素直になるにはまだ早い

 深い森を越え、山を越え、いくつかの集落の上を通り過ぎると現れたのは、見渡す限り隙間なく建物が並ぶ大きな都だった。

 建物の間を埋めるように人が行き交っているのを見ると、息のが詰まりそうになった。

 大きいけれどこんなぎゅうぎゅうの都より、小さいけれどのびのび過ごせる村の方が絶対に良い。


 おれ達を乗せた火竜が着地したのは、そんな都のど真ん中にある白い立派な城の中に広がっていた庭だ。

 ハイデ村と同じくらいの広さはありそうで、ここだけはぎゅうぎゅうじゃなさそうだ。

 花壇は恐ろしく手入れされていて、枝や葉っぱが飛び出して乱れているところなど一切見当たらない。

 まるで作り物。

 見たこともない色とりどりの花が咲いていて目がチカチカする。


「おにいちゃん、きれいだね……」

「そうだな」


 うっとりと眺めるグレイスに頷いたけど、おれはあまり興味がなかった。

 ここは大国テンドリルが世界に誇る王城の庭園らしい。

 綺麗だとは思うが、「無駄に綺麗」という感想の方が本心だ。

 こんなところにいるよりも、ハイデの森の木漏れ日の中で本を読んだ方がよっぽど気持ちが良い。


 普段花より剣を手にするグレイスだが女の子らしいところもあるようで、花に顔を寄せて香りを楽しんだり、普段やらないようなことを始めていた。


 おれは花よりもここまで連れて来てくれた火竜のことが気になった。

 馬車で来ると何日もかかりそうな距離を飛んでくれた火竜は疲れていないだろうか。


 庭園の綺麗に切りそろえられた芝生の一角に横たわる火竜に近づくと、憧れと少しの恐怖で緊張しながら手を伸ばした。


「あ」


 赤い宝石のような鱗に覆われた綺麗な尻尾を撫でようとしたのだが、生き物の中には尻尾を触られると嫌がるものもいることを思い出した。


『ふふ。聡い子だ』


 伸ばした手を引っ込めると、ふいに誰かに笑われた気がした。

 誰だとキョロキョロ見渡すと、火竜の金色の目がこちらに向けられていることに気づいた。

 火竜の目は輝くような金色なのだが、それを見つめ続けると瞳の中で黄金を溶かすような炎が揺らめいて見えた。

 それは実際にそうなのか、そう見えただけの幻覚なのか分からないが、あまりにも美しくて吸い込まれそうになった。


「エミール」

「え? あ、はい」


 ボーッと火竜の瞳を見つめ続けているとお父さんに呼ばれた。

 お父さんは庭に降りた途端に城内からわらわらと現れた人達に囲まれて話をしていた。

 城の人達が必死にお父さんに何か頼んでいるようだが、お父さんは断っている。

 火竜の背中から降りる前までニコニコしていたお父さんが無表情になっていてびっくりした。

 こんな顔は村では見たことがなかった。


 無表情でも一応返事はしていたのだが、もう相手にすることはやめたらしい。

 おれとグレイスに手招きをすると、村にいる時のお父さんの表情に戻った。


「エミール、グレイス。待たせてごめんね。さあ、行こうか」

「勇者様、お待ちください。どうぞ我々にもお時間を頂きたい! 今後の話を!」


 ここにいる人達はみんな綺麗な格好をしているが、中でも一番質の良さそうな服を着ているおじさんがお父さんの前に立った。

 進路を塞がれて動けない。

 なんだか面倒臭いなあ。

 グレイスも退屈になってきたのかつまらなさそうな顔をしている。

 何をしにこんなところに来たんだろう。


 どうするのだろうとお父さんを見上げると、にっこりと笑顔を浮かべておじさんを見ていた。

 凄く綺麗な笑顔だけど……なんだか怖い。


「……久しぶりに一暴れしたくなってきたなあ」

「!!」


 お父さんが何かぽつりと呟くとおじさんの顔が引き攣った。

 おじさんの周りにいた人達の顔も青くなっている。


「騒がしいと思ったらお前か」


 おじさん達が黙り、しーんとしていたところに城の方から風格のある声が飛んできた。

 一斉に目がそちらに集中する。

 その人は、沢山の視線にも怯むことなく真っ直ぐにこちらに歩いてきた。


「ジュード! ちょうど良かった! 会いに行くつもりだったんだ」


 声の主は紺色の凜々しい騎士服を纏った格好良い人だった。

 どうやらお父さんの知り合いのようだ。

 ジュードと呼ばれた人はお父さんを見て呆れたように笑っていたが、おれとグレイスを見ると目を見開いた。


「ルーク、この子達は? 随分整っていて可愛らしい容姿をしているが……」

「そうだろう! 僕とアリアの子供だからね!」

「……は?」


 格好良い人が、間抜けにぽかーんと大きな口を開けている。


「ゆ、勇者様の子供!?」


 今まで静かだったのに、周囲の話を聞いていた人達も急にざわつき始めた。

 おれとグレイスをジロジロと見て何やら話をしている。

 ……なんだよ、おれ達がいたら悪いのか?


「エミール、グレイス。この人は父さんの後輩でね。父さんの代わりに色々と助けてくれて……あ。父さんの代わりってことは、ジュードがおじいちゃんだな」

「オレがおじいちゃん!?」


 お父さんが騎士を紹介してくれたが……孫がいる歳には見えない。

 おじいちゃんだなんて気の毒だ。


「勘弁してくれ。もういい歳ではあるが、妻子もいないのにおじいちゃんはないだろう」

「おじいちゃん!」

「!」


 グレイスは騎士に憧れているからお近づきになりたかったのか、項垂れていた格好良い人に向けて元気いっぱいに「おじいちゃん」と呼んだ。

 あーあ……グレイスの素直さが凶器になってしまった。

 お父さんは笑っているが、騎士の顔は引き攣っている。


「はあ……せめておじさんにして欲しかったな。まあ、仕方ない」


 暫く眉間に皺を寄せていた騎士だったが、おれ達にもう一度目を向けると優しい顔になり、こちらに手を伸ばして来た。


「可愛いな」


 大きな手でガシガシと頭を撫でられ、頭が揺れた。

 グレイスは照れくさそうにしているけど、おれはぐらぐらして嫌だった。

 もうちょっと加減をして欲しいなと思いながら、騎士が腰から下げている剣に目が止まった。

 その剣の一部にある特徴を見つけた。

 これがあるということは、この人は……。


「騎士団長?」


 撫でられてぐしゃぐしゃになった髪を手で戻しながら騎士に問いかけた。


「そうだ。よく分かったな?」

「それ」


 頷いた騎士に答えるように、おれは剣の鍔の部分を指差した。

 そこにはテンドリルの国章が入っていた。

 何かの本で読んだか、誰かが言ったのを覚えていたようで、騎士団で国章が入った剣を持てるのは騎士団長だけだと記憶している。


「利発な子だ。本当にお前の子か?」

「どういう意味だよ」


 お父さんと騎士団長はふざけながら笑い合った。


「……」


 でも、おれはなんだか気分が沈んでしまった。

 『本当にお前の子か?』

 騎士団長は冗談で言ったってことは分かっているけど……。

 おれってお父さんの子供だと思えないのだろうか。

 似てないのかな。

 確かに髪だって、グレイスはお父さんと同じ金髪だけどおれは赤だ。

 お母さんと同じだからいいけど……なんだか無性にむかむかする。


「おじいちゃん、おにいちゃんはおとうさんのこどもだよ?」

「え?」


 おれの隣にいたグレイスが騎士団長を見上げながら言った。

 騎士団長とお父さんはきょとんとしている。

 もしかして……グレイスはおれが悲しんでいると思ったのか


 騎士団長とお父さんがおれを見た。

 気まずくなったおれは、慌てて下を向いて二人の視線から逃げた。


「な、何言ってるんだジュード! エミール! ジュードは剣の振りすぎで馬鹿になっているんだ! だから気にしちゃ駄目だよ!」

「わ、悪かった。疑ったわけじゃないんだ。君がとても優秀だと言いたかっただけなんだ」


 大人が慌てて話し掛けてくるけど、そんなに必死になられても困る。


「……別にいい。どうでもいいし」

「……」


 ぽつりと呟くとお父さんが固まった。

 暫くすると俯き、握りしめた拳がぷるぷると震えだした。


「ジュード……あとで火竜の火山に捨てるから……」


 お父さんが何かを呟くと騎士団長の身体がビクッと動いた。

 騎士団長が怯えているように見えたけど気のせいか?

 ……見なかったことにしよう。


「はあ……ジュードはもういい。聖女様は城にいる?」

「ああ」

「!」


 聖女様……。

 その言葉を聞いて思わず顔を顰めた。

 お父さんがいない間、何度かその人の話を耳にした。

 聞いたのは主にセルジュの口からだ。


 勇者は聖女と恋人同士だとか、もう結婚しているとか。

 だからおれはやっぱり勇者の子供じゃないだろうと言われたし、子供だったとしても捨てられたんだと言われた。

 村の人も口を揃えて聖女様は綺麗だったというし、お父さんが浮気しても仕方ないと思っているようだった。

 お母さんは「気にしないわ」とか、「浮気してたらミンチにするだけよ!」と言っていたけど、その時だってこっそり泣いていたのを見ている。


「行こう」と言うお父さんについて行きたくはなかったけど、このまま人に囲まれているのも嫌だ。

 やっと他のところに行くのか嬉しそうなグレイスをがっかりさせたくもないので、大人しくついて行くことにした。




 白いお城は中も白かった。

 廊下は白に粒が交じったような石で出来ていたが、ピカピカに磨かれて光っているし、壁は真っ白だというのに汚れ一つ見当たらない。

 ここも生活感がなくて落ち着かない。

 おれは本当にこの環境には合わないようだ。

 でも、お父さんは……。


「勇者様だ」


 出会う人の全てがお父さんを見るし、敬意払って頭を下げるかキラキラと羨望の眼差しを向けてくる。

 お母さんの手作りの服を着ていても、上等な服を着ている人達より輝いて見えるし、城にとても馴染んでいる。

 最初に見た時の勇者の格好をしていたら完璧だ。

 おれがお父さんに似ていなくても当然だなあと思いながら歩いていたら、お父さんの足は一つの扉の前で止まった。

 この辺りだけ石の廊下に絨毯が敷かれてあるし、あまり人が近寄らない場所のようだ。

 なんとなく偉い人がいるところなのかな、と思った。

 お父さんがコンコンと扉をノックすると、中から若い女の人の声で「どうぞ」と聞こえた。


「ルーク様!? どうされたのですか? もしかして、アリアさんに追い出されました?」

「そんなわけないだろう」


 許可が出るとずかずかと中に入っていったお父さんを出迎えたのは綺麗な人だった。

 お腹が出ている派手な服装をしている。

 この人が聖女?

 想像していたのと少し……いや、全然違った。

 神聖な雰囲気はしているけど、どことなく破廉恥な感じもする。

 そんな人とお父さんは楽しそうに話を始めて……見ているとなんだか面白くない。


「あの、そちらの少年と少女は? とても美しいお顔立ちをされていますが!」


 聖女様らしき綺麗な人は開いた扉のあたりで「誰だろう?」ときょとんとしていたグレイスと、顔を顰めて立っているおれに気がついたようだ。

 妙に興奮した様子でこちらを見た。


「この子達は僕の子だから。聖女様とエルのくだらない話の種にはしないでくれよ?」

「美しいものを愛でるのは当然で……え? 僕の子……とは?」

「アリアが生んでくれた、僕の息子と娘だ!」

「ええぇぇ!!!?」


 聖女様はさっきの騎士よりも大きな声で叫んだ。

 目を見開いて『絶叫』という感じだった

 おれもグレイスも思わず後退った。


「すみません、ついはしたない大声を出してしまいました。どうぞ、お入りください」


 放心状態な聖女だったが、すぐに我に返ったようでごほんと喉を鳴らすと姿勢を正した。

 見た目通りの綺麗な動作に戻った聖女様に進められ、グレイスは嬉しそうに中に入り、お父さんにくっついた。

 おれも仕方がないのでとぼとぼと中に入り、グレイスの近くに立った。


 ここは聖女様の部屋なのかどうか分からないが、おれ達の家の家具を全部配置しても場所が余りそうな程広かった。

 壁の一面は本棚になっていて、びっしりと本が詰め込まれている。

 聖女様が書き物をするための机と、来客用とソファとテーブルもあった。

 金糸の刺繍が施された赤いカーテンは開けられていたが、薄いレースのカーテンは閉じられていて柔らかい光が差し込んでいる。

 壁も天井も白で、なんとなく聖女様に相応しい雰囲気が漂っている。


 聖女様に促され、おれたちは大きくてふかふかのソファに並んで座った。


「そうですか……アリアさんがルーク様のお子を宿していたのですか……」


 聖女様は中にいたメイドさんが出したジュースとお菓子をおれ達に進めながら呟いた


「おにいちゃん、このクッキー宝石みたいなのがついている!」

「ジャムだと思うよ」


 みたことのない綺麗なクッキーにグレイスは興奮している。

 グレイスは本当に食べてもいいのか迷っていたが、お父さんに口に放り込んで貰うと遠慮がなくなったのかバクバクと食べ始めた。

 もぐもぐと一いっぱいに頬張る姿は我が妹ながら可愛いと思う。


「美少女と美少年……」


 おれ達の向かいに座っている聖女様がおれとグレイスを凝視している。

 なんか居づらいな……。

 ジュースもクッキーも手をつける気分になれないし、段々帰りたくなってきた。

 お母さん、一人で何をしてるのかなあ。


「それにしても……ルーク様。勇者なのですから、もう少し相応しい格好をして頂けませんか? それではただの村人ですよ?」

「また『美意識』か? 僕はただの村人だよ」

「……」


 お父さんと聖女様の会話を聞いて、おれはムッとした。


 今着ている服は、お母さんが父さんのために作った服なのに!

 馬鹿にされたようで腹が立った。

 思わず太ももの上に乗せていた手に力が入り、拳を握った。

 そんなおれには誰にも気づかない。

 お父さんと聖女様の話も続いている。


「もう僕は勇者じゃないんだ」

「あなたはそのつもりでも、周りはそうは思いません」

「それは周りの勝手だ」

「それはそうですが……。まあ、魔王を倒してくださったあなたに、これ以上無理を言うつもりはありません」

「そうしてくれ」


 やっぱり早く帰りたい。

 帰ってお母さんに竜が凄かった話をしたい。


「エミール。お菓子、食べないのか?」


 気づけばお父さんと聖女様がおれを見ていた。

 見られていたことにドキッとして、慌てて「いらない」と返事をした。


「遠慮しなくてもいいのですよ?」

「……ありがとうございます」


 お礼は言うが、お菓子に伸ばさずに適当に部屋を眺めた。

 お父さんの視線を感じたような気がしたけど無視していると、聖女とグレイスが話し始めた。


「グレイスさん、綺麗な髪ですね」

「おねえさんも!」

「ふふ、ありがとう。良かったらこの髪留めを差し上げましょう」

「わあ! いいの!?」


 グレイスは聖女様がつけていた金色の髪飾りを渡されて喜んでいる。

 それ、高価なものじゃないかな。

 本当にいいのかなと思い、お父さんを盗み見たら嬉しそうなグレイスを見てニコニコしていた。

 大丈夫かな、帰ったらお母さんが怒りそう。

 ……今はお父さんなんてお母さんに叱られたら良いと思う。


「ああ、そうだ。これから勉強していくのにいい魔法書はないか?」

「?」


 お父さん、勇者なのにこれから魔法の勉強をするの?

 首を傾げているとお父さんと目が合った。


「エミールは魔法が好きなんだ。母さんの血も流れているから、きっと才能もある!」

「え」


 急に話題に出されて吃驚したし……嫌だった。

 ここでおれの話はしなくていい!

 そう言いたかったが黙っていると、聖女は大きな本棚から一冊の本を手に取り戻って来た。


「こちらを差し上げましょう。一般的な初級魔法の殆どがこの一冊で分かります。とても良いですよ」

「それはいいな」

「いらない」


 おれを無視して勝手に話を進めていく二人に拒否した。

 お父さんも聖女様も、おれのために本を譲ってくれようとしているのは分かっているが素直に喜べない。

 お母さんを悲しませる人から何も欲しくは無いし、そんな人と仲良くしているお父さんも嫌だ。

 ……大きなお世話だ。


「エミールは魔法の勉強したいんじゃなかったの?」

「おばあちゃんの魔法書がある」

「あー……あれはやめた方がいいよ? 一般的じゃないみたいなんだ。勉強するにはこの本の方がいいはずだよ」

「……っ」


 なんだよそれ……。

 お父さんに否定されてカチンときたし、悲しかった。

 気に入らない人に貰う本より、宝物でおばあちゃんの本の方がいい!


「エミール、遠慮しなくていいんだよ?」

「ええ。是非、使って頂けたら……」

「いらないって言ってるだろ!」


 しつこい二人に我慢しきれず、席を立った。


「おにいちゃん!?」

「え、エミール!?」


 グレイスが吃驚していたし、お父さんがオロオロしているのが見えたけど構わずに部屋を出た。

 そのまま足を止めず、来た道を戻った。

 思い切り腕を振り、大股で怒りを我慢しながらスタスタと突き進む。

 すれ違う人達が不思議そうな顔をしていたけど、声を掛けられることはなかった。

 聖女様のいた部屋は庭から結構な距離だったけど、道を覚えるのは得意なのだ。

 こんなに広い建物の中は初めてだったけど、迷わず無事に庭に戻ってくることが出来た。


 庭に飛び出し、火竜が降り立った芝生の一角に目を向けると……いた。

 赤い巨体を見ると安心したような、救われたような気がしてホッとした。

 火竜は大きな身体を丸め、眠っているようで瞳を閉じていた。

 起こしてしまうと可哀想だから、くっつかずに少し離れた所に腰を下ろし、膝を抱えた。

 やっぱり火竜を見ているとワクワクする。

 それに比べてこの場所は全く気持ちが浮かばない。


「……こんなところ、楽しくないよ」

『どうした。勇者の子よ』

「?」


 まただ。

 ここに到着した時に聞こえた声と同じだ。

 男女の声が重なっているような……不思議な声だ。


「あ」


 視線を感じて顔を上げると、また火竜の黄金の瞳がこちらに向けられていた。

 まさか、声の主は……。


「火竜?」


 問いかけると、動きはないが火竜の目が笑ったように見えた。


「火竜って喋れるんだ……」

『私が話すことが出来ると言うより、君が私の言葉を聞き取ることが出来る、と言った方が正しい。君は光の魔力が強いのだろう。聖女と等しいほどに。……いや、今の聖女に私の言葉は届かないようだから、君の方が上だ』

「へえ?」


 よく分からないけど凄いことを言われた気がする?

 首を傾げていると火竜からまた笑ったような気配がした。


『聖剣には私の声は届くが、君の父、勇者にも私の声は聞こえてはいないのだよ?』

「え? でも、火竜はお父さんに呼ばれて来たんじゃないの?」

『ああ。あれの言うことを私は理解出来るからな。喚ばれたら分かるのだ』

「そうなんだ」


 お父さんが出来ないことが出来るなんて、ちょっと誇らしい。


『浮かない顔をしてどうしたのだ?』

「うん、ちょっとね……」


 お父さんが綺麗な人と楽しそうに話していてむかむかしたとか、お母さんの服を貶されたようで嫌だったとか、お父さんにおばあちゃんの魔法書が駄目だと言われて悲しかったとか……話すと子供だと笑われそうな気がして誤魔化した。


「うん?」


 膝を抱え直していると視界が暗くなった。

 なんだと思ったら、火竜が広げた翼で僕を隠すように覆ってくれていた。


『子供は泣いてもいいのだぞ?』

「え?」


 どうやら火竜はおれが泣いてもいいように隠してくれたらしい。

 ……おれはそんなに悲しそうな顔をしていたのかな。

 火竜の優しさにじわっと涙が浮かんできたけど、すぐに飲み込んだ。

 おれは泣き虫じゃない。


「大丈夫、ありがとう。泣かないけど……暖かいからもうちょっと隠していてくれる?」

『ああ』


 火竜の翼の中は風も遮られているし……とにかくとても暖かかった。

 安心するし、気持ちが良い。

 膝を抱えたままでいると、段々眠くなってきた。

 ぼんやりしていると、なんでおれはこんなところにいるんだろうと馬鹿らしくなってきた。


「お父さん。こんなところに来るなんて……村にいたくなかったのかな」


 こんな楽しくないところに連れて来られる理由がさっぱり分からない。

 火竜からは返事はないが、話し掛けているつもりもないのでそのままぽつぽつと呟く。


「お父さんには村より、ここの方が似合うよ」

「エ、エミール……」

「?」


 火竜ではない声が聞こえて顔を上げると、お父さんが翼の中を覗き込むようにして立っていた。

 聖女様の部屋で最後に見た時よりも青い顔をしているし、また泣きそうな顔をしている。


「お、お父さん、村にいたいんだ。……いたら駄目かな?」


 ……なんだ、おれの呟きが聞こえていたのか。

 別にお父さんのことは嫌いじゃない。

 でも今は素直になりたくなくて、わざと冷たくすることにした。


「お父さんはこっちに住んで、あの人といたら?」

「あの人って……聖女様か!?」


 お父さんは悲鳴のような声を上げると固まってしまった。

 何か言いたいのか、口は開いたり閉じたりしているが言葉が見つからないのか静かなままだ。

 その様子もなんだか苛々する。


「おれ、あの人嫌い」

「……」

「あの人と仲良くするお父さんも嫌い」

「え……」

「あの人、お母さんが作った服を馬鹿にした」


 お父さんが着ている服に視線を移した。


「お母さん、お父さんが帰ってくる聞いた日に、そのシャツ持って泣いてた。やっと帰って来るんだって……お父さんの服の準備が出来て嬉しかったんだと思う。だからおれもお父さん帰って来たらいいなと思ったのに……。お母さんに留守番させて、お母さんの服を貶す人に会いに来るなんてひどいよ! あんな人から何も貰いたくない。それに、お父さんはおばあちゃんの魔法書はやめた方がいいって言うけど、おれはこの魔法書が好きなんだ。シェイラおばあちゃんは、もう一人のおばあちゃんが喜ぶからいっぱいこれで勉強したらいいって言ってくれた! だから他の本なんていらない!」

「エミール……」

「ふんっ」


 お父さんに怒鳴るなんて生意気だって怒られるかもしれないけど、言いたいことが言えてスッキリした。

 謝れって言われても謝らない!

 叱りたいなら叱ればいい。

 そう思ってキッとお父さんを睨んだのだが……。


「……うぅっ」

「え?」


 火竜の翼に隠れるおれを覗きこんでいたはずのお父さんは、地面に手をついて泣いていた。

 ……なんで?

 しかもびっくりするぐらいの大泣きで、ぽたぽたと地面に水滴が落ちている。

 ええー……。

 大人がこんなに泣くのを見たことがない。

 怒鳴ったことで興奮して、込み上げて来ていたおれの涙は引いてしまった。

 お父さんに号泣されて、どうすればいいのか分からないんだけど……。


「僕はなんて馬鹿だったんだ……それに息子が可愛すぎる……」

「はい?」

「ごめん、ちょっと待って。言いたいことがいっぱいあって、何から言っていいのか分からない……」


 地面に手をついたまま、お父さんはまた黙ってしまった。

 もう……どうしたらいいんだ、これは……。

 おれは火竜の翼を見ながら途方に暮れた。


「お父さんもお母さんが大好きだよ!」

「わあ!?」


 急に動き出したお父さんがおれに飛びついてきた。

 びっくりさせないでくれよ!

 とっさに逃げたけど、呆気なくつかまってしまった。


「アリアが泣いていたこと、教えてくれてありがとう。凄く嬉しい」

「……」


 ギュッと抱きしめられて苦しい。

 逃げたいけど、お父さんのおれを抱きしめる力は弱まるどころか強くなっていく。

 この腕から逃げるなんて不可能だから……大人しく抱きしめられることにした。


「今日聖女様に会いに来たのは……自慢したかったんだ。僕にはアリアが生んでくれたこんな可愛い子供がいたんだぞ! って。でも、ここに連れて来たことで嫌な思いをさせてごめん。聖女様はただの仲間だ。世話になったけど、エミールが嫌なら今後一切会わないし、来世でも会わなくていい!」


 来世って……そこまで言わなくてもいいけど。

 自慢、か。

 おれがセルジュ達にお父さんを自慢したかったみたいに、お父さんもおれ達を自慢したかったってこと?


「エミールが母さんの魔法書を『おばあちゃんの魔法書』って言ってくれて嬉しかったよ。母さんもきっと喜んでる。エミールが大事にしてくれているのに、余計なことを言ってごめんね。お父さんもその魔法書で勉強したんだけど、王都に出てきたらその魔法書の内容は一般的じゃなかったみたいで苦労したんだ。だから、将来のことを考えたら、新しい本を貰った方がいいんじゃないかなって思って……」


 そうだったのか。

 魔法の勉強はしたいから、貰っておけば良かったかなと少しだけ後悔した。

 でも、小遣いを貯めて自分で買えるように頑張ろう。


 そんなことを考えていると、お父さんがおれを解放してくれた。

 でも今度は、しゃがんでおれと目線を合わせたお父さんに肩を掴まれてしまった。


「エミール、ごめんね。お父さんのこと、許してくれないかな。お父さんはあの村で、皆と一緒に暮らしたいんだ」

「……」


 勇者様なお父さんに真っ直ぐ見つめられると、迫力があってたじろいでしまう。


『勇者はお前の母一筋だ。それは私が保証しよう。それに、君達のことは、君の母と同じくらい想っている』


 黙っていると、火竜が笑いながら話し掛けてきた。


 お父さんはまだ、まっすぐおれを見ている。


「……」


 分かっているよ。

 火竜に保証して貰わなくても、お父さんがお母さんとおれ達を大事にしてくれていることは。


 でも、ちょっと意地悪をしたかった。

 今までいなかったくせに、急にお父さんだと言われても……。

 お父さんのせいで、おれは色々嫌なことをいっぱい言われた。

 お父さんはお母さんを一人にして泣かせたし、家族よりも世界の方が大事なのかよって言いたかった。

 だから……お父さんのゴツゴツした手に触れて、お父さんも大変だったって分かっていても、全部許して好きになるなんて無理だった。


 でも……もういい。

 おれはまだお父さんのことを大好きだって言えないけど……。


「……いてもいいよ」

「え?」

「だからっ、村に……うちにいてもいいよ! じゃないとまたお母さん泣いちゃうから! 早く帰ろう!」


 お母さんにはお父さんが必要なんだ。

 グレイスはお父さんをすぐ好きになったみたいだし、おれだって……。

 本当に嫌だったら「お父さん」って呼ばないし!


 顔を逸らしながらお父さんに言い捨て、覆ってくれていた火竜の翼から抜け出した。


「おにいちゃん!」


 翼の外側の冷たい空気を吸った瞬間、城の方から駆け寄ってきているグレイスと目が合った。

 また全力疾走だ。

 仕方のない妹だと笑っていると、到着したグレイスに突進されてしまった。


「おにいちゃん! おにいちゃんの分のおかし、ちゃんと貰ってきたから! 怒っちゃだめだよ!」

「はあ? おかしなんてどうでも……むぐっ!」


 喋っている途中にクッキーを放り込まれ、喉が詰まりそうになった。

 急に何をするんだ。

 死にそうになったじゃないか!


「あれ? おとうさんは…………泣いてるねえ?」


 火竜の近くでお父さんはまた泣いていた。

 涙に混じって「よかった……」という声が繰り返して聞こえる。

 もう……なんだか面倒臭いなあ!


「エミールさん」

「? あ……」


 丁寧な呼ばれ方をしたなあと思いながら振り返ると、そこには聖女様が立っていた。

 聖女様は気を遣っているような、申し訳なさそうな表情でおれを見ていた。


「嫌な思いをさせてしまってごめんなさい。これに懲りず、また来てください」

「……はい」


 正直に言うともう来たくないけれど、親切で本をくれようとしたのに、失礼な態度をとって部屋を出てきてしまっているから断るのは気まずい。

 おかしもくれたし……多分そんなに悪い人じゃない。

 聖女だし……。


「すみませんでした」


 ぺこりと頭を下げると聖女様は目を丸くしていたが、すぐに綺麗な顔で微笑んでくれた。


『エミール。聖女とお前の魔力の質は近い。君は気に入らないかもしれないが、魔法を習うには適した人物だ』

「え? でも……」


 火竜がまた口を挟んできたけれど、その内容には思わず顔を顰めた。


『治癒の魔法などを習っておけば、村では役立つのではないか?』

「治癒か……それは凄くいいことだけど……」


 村には大きな怪我や病気を治せる人がいない。

 お父さんが帰ってきたから治してくれるかもしれないけど、手は少しでも多い方がいい。

 教えてくださいって言った方がいいのかなあ。

 嫌だなあ……。


「エミール? 火竜の言葉が分かるのか?」


 復活したらしいお父さんが、おれと火竜を見て驚いていた。


「うん。おれ、光属性の魔力が強いんだって。だから神獣の声も聞くことが出来るらしい」


 さっき火竜から聞いたことを答えると、お父さんの目が更に見開いた。


「光属性……? わたくしも光属性の魔力値なら高いはずですが……」


 おれ達の会話を聞いていた聖女様が、おずおずと遠慮しながらも入って来た。

 さっきおれの方が強いと火竜に聞いたけど……それを聖女をしている人に言ってもいいのだろうか。

 ……いいか、言っちゃおう。


「聖女様よりおれの方が光の魔力が強いんだって」

「なっ」

「凄いぞエミール!」


 思い切って言ってしまうと、聖女様の顔が引き攣った。

 お父さんはそんな聖女様を気にせず、嬉しそうにおれの頭を撫でた。


「そんな……わたくしの聖女としての立場が……!」


 さっきのお父さんのように、今度は聖女様が地面に両手をついて凹み始めた。

 面倒臭い大人ばかりだなあ。


 その後グレイスがおかしでお腹がいっぱいになったのか、眠そうにウトウトし始めたのですぐに帰ることになった。

 お父さんは凹んだ聖女様をそのまま放置していたけど、よかったのだろうか。

 お母さんの方が大事なんだなと分かったから良かったけど……。


 お父さんが聖女様に全く気がないと分かってからは、もう少し聖女様にちゃんとした態度を取れば良かったと後悔した。

 いつかしっかり謝って、魔法を教えてくださいとお願いしてみようかな。




 家に帰ると、お母さんが美味しいご飯を用意して待っていてくれた。

 お父さんはお母さんにくっついて色々報告したがっていたけど、「鬱陶しい!」と怒られていた。

 その様子がおかしくて笑ってしまった。

 こういうのは楽しくていい。

 ……やっぱりお父さんが帰ってきて良かった。


 その日の夜もおれは魔法書を見るために夜更かしをしていた。

 大好きな火竜の頁を開き、直接火竜から聞いた本には載っていないことを思い出し、ニヤニヤしていると廊下から足音が聞こえてきた。

 まずい、この聞き慣れた足音はお母さんだ!

 慌てて灯りを消し、布団に潜り込んだ。


 息を潜めて目を閉じていると、思っていた通りにこの部屋の扉が開いた。

 お母さんの足音がゆっくり近づいて来て……おれのベッドの前で止まった。

 心臓がドキドキと大きな音で鳴っている。


「エミール、寝たフリしても駄目よ。まだ起きているでしょ?」

「!」


 息を呑んだ瞬間に布団を捲られた。

 うわあ……バレている!


「いてっ」


 悪あがきをして目を閉じたままでいると、顔の上に固いものが乗せられた。

 痛いと言ったが痛くはなく、びっくりして思わず声を出してしまった。

 ここまで来たら降参するしかないと目を開けると、お母さんはおれを見下ろして笑っていた。


「貰っておきなさい」

「え?」


 ベッドの端に腰を下ろして話し掛けて来た母さんが、僕の顔から落ちたものを拾って渡してきた。

 それは本だった。

 見覚えがある……たしか聖女様がくれると言っていた本だ。


「まったく……あんたは変なこと気にしなくて良いの。お父さんが帰ってきたから、お母さんはもう大丈夫よ。それに貰えるものは貰っておけばいいのよ。今後のあんたに役立つものなら尚更ね。これを貰ったからって、おばあちゃんの魔法書を捨てなければいけないってわけじゃないんだから。両方大事にすればいいの」


 お母さんはお父さんから今日の話を聞いたようだ。

 あまり話して欲しくなかったのに……お父さんってお喋りだなあ。


「大丈夫、お母さんは乳女には負けないんだから!」

「ちち?」

「なんでもないわ。あんたはああいうのにだけは引っかかっちゃだめよ!」

「ううっ!? お母さん、苦しいっ」


 おれを力一杯抱きしめながらよく分からないことを注意して、お母さんは部屋を出て行った。

 「早く寝なさいよ!」と叱るのも忘れずに。


 お母さんが部屋を出て行く時に、扉の向こうにちらりとお父さんが覗いているのが見えた。

 何をしているんだろう……。

 廊下からお父さんとお母さんの話し声が聞こえた。

 何を言っているか分からないが、多分お父さんがお母さんに何か叱られている。

 勇者なのに叱られてばかりだなとまた笑ってしまった。


 お父さんってお母さんのこと大好きだよなあ。

 今度から疑うのは可哀想だからやめてあげようと思った。

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