第20話

 細い獣道を駆けていくアリアを見て、僕は嫌な予感がしていた。


「聖獣は『どちらかしか救えない』って言っていなかったか? 時間はないって……。それは……聖女と聖獣の契約が成った今からじゃ間に合わないってことじゃないのか? 今、山が崩れたらアリアはどうなるんだ!? 試練の前に危険なことはないって言っていたよね?」

「ああ、聖獣が守ってくれるはずだが……」


 エルを問い詰めたが、目を反らす様子を見ていると信用出来そうにない。

 アリアが両親を救ってくれるかもしれないという淡い期待も湧いてくるが、それよりもアリアに危険が及ばないか心配だ。


「聖獣は何か言っていなかったか?」

「いえ……」


 聖女に聞いたが何も知らないようだ。

 アリアまで山崩れに巻き込まれてしまったら……僕は正気ではいられないだろう。

 鏡に目を戻すと、映っている景色がまた変化していた。


 青空はなくなり、代わりに現れたのは岩肌の天井。

 そこは洞窟の中だった。


 本来は真っ暗だが、今は誰かが魔法で周囲を明るくしているようだ。

 真昼のような明るさはなく日の入り時のような仄暗い空間ではあるが、視界に困ることはない。

 平屋が丸々入るような空洞の地表には、天然の水晶が地面から突き出るように生えている。

 透明無色な水晶は灯りの魔法に反応して、優しい橙色の光を乱反射させていた。


 幻想的な風景の中、動く人影が三つ。


 一人は男性で、僕と同じ金髪で長身の剣士だ。

 そしてその隣にいる女性は、僕と同じ紫の瞳の魔法使い。

 最後は……僕と全く同じ特徴を持った子供。


 それを見た瞬間、僕は苦しくなった。

 嬉しくて悲しくて……胸がいっぱいになる。


「父さん……母さん……」


 もう二度と見ることの出来ないはずだった両親の姿が目に入った瞬間に視界がぼやけた。

 ちゃんと二人を見たいのに、沸き上がってくる涙が邪魔だ。


「団長……」


 ジェイドも声を詰まらせながら、鏡を食い入るように見つめている。


『ルーク、苔なんて取ってどうするの? 手が汚れるでしょー』

『母さん見てよ! この苔、ちょっと光ってる!』

『水晶と同じように母さんの魔法に反応しているんだ。魔法が切れたあとでも少しの間は光っているから、暗闇の中でも見ると綺麗だぞ』

『そうなんだ? 父さん、これ持って帰っていい?』

『駄目よ。苔なんかポイしなさい』

『ええー。母さんに聞いてないのに!』


 久しぶりに聞く二人の声――。


 どんなに忘れたくなくても、記憶は薄れていく。

 覚えているつもりの二人の声も、実際に聞くことが出来なければ少しずつ輪郭を無くしていき……僕の中では朧気なものになっていた。


 それがはっきりと輪郭を取り戻した。

 泣かないなんて無理だった。

 涙を我慢することに神経を使うのが勿体ない。

 自分の感覚の全てを使って、もう一度二人を覚えておきたい。


 ああ、子供の頃より母さんの声が可愛らしく聞こえる。

 変声してからの僕の声は、父さんと似ていたんだなあ。


『母さん、苔が光るの見てみたい。ちょっと灯りの魔法を消して暗くしてみてよ!』

『仕方ないわね、ちょっとだけ…………え。……な、何!?』


 母さんが魔法を消そうとしたその瞬間――鏡の中の世界が揺れた。


『地震か!?』


 ズドンと大きく地盤が沈んだかと思うと、地を這うような不気味な地鳴りが洞窟内に響き始めた。

 それと同時にパラパラと天井から土埃が落ち始める。

 父さんが慌てて僕と母さんを引き寄せた。


『父さん!』

『大丈夫だ』


 幼い僕は不安になり、父さんにしがみついていた。

 その間にも揺れと不気味は音はどんどん大きくなっていく。

 身体を寄せ合い様子を伺う親子を襲う落下物が、石や岩など大きなものに変わり始めた。


『この地響きは……大変だわ……!』

『まずいな、道が塞がる前に逃げるぞ! 行くぞルーク!』

『うぇ!?』


 父さんが僕を担ぎ、母さんの手を引いて走り出した。


「……」


 慌てて出口を目指しているのが分かるが……結末を知っている僕は見ていられない。

 二人の姿を見ることが出来るのも残り僅かだと分かっているのに、鏡から目を反らしてしまった。


 試練は終わったのに……。

 アリアが心配だから鏡はまだ必要だけれど、こんな残酷な光景を見せないで欲しい。


『……駄目だわ』

『ミリア?』


 砕けた岩が散乱する悪路を走っていた母さんの足が止まった。


『出口の方に風を感じない。埋まってしまったのよ、きっと。他のところを探さなくっちゃ……』

『そんな……他に出口なんてないぞ!』


 顔を覆ってしまった母さんを見て、父さんも動揺している。

 担いでいた僕を地面に降ろすと、母さんの肩に手を乗せた。

 二人は顔を見合わせ、無言で何かを相談し合っているようだった。


『で、出られないの?』


 両親の様子を見て状況の深刻さを察したのか小さな僕は泣き出した。

 同時にハッと息を呑んだ二人が、僕の頭に優しく手を伸ばしてくる。


『ごめんね、大丈夫……大丈夫よ。ルーク』

『心配するな。冒険に試練はつきものだろ?』


 両親は安心させるように僕を抱きしめたが、僕の頭上で不安な表情を浮かべている。


『何とか先にルークだけでも魔法で外に出してやれないか? このままでは……』

『……やってみるわ』


 父さんと言葉を交わし、僕から身体を離した母さんから金色の光が沸き上がる。

 それは僕を包むと光を強くしたが……すぐに散ってしまった。


『駄目……魔力が足りないわ』

『俺の分も全て使え。ルークからも貰うといい』

『でも、それだとあなたもルークも動けなくなるわ』

『俺はいい。ルークもここを出ることさえすれば、きっと山の異変に気づいた誰かが助けに来てくれる』

『でも……そうね。分かった。あなたの言う通りに。私は……あなたと一緒だから』

『お前もルークと行けないのか?』

『無理ね』

『……そうか』

『父さん? 母さん?』

『ルークは何も心配しなくていいからな』

『そうよ。だから泣いちゃだめよ?』

『う、うん』


 この時の僕は不安を感じるばかりだった。

 必死に二人にしがみつくだけで、聞こえているはずの会話の意味も分かっていなかった。


 今は自分達の命を諦め、僕を守ろうとしてくれていることが分かるから……胸が押しつぶされそうになる。

 ただ守られているだけの子供であることが悔しい。


『ルーク。いい? 父さんみたいな優しくて格好良い男になるのよ?』

『ははっ。ルークは母さん似だから、俺より格好良くなれるさ。ルーク、母さんみたいな美人で頼りになるお嫁さんを貰うんだぞ?』

『え?』


 向かい合った状態で掛けられた言葉に、子供の僕は戸惑った。


 僕の頭を撫でる父さんの傍らに立つ母さんから、さっきと同じ金色の光が沸き上がった。

 光は再び僕を包み、輝きを増して――。

 さっきはすぐに消えてしまった光が、今度は途切れることなく輝き続けている。

 強い光が暗い洞窟の奥まで照らしていく。


 そうだ……この時に僕は『何故今こんな話をするのだろう』と思ったんだ。

 帰ってからすればいい話なのに今言うなんて、まるで――。


 『別れの言葉みたいだ』


 そう思った瞬間に、僕の意識はなくなった。


『ごめんね、ルーク』


 思い出したのと同時に、鏡の中の僕が気を失った。

 砕けた落ちた岩石の上に倒れそうになった僕を父さんが抱き留めた。

 だが、僕を抱えた父さんも足下がふらついていた。

 僕と父さんは母さんに魔力を取られ、魔力切れを起こしたのだろう。


『ああああっ!!』

『ミリア!? どうした!』


 悲痛な叫び声をあげ、母さんが地面にしゃがみ込んだ。

 重い身体で僕を抱えているため、身動きの取れない父さんが母さんに手を伸ばす。


『あなたっ、足りない……出来ない……まだ足りないの!』

『そんな……もう魔力はどこにもないぞ!』

『ごめんなさいっ、ごめんなさい……』

『違う、ミリアが悪いんじゃない。何も出来ない俺の方こそ……すまない』


 母さんは父さんの手を掴んで泣き崩れている。

 どうやら母さんは僕を救うための魔法を成功させることは出来なかったようだ。

 幼い僕はまだ父さんの腕の中だ。


 ……どういうことだろう。

 二人が自分達の魔力を犠牲にして僕だけを救ったのだと思ったのだが、どうも違うらしい。

 ここからどうなったのか……。


『気配……人がいる』


 そう呟いた父さんが素早く振り返り、背後の暗闇を睨んだ。

 母さんの灯りの魔法の効力が残っているようで三人の周囲は見えるが、少し離れると何も見えない。

 父さんが感じている気配は鏡の外にいる僕には感じられないが、何者かの足音は確かに聞こえる。

 それはついに三人の元までやって来て……。


『いた!!!!』


「アリア!?」


 現れたのは小さなアリアではない、今のアリアだった。

 細い獣道を進んだアリアの姿がずっと映っていなかったから、辿り着く前に入り口が塞がり、中に入れなかったのだと思っていたが……どうして来てしまったんだ。

 このままではアリアまで危ない。


『誰だ?』


 父さんは突如現れたアリアを警戒し、僕と母さんを庇うようにして前に出ると、腰に下げている剣の柄に手をかけた。

 流石に女の子相手に剣を抜くつもりはないようだが、いつでも抜けるように構えているのが分かる。


『ラ、ライネルさんっ私は……』


 アリアは父さんに気圧され、動けずにいた。

 威圧していた父さんだったが、アリアの口から自分の名前が出たことで表情が変わった。


『どうして俺の名を? それに、誰かに似ているような……』

『見覚えのある服ね……シェイラのワンピース? それにその髪……まさか、アリアちゃん?』


 膠着した状態を動かしたのは母さんだった。

 僕達を庇う父さんの背中から顔を出し、ジーっとアリアを見つめている。

 母さんの呟きを聞いて父さんは混乱している。

 そんな父さんを構うことなく、アリアを凝視し続けていた母さんの視線がふと下に降りた。

 その目はアリアの胸元にあるネックレスに縫い付けられている。


『それ……私があげたネックレスね!? やっぱりアリアちゃんね!?』


 母さんは父さんの背中から飛び出すと、転がっている石に躓きながらもアリアに駆け寄った。

 母さんの勢いに圧されてアリアは戸惑っていたが、ネックレスを握りしめるとこくんと首を縦に振った。


『ああ……アリアちゃん! こんなに綺麗に! お姉さんになっちゃって! 何がどうなっているか分からないけれど……ありがとう! そのネックレスの石があれば、あなたとルークを逃がしてあげられるわ!』


 母さんは目に涙を溜めて微笑み、思い切りアリアに抱きついた。


『ミリアさん!?』


 子供の頃、母さんはアリアを抱きしめるのが大好きだった。

 ギュッとしながら「女の子は可愛いなあ。着飾りたいなあ」と零しているのを見る度に、僕は「可愛くない息子で悪かったな!」と心の中で拗ねたものだ。

 アリアもよく抱きしめられていたことを思い出したのか、母さんの腕の中で目に涙を浮かべている。

 母さんの身体を細い腕で抱きしめ返していたが、今の状況を思い出したようで慌てて身体を離した。


『ミリアさん、ここから逃げましょう! 早く! 私が来た道は塞がっちゃったけど……どこかから逃げないと!』

『ふふ、アリアちゃん。心配ご無用よ? 大丈夫、私がちゃんと逃がしてあげるから。……あなた。私達はやっぱり……ごめんなさいね?』


 アリアに話し掛けていた母さんは途中から父さんに視線を移し、小さな声で囁いた。

 それに父さんは微笑み、何も言わずに頷いた。


 母さんはアリアの手を取ると、岩や石のない平らなところに座らせた。

 そこに父さんが気を失っている僕を連れてくる。


『アリアちゃん。座っていて大丈夫だから、ルークのこと抱えていてくれる?』

『ルークは……』

『大丈夫、ちょっとお昼寝しているだけよ』


 そんな冗談を言って笑う母さんは可愛かった。

 子供がいるようには見えない。

 笑う母さんを見て、父さんも優しい顔で笑っている。


『プレゼントしたのに、ごめんね。でも……もしかしたら、私はこの時の為にあげたくなったのかも』

『え?』

『アリアちゃん。ルークをお願いね?』

『ミリアさん?』


 母さんはアリアの首からネックレスを外した。

 不安げな表情をするアリアの頭を撫で、気を失っている僕の頭と頬を撫でる。


『……成長して、ライネルのように格好良くなったあなたを見たかったなあ』


 ペンダントの石を握った母さんから、金色の光が吹き上がる。

 これで三度目だ。

 悲しいくらいに綺麗な光が僕とアリアを包んでいく――。


『いける』


 母さんが呟いた。

 その瞬間に金色の光は僕とアリアの姿が見えなくなるほど強いものになった。


『あなた達を山の麓まで送るわ!』


 光の外側にいる母さんの言葉を聞いて、アリアが目を見開いた。

 母さんと父さんがアリアに僕を託したことに気がついたようだ。


『駄目よ! 二人も一緒じゃないと!』


 慌てたアリアの叫びに、二人は困ったように微笑んだ。

 アリアは僕を抱えながらも必死に二人に手を伸ばしているが、金色の光に阻まれている。

 光から手を出せず、泣き出しそうなアリアの前に二人は腰を屈めて話し掛けた。


「ありがとうアリアちゃん。俺達は大丈夫だよ」と父さんの穏やかな声が聞こえた。

 母さんももう魔法の行使は終わったのか、何もせず父さんの横で微笑んでいる。


 二人の言葉と微笑みには、自分達は此処に残るという覚悟が見えた。

 僕を生かすために、自分達の死を受け入れているのだ。

 そして今は、アリアを安心させようと笑っている。


 二人の笑顔と向き合っているアリアの目から、とうとう涙が溢れだした。

 アリアは両親へと伸ばしていた手を引き、その手で僕を抱きしめた。

 二人の覚悟を受け入れたのだろう。

 その代わりに、二人のために僕を大事に抱えたのだと思う。

 両親もそんなアリアを見て、顔を寄せ合って頷いていた。


『ミリアさんっライネルさん! 私は今、十八歳でっ、ルークは十七で! 王都からお迎えが来てルークはっ、ルークは勇者になったんです!!』


 アリアは勢いよく顔を上げると、必死に二人に語り始めた。


『勇者……ルークが?』


 目を見開いて驚いている父さんに向かって、アリアは大きく頷いた。


『そうです! ライネルさん、ルークは凄い剣を……聖剣を使うんですよ! ルークだけが使えるんです! 大きな魔物もあっという間に真っ二つで! 簡単に村を救ってくれたのよ!』


 それを聞いた父さんの目は輝いていた。

 ワクワクしているような、子供のような表情をしていて少し可笑しかった。


『それに! 私達、夫婦になるんです! 私、ルークと一緒に住み始めたんです!』

『まあ!』


 今度は母さんの目が輝き始めた。

 楽しいことを見つけたときの母さんの顔だ。

 父さんと同じように幼く見える。


『だから! だから!』


 無邪気に笑い合う父さんと母さんに、アリアは身を乗り出して叫んだ。


『あのお家は私が大事にします!! ルークは立派だし、私が幸せにします!! だからだからっ…………安心してっ……』


 それを伝えると、流れ続けていたアリアの涙が更に溢れ出し、顔を上げることが出来なくなってしまった。


『本当にありがとう、アリアちゃん。最後にルークのお嫁さんに会えるなんて……夢のようだわ』

『二人で幸せになってくれ。アリアちゃん、君もルークに幸せにして貰うんだぞ?』


 俯いているアリアに向けて二人が語りかけた。

 アリアが頷いたように見えたその瞬間――僕を抱えたアリアの姿が消えた。


「――……」


 僕達がいた場所に、残り香のように光の粒が漂っていた。


 それを見た父さんと母さんは、一瞬寂しそうに目を伏せたが……すぐに顔を見合わせて笑った。


『あなた、上手くいったわ』

『さすが俺の妻だ』


 二人は肩を寄せ合っている。

 最後の時だというのにまるでデート中のようで……二人らしいと思った。


 でも……これで本当に終わりだ。

 もう、僕の両親は人生が閉じるのを待つだけ――。


『……かつて聖女だった者よ』


「え?」


 最後の時、だったはずが……二人のものではない声が響いた。

 その声は……僕がどの声よりも聞き慣れているものだった。


 両親が目を向けた先にいたのは――勇者姿の僕だった。


 正しくは、僕の姿をした聖獣だ。

 両親は座って肩を寄せ合ったまま、呆然と聖獣を見上げていた。


『……誰?』

『お前の隣にその男がいなければ、お前と共に歩むのは聖なる獣である我であっただろうな』

『聖なる獣……聖獣……様?』


 母さんはまだ手に残っていた『ただの石』となった聖女の証をギュッと握りしめた。


『聖獣様、どうしてここに?』


 母さんは聖獣だと納得したのか警戒はしていないが、父さんは疑っているのか思い切り顔を顰めている。


『お前が選んだ未来だ。ワレが変えることは出来ない。お前達は此処で果てる』

『……はい』


「……なんだ」


 聖獣の言葉に母さんは頷いているが、僕はがっかりした。

 聖女に摂理を説いていた聖獣が両親を助けてくれるとは思わなかったが、わざわざ現れたのだから「もしかして……」と期待したのに。

 助けてくれないのなら、どうしてこんなことを……。


『……これはせめてもの餞だ』

『え?』

『この姿は勇者……お前達の息子の未来の姿だ』

『!』


「え?」


 聖獣の言葉を聞いて驚いた。

 成長した僕の姿を、両親に見せるために?

 予想をしていなかった理由に、思わず目を見開いてしまった。


 鏡の中の両親も目を見開いて固まっていた。

 だが……少しすると母さんの目から涙が溢れ出した。


『ああ、あの子の成長した姿を見ることが出来たなんて……! 本当に立派になるのですね! 見て、あなたより男前だわ! 私の息子は立派な勇者だわ!!』


 母さんは泣いたり笑ったりと忙しくしながら、父さんの肩をバンバン叩いている。


『ルークのこんな姿を見ることが出来るとは……。自分の血を継ぐ者が勇者だなんて……かつて剣に生きていた者として、こんなに誇らしいことはありません。ありがとう……ございます……』


 聖獣に警戒していた父さんも、今は聖獣の姿に優しい目を向けながら泣いていた。

 ……父さんの涙、初めて見たな。


 暫く涙を流している両親を黙って見守っていた聖獣だったが、静かに目を閉じるとスッと姿が消えた。


 それを皮切りに、洞窟内に響く音が大きくなっていく。


 『終わり』が来てしまった。


『――――』

『――』


 抱き合っている両親が何か言葉を交わしているが、何を言っているかは聞こえなかった。

 でも、それでいいと思う。

 最後の言葉は、二人だけのものであって欲しい。

 耳を覆いたくなるような轟音を最後に、鏡から景色は消えた。


 普通の鏡に戻ったようで、部屋の中が映っている。


 聖女は目を閉じて祈りを捧げてくれていた。


「二人は……幸せだったのだな」


 ジュードはぽつりと呟くと背中を向け、部屋を出て行ってしまった。


「お前が愛情深いのは、親譲りか」


 呆れたような声で笑っているエルだったが、俯く僕の頭に乗せてくれた手は優しかった。


 なんて残酷なものを見せるのだと思っていたけど、二人の最後が辛いだけのものじゃなかったことを知ることが出来て良かった。


「……っ」


 エルに何か言おうと思ったが……無理だった。

 悲しいだけじゃ無い。

 温かい気持ちも貰ったが、少しの間だけ我慢せずに泣きたくて、その場にしゃがんだ。

 立っていられなかった。


 エルと聖女も気を利かしてくれたのか、部屋を出て行ってくれた。

 一人になった部屋で、僕は子供の頃のように泣いた。


「父さっ……母っ……さん……」


 僕は二人の子供に産まれることが出来て幸せだった。


 もっと一緒にいたかったけど、二人のことを忘れずにこれからも生きていこうと思う。




「……また泣いてるじゃない」

「……え?」


 僕の頭上に、呆れたような声が降ってきた。

 部屋には誰もいないはずなのに。

 驚いて顔を上げると……。


「アリア……」


 試練から戻って来たアリアが僕を見下ろしていた。


「ただいま」

「……おかえり」


 みっともない顔をしている僕を見て、苦笑いを浮かべているアリアの目も赤かった。

 でも、涙はもう流れてはいない。

 僕もしっかりしなければと、服の袖で乱暴に涙を拭うとアリアの正面に立った。


 鏡を見ていて分かった。


 僕の命を救ってくれたのは、父さんと母さん……そしてアリアだったんだ。

 僕は命も心も、アリアに助けられていたのだ。


「ありがとう、アリア」

「お礼なんて言わないで。私……ライネルさんとミリアさんを助けられなかったわ」


 申し訳なさそうに目を伏せるアリアの頬に触れながら、僕は静かに首を横に振った。

 二人が亡くなったのは悲しい、でも……今はそれ以上に僕の胸は暖かいものでいっぱいになっていた。


「僕を助けてくれてありがとう。父さんと母さんに、今の僕を伝えてくれてありがとう」

「……うん」


 アリアを抱きしめたら、半分以上の確率で殴られるけど……今日は大丈夫だった。

 僕の腕の中にすっぽり収まるアリアは、小さいのにとても大きな存在に感じた。


「ルーク」


 珍しくアリアの方も抱きしめ返してくれた。


「私、聖獣と契約出来なかったわ」

「……そうだね」

「でもね、ルークの両親に……二人に言っちゃったの。ルークは勇者だよ、夫婦になったんだよって。……どうしようか?」

「え?」

「私、嘘つきになりたくないの」


 そう言うと、アリアはドンと僕の胸を押して離れた。

 いつものような勝ち気な表情で仁王立ちだ。


 ああ……そういうことか。


 抱き合えたのが一瞬だったから、思わずムッとしてしまいそうになった僕は馬鹿だ。

 アリアはどこまでも優しかった。

 いつもこうやって僕を導いてくれる。


「アリア」


 腰に当てられているアリアの手を取り、片膝をついて跪いた。

 騎士だった父さんなら、こういう時はきっとこうするだろう。

 母さんにやったことがあるかもしれない。

 二人の様な夫婦になりたいと願いを込めて、僕はアリアの目を見た。


「勇者として旅立つ僕の帰りを、アリアは僕の家で、妻として待っていて欲しい」


 僕が言えなかった言葉、アリアが言わせてくれた言葉を口にした。

 アリアは少し照れくさそうにしていたが、しっかりと僕の目を見てくれた。


「はい」


 返事を聞いた僕はすぐに立ち上がり、もう一度アリアを抱きしめた。

 さっきよりも力を入れてしまう。


「必ず、必ず帰ってくるから」

「当たり前よ!」

「うっ」


 耳元で囁くと、思い切り脇腹を殴られた。

 やっぱりアリアの一撃は重い。

 でも、「この痛みが幸せだ」と思ったことを呟いたら、アリアに「変態か」と避けられた。

 アリアにそういう風に躾けられたのだと思うが……。

 理不尽だ、と思った僕は多分間違っていない。

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