第22話

 いつもより遅い時間に目が覚めた。

 それでも窓の外はまだ暗く、部屋の中もひんやりとしていた。


 顔に当たる空気は冷たいが、すぐ隣には心まで暖めてくれる僕のお日様がいる。

 時折灼熱の炎で試練を与えてくるが、今は優しい温もりで僕を包んでくれている。

 今まで生きてきた中で一番幸福な目覚めだ。


 アリアは僕に抱きついて寝ていた。

 今日は枕にされなかったようだ。

 顔を覗くと、眉間に皺を寄せた険しい顔で眠っている。

 無理をさせてしまったし具合が悪いのかと焦り、額に手をあてたが熱はないし、苦しそうな様子はない。

 よかった……。


「……搾乳してやる」

「!?」


 起きたのかなと思ったけれど、目は開いていないし呼吸も整っている。

 寝言だったようだけど……搾乳?

 ハナコの夢か?

 じゃあなんでこんな邪悪な表情をしているんだ? と思ったところで分かった。

 多分、聖女が夢に出てきているんだろうな、と。


「僕の夢を見てくれたら良いのに」


 アリアの長い髪に手を伸ばし、指先に絡めて遊びながら呟いた。


 アリアの赤い髪がシーツに広がってきて綺麗だ。

 暫く見ることが出来ないと思うと寂しい。

 でも、これをまた見るために頑張って来ようとも思える。

 柔らかい髪の束にこっそりと唇を寄せてから起こさないようにベッドを降り、部屋を出て階段を下りた。


 母さんが立っていた台所を見る。

 僕がここを使うことは殆ど無かったから、物が少ない殺風景な台所だったのだが、早くもアリアが持ってきた調味料や調理器具が並んでいて随分生活感が出ていた。

 アリアは「料理の腕を上げておく」と張り切っていたから、これからもどんどん増えるだろう。

 帰って来た時がどんな風になっているか楽しみだ。


 壁に並ぶ父さんの剣を見た。

 旅に持って行きたいが、聖剣を使うことになるから持って行っても活躍の場がないし、お守りにしては嵩張る。

 残念だが持って行くのは諦めた。


 静かに身支度を済ませると、アリアを起こさないように気をつけながら家を出る。

 玄関を出て、数歩進んだところで振り返った。


「ここを離れる日が来るなんてな」


 僕が育った家……ただの箱ではなくなった、僕とアリアの家。

 アリアが待っていてくれる、僕の帰ってくる場所。

 木が朽ちているところがあって心配だ。

 修理する余裕がなかったのが悔やまれる。

 ボロボロになるまでに帰って来なければいけないな。


 ずっと眺めていたくなるが、今日が最後というわけではないと自分に言い聞かせ、背中を向けて歩き始めた。


 ハナコの世話はロイが引き継いでくれることになった。

 ロイならしっかりやってくれるはずだ。


 本当はゆっくりとアリアとご飯を食べたかった。

 でも、その時間はない。

 明るい内に移動しなければいけないため、午前中には村を発たなければいけなかった。

 それまでにやらなければいけないことがある。


「ルーク様、おはようございます」

「おはよう」


 家から少し離れた所で聖女と合流した。

 聖女はこれから実行することの協力者だ。


「では、アリアさんの方はお任せください」

「よろしく」


 出発するまでに時間の余裕はない。

 最低限の言葉だけ交わし、僕の家へと向かう聖女と別れると宿屋に向かった。




 太陽が顔を出し、朝食をとるにはちょうど良い時間になった。

 だがこのハイデ村では今朝食を取っている人は一人もいない。

 もちろん、僕もそうだ。

 皆は一カ所に集まり、ガヤガヤと賑やかな音を立てていた。

「王都から使者がやって来る!」と騒ぎになっていたあの日のようだ。

 いや、あの日よりも村の人達の顔は明るい。


 集まっているのは村の出入り口となる門前の広場。

 彼らは村の中の方へ目を向け、今か今かと主役の登場を待ちわびていた。


「随分時間が掛かっているな……」


 騎士の正装をしたジュードが溜息を零した。

 案外せっかちなのだろうか。

 でも確かに遅い。

 予定の時間はとっくに過ぎていた。

 ハナコの世話を済ませてやって来たロイは待ちくたびれたのか、聖剣を持って素振りを始めた。


「ロイ、危ないよ」


 鞘に入れたままではあるが、結構な重さのある聖剣を振り回す姿は危なっかしくてハラハラする。

 渡してしまったのが悪かったと思いながら、ロイの手から聖剣を回収した。


「ええ、もうちょっと触らせてくれよ!」

「これ、小僧。お前には三百万年早い」

「そんだけ経ったらおれ、死んでるじゃん!」


 ロイは人の姿で空中に優雅に寝転んでいるエルに突っかかっていきそうだったが、聖剣を腰に戻した僕を見るとニカッと笑った。


「ルーク! すげー格好良い! どっからどう見ても勇者じゃん!」

「そうかな? ありがとう」


 家を出て宿屋に入った僕は、用意されていた服に着替えた。

 その服を持ち上げた瞬間「やっぱり着がえなくてもいいかな」なんて思ってしまったのは、それは見覚えがあるものだったからだ。

 見覚えというか……昨日見たというか……服と言うより鎧というか……。


 それは聖獣が僕の姿を取っていた時に着ていたものと同じだった。

 抵抗感がありつつも白銀の鎧を纏い、青いマントをつけると、鏡で見たものと同じ『いかにも勇者』に仕上がった。

 なんなのだろう……この羞恥心は……。

 『勇者』という名札をつけられているような感じがして恥ずかしい。


 村の人達には好評で、何度か近くで見たいと群がられた。

 昔からの知り合いなのに握手を求められたり、女の子達にはやたらベタベタされた。

 おじさん達は何故か勝負を挑んできたが、適当に打ち負かすと「さすが勇者だあ」とはしゃぎながら去って行った。

 多分あの人達は朝からもう飲んでる。


 ロイも気に入ってくれたようで良かった。

 やっとロイが自慢出来る兄になれたような気がして嬉しくなった。

 クレイさんも「自慢の息子だ!」と頭をガシガシ撫でてくれたし、シェイラさんも「立派になった」と喜んでくれた。


 シェイラさんは微笑んだ後に涙を流し、「ミリアにも見せてやりたかったよ」と零していた。

「きっと今、父さんと一緒に見てくれていると思います」と伝えると、「そうだね、あのミリアが見に来ないわけはないね!」と笑った。

 アリアのおかげで二人は僕の勇者姿を見てはいるけれど、あれは姿形は同じだけれど僕自身ではない。

 だから今、ちゃんと見てくれていたらいいなと思う。


「おい、まだなのか」

「もう少しですから、静かにお待ちくださいっ。ルークさん、す、すみませんっ!」


 不機嫌そうに声を掛けてきたのはトラヴィスで、彼の後ろから謝りながら姿を現したのはきのこく……ちゃんだ。

 まさか二人がここに来てくれるとは。

 姿を現したときには驚いてしまった。


「ふん。見た目はまあ……それらしくなっているじゃないか。俺の方が様になると思うが」

「トラヴィス様っ! 駄目ですよ、素直になると仰っていたじゃないですか!」

「なっ! お前はっ! 黙れっ」


 きのこちゃんにコソコソと話し掛けられ、トラヴィスは慌てている。

 仲が良い様子に安心した。

 トラヴィスはちゃんときのこちゃんに謝ったのだろう。

 微笑ましく見ていると、トラヴィスがキッと睨んできた。


「俺を超えた勇者なら魔王など容易く倒せるだろう! せいぜい頑張るがいい!」


 何を興奮しているのか知らないが、顔を赤くして怒鳴った。

 後ろの方にいるきのこちゃんはくすくす笑っている。

 ……ああ、もしかして応援してくれているのか?


「ありがとう。頑張るよ」


 笑いながらお礼を言うと、プイッと顔を背けられた。

 子供か。


「あ、来たよ!」

「!!」


 村の子供の誰かが叫んだ。

 賑やかだった話し声が一瞬で止まり、皆の視線が一点に集中した。


 視線の先……そこは思い出が残る場所。


 オークと呼んでいた門番に叱られている子供の僕とジャックを見つめていたアリアが立っていた家の影――。

 その場所に今の大きくなったアリアが、こちらを覗くようにして立っていた。


 周りにいた人達はアリアを見つけると「わー!」と大きな歓声をあげた。

 沸いた声の大きさにアリアは驚いたのか、肩がビクッと跳ねたのが見えた。

 村人達は着々と次の段階に進めるため、あらかじめ決められていた邪魔にならない場所へと移動して行く。

 その様子を、アリアはきょとんとして見ていた。


「……アリアさん、こちらへ」


 アリアの背後から現れた聖女が前に出て、村の人達が取り囲んでいる場所の中心へと導く。

 聖女が導いたその場所には僕がいる。

 呆然としながら連れて来られたアリアは、僕を見てもまだぽかーんと口をあけていた。

 そんなアリアに苦笑いを浮かべつつ、聖女と目を合わせた。


 僕を見て大きく頷いた聖女が「ごほん」とわざとらしく喉を鳴らすと、集まった人達に向けて宣言した。


「これより、手を取り共に歩き始める二人の門出を見届ける承認の儀――結婚式をはじめます」


 聖女の澄んだ良く通る声が響き渡った瞬間……。


「「「ルーク、アリア、おめでとう!!!!」」」


 割れんばかりの拍手と歓声があがった。


『おめでとう』

『よかったね』

『めでたいね』

『しっかり見届けてやるからな!』


 祝福する声があちらこちらから飛んでくる。

 自然と笑顔になる僕を、アリアは今もぽかーんと見ていた。


 でも……アリアの目にじわじわと溜まってきているものに気がついた。

 それは悪いものではなく、暖かいものだと分かる。


「……驚かせてごめんね?」


 悪戯が成功したような気持ちになり、笑みを深くしてしまった。

 それをとがめるようにアリアが口を尖らせた。


「ばっかじゃないの……」


 呟いた瞬間、アリアの目から一筋の涙が零れた。

 それを指でふくと、今度は反対側の目からも零れ……アリアは泣き出してしまった。


 暫く離ればなれになるというのに、僕が朝アリアと一緒に過ごさなかった理由――。


 それはアリアとの結婚を認めて貰う儀式をするためだった。

 村では村長に夫婦になる許可を貰ったあと、村の人達にも認めて貰うため、誓いの儀式を見守って貰うことになっている。

 都会ではそれを儀式とは呼ばず『結婚式』と言うらしい。


 どうしても僕は、アリアとちゃんと夫婦になってから旅立ちたかった。

 だから昨日の宿屋での話し合いの最後に「村長に許可だけでも貰いに行く」という話をしたところ、聖女が「ちゃんと結婚式もしましょう!」と言ってくれたのだ。

 僕とアリアのために聖女が協力してくれるなんて何か裏があるのかと疑ってしまったが、本当に善意で協力してくれるようだ。

 ジュードは「恐らく今までの対応を悔いての罪滅ぼしのようなものではないか」と言っていた。

 今までのことは聖獣にも注意されていたし、気にしているのかもしれない。

 そういうことなら遠慮せず協力して貰おうと、色々手伝って貰ったのだ。


「アリア、綺麗だね」


 アリアは今、聖女が急遽設えてくれた白いドレスを着ている。

 村では普段よりも綺麗な服を着るくらいなのだが、『結婚式』では白いドレスだと決まっているらしい。

 買いに行く時間がなかったので聖女の持っていた服を、聖女と村のお母様方でドレスに仕立ててくれた。

 ふんわりとしているドレスではなく、ワンピースに近いような身体の線に沿った落ち着いた雰囲気のドレスだが、アリアの綺麗な赤い髪が映えて凄く良い。

 おろされた髪にも白い花が咲いていて綺麗だ。

 いつものアリアより大人びて見える。


 ……涙で化粧は少し剥がれてしまっているけど。

 それがとても可愛くて愛しく思える。


「僕と……結婚してくれるよね?」


 了承は貰っているけれど……『式をしてくれるか』という意味を込めて聞いた。


「こんなの……聞いてないわっ」

「アリアッ」


 黙っていたことに腹が立ったのか、顔を背けてしまったアリアを見て焦る。

 今フラれると僕は立ち直れませんが!

 どうしようとハラハラし始めた僕を、周りも心配そうに見ている。

 シェイラさんが助け船をだそうか迷っている様子だ。

 助けて欲しいけれど、こんなことで力になって貰うようでは駄目だ。

 誰にも頼らず、僕が説得してみせると気合を入れたところで、アリアが僕をキッと睨んだ。

 条件反射でいつものように背筋が伸び、叱られる体勢になった。


「結婚するに決まってるでしょ! 分かりきったことを一々聞かないで!」

「はい! ……え、いいの?」

「断るわけ……っ」

「アリア!」


 アリアが喋っている途中だったけれど、たまらなくなって抱きしめた。

 よかった……こんなことしなくていいと言われるかもしれないと怖かった。


 安心と嬉しさで思わず力が入ってしまったようで、アリアに「苦しい」と怒られた。

 アリアが僕に拳を一発入れようとしていた気配があったけど、抱きしめたことで歓声を上げてくれた皆の前だからか、スッと手を下ろしてくれた。

 村の皆、ありがとう!


「さて……では、わたくしは祭壇に」


 儀式の立会人をしてくれる聖女が、急拵えで村の人達が作ってくれた祭壇に移動した。

 祭壇に立った聖女が祈りを捧げると、その周囲が誓いを立てるための聖域となった。

 聖域となった場所の足下に淡い金色の光の粒が漂い始める。


 村長が行うときは聖域を作るための道具を使うのだが、光の粒はあまり見えない。

 でも今はキラキラと眩しいくらいに輝いていて、観衆も感嘆の声を漏らしている。

 こんな聖域を作るなんて、さすがは聖女と言われているだけのことはある。


 立会人は村の慣習通りに村長にお願いしようと思っていたのだが、聖女がはりきった声で「わたくしがやります!」と名乗り出てくれた。

 聖職者としては最高峰の聖女にして貰うなんて有り難い話だ。


 クレイさんとシェイラさんがアリアの前に立ち、誓いを立てる聖域までアリアを先導する。

 誓いを立てる者を先導するのは家族の役目なのだ。

 僕の前にはジュードがいる。

 最初はクレイさんが僕を、シェイラさんがアリアを先導するという話になりそうだったのだが、ジュードが「団長の代わりにさせてくれ」と名乗り出てくれたのだ。


 村の人達が見守る中、僕とアリア、先導者がゆっくりと歩みを進める。

 聖域の手前まで来ると先導者は下がった。

 ここから足を踏み入れることが出来るのは当人と、誓いの立会人をしてくれる聖職者のみだ。

 僕が手を差し出すと、アリアは白くて綺麗な手をそっと重ねた。

 二人で歩調を合わせ、祭壇を目指す。


「……目が覚めたらいないから、もう旅立ってしまったのかと思ったじゃない」

「ごめん」

「朝ご飯作りたかったのに」

「本当にごめん」

「まあいいわ。あんたが帰ってくるまでに料理の腕を磨いておくから。帰って来たら凄いの食べさせてあげる」

「楽しみにしてる」


 凄いの、か……。

 帰って来たら僕は今よりも強くなっているだろうから何だって食べられるだろう。

 うん、楽しみだ。


「アリア、綺麗だよ」


 さっきも言ったが思ったことを改めて口にすると、またキッと鋭い視線を向けられた。

 褒めたのに睨まれるのは悲しいが、それも照れ隠しだと分かっているから「いつもの通りだな」と安心してしまう。


「……ルークも……偽物より格好良いわよ」


 偽物というのは聖獣が僕の姿をしていたときのことか?

 造形は全く一緒のはずなのに、今の僕の方が格好良いと言ってくれるのが嬉しい。

 思わず締まりのない顔をしてしまった。


「ごほん」と聖女の窘めるような咳払いが聞こえたので慌てて気を引き締め、足を進めた。


 足下の光の粒を割りながら進み、漸く聖女の前に辿り着いた。

 聖女に向けて礼をすると、アリアも僕を真似するように頭を下げたが……。


「なんで乳女なのよ」

「アリアッ」


 聖女がここにいることが気に入らないのか、顔を上げたアリアの目は据わっていた。


「……」


 聖女の目も据わっている。

 絶対に聞こえていた。

 今回は凄く協力して貰っているから、その呼び方は封印しておいて欲しかった。


「忘れちゃ駄目よ。浮気したらミンチだから」

「ミンチか……アリアにだったらされてもいいかな」

「怖っ」


 ……ミンチにするって言っている方が怖いと思うよ?


「ごほん」


 聖女の二度目の咳払いが「儀式を進めさせろ」と訴えてきた。

 申し訳ありません。

 姿勢を正すとアリアもそれに続いた。


「いいですね? では、お二方。お互いの心臓の上に手を」


 アリアと向かい合い、お互いの胸の上に手を置いた。

 これは『誓いに心臓を捧ぐ』と示すものだ。


 アリアは僕の固い鎧の上に。

 僕はドレスの上からでも分かるアリアの柔らかい肌の上だから役得だ。

 なんてふざけたことを考えている場合ではなかった。


「共に歩むことの誓いを――。今、瞳に映る者を伴侶とし、刻を捧げ、真心をそそぐと誓いますか?」


 今僕の瞳に映る者、それは愛しいアリアだ。

 アリアの若葉のような緑の瞳には僕が映っている。

 嬉しくて微笑むと、アリアも貴重な優しい微笑みを見せてくれた。


「「はい」」


 アリアと声が重なった。


 その瞬間、足下に漂っていた金色の光の粒が僕とアリアの間に集まり始めた。

 それは次第に黄金に輝く一つの光の珠になった。

 太陽のように光っているに眩しくはない。

 とても優しい光だ。

 それは二つに分かれると僕達の手の元へ――。

 そして心臓に吸い込まれるように、すっと中へと消えていった。

 じんわりと胸の中が暖かくなる。

 泣きたくなるような温もりで、アリアと心で繋がったと感じることが出来た。

 アリアを見ると同じことを感じていたのか、また目から一筋涙が零れていた。


「誓いは成されました。――おめでとうございます」


 聖女の声が通ると、わあっともう何度目か分からない歓声が上がった。

 でも、今までで一番大きな歓声だ。

 村のおじさん達は飛び出してきて騒いでいる。

 お酒を飲んで騒ぎたいだけじゃないか?


 皆騒いでいる中、アリア一家だけ号泣していて吃驚した。

 感動してくれたのだと思うのだが、ロイまでわんわん泣いている。

 それを見たアリアまで泣き始めて大変なことになった。


 ジュードは村の女性陣に囲まれ、酒を注がれている。

 それをトラヴィスが羨ましそうに見ているが、きのこちゃんが貰ってきた酒を受け取ると静かに飲んでいた。

 なんだかトラヴィスはお利口さんになったな。


「もう! 皆さん好き勝手やってますけど、まだ最後の『祝福』があるんですからね!」

「え? そうなのか?」


 既に思い思いに騒ぎ始まっている中、聖女が叫んだ。

 もう、終わったと思ったのだが……。

 村ではここまでなのだが、都会の結婚式では最後に聖職者が浄化をかける『祝福』というものをするらしい。

 特に何か効果があるわけではないのだが、キラキラと輝いて綺麗だから演出として行っているらしい。


 うーん、周りを見るともう誰もこちらを気にしていないし、アリアもシェイラさんと抱き合ってまだ泣いているし、もうしなくてもいいんじゃないかな?


「駄目です。誰も見ていなくてもします!」

『それはワレから贈ろう』

「え?」


 聖女が意地なのかやけくそなのか分からない様子で叫んだ直後、何処からか声がしたかと思ったら……空から雪のような白い光が降ってきた。


「わあ……」


 騒ぎ出していた人達も思わず空を見上げている。

 それは本当に雪のようで、手に触れると溶けるように消えた。


「あれ? 花びら?」


 雪の様な光に交じって、黄色い花びらも降ってきた。

 上を見上げても木があるわけではない。

 光と同じように花びらも溶けてなくなる。

 とても不思議で、とても綺麗だ。


『お前の母が生まれた地域に咲く花だ』


 すぐ隣で声がすると思ったら、白いふわふわの毛を持った巨体が現れた。

 蒼い目の白狼、聖獣だ。


 周りの人は突如現れた大きな白い狼に驚いている。

 腰を抜かしたり悲鳴をあげて逃げ出した人もいたが、聖女の「聖獣様です!」という声を聞くと拝み始めた。

 中々適応能力が高い村だ。


「母さんが生まれた?」

『ああ。そしてお前の父は、よくこの花をお前の母に贈っていた』

「へえ」


 父さん、母さんに花を贈ったりしたのか。

 僕にはちょっと意外だったが、騎士だった父が花を贈っている姿は様になるだろう。


「聖獣様。こんな素晴らしい祝福をありがとうございます。それと……両親に、今の僕の姿を見せてくれたことも……」


 聖獣と直接会ったのは初めてだ。

 聖獣なら父さんと母さんを助けることも出来たんじゃないかと今でも思っている。

 でも、それをしてはいけなかったことも分かっている。

 心中は少し複雑だがお礼は言いたかった。


 聖獣は鋭くて美しい蒼い目をこちらに向けると、大きなふわふわの尻尾で僕の身体をくるりと包んだ。


『お前の母は聖女として好ましかった。ワレはあれを気に入っていた。力をかしてやるのを楽しみにしていた。お前の父に台無しにされたがな』


 父のことはどうやら良く思っていないようだが頭に響くような声は穏やかで、昔を懐かしんでいるようだった。

 撫でてくれているように動く尻尾も気持ちがいい。


『お前は母に似ている。あれはとても強く美しかった。お前もそうであれ』


 返事をする前に聖獣は姿を消した。


「聖獣は世辞は言わん。お前の母はよっぽど優秀だったのだろう。お前の父のことも、ああは言っているが認めているようだ。……恐ろしい夫婦だったのだな」


 いつの間にか僕の隣で浮かんでいたエルが呟いた。


「そうだね。我が親ながら、凄い人達だったよ」


 聖獣が贈ってくれたこの景色も、きっと二人で見ているに違いない。


 雪の様な光と花びらは僕達がここを去るまで降り続いた――。






 アリアの背後には雲一つない青空が広がっている。

 『あの日』のような空は嫌いだった。

 僕の大切な人をまた連れ去ってしまうんじゃないかと怖かった。

 でも……。


「綺麗な晴れ空だなあ」


 こんなに穏やかに青空を見られる日が来ると思わなかった。

 アリアのおかげだ。

 アリアが僕を生かしてくれて、支えてくれて、送り出してくれるから綺麗だと思える。


 この青空の下でアリアと離れることにはなるけれど、帰ってくる場所がある。

 待ってくれる人がいる。


「絶好の旅立ち日和ね!」


 ドレスから普段のワンピースに着替えたアリアが笑う。

 髪も見慣れたもので、二つに分けて編んでいる。

 綺麗な格好をしたアリアもいいけれど、いつものアリアが一番愛しい。


 使者が来た日に見たあの豪華な馬車が目の前で待機している。

 歩いて行くつもりだったのだが、これに乗らなければいけないらしい。

 僕以外の人は既に乗車済みだ。


 見送りにはアリアだけ来て貰った。

 村の人も押しかけてこようとしたけれど酔っ払いばかりだし、アリアとの別れを邪魔して欲しくなかった。


「寂しいな」


 アリアを抱きしめて呟くと、くすりと笑われた。

 身体を離したアリアが、しっかりしなさいと僕の額を小突きながら口を開いた。


「ねえ、ルーク。私ね、あんたは出稼ぎに行ったと思うことにしたの」

「出稼ぎ?」

「そう。なんだか大層に考えちゃったけど、出て行って帰ってくるんだから出稼ぎよ。ジャックだってしていることよ」

「……」


 なんでもないことなのよ、と笑うアリアは強い。

 そんな考え方を見つけて、笑顔で送りだそうとしてくれているのだから。

 それなのに僕の方は情けないことに泣きそうだ。


「身体が資本よ? 大事にしてね」

「……うん」

「私がいないんだから、泣いてばかりいたら駄目よ?」

「今泣きそう」

「殴って止めて欲しければ……どうぞ?」


 そう言って拳を上げるアリアを見たら余計に泣きそうになった。

 そのアリアらしい方法は、更に愛しくなってしまうから今は逆効果だ。

 そんな僕を見て溜息をついたアリアは、さっさと行けとばかりに身体を押してきた。

 嫌だ……。


「ルーク!」


 情けない顔をしていると、両方の頬をバチンと挟まれた。

 痛い、そしてこれも懐かしい。

 本格的に行きたくなくなってきたと項垂れそうになったところでアリアと目が合った。

 綺麗な緑の目が強い眼差しで僕を見ている。


「出稼ぎに出た夫を待つのは妻の努めだわ。ここで私は待ってる。だから……いっぱい稼いで帰って来てね」


 そう言うと僕の身体を思い切り馬車の方に突き飛ばした。

 戸惑いながら振り返ると、「乗れ!」と顎で指示された。

 辛い……。


 乗るよ、乗ればいいんだろう!

 アリアの元に大股で戻り、もう一度ギュッと抱きしめた。


「……いってきます」


 行きたくないけどね。


 後ろ髪を引かれまくりながら馬車に乗る。

 扉を閉じると「出発します」という声が聞こえた。

 出発する準備は万端だったのか、すぐに動き始めたのを感じ、慌てて窓を開けた。


「アリア!」


 アリアは笑顔で両手を大きく振っていた。

 また目から涙は零れているけど、お日様のような笑顔は絶やさず見送ってくれる。


「旦那様! いってらっしゃい!」

「アリア……いっぱい稼いでくるね!」


 段々アリアと離れて行く。


 生まれ育った村が遠くなる。


 青い空、村の古い塀門、赤い綺麗な髪を揺らして大きく手を振ってくれる愛しい人。


 この光景を目に焼き付けて、これから僕は頑張ろう。


 ここに帰ってくるために。






「出稼ぎ、ですか。アリアさんには敵いませんね」


 向かいに座る聖女が笑っている。


「ねえ、勇者って儲かる?」


 堪えきれなくて流れてしまった分の涙をこっそり袖で拭った。

 ……鎧だからあまり水分をとってくれそうなところがないな。


「魔王を倒せば、王に好きなだけ貰えるだろう」


 隣に座っているジュードも笑った。

 そっか。

 じゃあ、綺麗な家を建てることが出来るくらいのお金は欲しいな。


「あ! じゃあアリアにいくら欲しいか聞いてくる!」

「何戻ろうとしているんですか! もう行きますよ!」


 戻るいい口実があったと馬車を降りようとしたら全員に止められた。

 冗談だって。

 戻ったらアリアに叱られる。




 ――アリア、いってきます。

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