった。
頂上部に延びる山道と、横に逸れるように伸びた細い獣道。
二手に枝分かれした岐路に聖女が立っていた。
今聖女が視線を送っているのは横に伸びた細い獣道。
その先には……両親との最後の記憶が残る場所がある。
少しすると、今度はちらりと頂上へと続く道を見た。
きっと頂上には聖獣がいるのだろう。
ああ、そうか。
この枝分かれした道が、まさしく聖女に与えられた選択肢であるということか。
それが分かった瞬間、僕は目を閉じた。
どちらにしろ僕には受ける入れることしか出来ないのだ。
自分の過去も未来も、自分で選べないことに大きな憤りはあるけれど。
ザッザッと聖女の土を踏む足音が聞こえる。
どうやら行く先を決めて歩き始めたようだ。
エルとジュードは何も言わない。
聖女の足音だけが聞こえ続ける。
僕は俯き、鏡を視界に入れないようにして目を開けた。
聖女が両親を救ってくれる選択をした場合でも、僕はアリアを好きになりたい。
両親を失った悲しみを癒やしてくれることがなくても、アリアの不器用な優しさに気づくことが出来たら……。
両親を亡くして一年くらい経った頃のことだ。
村で仲良く遊んでいる親子を見て両親を思い出し、泣いてしまったことがあった。
この頃には泣くことなんて無くなっていたはずなのに、知らない内にジワジワと自分の中に涙が溜まっていたのか、溢れ出すと止まらなくなった。
アリア一家を見ていて両親が恋しくなった時は我慢出来たのに、何故か他の親子の時は駄目だった。
必死に我慢するけれど涙が止まらず嗚咽が漏れ始めた僕を、アリアはジーっと見ていた。
『……ルーク』
『? え……痛っ!!!』
動き出したアリアの両手が、僕の左右の頬を勢いよくベチンッ! と挟んだ。
挟んだというより、両側からビンタをされたような衝撃だった。
『……アリア。痛い』
『そうでしょうね! でも涙は止まったわよ?』
『……吃驚したからね……涙も止まるよね』
『よかったじゃない』
アリアは悪びれる様子もなく、あっけらかんと笑った。
それを見た僕は思わず顔を顰めた。
『よかった……のかな?』
『ルークは今悲しい?』
『……痛い』
『悲しくないならいいじゃない!』
『ええー……』
良い方法だった、と言いたげな笑顔に僕の眉間の皺は深くなるばかりだ。
『私、ルークが泣いてるの嫌なの。もうっ! ルークの涙で私の手がべちょべちょになっちゃったじゃない!』
『それ、僕が悪いの!?』
『そうよ! 罰としてお使いに行く私について来るのよ!』
『またか……』
そして村長の家に強制連行される……なんてことがあった。
お使いについて行くといつものようにご褒美のおやつを貰えたから、あれもアリアの気遣いだったのだと分かるけど……あの時の『ほぼビンタ』は結構痛かった。
確かに寂しい気持ちとかは吹っ飛んだけどね。
僕の手を引いてくれるアリアの手も暖かかった。
思い出すと笑いが込み上げて来た。
全く、アリアの優しさは素直じゃないから分かりづらい。
両親を亡くさずにすんだ僕になったとしても気づきたい。
……アリアに会いたいなあ。
「こちらを選んだか」
「え……?」
エルの呟きで意識が現実に引き戻された。
耳を澄ませると、確かに聖女の足音は止まっていた。
思わず顔を上げると……視界の大部分に青空が広がっていた。
『あの場所』にはない青空が。
『今、お救いします。……聖獣様』
生い茂っていた木々が途切れ現れたのは、草木の生えていない渇いた土壌が広がる見晴らしの良い山頂。
跪く聖女の先にいたのは――身体の大きな白い獣だった。
頭上に広がる青空よりも鮮やかに見える蒼い目は、作り物のように美しいのに深い慈悲を漂わせている。
ピンと張った形の良い耳に豊かな毛並み、艶のある尾。
額には魔方陣らしき図形が蒼白く光っている。
神々しい姿ではあるが、一番姿形が近いものといえば狼だろう。
村に現れた魔物と同じくらい巨体ではあるが、『蒼い目の白狼』という感じだ。
開けた場所の中央で白狼――聖獣は横たわっている。
その周りには黒い棘が張り巡っていて、聖獣を閉じ込めているようだった。
ここから聖獣を出すのが聖女の役目なのだろう。
聖女は立ち上がり、聖獣へと近づいて行く。
聖獣の蒼い目が聖女の動きを追っているのが分かる。
この数時間で見慣れてしまった聖女の背中を見ながら、僕は驚いていた。
今僕の目に映っている背中は『聖女』に戻っていた。
小さな肩を震わせていた少女は消えていた。
僕はてっきり聖女は両親の元へと向かうのだと思っていた。
だから過去を変えられることに抗う方法を考えたり、アリアを想い続けていられるように決意を固めていたのだが……。
『過去の改変は行わなかったか』
聖女が茨に触れると、黒かった茨は一気に白くなり、あっけなく灰のように崩れ落ちていた。
巨体を横たえたまま、聖獣は聖女に頭を向けた。
『……はい』
『理由を聞こう』
そう呟くと聖獣は四本の足で立ち上がり、聖女を見据えた。
聖女は戸惑いを見せていたが、聖獣の正面でもう一度膝を折って跪いた。
『……』
聖女は緊張しているのか、中々言葉を発することが出来ないようだ、
聖獣の硝子玉のような蒼い目は聖女の全てを見透かしていそうだが、彼女自身からの言葉を待っている。
聖獣と聖女の間を風が抜けていく。
巻き上がった乾いた土も、風を追いかけるように足下を流れていった。
『選んだ理由……』
暫くすると聖女は、しっかりとした口調で語り始めた。
『今を生きる人、亡くなった人々の軌跡……それら全ての積み重ねで『今』が紡がれています。わたくしが過去を変えてしまったら未来が変わります。ルーク様やアリアさんの人生だけには留まらず……変わった未来により生きる人、亡くなってしまう人、幸福になる人、不幸になる人が生まれるでしょう。多くの人の運命に影響が出る。それは、私の命をもってしても責任が取れるものではありません。運命を変えるなど、とても恐ろしいことです。それに……今を賢明に生きてきた人々のこれまでを、思い出を、わたくしの一存で書き換えることは出来ません』
聖女は自分の考えを一気に語った。
相変わらず表情は見えないが、固い声から察するに険しい顔をしているだろう。
聖獣は黙って聖女の言葉を聞いていた。
硝子玉のような瞳は聖女を捉え続けている。
聖女の髪や聖獣の艶のある毛並みに吹きつける風の音だけが聞こえる時間が続いた。
『……なんていうのは建前でしょうか』
聖女がぽつりと言葉を零したが、僕達には聞き取れないような小さな声だった。
『本当は……わたくしのちっぽけなプライドを守りたかったのだと思います。どこにでもいる少女ではなく、聖女として生きてきた時間を否定したくなかっただけなのかもしれません。多くの人々のためというより……今までの自分の努力を無かったことにしたくなかった』
今度の言葉は聞こえたが……。
最初に聞いた凜々しい語りとは全く違う、酷く不安定な覇気のないものだった。
聖獣に聞かせているのではなく、独り言のようだった。
だが、聖獣の耳にはそれはしっかりと届いていたらしい。
フッと笑うような声が聞こえたかと思うと白い巨体は前に進み、聖女との距離が縮まった。
『刻はただ流れるもの。それは神が全てのものに課した摂理。流れに逆らう……やり直しなど許されていない。神にとっては人ひとりの運命など、些末なことだ。そんなもののために摂理を曲げるなどあってはならない。試練とは単純なこと、『摂理を守れるかどうか』だ。お前は結果的に守ることは出来たが……本来は迷うことすら許されないこと。今を生きる――それが命あるものに与えられた使命でもある。教えを……真理を正しく理解していれば、惑わされることはなかったはずなのだがな』
「!」
俯いていた聖女が弾かれたように顔を上げた。
ハッと息を呑んだのも聞こえた。
聖獣の言葉は、聖女の根本的な過ちを指摘していたように聞こえた。
聖女が導き出した答えは立派に思えたが、考え方の視点は人間のものだった。
人の考えた、人のための倫理。
だが聖獣が望んでいたのは、人の感情などというものには左右されていない、神に仕えた聖なるものの視点――。
人の考える思想や理屈など関係の無い。
だから過去を変えることを迷った時点で聖女としては未熟、ということなのだろう。
『人の心、感情というものは毒にも薬にもなる恐ろしいものだ。深い慈悲を見せる一方で、時には取り返しのつかない大きな過ちを起こす。大いなる力を持った聖獣を従える聖女は『人』であってはならない』
『……はい』
大きな力を授かる者の責任として、個人的な考えや感情に左右されてはいけない――ということのようだ。
僕の耳にも痛い話に思えた。
聖剣という僕にしか使えない大きな力の使い方を考えさせられた。
聖剣を魔王討伐以外の用途で使うのは勿論駄目だ。
人に向けてはいけないということも当たり前。
戦力として使うのではなく、聖剣を見せびらかし、勇者であることを誇示して好き勝手することも出来るが、そういうのも論外だ。
そんなことをするつもりは無いが、人に誇れないような使い方はしないようにしなければと身を引き締めた。
聖剣の人格がアレだから、扱いが雑になってしまっているが……色々と気をつけよう。
鏡の中で肩を落としている聖女と共に反省した。
聖獣に目を戻すと、形の良い蒼い目は細められていた。
面白そうに聖女を見ている。
『言わねばならないことは言わせて貰ったが……お前の導き出した答えは、ワレは好ましく思うぞ? 複雑な思考で高尚なことを並べておきながら、結局は己の欲に沿ったものに辿り着く』
『……っ』
聖獣の表情や雰囲気は柔らかかったが、台詞は痛烈なものに思えた。
悪意は感じられないが、聖女の愚かさを指摘しているようだった。
『恥じることはない。それが人の面白いところだ。それに、己の理屈ではあるが……お前は間違えなかった』
聖獣の表情はあまり変わらないが好意的な空気を感じる。
蒼い硝子玉の目は優しかったが……聖女の心中を察すると可哀想になった。
さぞいたたまれない想いをしているだろう。
『ああ、そうだ。これは言っておかなければ。お前は勇者に対する聖女のあり方というものを今一度考えるべきだろう』
『!? そ、それは……どのように?』
勇者という言葉が聞こえ、僕も反応した。
なにやら聖女に忠告しているようだったが……。
『勇者は神に仕えてきた聖女とは違う。その思想の全ては人としてのものだろう。『世界』よりも大事なものもあれば、勇者などと言われても使命感が芽生えるとは限らない。だからお前は、神の意志を、世界がどれだけ勇者を必要としているかを、魔王の脅威を、勇者がなんたるかを伝え、勇者にそれらを受け止めて貰うように導かなければいけなかった。だがお前はそれを怠り、勇者であることだけを強いた』
『……』
『魔王は、自らの意思で立たない勇者では倒せない。やらされているようでは……傀儡の勇者では駄目なのだ。勇者を支える、という役割を正しく果たせ』
『……はい』
聖女がしょんぼりと肩を落としている。
試練でも未熟だと指摘された上、勇者への対応についても注意をされて凹んでいるようだ。
確かに窃盗の濡れ衣を着せられたりせず、丁寧な対応をしてくれていれば僕も聞く耳くらいは持っていたと思う。
隣にいるジュードにも聖獣の言葉は響いたようで、気まずそうにしている。
嫌な思いをさせられていた僕はなんだか少しスッとした。
聖獣様、ありがとうございます!
でも、見ていたのならもっと早く注意して頂きたかったです!
『聖女よ、お前の名は?』
『……セラフィーナと申します』
『セラフィーナ、ワレはお前と共に歩もう』
『……認めてくださるのですか?』
『ああ。お前の未来に期待している』
聖獣の言葉と共に額の魔方陣が輝き始める。
次の瞬間には聖女の右手が同じように蒼白く光り始めた。
驚いた聖女が胸の前で組んでいた手を身体から離した。
光は時折強い光を放って揺らめいていたが、段々と収束し――消えていった。
『契約は成った』
光が収まった聖女の手には聖獣と同じ魔方陣が刻まれていた。
聖女は呆然としながら右手を見ていたが、すぐに聖獣の前であることを思い出したようで佇まいを直した。
「……終わったな」
エルがぽつりと零し、ジュードが安堵したような息を吐いた。
『……さて、もう一人の資格者だな。お前は、先に帰っているといい』
『え?』
聖女の驚いたような短い声が聞こえた瞬間、室内にドサッという音がした。
そちらに目を向けると、鏡の前で聖女が座り込んでいた。
「あっ……わたくしは……」
「戻って来たか」
聖女は座り込んだまま室内をぐるりと見回していたが、僕を見ると動きを止めた。
アリアと一緒に行くことが出来なくなったことが決定した今、僕の胸中は複雑だ。
でも今は頑張った聖女を労ってあげたい。
立ち上がれない様子の聖女に手を差し出した。
「お疲れ様」
「ルーク様……」
聖女の心の中も複雑なのだろう。
困った様に微笑んでいたが僕の手を取った。
痛くならないよう気をつけながら引き上げたが、聖女は気が抜けたのか立つのが辛そうだったので椅子に座らせてやった。
「見ていましたか?」
「うん」
「ご両親を救えず、申し訳ありません」
「いや……僕も同じ選択をしていた」
だから気にすることはないと聖女に向けて頬笑んだ。
にっこりと笑うことは出来ず苦笑いになってしまったが、聖女も同じような弱い微笑みを返してくれた。
「わたくしは……聖女として貴方の力になりたいと思います」
「え?」
「いえ……」
俯いた聖女が何か零していたが、独り言だったようだ。
すぐに顔は上げられ、もう一度力なく微笑んだ。
「聖獣を得ることが出来てなによりです」
ジュードは疲労の色が見える聖女を気遣ってか、遠慮がちに声を掛けた。
「ですが……未熟を痛感しました」
聖獣とのやり取りを全て見ていたので気まずい。
励ましたいとは思うが掛ける言葉が見当たらず、僕は黙ってしまった。
ジュードも同じように黙っていたが……エルは聖女の頭を撫でると笑った。
「幼き聖女よ。己の未熟を身を持って知る――それも聖獣の試練のひとつと言える。これより更に励め! 我のように立派な聖職者になるのだぞ!」
「良いこと言っていたのに最後だけ共感出来ないなー」
僕が呟くとジュードが頷いたが、エルにキッと睨まれ慌てて佇まいを直した。
ジュードは気の毒だが、聖女が笑っているので良かった。
エルのおかげで部屋の空気が一気に明るくなったから、聖女も漸く気を休めることが出来るだろう。
「試練は終わったんだよね? 聖獣は? アリアは?」
「そろそろ戻ってくるのでは……」
『待っていたぞ。力無き資格者よ。そんなに急いで何処へ行く?』
エルに質問していたところで、鏡から声が聞こえてきた。
あれ、今のは……僕の声?
鏡を見ると少し前に見ていた勇者姿の僕が、両親を救うか聖獣を得るかの分岐点となるあの岐路に立っていた。
聖獣がまた僕の姿をしているのか?
勇者な僕が話し掛けたのは、麓から掛けてきた赤い髪の少女――アリアだった。
『ルーク!? ……じゃないわね』
勇者な僕を見てアリアの足は止まった。
睨みつけて警戒している。
僕と全く同じ姿形をしている聖獣を、僕ではないと一瞬で見抜いてくれたことに興奮しそうになったが……これから何か始まるのか?
こちらに帰すだけなら、わざわざまた僕の姿になって話し掛けるようなことはしないように思えるのだが……。
『聖獣と聖女の契約は成った。試練は終わったぞ』
『あっそ!』
「ア、アリア、あっそ! って……」
アリアの興味なさ気な言葉に思わず脱力した。
それが目的だったんだけどな……。
僕と一緒に旅立てなくなったんだよ!?
『ここはもうすぐ崩れるぞ』
『煩いわね! ここにはライネルさんとミリアさんがいるのよ! 邪魔しないで!』
『ほう?』
『思い出したのよ。あの日は……ルークにクッキーを貰った日だった!』
「!」
まさか……アリアは父さんと母さんを助けに行こうとしているのか?
僕の顔をした聖獣は薄らと笑みを浮かべ、興味深そうにアリアを眺めている。
『あっちだわ……!』
勇者な僕の横を通り過ぎ、アリアは細い獣道を駆けて行った。
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